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結婚したあとも困ってるんです
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婚姻届を提出してからは早かった。期日が短かったからなのか、やるべきことが多すぎて理解が追いつく前に過ぎ去ってしまったからなのか、詳細な理由は分かりかねる。役所の窓口を担当していたこともあったおかげで、ある程度の段取りは分かっていた。思ったよりオルゴのほうが慌てていて、「あの天才魔法使いが?」と役所の人間が面食らっていた顔をしていたっけ。
挙式は滞りなく終わった。……滞りなく、というのは少しだけ嘘だ。式はオルゴの館で行われたのだが、打ち合わせ段階では予定になかった大車輪花火だとか、招待していない見物客が押し寄せて館の一部が壊れてしまったとか、魔法協会で一番偉い人から電報が届いたとか、まあ、それなりにハプニングはあった。でも、それも終わってしまえば良い思い出だったと言える。
楽しかったな。やってよかったな。そう思えたのは、間違いなくオルゴのおかげだった。
「いやぁ……俺はもっと盛大にやってよかったと思うがな。花火もあれだけじゃ物足りないし、雷で演出すればよかった。ルチアの挨拶の時は小雨にして厳かな雰囲気を……」
天才魔法使いは天候まで操れるのか?持て余した能力を遺憾なく発揮しないで欲しい。
オルゴは事あるごとに「ああすればよかった」「こうすればもっと盛り上がった」と口にしてはいるが、式自体は存分に楽しんでいたようだった。ばーちゃんと三人で撮った写真を何倍にも引き伸ばして額縁に入れて、玄関に置いて飾っているのだから、帰宅するたびに目を逸らしてしまう。
式のあと、俺はオルゴの館へ引っ越した。本当はばーちゃんも一緒に行こうって誘ったんだけど、新婚のお邪魔になるからと断られた。建前はそうだろうが、たぶんばーちゃんは長く住んだあの土地が気に入ってるから離れたくないんだと思う。俺もオルゴも食い下がったりはしなかったけど、腰の怪我のこともあるので、すぐ連絡が出来るように鳥を一羽飼うことにした。鳥の目にモニター付きの眼鏡を掛けて、こちらからでも映像が見れるようになっている。会話は出来ないけど、音声を聞くことは出来るので、俺は毎朝鳥の目を通してばーちゃんのおはようを聞いている。これで一安心だ。
そんなこんなで、毎日楽しく暮らしている。家を離れたけど、今でもばーちゃんの店とオルゴの館を行き来して、二人の橋渡しをしている。生活拠点が変わっただけで、特に今までと変わりはない。
――変わったことと言えば、街の人たちの態度が柔らかくなったことだろうか。柔らかくなったといえば聞こえはいいが、どちらかと言えば憐れむような目で見られるようになった。
子どもは相変わらず無邪気に毒を投げてくるけれど、それは無知ゆえの言動であることを知っている。一緒になって眉を顰めていた大人は、不躾な子どもを叱ってくれるようになっていた。どういう心境の変化か、俺には分からない。なにかのきっかけがあったのだとしても、以前より生活がしやすくなったように感じた。
オルゴに尋ねると、一瞬驚いたあと、とても不機嫌そうな顔でこう答えた。
「役所が都合のいいように解釈して過大評価した記事を書いたせいだろう。ルチアがどうしてもと言うから取材を受けたんだが、あれほどまでに掌を返すとは思わなかったな。おまえとルチアがいなければ、こんな街とっくに出ているよ」
挙式が終わったあと、役所の広報担当が『天才魔法使いオルゴ・エンデバー』の特集をしたいとばーちゃんを通して依頼してきたので、オルゴは気が進まなかったけどばーちゃんの顔を立てるために受けた。ばーちゃんもオルゴに頼むべきではないと分かっていたけれど、挙式が終わったばかりなのに変な噂を立てられてもいけない、と思ってオルゴへ打診したらしい。
