結婚したい女たち

木花薫

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6 一花の家

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香はマンションの六階にいる。一花のヨガのレッスンを受け終ったところだ。お琴はシャワーを浴びているが香はたいして汗をかかなかったのでシャワーは遠慮した。

着替え終わった香はとヨガの部屋を出てリビングへ歩いていく。玄関から奥へ伸びた廊下には右手にヨガの部屋と寝室があり左手に今お琴がシャワーを浴びている浴室とトイレとランドリーがある。その廊下を歩く香は(一花の住んでいるところはどんなとこだろう)とドキドキしながら突き当りのドアを開けた。

左側にはリビングが右側にはダイニングとカウンターキッチンがある。リビングとダイニングはつながっていてベランダが付いている。その広いベランダの向こうには青く澄み渡る空が広がっていて香は青空へひきこまれるように窓へ一直線に歩いた。

大空の下には這うように建物が並んでいる。町全体を見渡せる景色は見ているだけで気分がいい。まるで自分が住んでいるかのように嬉しくなり窓にへばりつく香だったが後ろからごりごりと鈍い音が聞こえてきた。キッチンを振り返ると一花が下を向いて何かしている。「なにしてるの」と香はカウンター越しにキッチンの一花に尋ねた。

「チャイのスパイスを挽いてるの。飲むでしょ」
「うん。でもお昼食べに行かないの」

午後からすることになっていたレッスンはお昼前の十一時に変更になった。きのうの夜そう一花からLINEラインが来た時レッスンの後にお昼を食べるのだと察した香は、ヨガはもちろん久しぶりの三人でのランチも楽しみにして即OKオーケイと返信した。

「お惣菜作ったんだ。お琴がパンを焼いて来てるからそれを食べようよ」
「だったら私もなんか作って来たのに」
「香はいいよ。今日も早くて大変だったでしょ。大丈夫だった?」

心配そうに言う一花に香は小さくうなずいた。十時半にお琴が車で迎えに来ると言うので今朝はいつもの家事をこなしたあと休む間もなくお昼の支度をした。そしてヨガの準備をして飛び出して来たのだ。

「パンを香にも食べさせたくって」
「そうそう。ばれたら絶対怒るだろうから」

とシャワーを浴び終わったお琴がリビングへ入って来た。香はぶーとほっぺたを膨らませて口を突き出した。

「お琴がパンを焼くなんて知らなかったよ」
「でしょでしょ。だから今日いっしょに食べようと思ってさ」

そう言いながらお琴はキッチンへ入った。そして食器棚からお皿を三枚取り出してダイニングテーブルへ並べていく。その慣れた手つきに香はピンと来た。

「いつもレッスンのあと二人で食べてたんでしょ。自分たちだけズルい」

と怒ったが笑う一花とお琴を横目に「私も手伝う。お箸はどこ?」とキッチンへ入り食事の準備に取り掛かった。

いそいそと動き回る二人を見て一花は幸せだった。夫は何も手伝わない人だった。コップひとつ自分で出さなかった。

(こうやって一緒に食事の準備をしてくれる人だったら。息子ももう大きくなってる。今ならこうやって手伝ってくれるのかな)

とありもしない今を想像したのだけどそんな自分をいけないと振り払って香に話しかけた。

「お母さんの調子はどうなの?」
「ほとんど動かなくて体は弱ってるみたい。でも精神的にはかなりいい。ミーちゃんのおかげだと思う」

香が東京から連れて来た猫のミーちゃんを香の母親はいたく気に入った。一日中膝に乗せていることもある。ただそんな日の夜はミーちゃんがぐったりしていたものだから香は思わず「ミーちゃんに何したのよ」と怒ったこともあった。

「何もしてないわよ。かわいいから抱っこしてただけじゃない」

と言われてもどうしてこんなにミーちゃんの元気がなくなるのかわからない。しかし次第に母親の精神が安定して笑顔が増えてくると、それに比例するようにミーちゃんも元気になっていったのだ。

「猫は癒しの動物って言うからね。お母さんの心を直してたんじゃない?」

一花の言葉に香はそのとおりだと思った。母だけではない。ミーちゃんは香のことも癒してくれる。香が疲れてぐったりしている時に限ってすり寄ってくるしミーちゃんを抱っこしていると香の疲れは吹っ飛んでしまう。

