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突然の依頼に困ってるんです③
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調子の良いことを言いながら、この男はいつも本心を言うことはなかった。何を考えているか、今どう思ったか、俺にさえその答えを言おうとしない。アーロックの思想は、アーロックにしか分からない。そうやって感情を表に出さぬよう蓋をした男が、俺の答えを望んでいる。はっきりとした願望を、俺に向けた。なんとも言えない感覚だった。
少しだけ気が緩んで、答えてやってもいいかな、と固く閉ざしたはずの意思が緩んだ。
しかしわざわざ考えるまでもない。俺にとっては、来週の天気くらいどうでもいいことだった。
「思わない。ただの職業の一つでしかない」
魔法使いがいなければ世界が回らないなんて、魔法使いを過大評価した世論か、魔法使い自身の驕りだ。パン屋がいなければパンを食べることは出来ないし、土建屋がいなければ居を構えることもできない。ルチアのような薬屋がいなければ、街の人間だって困るだろう。
「……そうか、そうだよな。うん。おまえはそう言ってくれると思っていた」
「何を一人で納得してるんだ、話を飛ばすな。カフェテリアで話したことがなんだって?」
「本当に、覚えていないのか?」
ふっと伏せた顔を、俺は昔見たことがある。過去の出来事を探ろうと記憶のファイルに手を伸ばして、――年寄りの能無しが騒がしく喚いていたことを思い出した。
『今日中には到着出来ない、だと?』
『はい。フェスティバルで宿が埋まっているのもあるんですが、旅客機が確保出来ないらしくて』
『わざわざこの優秀な魔法使いに依頼を出しておいて、随分悠長なことだな』
『ええ、市民にはそのようなことも分からないのです』
俺はその主張に「こいつらはアホか」と反論したくなるのを堪えた。依頼してきたのはあくまで魔法協会であって、街は関与していない。それに依頼された日付はまだ数ヶ月先の話だ。気が逸って、無理を言って予定より早めたのは能無しの方だろうに。魔法協会はおろか、現場の街は聞かされてもいないだろう。
そのまま能無しは能無しらしく能書きを垂れまくる。俺だけではなく、太鼓持ちでない他の魔法使いも段々と能無しの見解に嫌気が差してきた。聞かないようにしても、馬鹿なので声がでかい。うるさい。そんな大声で喋らなくても聞こえるというのに。
『市民など、魔法使いがいなければなにも出来ないくせに、調子に乗っておるのだな』
『ええ、ええ。仰る通りです』
俺は呆れて物も言えず、何度も目を通した依頼書をぺらぺらとめくった。
『……魔法使いなんて、職業のひとつでしかないのに』
ぽつりと呟いた言葉は、争いの火種を生まぬようひっそりとこぼれ落とした。はずだった。誰にも拾われていないと思っていた。そしてようやく思い出した。その当時、すぐ隣にアーロックがいたことに。
「思い出した?」
「……あ」
現在のアーロックが語りかけてきたことにより、記憶はそこで途切れた。
「俺はね、その時初めて、自分が驕っていたことに気付いた。おまえの言う『能無し』の言うことも、一理あるとさえ思っていた。魔法使いがいなきゃ、魔物一匹退治出来ないくせに、なんて、それが間違っていると疑わなかった。事実、一般人には魔物なんか怖くて近寄れないだろう。でも違った。俺は指先ひとつで魔物を眠らせることは出来るけど、畑を耕して小麦一本すら作ることが出来ない。家を建てるための樹木だって管理出来る気がしない。研究を極めれば魔法でも出来るかも知れないが、彼らは魔法を使わず自らの手でそれらをなし得ていた。俺には無理だ。俺には魔法以外なかった。おまえの言葉一つで、世界がぐるりと変わったんだ」
