上 下
69 / 84
第二章 疑雲猜霧のファルザルク王国

第二十四話 メイラビアの涙 ②

しおりを挟む


 香澄かすみは、メイラビアに寄り添って一緒にソファに座った。
 レンドグレイルは、泣き出したメイラビアを心配そうに見つめてオロオロしていた。若者は、こういう時にあまり頼りならないなと香澄が思っていると、バルッセラは、優雅な所作でお茶を入れなおしてくれた。気遣いの出来る青年に感心しながら、香澄も落ち着いてメイラビアに向き合った。

 香澄は、黙ってメイラビアにお茶のカップを渡した。メイラビアは、赤い目でそれを受け取り一口飲むと息を吐いた。

「すみません。少し……感傷的になってしまいました」
「メイラビアさん、『囁きの森』の『契約竜』の皆さんが居ないのは、そんなに大変な事なのですか?」
「はい……。『契約竜』は、団長の許可なくファルザルク王国を離れる事はありません。それが、半数以下しか『囁きの森』に残っていないのです。去った者たちは、『竜王に、呼ばれている』と、言っていたそうです。残っている者も、呼び出されている感覚を持っていましたが、抵抗出来る程度なので残っています」
「こんな軍規違反は前代未聞です! メイラビア、兄上はどうされていますか?」

 レンドグレイルは、青い顔してメイラビアに尋ねた。香澄は何が通常で軍規違反なのか、知らないので首を傾げて聞いているしかなかった。

 しかし、大変な事が起きているらしいという事と、『竜王』が誰なのかが、とても気になっていた。

「アレクシリスは、杜若かきつばたと事態の収拾に追われています」
「僕は、『竜騎士の契約』の再契約が可能だなんて、初めて聞きました。いったい、どういう事でしょうか?」
「元々、『竜騎士の契約』は誓約の女神が我々竜族の争いに介入して、被害を最小限にする為に、新たに創り出した誓約です。竜族同士の争いの、あまりに強い力のぶつかり合いで、世界を破壊してしまわないように制限を課すのが目的でした……」

 香澄は、キプトの町で目撃した、怪獣大戦争のような様相を思い出して、竜族同士の争いが起きれば甚大な被害が起こるだろうと想像出来た。あの時でさえ、攻撃に魔法を使っていなかったらしいので、どれほどの被害が出るのか想像もつかない。

「当時、竜族は『死者の門』をどうするのかで意見が割れていました。『封印の門』ごと『死者の門』を破壊するか、『封印の門』と『死者の門』を取り巻く魔霧の森を調整しながら、解決策を模索していくのか……どちらも、世界が崩壊する未来しかありません。二つの門を破壊すれば、『異界の悪魔族』はこの世界に侵入して、世界を滅ぼします。魔霧の森は、拡張を続けて次元を歪めているので、空間崩壊は時間の問題です。傲慢なほど誇り高い竜族は、自ら滅びの道をどちらにするのか、その選択を愚かにも争っていたのです」

 香澄は、『封印の門』と『死者の門』の話と『竜騎士の契約』について、先に聞いていなければ理解出来なかっただろうと思った。
 しかも、竜族ですら追い詰めらた現在の状況を変えられずにいる。

 香澄は、飯田いいだ亜希子あきこの『そこで、川端香澄さん。何とかして下さい!』という叫びを思い出して、『無理です!』と、再び答えたくなった。

「ですが、生涯一度だけの契約では、竜族に比べて寿命が短く、簡単に戦死する脆弱ぜいじゃくな人族との契約は、あっという間に終了してしまいます。『契約者』を守りきれず喪う『契約竜』が数多くいたのです。おまけに、戦争に参加しようと考える竜の数は、そう多くありませんでした。このままでは、『竜騎士の契約』を交わす意味すら成さなくなるという時に、これは裏ワザだと、誓約の女神は竜族に再契約について説明しました」
「再契約の条件ってなんなの?」

 レンドグレイルが尋ねると、メイラビアは少し考えるように沈黙してから口を開いた。

「正確には、以前の契約を破棄して、再契約出来る状態にするので、契約破棄の条件と言った方が正しいです。契約破棄の条件は、『契約者』が死亡している事と、契約破棄の対価……いいえ、罰則 ペナルティとして、『契約竜』であった期間より前の名前を失う事です」
「名前を失くす? それが、罰則 ペナルティになるのですか?」