「ばーちゃんは、街の人にオルゴのことを知って貰いたかったんだよ。きっと」
「俺は、俺の取材だと聞いたんだ。おまえのことを根掘り葉掘り聞かれるとは思わなかった。嘘を言うわけにもいかないし、……やられたよ。ルチア共々嵌められたんだ」
「……ええ?」
取材を受けて記事になったのは聞いていたが、肝心の中身を確かめていなかったのでそんなことになっているとは知らなかった。普段はいつも自信満々な笑顔をしているはずのオルゴは、心底嫌そうな顔をしている。よほど気に食わなかったのだろう。
ばーちゃんは知ってるのかな、そのことを。知っていたらオルゴに謝罪してしまいそうで、なんていうか、とても嫌だ。ばーちゃんは何も悪くないのに。
そしてその予感は的中してしまう。鳥の目からばーちゃんの声が聞こえて、それはひっきりなしに「ごめんね」と謝罪の言葉を述べていた。俺はばーちゃんと同じように悲しい気持ちになったけれど、オルゴは違った。
「もう限界だ」
怒りに震えた目をしたオルゴは、静かに立ち上がって外套を羽織った。
◇◇◇◇
向かった先は、思った通り役所だった。俺にはオルゴが何をするつもりなのか分からないが、一緒に行かなければならない気がしていた。おかしなことを言い出したら止めるつもりで、俺はオルゴの後ろをついていく。オルゴは中央のカウンターまで足早に駆けると、身分証を見せながら受付へ告げた。
「広報担当のリンデを呼んでくれ」
「え?あ、あの……?」
「オルゴ・エンデバーだ。天才魔法使いと言えば分かるか?先日の記事について話したいことがある」
カウンターでの小さな諍いに周囲が騒ぎ始めた頃、奥からボサボサ頭の男が出てきた。オルゴの空気にピリッと緊張が走って、これが取材を担当した広報のリンデなのだと聞かなくても分かった。リンデはオルゴの姿を確認すると、首を傾げて悪意を含んだ笑みを浮かべた。
「……おや。どうしました?天才魔法使いさん。記事のお礼ならもう頂きましたよ、ルチアさんにね」
「ほん、…とうに……腹が立つ言い方をするな、貴様は」
ばーちゃんの名前を出されて、オルゴは苦虫を噛み潰したような顔をした。俺も気分が悪くなって、一瞬にして敵だと認識した。オルゴの後ろから睨みつけていると、リンデが俺の存在に気付いてまた邪悪な笑顔を作る。おかしくてたまらないって顔だ。こいつ、なんか、ものすごく嫌いだ。
「記事のことでお話があると聞きましたが……ここじゃ話しにくいでしょう。応接室へどうぞ」
「いや、ここでいい」
「……は?」
リンデの申し出を断り、差し出された手を振り払う。その答えが予想外だったらしく、リンデは目を丸くさせた。間抜けな顔をしたリンデを見て、俺はちょっとだけ気分が良くなった。
オルゴはカウンターのほうへ振り返り、待合室の端まで聞こえるほど大きな声をあげる。
「この際だからここにいる全員に言っておくが、俺は地位や名誉のためでも、慈善事業で天才魔法使いをやっている訳でもない。俺自身の研究のためと、愛する人を守るためだ。それを貴様が踏みにじった」
「……誤解ですよ、それは」
リンデは含み笑いを隠しきれず、未だ自分が優位であると信じ切っているようだった。否定の言葉を遮って、オルゴは主張を続けた。
「黙れ。今後一切、俺と俺の家族に構うな。ルチアも薬屋を撤退させる。この街も出ていく。魔法協会から俺の名を抹消させる。そしてその原因はこの街の、いや、貴様のせいだと報告しておく」
「なっ……」
「俺は本気だ。貴様がそうさせたんだ。魔法協会は焦るだろうな。ここ三十年、俺ほどの業績を残した魔法使いはいないはずだからな、大総統が出てくるかもしれん。この街も崩壊するだろうな。俺が来てから、災害による被害がほぼゼロになったと思わなかったか?」