アーロックは当時の思い出を慈しむように、眼を細めていた。特別に掲げている思想でも、必死の思いでひねり出した目標でもなんでもない、吐き捨てるような一言に、心を打たれたというのか。
「大袈裟だな、おまえは」
他の言葉が思いつかなかった。羞じらいを含んだ軽口に、アーロックは揶揄することなく緩やかに微笑む。
「俺の世界を変えたんだぞ。おまえは。俺にとって神のようなものだ。これ以上信頼出来るものがあるか?」
これは、俺が問いかけたことへの答えだったのか。
もし、アーロックが納得のいかない返事をしたのだとしても、流されるまま嫌々ながらも受け入れていたと思う。俺は一切この男を信用していないが、顔見知りであるという温情でそうならざるを得ないのだ。
「もういいかな?おまえも痛みは引いたようだし、早く帰ろう。嫁が待ってる」
座り込んでいたアーロックはそっと立ち上がり、うずくまっていた俺の方へ手をのばす。その手を振り払い、自分で足に力を込めた。
「おまえに言われなくても」
連れ立って出口へ向かい始める。アーロックは、往路と同じように一人で騒がしく喋りまくっていた。
◆◆◆◆
洞窟を出たあと、まっすぐ役所へ向かった。リンデに依頼を達成したことを告げ、報酬を受け取りそこでの用事を済ませる。半分に分けられた報酬を、リンデは俺の方へ投げて寄越した。
「なんの真似だ」
「うーん……薬代。早く治りますように」
「いらな……おい。待て、帰るな!」
勿論そんなものを受け取る理由がなく、拒否して返そうと思ったがアーロックはとっとと消えていなくなってしまった。
「えっ、じゃあアーロック帰っちゃったんだ」
「……ええ?」
館へ戻ると、カトリーが「おかえり」の次にそんなことを言い出すものだから、思わず声が裏返ってしまった。どう見ても喜んでいる風ではなく、明らかに残念がっていた。何故俺の館に、悪友を連れて帰らなければいけないのだ。
「そんなにアーロックに会いたかったのか?」
わざと意地の悪い聞き方をすると、カトリーは眼を丸くして俺の顔を覗き込む。ふふ、と微笑んだかと思えば、蜂蜜色の瞳が優しげに揺れた。
「オルゴは、アーロックのこと嫌い?」
「逆に聞くが、なぜ俺があいつに好意を持っていると思うんだ?」
「だってものすごく仲が良いし」
「あいつが馴れ馴れしすぎるからだ」
当たり前のように『仲がいい』と評されてしまい、少し落ち込む。どうして伝わらないんだ?俺はとても迷惑してるんだが。
「あのな、カトリー」
カトリーの細い肩を両手で掴み、顔を近づけて子供に言い聞かせるように諭す。
「俺はほんっ……とうに、あいつの存在が迷惑だと思っているんだ。今回だってそうだ。おまえと過ごすはずだった休暇を、あいつのせいで失った。そんなことをされてどうして、あいつを『好き』の部類に入れられると思う?」
一気にまくしたてる俺を、きょとんとした顔で見つめるカトリー。相変わらず可愛い顔をしているな。……いや、今はそれは置いといて。
「依頼を持ってきたのは魔法協会の方じゃん。アーロックは手伝ってくれたんでしょ?」
「ぐっ、それはそうだが……条件をつけてきたのはあいつの方で」
「おかげで早く終わったんじゃん。リンデの話によれば、本来なら三日から一週間かかるらしいって」
「ぐう……それもそうだが……あ、ほら!怪我を負ったんだ、あいつを庇った傷で」
「それはオルゴが判断して庇ったんじゃないの?アーロックのせいにしちゃ駄目だよ」
「ぐ、ぐうの音も出ねえ……」
俺の主張を、全て正論で返してくるカトリーがとても神々しいものに見えてしまった。もしかして、天才魔法使いと謳われた俺よりずっと頭がいいのでは?