「見せてよ」

とねだるお琴にすっかり忘れてかごに入れっぱなしのミーちゃんを外へ出した。

「よくこんなかわいい猫を拾ったね。飼い猫じゃなかったの?」
「それは私も心配したんだけど違うみたい。首輪もしてなかったし毎日私のベランダに帰って来たし」

ミーちゃんを抱っこしながら香はいかにミーちゃんとの出会いが幻想的だったかを二人に語った。満月を背に香を見つめるミーちゃんに魔法をかけられたように引き寄せられたこと、そしてそれ以来ずっと一緒にいることをうっとりと話したのだ。

「しかもその満月がね、射手座の満月だったの」

ミーちゃんに出会ってから香は外出することが多くなった。それまで休日と言えば結衣ちゃんの誘いがなければ部屋にこもって映画やドラマを見て一日が終わった。それがミーちゃんが来てから夜の散歩を始めた。次第に夜だけじゃなくて昼間もミーちゃんを連れてカフェや公園へ出かけるようになり、閉じこもりがちだった香が積極的に出歩くようになったのだ。その変化が外の世界へ飛び出すという射手座の性質にピッタリ合っている。星読みをかじった香は星座と絡めて話したのだけどお琴は何のことだかさっぱりわからない。でも一花は、

「そうだね。射手座っぽいね。私とお琴が出会った日も満月だったんだよ」

といわくありげに言った。

「なにそれ何の満月だったの?」

と興味津々な香に一花は「蟹座」と言ってにやりと笑った。

母性や家庭を表す蟹座の満月にお琴と出会ったのはまさに運命だと一花は思っている。なぜなら独りぼっちの一花にとってお琴は家族のように大切な存在だから。

「なになに?全然わかんないよ」

と話についてこれないお琴に香と一花は月星座のことを説明した。占いで使われる太陽星座だけではなくて月にも星座があって、内面的なことは誰でも月星座に影響を受けているのだと。

「もしかして一花もやってる?新月と満月の日に」

と香が期待の目で一花を見ると「もちろん」と一花はまたにやりと笑った。

「なになに?なにしてるって?」

とさっぱりわからないお琴に二人は声をそろえて言った。

「パワーウィッシュ!」

新月と満月の日に願い事を書くと未来がそのとおりになるというパワーウイッシュ。「お琴もやりなよ」と言われて二人がしているのならしないわけにはいかない。「やるやる」とお琴はすぐさまスマホでパワーウィッシュノートをポチった。

「ミーちゃんに会って変わったって言うのさ、その月星座?のこともあるかもしんないけど猫って神の使いって言われてたんだよ。古代エジプトで」

お琴の言葉に香の顔は輝いた。

(ミーちゃんは天からの贈り物。私の天使マイエンジェル。神さまが私にミーちゃんを与えてくださったんだ。なんてステキなんだろう)

と喜びで興奮した。

「エンジェル・ミーちゃんでちゅね」

と頭を撫でると答えるように「みー」と鳴いた。とそこで不意に気づいた。ミーちゃんの着ているケープは眠り姫の絵本に出てくる妖精の衣装にそっくりなのだ。

「眠り姫の妖精?」
「うん、十五歳で死んじゃう呪いを百年の眠りにつく呪いに変えた妖精」
「香詳しいね。そういう話し好きなの?私は信じられない。王子だからって名まえも知らない男と結婚するなんて」

と一花が冷めた口調で言った。それに続いてお琴も、

「わかるわかる、ありえないよね」と笑うと「抱っこさせてよ」と手を出した。ミーちゃんを渡そうとしたところ「いたっ」とお琴が悲鳴を上げた。なんとミーちゃんがお琴の手を刺したのだ。「ミーちゃん!」と香はビックリした。ミーちゃんがそんなことをしたのは初めてだ。

「お琴だいじょうぶ?ごめんね。ミーちゃん、ひっかいちゃダメでちゅよ」

きのう爪を切っておいたのが良かったのかお琴の手に傷がつくことはなかった。

「ちょっとチクッとしただけ。針に突かれたみたいな。なんともないよ。それよりいつもそうやって話しかけてんの?その赤ちゃん言葉うける、やばい」

ゲラゲラ笑うお琴に香の「だってー」が出た。そのやりとりに一花も笑った。

(この家でこんなに大声で笑うなんて)

もう自分は新しい人生を生きているのだと思える。

「おなかすいた。食べよ」

というお琴の言葉に三人はコの字になって食卓についた。全員が窓の外の青い空を眺めながら食べられるように一花が壁を背に、お琴はキッチンを背に、香はリビングを背に座った。「ロールパンに挟むのにいいと思って」と一花が作ったお惣菜は茄子とブロッコリーの炒め物、キャベツ・人参・玉ねぎの千切りを甘酢で和えたものだった。それをお琴が手際よくロールパンに切り込みを入れて詰め始めた。