リンデはもちろん、俺を含めてその場にいる全員が絶句した。
魔法使いが国から優遇されるのは、国益に繋がる業績を残すからだ。子どもでも知っている常識だった。国が認める『魔法使い』になることすら、才能とセンスがなければ厳しいと言われている。
オルゴは天才魔法使いなのだ。数々の病魔の原因を突き止め、有事には軍事顧問として派遣され、今なお魔法協会の本部から戻ってこいと求められ続けている。
失念していたわけじゃない。自他ともに何度も口にしているし、取材したリンデはよくそのことを分かっているはずだ。なのにどうして、そのことを考えなかったのか。
街ごと防御壁を張るのだって、オルゴには傘を指したくらいの感覚なんだろう。それほどまでの存在なのだ、オルゴ・エンデバーという人間は。
「まずいんじゃないか……」
しんと静まり返る中、誰かが沈黙を破る。その一言を皮切りに騒然となり、役員が慌てて事態の収拾に努めた。どこかでリンデを糾弾する声が聞こえる。それと同時に、オルゴへ助けを求める怒号が聞こえた。「俺たちを助けろ」と、まるでそれが当然の主張のようで、これ以上オルゴを刺激して欲しくないであろうリンデのほうが絶望的な顔をしていた。
いつもは静かな役所の入り口で、「どうにかしろ」「リンデに責任を負わせろ」「考え直してくれ」「おまえのせいで」「どうしてくれるんだ」「どうにかしてくれ」といった、たくさんの声が交差していた。 波のように押し寄せる住民と、叫びながらそれを阻止する役員。騒ぎの中心にはオルゴがいて、四面楚歌の状態にも関わらず表情を崩さなかった。
オルゴは冷ややかな目をしたまま、リンデの方を振り向く。もはや一介の役員として天才魔法使い相手に駆け引きなどは通じないと理解したリンデは、絶望と困惑の入り混じった顔をしていた。
「た、……助けてください……」
恥も外聞もなく、リンデが救済を求める。オルゴの表情は変わらないが、視線を逸らさないリンデの目を見つめたまま、たった一言「貴様の罪を認めるか?」と言葉を落とした。
「み、認めます…!認めますから……」
「ならば俺を敬え。俺だけではない、俺の愛する家族を貶めるな。俺に俺の愛する家族の憂いを見せた時、貴様の未来はないと思え」
荒唐無稽な命令を、リンデがとても守れるとは思えなかったが、リンデは未来の自分を犠牲にしてでもこの場を収めるしかなかった。膝を折り、軍人がそうするように、「オルゴ・エンデバーの仰せのままに」と呟いた。オルゴはそれに対してなんの反応もせず、俺の肩を抱いて踵を返し、役所の出口へ向かった。群衆はいつの間にか静かになっていた。
役所を出たあと、オルゴは普段どおりに戻っていた。んーと伸びをしたあとふわりと微笑んで、さっきまでの空気が嘘みたいに柔らかくなっていた。
「腹減ったな、ルチアのとこ寄っていくか」
「……ん」
「もう大丈夫って、教えてやらないと」
手を繋いで歩き出す。他愛ないことを喋りながら、オルゴという魔法使いの偉大さを、改めて認識した。
オルゴは、最初からこの街のことなんか、何一つ信用していなかった。俺とばーちゃんだけが必要で、それ以外は要らないのだと切り捨てた。魔法使いの称号ですら簡単に捨ててしまえるほど、オルゴにとってはちっぽけなものだった。それに対して俺は、馬鹿なことを言うなって諌めるべきなんだろうけど、何故か嬉しいと思ってしまった。そうだ、俺も、ばーちゃんとオルゴさえいてくれたらいい。それだけでいい。
でもばーちゃんは違う。ここで生まれて、ここで育った。ばーちゃんの宝物がいっぱいある。こんな街どうなってもいいと思うけど、それとばーちゃんが悲しむのは別だ。だからきっと、オルゴのさっきの言葉は本心じゃなかった。
「嘘つき」
「俺がいつ嘘をついた?心外だ」
「ここを出ていくつもりなんかないくせに」