落ち込んで項垂れた俺の頭を、カトリーの手のひらが優しく撫でる。いつの間にかカトリーの桃色の髪の隙間からぷにぷにのスライムが覗いており、「かとり、かとり」と鳴いていた。
なんだか、とても情けない。カトリーにはいつもらしくない失態ばかり見せてしまっている気がする。だが不思議なことに、それほど嫌な気分ではなかった。
「オルゴ」
川のせせらぎのような、安心する声音が響く。カトリーから与えられるもの全てが、俺にとっては心地よいものばかりだ。
「俺はね、おまえが本当に嫌なら、望み通りにしたいと思ってるよ。前の俺だったら、おまえの言うことを真に受けてアーロックを嫌なやつだと思ってたかもしれない。でも、俺は役所でのおまえを見てしまったから。本当に拒否したい相手には、あんなにも無慈悲になれるんだって、知ってしまったから。気付いてない?オルゴは、今のリンデと同じような態度でアーロックに接してるんだよ」
嫌いでいなければならないと、固く信じていたのは俺の方だったのか。今にして思えば、そんな風に決めつける必要なんてどこにもなかったのに。腕で追い払っても追い払ってもついてくる犬のように、そのじゃれ合いを楽しんでいただけに過ぎない。カトリーも、本人であるアーロックでさえも、とっくに気付いていたのだろうか。
「――……」
探していた言葉をなくしてしまった。何を言うべきか分からなかった。「ちがう」とも「そうだ」とも言えず、その場に立ちすくむ。大事な何かに触れようとしていた手が宙を舞い、行き場を失った。救い上げる術が思いつかないせいで、どうしようも出来ないでいる。
不意に、カトリーの手のひらが俺の頬へ、ぺたりと触れた。あたたかい手だった。ずっと触れていて欲しいと、心の底から思った。
「無理やり納得しなくてもいいんじゃない?アーロックだって、オルゴの態度に腹を立てているわけじゃないよ」
「……なんで分かる?」
「うん?……うーん、勘かな」
「勘、か」
別に、カトリーの勘が鋭いなんて、今まで感じたことはない。虫の知らせだとか風の噂だとか、都合の良い言い方だと思っていた。それでも、何故かカトリーの言うことは真実な気がして、妙に納得してしまった。
「ぴあ!」
「ピアもそう思うって」
「それの言ってることが分かるのか?」
「え?……んふふ、なんとなく」
俺の精神を分けたスライムの言っていることが分かるということは、俺が考えていることも筒抜けなのか?と一瞬肝を冷やしたが、おそらくピアは感情のままに鳴いているので、常に一緒にいるカトリーには大体のニュアンスが理解出来るということなのだろう。そういうことにしておこう。
つまり俺は心底では、アーロックを友人として見ていたという訳なのか。
乱暴に結んだ紐が、ようやく今、綺麗に解けた。今度は丁寧に、綺麗に、順序よく結んでいこう、と思った。
テーブルの上に置かれた、二つの麻袋が目に入る。まずは傷を直して、それから考えよう。焦る必要はない。
「カトリー」
「うん?」
「傷を……ルチアに薬を貰いに行きたいんだが、ついてきてくれるか?」
いつもの愛くるしい笑顔が、俺の腕の中で綻ぶ。ああ、そうだ。俺はこの笑顔のために、魔法使いになったのかもしれない。
「もちろん!」
桃色の頭の上で、スライムがぴょんぴょんと跳ねる。カトリーの笑顔を見て喜んだ、俺の心情を表しているようでおかしくて笑ってしまった。
カトリーは顔を上げると、とろけそうなほど蜂蜜色の瞳を輝かせた。
「ね、明日はアーロック来るかな」
「……おまえ、本当にあいつを気に入り過ぎだぞ」
「だって、なるほど~っていうアドバイスくれるしさ。なにより、オルゴのことが大好きなの分かるんだもん。俺が大好きな人を好きな人のこと、嫌いになれるはずないじゃん」
――ああ。そうだ。
