34 / 42
34.前世の私と夢の話
屋敷に帰る馬者の中で、私は、窓の外を見ているクライドの横顔を見つめていた。
もう泣いてはいないけれど、目元は赤い。でも屋敷に着く頃には目立たなくなっているだろう。
彼が感情的になるのを初めて見た。怒っている時も、彼は本心を全て見せてはいなかったと思う。
大人としてはそうする必要があるけれど、彼は子供の頃から大人びていたというのは屋敷の使用人達からよく聞く話だ。
私はクライドは、小さい頃からとても我慢をしてきたのではないかと思った。
そして、彼にとっては急にできたお姉様が唯一の気を許せる相手だったのだろう。その相手に恋心が芽生えるのは理解が出来る気がした。
夕食の前も後も、彼は執務室に籠っていた。食事中も口数はいつも以上に少なかった。
そんな調子だったから、私は彼が今日は夫婦の寝室に来ないかもしれないと思っていた。
でも彼は私が寝支度を整えた頃には夫婦の寝室にやってきて、私の隣に横たわるなり、いつもの冷静な声で言った。
「昼間はすまなかった。醜態を見せた」
私は彼から謝られたくはなかった。彼は当たり前の反応をした。悲しかったから泣いたのだ。でも、彼にそう言ってもきっと理解出来ないだろう。
だから、私は彼の言葉を遮って、あえて楽しそうな声で言う。
「ねえ、クライド様。あなたには夢がおありですか?」
「夢……? 私は王太子殿下のお役に立たねばならない。だから、宰相になれればいいと思っている」
「それは……夢ではなくて、そうならなければ、というお話のような気が……。いつからそうしたいと思っておられたのですか?」
「さあ。気づいた時には父上にそう言われていたから」
クライドは当然ではないかと言うようにこちらを見てくる。
思っていた通り、彼は自分の好きな人生を選択出来なかったのだ。
それは今の私も同じだ。前世の記憶を思い出すまでは、誰か身分の釣り合う相手に嫁いで、子供を生み、社交をするだけの人生に何の疑問も持っていなかった。
でも、彼がそのせいで感情を押し殺して生きてきたのだとしたら、それはとても悲しい。
「クライド様。それは夢とは言いません。お父様の夢だったかも知れませんけれど、あなた様とは無関係だわ」
「……父上の夢……?」
「そうです。いえ、夢というよりも、野望、でしょうか」
私は、立っている時とは違って、同じ目線で横たわる彼の手を握った。
そして、前世の自分の人生に思いを馳せる。遠いようで、つい最近の出来事のような不思議な感覚の記憶だ。
「ある国に、親に逆らって女優になった娘がいたのです。親は二人とも公務員……位は高くありませんが、官吏のようなものでしたから、娘にもそうなるべきだと言いました。でも、娘の夢は女優になって舞台や、まあ、他にもいろいろありますけれど、お芝居をすることだったのです」
「……官吏の娘が女優? それはあり得ないのでは? 常識的に考えて」
「えっと……。その国では、人は自分次第で何にだってなれたんです。身分制度もほとんどなくて」
この世界の人に現代日本の常識を説明するの無理なので、適当に誤魔化すしかないけれど、それもなかなか難しい。
「……聞いたこともない話だが……。それで? その娘は女優になったのか?」
「はい! 主役も、小さな劇場でのお芝居では務めたこともあって! でも、お芝居をしてもらえるお金だけでは生活をしていけなくて、他に商店のようなところで働いていました。そして、もっと大きな舞台に立つことを夢見ていました。でも、夢の途中で死んでしまったのです」
あの頃の、夢の途中の楽しい日々のままで、私の記憶は止まっている。
「それは……無念だったろうな」
「まさか! 不運ではありましたけど、夢に破れたわけではなくて、追いかけながら死んだんです。希望に満ちたまま。だから、後悔はしていないんです!」
そうなのだ。前世の私はそういう人だった。
最後の瞬間、死ぬかもしれないと思った時も、やれるだけのことはしたと満足感を得るような人だった。
きっと、両親や仲間たちや友達は、若くしてこの世を去った私を、無念だっただろうと可哀想に思いながら送り出したのだと思う。
でも、それは違う。
今のミレニアの人格は、その記憶を思い出すまで、誰それが若くして……と大人たちが嘆くのを、そう思うのが当然だと思っていた。
でも、前世の記憶を自分のものとした時に知った。それだけではないのだと。
どんな状況になったとしても、後悔せずに生きて、そして死んでいくことができるのだと。
私はクライドに微笑みかけた。
私は平凡な伯爵令嬢として生きながら、いろいろやらかしてきたけれど、後悔はこれっぽっちもしていない。
私の目の前で、真剣に考え込む表情のクライドには、おそらく説明して分かってもらえるものではない。
でも、彼にも後悔の残る人生は送って欲しくないと、彼を大切に思うようになってしまった私は願ってしまうのだ。
クライドは、私を見ると困ったように笑った。