「こっちのロールパンはチーズ入り。で、こっちの小さいのはチョコチップを入れたミニロール」
「お琴いつからパン焼くようになったの?」
「山登ったじゃん?あの時のパン屋のチラシ読んだ?」

香は山登りに行った時に食べたパンのことを思い出した。天然酵母のおいしいパンだった。でもチラシがあったことなんて覚えていない。

「低温熟成湯種法で作ってるって書いてあったんだ」
「冷蔵庫で発酵させるやつ?」
「あ、香知ってるんだ」
「うん。東京にいた時パン教室に通ってたから」
「え、じゃ作れんの?」
「んー自分では作ったことないよ。先生が一次発酵まで準備してくれてたから成型して二次発酵させて焼くとこしかやったことない」

みんなと楽しく話しながら好きな形を作ってトッピングも好きにできて、しかも焼き立てを食べられる。そんなパン教室が香はお気に入りでパンを食べたくなった時だけ通っていた。

「湯種はわかんない。なにそれ?」
「小麦粉をお湯でこねるってだけなんだけど、そうするともちもちしておいしいんだよ」
「何日たってももちもちのまんまだよね」

一花はお琴からもらったパンを朝食に食べている。三日経とうが一週間経とうが焼きたてのパンみたいにもちもちしたままでおいしいのだ。

「このロールパンももちもちしてるね。おいしい」という香の言葉に「いっぱい焼いてきたから持って帰ってよ」とお琴はカウンターに置いてある袋を指差した。香はひょいと立ち上がり袋の中を覗いて声を上げた。

「こんなに焼くのたいへんじゃん。何回焼いたの?」
「大きいオーブン買ったから一回だけだよ」
「え?」

香も一花も目を見張った。今食べるためにテーブルには大きいのだけで六つと一花へのが四つ、香にはなんと両親の分もと十個もある。それに加えてチョコのミニロールが数え切れないほどある。

「一回でこんなに焼けんの?どんだけ大きいの買ったのよ」

と一花が呆れた。お琴はパンを焼くようになって毎日パンを食べるようになった。湯種法だと一週間たってもおいしいから週末に一週間分焼いておくのだ。そのために一度にたくさん焼ける大きなオーブンを中古で買った。

「業務用買っちゃった」と照れ笑いのお琴に「もう、お琴すごい」と一花と香が笑った。

「平日働いて週末だけパンやケーキを作って売る人いるよね。お琴もしたら?めっちゃおいしいよ、お琴のパン」

と目をキラキラさせて言う香にお琴は「いや、わたし公務員だからさ。それはやばいっしょ」と笑った。

「でもね結婚して主婦しながらパン屋もいいかな、なんて思ったりする」
「先生辞めちゃうの?」
「両親が共働きだったから、弟がいたから寂しくはなかったけどでも子どもを産んだら家にいてあげたいって思うんだよね」

お琴の言葉に一花は緊張した。このまま話が生まれ育ちのほうへいったらどうしよう。怖くてテーブルをじっと見つめたが「ベランダに出てもいい?」という香の申し出に救われた。「もちろん、いいよ」と一花は安堵の息を吐いた。

香とお琴がベランダへ出ると追いかけるようにミーちゃんも出ていった。

「景色めっちゃいいね。一花もおいでよ」

と香がダイニングの一花を振り返った時、顔をかすめるようにミーちゃんがひょいとベランダの手すりに飛び乗った。

「うわ!」

びっくりした香は後ろにのけぞりその勢いで上げた手がミーちゃんに当たってしまった。

「あぶない!」

手すりから落ちそうなミーちゃんをガードするようにお琴が手すりの向こう側に腕を伸ばした。お琴の腕をクッションにミーちゃんはひょいと手すりに戻ると何もなかったように歩き出した。

「みーちゃん危ないでちゅよ。ここは六階でちゅ。落ちたら死んじゃいまちゅよ」

と香はミーちゃんを抱きあげ、

「景色キレイでちゅね。見えまちゅか?」

と自分の顔の横にミーちゃんの顔が来るように抱っこして景色を見せた。

「だからその話し方やばいって」

と赤ちゃん言葉の香を一花と笑おうと思ったお琴がダイニングを振り返ると意外にも一花は笑っていなかった。蒼ざめた表情で下を向いている。「一花?」と呼びかけられて顔をあげた一花は「わたし高いとこ苦手だから」とまた俯いた。