俺は最初から何を危惧していたのか、ようやく理解した。きっと、カトリーもアーロックのことを気に入ると思ったから、会わせたくなかったんだ。俺以外を眼に入れて欲しくないという、ただただ我儘で自分基準でしかない願望のせいだった。
リンデやそこらへんにいる街の人間なら、そんなふうに思わなかった。アーロックだから、遠ざけたいと思ったんだ。
「は……」
全部のピースが合致して、本当の意味で肩の荷が下りた気がした。笑い出したいのを堪えて、力いっぱいカトリーの痩躯を抱き締める。
「お、オルゴ?」
「カトリー、愛してるよ」
「へっ?う、うん……うん」
俺の意思を継いだスライムは、相変わらずカトリーの頭の上で「かとり!かとり!」と鳴きながら楽しそうにはしゃいでいた。長いまつげがゆっくりと伏せられていくのを見届けて、柔らかな唇に自分のそれを重ねた。
少しだけ気が緩んで、答えてやってもいいかな、と固く閉ざしたはずの意思が緩んだ。
しかしわざわざ考えるまでもない。俺にとっては、来週の天気くらいどうでもいいことだった。
「思わない。ただの職業の一つでしかない」
魔法使いがいなければ世界が回らないなんて、魔法使いを過大評価した世論か、魔法使い自身の驕りだ。パン屋がいなければパンを食べることは出来ないし、土建屋がいなければ居を構えることもできない。ルチアのような薬屋がいなければ、街の人間だって困るだろう。
「……そうか、そうだよな。うん。おまえはそう言ってくれると思っていた」
「何を一人で納得してるんだ、話を飛ばすな。カフェテリアで話したことがなんだって?」
「本当に、覚えていないのか?」
ふっと伏せた顔を、俺は昔見たことがある。過去の出来事を探ろうと記憶のファイルに手を伸ばして、――年寄りの能無しが騒がしく喚いていたことを思い出した。
『今日中には到着出来ない、だと?』
『はい。フェスティバルで宿が埋まっているのもあるんですが、旅客機が確保出来ないらしくて』
『わざわざこの優秀な魔法使いに依頼を出しておいて、随分悠長なことだな』
『ええ、市民にはそのようなことも分からないのです』
俺はその主張に「こいつらはアホか」と反論したくなるのを堪えた。依頼してきたのはあくまで魔法協会であって、街は関与していない。それに依頼された日付はまだ数ヶ月先の話だ。気が逸って、無理を言って予定より早めたのは能無しの方だろうに。魔法協会はおろか、現場の街は聞かされてもいないだろう。
そのまま能無しは能無しらしく能書きを垂れまくる。俺だけではなく、太鼓持ちでない他の魔法使いも段々と能無しの見解に嫌気が差してきた。聞かないようにしても、馬鹿なので声がでかい。うるさい。そんな大声で喋らなくても聞こえるというのに。
『市民など、魔法使いがいなければなにも出来ないくせに、調子に乗っておるのだな』
『ええ、ええ。仰る通りです』
俺は呆れて物も言えず、何度も目を通した依頼書をぺらぺらとめくった。
『……魔法使いなんて、職業のひとつでしかないのに』
ぽつりと呟いた言葉は、争いの火種を生まぬようひっそりとこぼれ落とした。はずだった。誰にも拾われていないと思っていた。そしてようやく思い出した。その当時、すぐ隣にアーロックがいたことに。
「思い出した?」
「……あ」
現在のアーロックが語りかけてきたことにより、記憶はそこで途切れた。
「俺はね、その時初めて、自分が驕っていたことに気付いた。おまえの言う『能無し』の言うことも、一理あるとさえ思っていた。魔法使いがいなきゃ、魔物一匹退治出来ないくせに、なんて、それが間違っていると疑わなかった。事実、一般人には魔物なんか怖くて近寄れないだろう。でも違った。俺は指先ひとつで魔物を眠らせることは出来るけど、畑を耕して小麦一本すら作ることが出来ない。家を建てるための樹木だって管理出来る気がしない。研究を極めれば魔法でも出来るかも知れないが、彼らは魔法を使わず自らの手でそれらをなし得ていた。俺には無理だ。俺には魔法以外なかった。おまえの言葉一つで、世界がぐるりと変わったんだ」