「私にはよく分からない。夢、などというものについて考えたことがない。……その、不思議な話に出てくる娘のようにはなれそうにないな」
「そんなに難しく考えることはありません。好きなことをしていたら、きっと楽しいのです。クライド様は宰相になったら楽しそうですか?」
「どうだろう。だが、誰にでもなれるものではないし、国を豊かにするために力を尽くすのは意味のある行為だと思う」
「確かにそうですわね。でも、どうせならご自分が楽しくて、せずにはいられないと思うこともしていただきたいわ」
クライドは微笑むと「そうか。だが私には勉学や仕事以外に、何かをしたことがない」と、やはり寂しいことを言う。
私は、そんな彼の頭を抱き込むようにした。そしてそのサラサラの髪を撫でる。彼はされるがままに、大人しくしている。
「宰相にならなくても、公爵家は爵位を取り上げられはいたしませんでしょう? 領地も、名誉も」
「そうだな、それはないだろう。殿下のご期待には応えられないが……」
「それは嫌ですか?」
彼はまたしばらく考え込んでから言った。
「主従関係にはあるが、最も友人に近い人だったから」
「では、公爵家の発言権が低下しないようにだけして、殿下にお味方しつつ、旦那様はご自分の夢を探してみてもいいかもしれませんわね」
「子供の頃ならともかく、私はもういい大人で……」
「あら! 年齢なんて関係ありますか?」
前世の記憶が三十年分ある私は、まだ二十歳の彼の言葉に驚いてしまった。まだまだこれから、何でもできる年なのに。
もちろん前世の頃よりも、この世界の人々の寿命は長くはない。でも、残された時間がほんの少しだったとしても関係ない。
いつだって、何だってやれるのだと、途中で終わってしまっても、楽しめればいいのだと、心の中で前世の自分が笑っている。
「ねえ、クライド。今までしてこなかったことがたくさんあるなんて、それは素敵なことだわ! だって、楽しいことを、これからたくさん試せるのですもの!」
「……そんな生き方があるのか……」
「あります! もちろん、ご身分の問題で、ものによっては周囲から止められることもあるでしょうけれど、やりようはあるはずです」
彼は私の腕の中から抜け出して、なぜか私にキスをした。
「そなたは、これから何がしたい?」
(え、私? えっと……。私が今したいのは何かしら……?)
「……私も分かりません……」
「そうか……。一緒だな」
クライドは優しく笑う。笑顔でいてくれるのが嬉しくて、こちらからもキスをする。
そうすると、彼は私の頬を撫でて、視線を遠くに向けた。
「一つ、したいことがある」
「まあ。もう何か思いついたのですか? 教えていただいても?」
私は彼の長い指をいじりながら聞いた。ペンだこや、あちこちに剣を使う人特有の皮膚が硬くなった場所がある。父や兄弟も騎士だから、それにはなじみがあった。
でもその手が逃げていって、なぜか私は彼に抱き寄せられる。もっと触っていたかったのに。
「クライド様……?」
私が見たその彼の顔は、今までで見た中で一番優しかった。
あなたにおすすめの小説
【完結】孤高の皇帝は冷酷なはずなのに、王妃には甘過ぎです。
朝日みらい
恋愛
異国からやってきた第3王女のアリシアは、帝国の冷徹な皇帝カイゼルの元に王妃として迎えられた。しかし、冷酷な皇帝と呼ばれるカイゼルは周囲に心を許さず、心を閉ざしていた。しかし、アリシアのひたむきさと笑顔が、次第にカイゼルの心を溶かしていき――。
お妃候補に興味はないのですが…なぜか辞退する事が出来ません
Karamimi
恋愛
13歳の侯爵令嬢、ヴィクトリアは体が弱く、空気の綺麗な領地で静かに暮らしていた…というのは表向きの顔。実は彼女、領地の自由な生活がすっかり気に入り、両親を騙してずっと体の弱いふりをしていたのだ。
乗馬や剣の腕は一流、体も鍛えている為今では風邪一つひかない。その上非常に頭の回転が速くずる賢いヴィクトリア。
そんな彼女の元に、両親がお妃候補内定の話を持ってきたのだ。聞けば今年13歳になられたディーノ王太子殿下のお妃候補者として、ヴィクトリアが選ばれたとの事。どのお妃候補者が最も殿下の妃にふさわしいかを見極めるため、半年間王宮で生活をしなければいけないことが告げられた。
最初は抵抗していたヴィクトリアだったが、来年入学予定の面倒な貴族学院に通わなくてもいいという条件で、お妃候補者の話を受け入れたのだった。
“既にお妃には公爵令嬢のマーリン様が決まっているし、王宮では好き勝手しよう”
そう決め、軽い気持ちで王宮へと向かったのだが、なぜかディーノ殿下に気に入られてしまい…
何でもありのご都合主義の、ラブコメディです。
よろしくお願いいたします。
恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。
長岡更紗
恋愛
落ちぶれ子爵令嬢の私、レディアが後妻として嫁いだのは──まさかの恐怖侯爵様!