「……そうでもないさ」
本当に出ていくつもりなら、わざわざ役所で宣言する必要はない。誰にも止める権利はないのだから、黙って俺とばーちゃんを連れて行けばいいだけ。ばーちゃんも、俺とオルゴが説得すれば渋々だけど了承してくれたはずだ。でも、それをしないのは、オルゴがばーちゃんを愛する家族だと思っているから。
「ルチアを悲しませるくらいなら、こんな街でも守ってやるさ」
握られた手を、そっと握り返した。俺もそうだよ、という肯定と、感謝の意味を込めて。
挙式は滞りなく終わった。……滞りなく、というのは少しだけ嘘だ。式はオルゴの館で行われたのだが、打ち合わせ段階では予定になかった大車輪花火だとか、招待していない見物客が押し寄せて館の一部が壊れてしまったとか、魔法協会で一番偉い人から電報が届いたとか、まあ、それなりにハプニングはあった。でも、それも終わってしまえば良い思い出だったと言える。
楽しかったな。やってよかったな。そう思えたのは、間違いなくオルゴのおかげだった。
「いやぁ……俺はもっと盛大にやってよかったと思うがな。花火もあれだけじゃ物足りないし、雷で演出すればよかった。ルチアの挨拶の時は小雨にして厳かな雰囲気を……」
天才魔法使いは天候まで操れるのか?持て余した能力を遺憾なく発揮しないで欲しい。
オルゴは事あるごとに「ああすればよかった」「こうすればもっと盛り上がった」と口にしてはいるが、式自体は存分に楽しんでいたようだった。ばーちゃんと三人で撮った写真を何倍にも引き伸ばして額縁に入れて、玄関に置いて飾っているのだから、帰宅するたびに目を逸らしてしまう。
式のあと、俺はオルゴの館へ引っ越した。本当はばーちゃんも一緒に行こうって誘ったんだけど、新婚のお邪魔になるからと断られた。建前はそうだろうが、たぶんばーちゃんは長く住んだあの土地が気に入ってるから離れたくないんだと思う。俺もオルゴも食い下がったりはしなかったけど、腰の怪我のこともあるので、すぐ連絡が出来るように鳥を一羽飼うことにした。鳥の目にモニター付きの眼鏡を掛けて、こちらからでも映像が見れるようになっている。会話は出来ないけど、音声を聞くことは出来るので、俺は毎朝鳥の目を通してばーちゃんのおはようを聞いている。これで一安心だ。
そんなこんなで、毎日楽しく暮らしている。家を離れたけど、今でもばーちゃんの店とオルゴの館を行き来して、二人の橋渡しをしている。生活拠点が変わっただけで、特に今までと変わりはない。
――変わったことと言えば、街の人たちの態度が柔らかくなったことだろうか。柔らかくなったといえば聞こえはいいが、どちらかと言えば憐れむような目で見られるようになった。
子どもは相変わらず無邪気に毒を投げてくるけれど、それは無知ゆえの言動であることを知っている。一緒になって眉を顰めていた大人は、不躾な子どもを叱ってくれるようになっていた。どういう心境の変化か、俺には分からない。なにかのきっかけがあったのだとしても、以前より生活がしやすくなったように感じた。
オルゴに尋ねると、一瞬驚いたあと、とても不機嫌そうな顔でこう答えた。
「役所が都合のいいように解釈して過大評価した記事を書いたせいだろう。ルチアがどうしてもと言うから取材を受けたんだが、あれほどまでに掌を返すとは思わなかったな。おまえとルチアがいなければ、こんな街とっくに出ているよ」
挙式が終わったあと、役所の広報担当が『天才魔法使いオルゴ・エンデバー』の特集をしたいとばーちゃんを通して依頼してきたので、オルゴは気が進まなかったけどばーちゃんの顔を立てるために受けた。ばーちゃんもオルゴに頼むべきではないと分かっていたけれど、挙式が終わったばかりなのに変な噂を立てられてもいけない、と思ってオルゴへ打診したらしい。
「ばーちゃんは、街の人にオルゴのことを知って貰いたかったんだよ。きっと」