アーロックは当時の思い出を慈しむように、眼を細めていた。特別に掲げている思想でも、必死の思いでひねり出した目標でもなんでもない、吐き捨てるような一言に、心を打たれたというのか。
「大袈裟だな、おまえは」
他の言葉が思いつかなかった。羞じらいを含んだ軽口に、アーロックは揶揄することなく緩やかに微笑む。
「俺の世界を変えたんだぞ。おまえは。俺にとって神のようなものだ。これ以上信頼出来るものがあるか?」
これは、俺が問いかけたことへの答えだったのか。
もし、アーロックが納得のいかない返事をしたのだとしても、流されるまま嫌々ながらも受け入れていたと思う。俺は一切この男を信用していないが、顔見知りであるという温情でそうならざるを得ないのだ。
「もういいかな?おまえも痛みは引いたようだし、早く帰ろう。嫁が待ってる」
座り込んでいたアーロックはそっと立ち上がり、うずくまっていた俺の方へ手をのばす。その手を振り払い、自分で足に力を込めた。
「おまえに言われなくても」
連れ立って出口へ向かい始める。アーロックは、往路と同じように一人で騒がしく喋りまくっていた。
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「なんの真似だ」
「うーん……薬代。早く治りますように」
「いらな……おい。待て、帰るな!」
勿論そんなものを受け取る理由がなく、拒否して返そうと思ったがアーロックはとっとと消えていなくなってしまった。
「えっ、じゃあアーロック帰っちゃったんだ」
「……ええ?」
館へ戻ると、カトリーが「おかえり」の次にそんなことを言い出すものだから、思わず声が裏返ってしまった。どう見ても喜んでいる風ではなく、明らかに残念がっていた。何故俺の館に、悪友を連れて帰らなければいけないのだ。
「そんなにアーロックに会いたかったのか?」
わざと意地の悪い聞き方をすると、カトリーは眼を丸くして俺の顔を覗き込む。ふふ、と微笑んだかと思えば、蜂蜜色の瞳が優しげに揺れた。
「オルゴは、アーロックのこと嫌い?」
「逆に聞くが、なぜ俺があいつに好意を持っていると思うんだ?」
「だってものすごく仲が良いし」
「あいつが馴れ馴れしすぎるからだ」
当たり前のように『仲がいい』と評されてしまい、少し落ち込む。どうして伝わらないんだ?俺はとても迷惑してるんだが。
「あのな、カトリー」
カトリーの細い肩を両手で掴み、顔を近づけて子供に言い聞かせるように諭す。
「俺はほんっ……とうに、あいつの存在が迷惑だと思っているんだ。今回だってそうだ。おまえと過ごすはずだった休暇を、あいつのせいで失った。そんなことをされてどうして、あいつを『好き』の部類に入れられると思う?」
一気にまくしたてる俺を、きょとんとした顔で見つめるカトリー。相変わらず可愛い顔をしているな。……いや、今はそれは置いといて。
「依頼を持ってきたのは魔法協会の方じゃん。アーロックは手伝ってくれたんでしょ?」
「ぐっ、それはそうだが……条件をつけてきたのはあいつの方で」
「おかげで早く終わったんじゃん。リンデの話によれば、本来なら三日から一週間かかるらしいって」
「ぐう……それもそうだが……あ、ほら!怪我を負ったんだ、あいつを庇った傷で」
「それはオルゴが判断して庇ったんじゃないの?アーロックのせいにしちゃ駄目だよ」
「ぐ、ぐうの音も出ねえ……」
俺の主張を、全て正論で返してくるカトリーがとても神々しいものに見えてしまった。もしかして、天才魔法使いと謳われた俺よりずっと頭がいいのでは?
