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愛するということ
30. 思いがけない味方
しおりを挟むマリアーナは、侍女長のヘンナからどのような強い言葉が飛んできても、それを受け止めるつもりでいた。
自分が昨夜の食事の場ですべきでないことをしたのは確かだったからだ。
でも、彼女はマリアーナが腰掛けている椅子の横で、床に膝をついて低い姿勢をとった。
目を見張っていると、彼女は「お手を頂戴してもよろしいでしょうか」と、こちらを必死な形相で見上げてくる。
手に触れてもいいかと聞かれているのは理解できる。とはいえ、彼女がなぜそんなことを言うのかは想像もつかない。
でも、そのすがられているかのような様子に、おずおずと手を差し出した。
「え、ええ……。でも、なんで……?」
彼女はマリアーナの手に、両手で下から支えるように触れた。そして、マリアーナの手を見つめながら「大きくおなりになったのですね」とつぶやいた。
確か、彼女はマリアーナの祖母の侍女をしていて、ごく幼い頃に会ったのだと言っていた。
「ヘンナ……?」
「ご無礼をいたしました」
彼女はマリアーナから手を離して深々と頭を下げた。そして、彼女は話し出した。
ヘンナは、マリアーナが二歳になる頃までこの王宮にいた。それは前にも聞いていたけれど、それ以前にも、今は外国へ嫁いでいるマリアーナの叔母にあたる方の元で侍女をしていたのだそうだ。
「結婚のため、一度王宮を離れました。ですが、生まれたばかりの子を亡くし、それ以降は子を授からず離縁されたのです。そしてマリアーナ様がお生まれになる少し前に昔のつてを頼って王宮に戻ったところでした」
「そんなことが……。気の毒に」
「はい。その頃は自分の境遇全てを呪っておりました。ですが……」
彼女は顔を上げてマリアーナを見た。その目には涙が浮かび始めていた。
「マリアーナ様のご成長を、それができなかった我が子に重ねておりました。悲しみを思い出しはしましたが、同時にうれしかったのです。あの子が一緒に成長しているようで……」
ヘンナはハンカチを取り出して目元を拭うと、初めて微笑みを見せてくれた。
「覚えてはおられないでしょうが、王妃様がご自分で歩き出されてから、王太后様のお供でお部屋にお邪魔するたびに、私や他の侍女たちの元に歩いてきてくださいました。そして手を取って握手をして戻っていかれるのです。それは、あの頃の私にとってはこれ以上ない喜びでございました」
「まあ……。私がそんなことを……?」
マリアーナには全く覚えがなかった。そんなに小さい頃の出来事ならば当然なのかもしれない。
ヘンナは気の毒だ。でも本当に、幼い頃の自分の何気ない行動が、その傷を癒す助けになれていたのだろうか。
国中から嫌われている自分にそんな力があったなんて信じられなかった。
半信半疑のまま、ヘンナの言葉を聞く。
「王宮にいられなくなった後、兄の家で厄介になりながら過ごしておりましたが、ときおり人伝いにお聞きするマリアーナ様のご成長を楽しみにしておりました。あの革命の日までは。その後、かつてこの王宮で侍女をしていた、現在の国王陛下に敵対しない家の人間を探されていると、我が家に陛下のお使いの方がいらっしゃり、このお役目を引き受けたのでございます」
彼女は「ですから、注意を促さずにはいられなかったのです」とまた頭を下げた。
彼女と初めて会った日の言葉は、マリアーナを責めるものではなくて、思いやってのものだった。
そんなことはありえないと思っていた。自分が死に至らしめられたあの記憶を思い出してから、人の言葉を素直に受け取れていなかった気がする。
日々起こる出来事の全てを警戒して、初めて会う人全員を疑っていた。
「……なぜ、初めから言ってくれなかったの?」
「王妃様の行動に口を出す権利はございません。私にできるのは、ご忠告申し上げることだけでございます」
マリアーナは昨夜の、こらえ性のない自分を思い出して、また落ち込んだ。
「失望させてしまったわね……」
「詳しくは存じませんが、国王陛下が罰しておられないのでしたら、問題はなかったかと」
あれだけ大勢の前で反感を買うような発言をしたというのに、本当に今まで通り過ごしていいのだろうか。
牢に入れられるかもしれないと思っていたくらいなのに、生活が変わる様子がない。
「王妃様。信頼は取り戻せるものと存じます。お一人で無理をなさる必要はございません。私には何の力もありませんが……」
マリアーナはその言葉だけで充分うれしかった。
先ほど聞いた幼い頃の自分の行動を真似て、「手を握ってもいいかしら」と聞いてから、彼女の温かい手を握った。ヘンナは微笑んで、「本当に大きくおなりになりました」とまた涙を浮かべた。
手に力を込めると、彼女も強く握り返してくれる。
マリアーナは、たったそれだけのことで、また頑張ってみようと思えた。
その日マリアーナは迷った末、アルベルトに『ごめんなさい。ありがとう』と手紙を書いたのだった。
◆
その後もマリアーナの元には護衛が迎えに来たし、図書館にも温室にも行けた。
司書のルスコは「噂? 何についてです? 同僚もいませんから、聞きようがないですが」と、気にもしてない様子だったし、庭師のウル爺さんの態度は何も変わらなかった。
護衛の中でも話しやすい貴族出身のアークラに、あの時のマリアーナの発言は広がってはいないのか聞くと、「陛下が翌朝、無駄に王宮に波風を立てるような発言は控えるように、と言い渡しておいででしたから」と笑顔で教えてくれた。
官吏たちは皆よそよそしいから、噂は広がっているのかもしれないけれど、彼らの態度は以前からこのような様子だった。
だから、マリアーナは、余計な心配はしないことにした。嫌われているのも、いつ殺されるか分からないのも、前と同じだ。
マリアーナは、また自分にできることを一つずつこなす日々に戻ったのだった。
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