 香澄は不思議に思って聞いた。メイラビアは、何といえば良いのか分からないという顔をしてから、たどたどしく答えてくれた。

「香澄さん、竜族は肉体を持つ人の姿と、精霊としての竜体の姿を持っています。その二つの姿を結ぶ名前は、とても大切なものです。それを、失くすと違う存在になるのと同義になるのです。今まで生きてきた記憶を失くすわけじゃないけど、名前を失くして新しい名前を得た時から、以前の記憶は以前の名前を持った他者の記憶のように感じるのです。そう、まるで前世の記憶のように……」
「前世の記憶……」
「そして、その記憶をだんだん忘れてしまいます。そのように、以前の記憶を失くした竜は能力までも大幅に失いました。戦乱の中で『契約者』を戦死させた『契約竜』の中には、『契約者』の喪失に耐えられない者たちもいました。『竜騎士の契約』は、竜族と人族に対等な関係を与えたのです。支配する側、される側ではなく、互いを理解して友愛を育んだのです。『竜騎士の契約』を破棄し、記憶と名前を無くしても再契約をしなかった者は大勢います。戦乱から離れて、世界樹の根元で眠り続け、竜核になって世界に還元された者達もいます。結果的に『竜騎士の契約』は、竜族を弱体化させたのです……」

 香澄は、亜希子の話で誓約の女神になる前の在沢ありさわ真幌まほろが、奴隷にされて悲惨な日々を過ごしたと聞いていた。
 もしかして、誓約の女神は最初から、竜族が世界を壊さないようというよりも、竜族自体も弱体化する様に『竜騎士の契約』を創り上げたのかもしれないと疑った。
 香澄は、自分の考えがすんなりそこに至ったのに、違和感がした。何か、用意された答えに、無理矢理辿り着かされた様な感覚だ。在沢司法書士事務所で真幌が暗い瞳で微笑む姿が思い浮かび、認識阻害の魔術をいじられた恐怖がよみがえった。
 
「私は……夫を失くした悲しみから、ずっと立ち直れませんでした。夫と出会い、死別するまでの期間が、『竜騎士の契約』期間と重なっていました。私は、契約破棄を夫を失くした悲しみを忘れる為に選択したのです。私の息子が、自分の事を忘れてもいいから、私に生きていて欲しいと望んだからでもあります……」
「そうですか……息子さんが……あれ?! 今のメイラビアさんは、以前の竜騎士だった頃の記憶を覚えているという事ですよね?」
遊帆ゆうほの魔術の干渉が、『竜騎士の契約』の罰則ペナルティを弱めたようです。今の私は、種族 竜族で種族不明。契約上は遊帆の伴侶であり、遊帆の『契約竜』であり、『茨の塔』の魔導師遊帆の専属メイドです」
「え、遊帆さんの伴侶?」
「契約上だけです……」

 メイラビアは、そっと香澄から視線を外して、深くため息を吐きながら言った。

「つまり、メイラビアは契約破棄したのちに先代竜騎士団長と再契約して、『契約竜』になったのを、遊帆師匠が契約を上書きして、『契約者』の前団長の立場を奪ったんだよね?」

 レンドグレイルは、遠慮がちにメイラビアに尋ねた。メイラビアは、その通りだと頷いた。

「レンド、『契約者』の立場を奪うなんて、普通、出来る事なのですか? メイラビアさんは、遊帆さんと再契約した事になるのですか?」
「稀代の魔導師、遊帆師匠だから出来た事だよ! 実は、師匠にもよく分かってないらしいんだ!」

 香澄はレンドグレイルが遊帆の話になると我が事のように誇らしげなので、弟子として師匠を尊敬しているというのはわかった。
 でも、『竜騎士の契約』を上書きしておいて、よく分かってないで済ませていいはずないと思った。