「俺は、俺の取材だと聞いたんだ。おまえのことを根掘り葉掘り聞かれるとは思わなかった。嘘を言うわけにもいかないし、……やられたよ。ルチア共々嵌められたんだ」
「……ええ?」
取材を受けて記事になったのは聞いていたが、肝心の中身を確かめていなかったのでそんなことになっているとは知らなかった。普段はいつも自信満々な笑顔をしているはずのオルゴは、心底嫌そうな顔をしている。よほど気に食わなかったのだろう。
ばーちゃんは知ってるのかな、そのことを。知っていたらオルゴに謝罪してしまいそうで、なんていうか、とても嫌だ。ばーちゃんは何も悪くないのに。
そしてその予感は的中してしまう。鳥の目からばーちゃんの声が聞こえて、それはひっきりなしに「ごめんね」と謝罪の言葉を述べていた。俺はばーちゃんと同じように悲しい気持ちになったけれど、オルゴは違った。
「もう限界だ」
怒りに震えた目をしたオルゴは、静かに立ち上がって外套を羽織った。
◇◇◇◇
向かった先は、思った通り役所だった。俺にはオルゴが何をするつもりなのか分からないが、一緒に行かなければならない気がしていた。おかしなことを言い出したら止めるつもりで、俺はオルゴの後ろをついていく。オルゴは中央のカウンターまで足早に駆けると、身分証を見せながら受付へ告げた。
「広報担当のリンデを呼んでくれ」
「え?あ、あの……?」
「オルゴ・エンデバーだ。天才魔法使いと言えば分かるか?先日の記事について話したいことがある」
カウンターでの小さな諍いに周囲が騒ぎ始めた頃、奥からボサボサ頭の男が出てきた。オルゴの空気にピリッと緊張が走って、これが取材を担当した広報のリンデなのだと聞かなくても分かった。リンデはオルゴの姿を確認すると、首を傾げて悪意を含んだ笑みを浮かべた。
「……おや。どうしました?天才魔法使いさん。記事のお礼ならもう頂きましたよ、ルチアさんにね」
「ほん、…とうに……腹が立つ言い方をするな、貴様は」
ばーちゃんの名前を出されて、オルゴは苦虫を噛み潰したような顔をした。俺も気分が悪くなって、一瞬にして敵だと認識した。オルゴの後ろから睨みつけていると、リンデが俺の存在に気付いてまた邪悪な笑顔を作る。おかしくてたまらないって顔だ。こいつ、なんか、ものすごく嫌いだ。
「記事のことでお話があると聞きましたが……ここじゃ話しにくいでしょう。応接室へどうぞ」
「いや、ここでいい」
「……は?」
リンデの申し出を断り、差し出された手を振り払う。その答えが予想外だったらしく、リンデは目を丸くさせた。間抜けな顔をしたリンデを見て、俺はちょっとだけ気分が良くなった。
オルゴはカウンターのほうへ振り返り、待合室の端まで聞こえるほど大きな声をあげる。
「この際だからここにいる全員に言っておくが、俺は地位や名誉のためでも、慈善事業で天才魔法使いをやっている訳でもない。俺自身の研究のためと、愛する人を守るためだ。それを貴様が踏みにじった」
「……誤解ですよ、それは」
リンデは含み笑いを隠しきれず、未だ自分が優位であると信じ切っているようだった。否定の言葉を遮って、オルゴは主張を続けた。
「黙れ。今後一切、俺と俺の家族に構うな。ルチアも薬屋を撤退させる。この街も出ていく。魔法協会から俺の名を抹消させる。そしてその原因はこの街の、いや、貴様のせいだと報告しておく」
「なっ……」
「俺は本気だ。貴様がそうさせたんだ。魔法協会は焦るだろうな。ここ三十年、俺ほどの業績を残した魔法使いはいないはずだからな、大総統が出てくるかもしれん。この街も崩壊するだろうな。俺が来てから、災害による被害がほぼゼロになったと思わなかったか?」
リンデはもちろん、俺を含めてその場にいる全員が絶句した。
