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第一章 五里霧中の異世界転移

第一話 濃霧注意報!

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 十一月の早朝、川端かわばた香澄かすみは駅までの通勤路をいつものように歩いていく。

 仕事モードの香澄は、ベージュのバンツスーツと同色のパンプスに、黒のトレンチコートを羽織り、大きめのビジネストートバッグを右肩に掛けた通勤スタイルだ。

 いつもと違うのは、姪に借りた大量のライトノベルの文庫本が入った手下げバッグの重みが、膝にひびいてくる事だ。

 …………香澄は不運を招いた心当たりが全く無い。別段、変わった事をしたり、妙な物を拾って持ち歩いたりした訳じゃないはずで、五十歳の誕生日に、鏡の中の自分に独り言を呟いたぐらいしかない。

「ああ~、段々と若い頃の様に黒や紺が似合わなくなってきたな……。童顔で年齢不詳なんて言われてイイ気になってるけど、目元の小皺や笑い皺がくっきりしてくると、一気におばさん顔に見えてきて……いや、実際おばさんじゃん。そして、中身は子供のまんまじゃん! ……はぁーあーあ……!」

 ガックリと項垂うなだれて盛大なため息をつき、少々幸せの数値を減少させたぐらいだった。

 その日の街は、珍しく朝靄あさもやに包まれ、昇り始めた太陽も薄ぼんやりとしていた。

 香澄は、いつもと違う辺りに注意しながら、今日の仕事の手順を考えつつ歩いていく。

「全く……ウチの困った姪っ子は、何が名前だけの取締役でいいからよ! 結局、面倒な契約や取引き先との駆け引きなんか丸投げで、自分のしたい事だけ好き勝手にやるんだから……! 少しは周りの迷惑を考えんか!」

 いつの間にか、仕事の愚痴まで声に出しててしまうほどストレスが溜まっているようだ。

 気がつくと、段々ともやが濃くなり霧と呼べる状態にまでなっている。

 道路を行き交う車のフォグランプも、頼りなく乱反射して、すぐそこまで近づかないと運転手も歩行者も、お互いに気がつけない危険な状況だ。信号機のない交差点のカーブミラーが、結露で曇って全く見えない。

「車は、音で何とか判断できても、結構危ないなぁ……。電車、止まらなければいいんだけど……」

 香澄は、高架化された駅への近道の歩道橋を見上げながら、先がかすんで見えないほどの濃い霧に違和感を感じながら、電車の運行状況を気にして進んで行った。

 じっとりと重さすら感じるような濃い霧が、ゆったりと前方から流れてきて、香澄の身体の周りにまとわりつき後方へ流れていく。遥か上空は晴れているらしく、朝日を濃霧がさえぎり、ぼうっと明るくてまるで雲の中を歩いているかのようだ……。

 香澄は、歩道橋の階段を手すりに掴まりながら上っていった。香澄が辺りを見渡すと、更に濃くなった霧のせいで、駅までの連絡通路も、駅ビルも、ロータリーも、色の薄い影絵のように見える。

「凄い……こんな霧、初めて見た」

 香澄は、小さく呟いたはずの声が、大きく辺りに響いた事に驚き、同時に強烈な違和感で背筋がブルリと震えた。

「静かだ……」

 香澄は、誰ともすれ違っていないし気配も感じないのにハッとする。

「誰も、……いない?」

 人々が駅に向かう雑多な時間帯なのに、規則正しい足音や喧騒も消えている。ひっきりなしに走っているはずの車両が走行する騒音すら全くしない。

 霧は濃厚さを増して、香澄の足元さえ確認出来なくなってきている。不気味さを増した霧に香澄は怯えながら、歩道橋の階段を駆け上がっていく。

 香澄は、駅舎のビルにはきっと、濃霧に足止めされた人達が大勢いるはずだろうと予測する。日頃の運動不足で、一段一段昇る度に重くなる足をがつがつと動かして息が切れてきたころ、香澄は再び驚愕きょうがくする事になる。

「うっ、そ……! この階段、何処まで続いてるの⁈」

 霧に霞んだ視界の先には、明らかに普段の歩道橋の段数を超えた階段が、まだまだ続いていた。香澄は、階段の途中で立ち止まり、もう一度周りを見渡したが、もくもくと沸きあがり流れて行く霧しか見えない。

「なにこれ⁈ ドライアイスのスモーク⁈ イリュージョン⁈ 何が起きてるの……! 歩道橋のコンクリートの階段が、何で天国への階段みたいにエンドレスになっているの⁈」

 香澄は、ゆったり流れる霧に包まれて天まで続く階段を眺めながら、状況を整理しようした。

 しかし、目の前も思考もぐるぐる回り、いくら考えてもわからなかった。

「信じられない……! ああ、でも、これ以上進むのは、危ないよね……とにかく、戻ろう!」

 パニック状態におちいった香澄は、きびすを返して階段を駆け降りていった。

 しかし、香澄が気が付いた時には、何もない空間が広がっていて、ガクンと踏み出した足から空間に吸い込まれていた。

「ぶわっ⁈ うっひゃ! ひょえええええええぇぇぇ…………‼︎」

 大変残念な悲鳴を残して、底の見えない白い霧の世界へ、香澄はあっさりと落ちていったのだった。


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