 メイラビアは、香澄に淡く微笑みかけた。

「香澄ちゃん、遊帆が五年前にこの世界に転移してきたその場に、いたのです。当時、竜騎士団の団長だったエルリチャード=リウス=エンディライムと、彼の『契約竜』だった私は、廃都エンディライムを巡回していました。そして、湖に浮かんでいて、沈みそうだった遊帆を発見したのです。遊帆は、それから五日後に『管理小屋』で目覚めることになります」

 『落ち人』は、魔素に身体が馴染むまで昏倒してしまうという。遊帆も例外なく意識不明で発見されて、『管理小屋』で目覚めたということらしい。

「廃都は『エンディライムの悲劇』の起きた地で、『落ち人』の魔力暴走で、一度に三十万もの命が失われました場所です。エルリチャードは、エンディライムを治めていた、エンディライム侯爵家の直系子孫でした。それ故に、『落ち人』をとても憎んでいたのです。それにもかかわらず、エルリチャードは、遊帆の『管理者』に就任したのです」
「え、それじゃあ……エルリチャードさんは、遊帆さんを逆恨みしていたのではないですか? その当たり配慮してもらえなかったのですか?」
「ファルザルク王国は、『落ち人』を管理する法が取り決められているんだ。『エンディライムの悲劇』以降、特に法が強化された。当時だって、因縁の地で発見された『落ち人』を、エンディライム団長に配慮して他の人物を『管理者』に就任させようとしたんだ。でも、エンディライム団長が、その配慮を固辞したそうだよ」
「エルリチャードは、どうしても『落ち人』に復讐をしたかったのです。私は、彼の心の闇を拭えなかった。影で遊帆が……命を落とさないよう手助けするのが、精いっぱいでした……」

 メイラビアは、悲痛な顔で語っている。命を落とさないようだなんて、遊帆がそんな酷い扱いを受けていたなんて、香澄は思ってもみなかった。

「前団長が遊帆師匠を憎むのはお門違いだけど、『エンディライムの悲劇』の真相を知る者に、『落ち人』を憎むなと言っても、理性的な対応は難しかっただろうね」
「はい……。エルリチャードは最後まで私の説得に耳を傾けてくれませんでした」
「師匠は、前団長から身を守る為に、独学で魔術を会得したそうだ。メイラビアの『竜騎士の契約』を解析して、一部を上書きして『契約者』に成り代わるだけのつもりが、全ての魔術契約に干渉してしまって、メイラビアの全ての契約を上書きしてしまったんだそうだよ。普通、魔術契約を上書きするなんて事自体が、不可能なのだから、師匠の非常識な魔術の才能がよく分かる話だよね」

 レンドグレイルは、難しい顔で丁寧に説明してくれたが、香澄は意味が理解しきれなかった。

「『竜騎士の契約』の上書きで、『契約者』が遊帆さんに書き換えられただけじゃなかったのですか?」
「竜族は、肉体を持つ精霊に近い種族です。存在する為に、様々な魔術契約を世界と結んでいるのです。遊帆が私の『竜騎士の契約』以外にも、干渉した契約がいくつもあるのです」
「師匠がメイラビアの魔術契約の一部を上書きしてしまった影響で、メイラビアは竜体になれなくなってしまった。だから、竜族は師匠に竜族に『接触禁止』と竜族の町に『立入禁止』を課したんだ」
「私は、後悔しています。エルリチャードを止められなかった……。復讐に囚われた憐れな男を、産まれる前からずっと知っていたのに……。竜体になれなくなったのは、その罰だと思っています。…………でも、遊帆と結婚の誓約をしている事になっているのは納得しかねます!! 何もかも、あのクソ魔導師のせいです!」

 メイラビアは、深く、深くため息を吐いてから吐き捨てるように言った。
 そして、メイラビアは、キッと眼に力を入れて断言した。

「私が愛した男の名は、たった一人なのですから……」

 遊帆は、メイラビアの契約の相手の名前を自分の名前に書き換えるだけじゃなく、メイラビアの存在すら変えてしまった。それが結果的に良かったのかどうか分からない微妙さ加減だが、稀代の魔導師らしいチートっぷりだろう。

『チートな魔術師だなんて、ただの危険人物でしかないですよね。わざとじゃなくても、結果が意図していたよりも過剰になるようです』

 香澄は、誓約の女神が遊帆をこう評価していた事を思い出した。



しおりを挟む

処理中です...