そう言われるとリビングとダイニングにまたぐ広いベランダなのに何も置いていない。部屋の中には観葉植物が置いてあるけどベランダには植物もない。一花ならハーブをベランダで育てていそうなのに。それどころかベランダ用のサンダルもない。洗濯物もベランダに干していないようだ。現にリビングの窓沿いには突っ張り式の洗濯干しが取り付けてある。腰の高さと頭の高さに竿が平行に渡してあってタオルが一枚とハンガーが二つ掛かっている。室内干しをしているようだ。ほとんどスタジオにいる一花のことだから突然の雨で洗濯物が濡れてしまわないように外には干さないのだろうと思ったお琴は気にしなかった。

「ベランダに出られないのもったいないね、こんなにいい景色なのに」

と香に言われた一花はベランダの向こうの空を見ながら「景色はここからも見えるよ」と返した。

「そっか、そだね」

高所恐怖症なのに六階に住み続けることにも「大変だね」の一言だけで香もあまり気にしなかった。

景色をひとしきり楽しんだ香とお琴がダイニングに戻るとやっぱり一花の元気がない。

「一花どした?」

とお琴が心配して声をかける。それで気づいた香も「顔色悪いよ」と一花をみつめた。

「最近いそがしくてあんまり寝てなくて」

言葉少なな一花の目の先のリビングにはたくさんの本が乱雑に置いてある。開かれたページには人体図のイラストが載っていて、ヨガのポーズをより深く理解するために解剖学の本で骨格筋の勉強をしているのが見てとれる。すでに人気ヨガインストラクターなのに向上心を持ち続けて独立のために努力し続ける一花を香は尊敬の眼差しで見た。ところが暗い雰囲気にしちゃいけないと思った一花は、

「ごめんごめん、だいじょうぶだから。ね、それよりミーちゃんの足のそれ香とおそろ?」

と話題を変えた。ミーちゃんの足には水引で作られたピンクのバングルが巻かれていて、香の腕にも水色のバングルが巻かれている。

「それ私も気になってた。作ったの?」
「うん、二人にも作って来たよ」

と香はカバンからバングルを取り出して二人に渡した。一花には濃い紫にピンクが一筋入ったものを。お琴には萌黄色に黄色い筋が入ったものを。「ありがと」とお琴が大きな声を出した。一花は「これ留めなくてもいいんだ」と留め金のついていないCの字の形のバングルを興味津々に見ている。

「テクノロートを編みこんだの。固いでしょ。調整できるよ」

テクノロートとは形状記憶のプラスチックで針金のようにマスクのノーズワイヤーとして使われたりする便利な手芸ツールだ。これを一緒に編みこんだことで自分の腕の太さに合わせて形を決められるからきつすぎたり緩すぎたりすることもない。好きなところに巻き付けられる。

「色は二人のパーソナルカラーにした。お琴のは前に着てた黄緑のシャツに合うはず」
「だねだね。この色スプリングの色だよね。ありがとう」

と喜ぶお琴は早速手首に付けた。腕の細い一花は肘よりも上のわきの下辺りにつけて、

「これ広げたり閉じたりできるんだ。すごいね」

と感動している。期待どおりに喜んでくれる二人を香がご満悦で眺めていると、一花がおずおずと切り出した。

「香、これをチャクラカラーで作ってもらえないかな」
「チャクラ?七色だよね。いいよ」

ヨガでは体の中を「気」が流れていると考える。チャクラとはその「気」が集まったり出たりする高速道路のインターチェンジのようなものだ。股から頭頂まで体の中央を垂直に七つ並んでいて、下から赤、橙、黄、黄緑、水色、紺、紫と色がついている。ヨガのポーズはこのチャクラを活性化する効果もある。

チャクラの状態は人によって弱かったり強すぎたり様々だ。弱いと気が滞って体がだるくなり動きが鈍くなる。逆に強すぎると気が流れ過ぎてイライラしたり怒りっぽくなったり落ち着きがなくなる。一花は各チャクラに焦点を当てたレッスンを作ろうと考えている。チャクラを正常な状態に戻していくコースをプライベートレッスンでしたいのだ。そしてこのバングルを見た時に(各チャクラをクリアしたらこのバングルをあげたらどうだろう)と思いついたのだ。クリアしたことが目に見えてわかりやすいとすべてのチャクラをこなそうという意欲につながるだろうし、紙素材の水引は自然志向の強い生徒たちにウケるだろう。きっと全部そろえたくなるはずだ。

その話を聞いた香の目は「それ、すごいよ」とここ数か月で一番に輝いた。そんな面白いことに自分のバングルが一役買うなんて大きな企画に参加する気分が一気に高まっていく。