魔法使いが国から優遇されるのは、国益に繋がる業績を残すからだ。子どもでも知っている常識だった。国が認める『魔法使い』になることすら、才能とセンスがなければ厳しいと言われている。
オルゴは天才魔法使いなのだ。数々の病魔の原因を突き止め、有事には軍事顧問として派遣され、今なお魔法協会の本部から戻ってこいと求められ続けている。
失念していたわけじゃない。自他ともに何度も口にしているし、取材したリンデはよくそのことを分かっているはずだ。なのにどうして、そのことを考えなかったのか。
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「まずいんじゃないか……」
しんと静まり返る中、誰かが沈黙を破る。その一言を皮切りに騒然となり、役員が慌てて事態の収拾に努めた。どこかでリンデを糾弾する声が聞こえる。それと同時に、オルゴへ助けを求める怒号が聞こえた。「俺たちを助けろ」と、まるでそれが当然の主張のようで、これ以上オルゴを刺激して欲しくないであろうリンデのほうが絶望的な顔をしていた。
いつもは静かな役所の入り口で、「どうにかしろ」「リンデに責任を負わせろ」「考え直してくれ」「おまえのせいで」「どうしてくれるんだ」「どうにかしてくれ」といった、たくさんの声が交差していた。 波のように押し寄せる住民と、叫びながらそれを阻止する役員。騒ぎの中心にはオルゴがいて、四面楚歌の状態にも関わらず表情を崩さなかった。
オルゴは冷ややかな目をしたまま、リンデの方を振り向く。もはや一介の役員として天才魔法使い相手に駆け引きなどは通じないと理解したリンデは、絶望と困惑の入り混じった顔をしていた。
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荒唐無稽な命令を、リンデがとても守れるとは思えなかったが、リンデは未来の自分を犠牲にしてでもこの場を収めるしかなかった。膝を折り、軍人がそうするように、「オルゴ・エンデバーの仰せのままに」と呟いた。オルゴはそれに対してなんの反応もせず、俺の肩を抱いて踵を返し、役所の出口へ向かった。群衆はいつの間にか静かになっていた。
役所を出たあと、オルゴは普段どおりに戻っていた。んーと伸びをしたあとふわりと微笑んで、さっきまでの空気が嘘みたいに柔らかくなっていた。
「腹減ったな、ルチアのとこ寄っていくか」
「……ん」
「もう大丈夫って、教えてやらないと」
手を繋いで歩き出す。他愛ないことを喋りながら、オルゴという魔法使いの偉大さを、改めて認識した。
オルゴは、最初からこの街のことなんか、何一つ信用していなかった。俺とばーちゃんだけが必要で、それ以外は要らないのだと切り捨てた。魔法使いの称号ですら簡単に捨ててしまえるほど、オルゴにとってはちっぽけなものだった。それに対して俺は、馬鹿なことを言うなって諌めるべきなんだろうけど、何故か嬉しいと思ってしまった。そうだ、俺も、ばーちゃんとオルゴさえいてくれたらいい。それだけでいい。
でもばーちゃんは違う。ここで生まれて、ここで育った。ばーちゃんの宝物がいっぱいある。こんな街どうなってもいいと思うけど、それとばーちゃんが悲しむのは別だ。だからきっと、オルゴのさっきの言葉は本心じゃなかった。
「嘘つき」
「俺がいつ嘘をついた?心外だ」
「ここを出ていくつもりなんかないくせに」
「……そうでもないさ」
本当に出ていくつもりなら、わざわざ役所で宣言する必要はない。誰にも止める権利はないのだから、黙って俺とばーちゃんを連れて行けばいいだけ。ばーちゃんも、俺とオルゴが説得すれば渋々だけど了承してくれたはずだ。でも、それをしないのは、オルゴがばーちゃんを愛する家族だと思っているから。
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