落ち込んで項垂れた俺の頭を、カトリーの手のひらが優しく撫でる。いつの間にかカトリーの桃色の髪の隙間からぷにぷにのスライムが覗いており、「かとり、かとり」と鳴いていた。
なんだか、とても情けない。カトリーにはいつもらしくない失態ばかり見せてしまっている気がする。だが不思議なことに、それほど嫌な気分ではなかった。
「オルゴ」
川のせせらぎのような、安心する声音が響く。カトリーから与えられるもの全てが、俺にとっては心地よいものばかりだ。
「俺はね、おまえが本当に嫌なら、望み通りにしたいと思ってるよ。前の俺だったら、おまえの言うことを真に受けてアーロックを嫌なやつだと思ってたかもしれない。でも、俺は役所でのおまえを見てしまったから。本当に拒否したい相手には、あんなにも無慈悲になれるんだって、知ってしまったから。気付いてない?オルゴは、今のリンデと同じような態度でアーロックに接してるんだよ」
嫌いでいなければならないと、固く信じていたのは俺の方だったのか。今にして思えば、そんな風に決めつける必要なんてどこにもなかったのに。腕で追い払っても追い払ってもついてくる犬のように、そのじゃれ合いを楽しんでいただけに過ぎない。カトリーも、本人であるアーロックでさえも、とっくに気付いていたのだろうか。
「――……」
探していた言葉をなくしてしまった。何を言うべきか分からなかった。「ちがう」とも「そうだ」とも言えず、その場に立ちすくむ。大事な何かに触れようとしていた手が宙を舞い、行き場を失った。救い上げる術が思いつかないせいで、どうしようも出来ないでいる。
不意に、カトリーの手のひらが俺の頬へ、ぺたりと触れた。あたたかい手だった。ずっと触れていて欲しいと、心の底から思った。
「無理やり納得しなくてもいいんじゃない?アーロックだって、オルゴの態度に腹を立てているわけじゃないよ」
「……なんで分かる?」
「うん?……うーん、勘かな」
「勘、か」
別に、カトリーの勘が鋭いなんて、今まで感じたことはない。虫の知らせだとか風の噂だとか、都合の良い言い方だと思っていた。それでも、何故かカトリーの言うことは真実な気がして、妙に納得してしまった。
「ぴあ!」
「ピアもそう思うって」
「それの言ってることが分かるのか?」
「え?……んふふ、なんとなく」
俺の精神を分けたスライムの言っていることが分かるということは、俺が考えていることも筒抜けなのか?と一瞬肝を冷やしたが、おそらくピアは感情のままに鳴いているので、常に一緒にいるカトリーには大体のニュアンスが理解出来るということなのだろう。そういうことにしておこう。
つまり俺は心底では、アーロックを友人として見ていたという訳なのか。
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「カトリー」
「うん?」
「傷を……ルチアに薬を貰いに行きたいんだが、ついてきてくれるか?」
いつもの愛くるしい笑顔が、俺の腕の中で綻ぶ。ああ、そうだ。俺はこの笑顔のために、魔法使いになったのかもしれない。
「もちろん!」
桃色の頭の上で、スライムがぴょんぴょんと跳ねる。カトリーの笑顔を見て喜んだ、俺の心情を表しているようでおかしくて笑ってしまった。
カトリーは顔を上げると、とろけそうなほど蜂蜜色の瞳を輝かせた。
「ね、明日はアーロック来るかな」
「……おまえ、本当にあいつを気に入り過ぎだぞ」
「だって、なるほど~っていうアドバイスくれるしさ。なにより、オルゴのことが大好きなの分かるんだもん。俺が大好きな人を好きな人のこと、嫌いになれるはずないじゃん」
――ああ。そうだ。
俺は最初から何を危惧していたのか、ようやく理解した。きっと、カトリーもアーロックのことを気に入ると思ったから、会わせたくなかったんだ。俺以外を眼に入れて欲しくないという、ただただ我儘で自分基準でしかない願望のせいだった。
リンデやそこらへんにいる街の人間なら、そんなふうに思わなかった。アーロックだから、遠ざけたいと思ったんだ。
「は……」
全部のピースが合致して、本当の意味で肩の荷が下りた気がした。笑い出したいのを堪えて、力いっぱいカトリーの痩躯を抱き締める。
「お、オルゴ?」
「カトリー、愛してるよ」
「へっ?う、うん……うん」
俺の意思を継いだスライムは、相変わらずカトリーの頭の上で「かとり!かとり!」と鳴きながら楽しそうにはしゃいでいた。長いまつげがゆっくりと伏せられていくのを見届けて、柔らかな唇に自分のそれを重ねた。
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