「今日の二人のみたいに筋を入れるか、それか私やミーちゃんのみたいにグラデっぽくするか、グラデの方が柔らかい印象になるかな。グラデでいい?」

香から今までもらったものはどれも色合いがきれいでステキなものばかりだ。香が作るものならなんだってかわいいに決まっている。香の作るアクセサリーに全幅の信頼を置いている一花は「バングルのことは香に任せる」と香を信じ切っている。

「ありがと。試作作ったら見てね。七色だから時間かかるかも」

と香は突然舞い込んだ大仕事にワクワクが止まらない。同じ家事を繰り返すだけの毎日が一気に華やいでいく。

一花は五セット作って欲しいと頼んだ。プライベートレッスンをさせてもらえる生徒はもう三人見つかっている。一人は最初にプライベートレッスンをしてほしいと声をかけてくれた三波さん。二人目はそのお友だちの怜さん。この二人にはもうお試しのレッスンをし終わっていてこれから毎週することに決まっている。三人目は怜さんの妹だ。今年子どもを産んだばかりで産後太りをどうにかしたいそうで紹介してもらうことになっている。来週お試しレッスンをしに行くのだ。小さい子どもがいる人たちには自宅でできるプライベートレッスンは喜ばれる。今教えているスタジオでは託児サービスをしているが、子どもが小さければ小さいほど家を出ることだけでも大変だ。家に来てもらえるプライベートレッスンはママ友の口コミで生徒が増えるだろう。長く通ってもらえるプライベートレッスンをと考えた末に思いついたのがチャクラを取り入れたシステムなのだ。

「バングルはひとついくらになる?」

と訊かれて香はキョトンとした。お金のことなんて考えたことがない。

「んーよくわかんない。材料費払ってくれたらそれでいいよ」
「だめだめ。ちゃんと払うから」

前回の三波さんと怜さんのピアスはランチ代を払うという曖昧な支払い方になってしまった。香と対等な関係でいるためにもきっちり払わなくてはならない。一花は慌ててスマホで検索した。

「七千円とかあるね」
「え、それは高すぎるよ」
「二千円、千二百円、千二百円でいい?」

自分が買うのにも生徒さんに売るのにもちょうどいいい値段である。しかし香は百本を千円で買っている水引は一本十円ほどなのだから「それは高いよ」と言う。そこでお琴はたまらず口を出した。

「いやいや香、水引だよ。手作りだし。高くないって」

水引という日本の伝統工芸を使ったアクセサリーはお店で簡単に買えるものじゃない。珍しいからつけているだけでお洒落上級者だと思われる。香のくれる水引アクセサリーはお琴にとっては宝石のように貴重だ。

「んーじゃあ半分の六百円でいいよ」
「それだとピアスや指輪の値段がつけられなくなっちゃう。バングルは大きいから千二百円にしよ」

一花はあの好評だったイヤリングや生徒さんたちが買いやすいプチプラな指輪を売りたいと思っている。赤ちゃんを子育て中のお母さんでも水引のアクセサリーは紙だからつけやすい。しかも紙なのに意外と水にも強い。以前ポケットに入れたまま洗濯してしまったのだけど大丈夫だったことがあった。水引アクセサリーはレッスンの付加価値になる。ヨガできれいになって水引という珍しいアクセサリーも買えるという一花ならではのヨガレッスンにしたいのだ。

「そっかじゃあ千二百円を友だち割引の千円でいいよ」

一花が生徒たちに売ろうと考えていることが嬉しい香はどこまでも太っ腹。

(一花はかけがえのない大切な友だちだから)

と心の中で思ったのが聞こえたかのように、

「香、ありがと」

と言う一花。二人は目を合わせて笑い合った。

この日は夕飯の支度に間に合うように帰らなければならない香の時間が許すまで、これからしたいことを三人で言い合った。お琴はパン、一花はプライベートレッスン、香は水引アクセサリー。言い合ううちに「あれ?」となった。

「男の話が出ない、だめじゃん」

お琴のダメ出しに「ほんとだ」と三人は大笑いした。婚活で出会った三人なのに最近はめっきり婚活の話をしなくなっている。もうタイムリミットの三十歳になったと言うのに。

「婚活もがんばろうよ」

というお琴の発破に「うん」と頷く香。希望は声に出して言うほうが叶うと信じる一花は声を大きくして言った。

「きっと出会えるよ」

それに続けて三人は一斉に叫んだ。

「運命の男に!」

そんな三人に混ざってミーちゃんが「ミー」と鳴いたことには誰も気づかなかったのだった。
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