しかも初夜にいきなり「君を愛することはない」なんて言われちゃいましたが?
だけど、あれ? 娘のシャロットは、なんだかすごく懐いてくれるんですけど!
義理の娘と仲良くなった私、侯爵様のこともちょっと気になりはじめて……
もしかして、愛されるチャンスあるかも? なんて思ってたのに。
「前妻は雲隠れした」って噂と、「死んだのよ」って娘の言葉。
しかも使用人たちは全員、口をつぐんでばかり。
ねえ、どうして? 前妻さんに何があったの?
そして、地下から聞こえてくる叫び声は、一体!?
恐怖侯爵の『本当の顔』を知った時。
私の心は、思ってもみなかった方向へ動き出す。
*他サイトにも公開しています
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
【完結】今さら執着されても困ります
リリー
恋愛
「これから先も、俺が愛するのは彼女だけだ。君と結婚してからも、彼女を手放す気はない」
婚約者・リアムが寝室に連れ込んでいたのは、見知らぬ美しい女だった――
アンドレセン公爵令嬢のユリアナは、「呪われた子」として忌み嫌われながらも、政略結婚によりクロシェード公爵家の嫡男・リアムと婚約し、彼の屋敷に移り住んだ。
いつか家族になれると信じて献身的に尽くすが、リアムの隣にはいつも、彼の幼馴染であり愛人のアリスがいた。
蔑まれ、無視され、愛人の引き立て役として扱われる日々。
ある舞踏会の日、衆前で辱めを受けたユリアナの中で、何かがプツリと切れる。
「わかりました。もう、愛される努力はやめにします」
ユリアナがリアムへの関心を捨て、心を閉ざしたその夜。彼女は庭園で、謎めいた美しい青年・フィンレイと出会う。
彼との出会いが、凍りついていたユリアナの人生を劇的に変えていく。
一方、急に素っ気なくなったユリアナに、リアムは焦りと歪んだ執着を抱き始める。
・全体的に暗い内容です。
・注意喚起を含む章は※を付けています。
むにゃむにゃしてたら私にだけ冷たい幼馴染と結婚してました~お飾り妻のはずですが溺愛しすぎじゃないですか⁉~
景華
恋愛
「シリウス・カルバン……むにゃむにゃ……私と結婚、してぇ……むにゃむにゃ」
「……は?」
そんな寝言のせいで、すれ違っていた二人が結婚することに!?
精霊が作りし国ローザニア王国。
セレンシア・ピエラ伯爵令嬢には、国家機密扱いとなるほどの秘密があった。
【寝言の強制実行】。
彼女の寝言で発せられた言葉は絶対だ。
精霊の加護を持つ王太子ですらパシリに使ってしまうほどの強制力。
そしてそんな【寝言の強制実行】のせいで結婚してしまった相手は、彼女の幼馴染で公爵令息にして副騎士団長のシリウス・カルバン。
セレンシアを元々愛してしまったがゆえに彼女の前でだけクールに装ってしまうようになっていたシリウスは、この結婚を機に自分の本当の思いを素直に出していくことを決意し自分の思うがままに溺愛しはじめるが、セレンシアはそれを寝言のせいでおかしくなっているのだと勘違いをしたまま。
それどころか、自分の寝言のせいで結婚してしまっては申し訳ないからと、3年間白い結婚をして離縁しようとまで言い出す始末。
自分の思いを信じてもらえないシリウスは、彼女の【寝言の強制実行】の力を消し去るため、どこかにいるであろう魔法使いを探し出す──!!
大人になるにつれて離れてしまった心と身体の距離が少しずつ縮まって、絡まった糸が解けていく。
すれ違っていた二人の両片思い勘違い恋愛ファンタジー!!
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。