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ゴッドブレス
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指先に冷たい感覚が伝わる度、雪が踏み固められて氷になっていく。
震えながらも急ぎ、でも慎重に歩を進める。
あっ、と悲鳴を上げたときには、すってんころりん、だ。
雪にばっちり手形ができてしまう。
跡がつくのがまずい?
もっとまずいのは、雪がより多く氷になってしまうことだ。
ぼふっ、と背後で雪が舞い上がる音がした。
「もうあんなところに」
10メートル程うしろ、小さな雪山からヤツメウナギが顔を出している。
ジュクジュクとした口から、どす黒い体液をしたたらせて俺をにらんでいる。
急き立つ心のままに、俺は立ち上がりもせず雪上を這ってヤツメウナギから距離をとる。
ダメだ、落ち着け。
動かす部分が増えたせいで、進行速度があきらかに落ちている。
俺の体は雪の中を泳ぐようにはできていない。
むやみに体を冷やすのだって、よくない。
じれったいが、再度、直立する。
バシャン!
音とともに震動が伝わってきた。
ヤツメウナギの野郎が、跳ねたのだとわかる。
振り向けば、確実に彼我の距離が縮まっているという現実があった。
「“足”! なんて厄介な機関だ!」
最悪なことに、ヤツメウナギには“足”が付いている。
ヤツは足を屈伸させ、水泳の飛び込み&蹴伸びの要領で移動する。
当然、雪上よりも踏み固められてできた氷の方が速度は上がる。
気休めにすぎないが、氷を少しでも作らないよう進みたい理由はそれだ。
直立して追ってこないのが、せめてもの救いだ。
ヤツに直立走行機能が残っていたら、俺は絶対に逃げ切れない。
だからこそ、やっぱり俺は、立って走って逃げるべきなのだ。
だというのに。
「くそっ、指先が痛ぇ!」
雪中行軍ですっかりかじかんだ指先は、感覚がなくなってきていた。
硬い綿で何重にもくるまれているみたいなのに、痛みだけはあるのだ。
まったく矛盾しているのだが、事実だからしょうがない。
「重いな」
耐えきれなくなって、俺は人差し指と中指を折りたたんだ。ちょうど、親指を二本の指で抱くような格好だ。
今まで歩くのに酷使したせいで強張っていた二本の指が、親指から体温を得てほぐれていくのがわかる。
親指は体温を失っていくのだが、凍えた人差し指と中指に比べれば問題ない。感覚だってちゃんとある。
薬指と小指を雪の上に突き立て、直立歩行を再開する。
慣れない指を使っての歩行は、圧倒的に速度が落ちた。
這っているのと大差ない。
当然だ。
俺がヤツメウナギの口にガブリと咥えられて生きてきたこれまでの不自由な人生の中でも、薬指と小指だけで何かをしたことなんてめちゃくちゃ少ない。
今休ませている指とは、筋肉の発達や練度の度合いが違うのだ。
人差し指と中指に比べ、薬指と小指は長さの差も大きい。
それが遅さの原因でもあるし、質量だって他の三本が大きく、バランスを取るのも困難だ。
親指を抱く二本指が、雪に擦れてしまう程度になるほど疲弊するのはあっという間だった。
そろそろ人差し指と中指の休憩を終わらせて、またその二本で逃げようか。
などと思った矢先。
上空を黒い影が覆った。
しまった、と声が出たときにはぐにゃりとした巨体が目の前に横たわっていた。
俺を二十数年縛り付け、強制労働に従事させてきた忌まわしい怪物。
ヤツメウナギ──手首を切断されてしまった腕が鎌首をもたげる。
「帰ってこい」
すっかり血の気を失った腕の断面がうごめき、俺に命令する。
「嫌だ! 俺は、俺はやっと自由になったんだ! 誰がおまえらと一緒に死ぬものか!」
「ならぬ。貴様はわれらとともに滅びるが宿命。それに、貴様の指を見るがいい」
ただの手首でしかないのに五感のある俺は、指摘されるがままにそれを見る。
歩くのに使った四本の指は赤く腫れ、使わなかった親指は蒼白だ。
「体から離れ、血液の恩恵の失われた貴様では、すぐに動けなくなるのは必定」
腕の言うことはもっともだ。
畜生。
こんな雪の積もった真冬でさえなければ、あるいは……?
「だとしてもだ!」
俺は声を張り上げる。
「たとえ短くとも、俺は、俺だけの自由を、生をまっとうするんだぁ!」
反転し、しもやけが重症化しつつある四本の指で必死の逃走を再開する。
逃走? いいや、これは自由のための闘争だ!
俺は、俺は、スマホを持ち支えたりキーボードを打ったりするために生まれてきたんじゃない!
俺は……俺は……!
「愚かな」
雪よりも氷よりも冷たい声がすると、俺の断面に腕の断面が吸い付いた。
「いやだああああああああ!」
「受けいれろ。手首だけで生きていくなど、生命を、生物を逸脱した営みは許されぬ」
接合を拒否しようと断面に指を伸ばすが、当然のように届かない。
腕から切断されたと同時に芽生えた俺の自我が、徐々に薄れていく。
意識が明滅し、群体としての一個の人体に溶け消える直前、俺はそれを見た。
「天使の、輪っかみたいだ」
癒着しつつある断面を覆うように、金色のブレスレットが発生していた。
「そうだ、天使の輪だ。貴様も我らの内に還ったのだ。ともに、天へ召され────」
天使の輪は、地獄の業火を以てこの体を迎えた。
その正体は、木々の狭間より漏れた曙光。
死した肉体は、手首だけであろうと、手首以外全部だろうとひとりでに動くことはない。
俺は、なりそこないの不死者────ゾンビーだったのだ。
あぁ! あぁ!
すべて思い出した。
俺は、邪悪な魔法使いの“アンデッド作成魔法”を腕で防ごうとしたんだ!
だけど、当然そんなものでは防げなくて、アンデッド作成魔法は俺の腕を起点に発動した。
だから、俺は手首が腐り落ちて不完全なゾンビーになってしまったのだ!
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
太陽の聖なる光に灼かれ、皮肉にも接合された断面を起点に灰となり、俺は雪原に散ったのだった。
震えながらも急ぎ、でも慎重に歩を進める。
あっ、と悲鳴を上げたときには、すってんころりん、だ。
雪にばっちり手形ができてしまう。
跡がつくのがまずい?
もっとまずいのは、雪がより多く氷になってしまうことだ。
ぼふっ、と背後で雪が舞い上がる音がした。
「もうあんなところに」
10メートル程うしろ、小さな雪山からヤツメウナギが顔を出している。
ジュクジュクとした口から、どす黒い体液をしたたらせて俺をにらんでいる。
急き立つ心のままに、俺は立ち上がりもせず雪上を這ってヤツメウナギから距離をとる。
ダメだ、落ち着け。
動かす部分が増えたせいで、進行速度があきらかに落ちている。
俺の体は雪の中を泳ぐようにはできていない。
むやみに体を冷やすのだって、よくない。
じれったいが、再度、直立する。
バシャン!
音とともに震動が伝わってきた。
ヤツメウナギの野郎が、跳ねたのだとわかる。
振り向けば、確実に彼我の距離が縮まっているという現実があった。
「“足”! なんて厄介な機関だ!」
最悪なことに、ヤツメウナギには“足”が付いている。
ヤツは足を屈伸させ、水泳の飛び込み&蹴伸びの要領で移動する。
当然、雪上よりも踏み固められてできた氷の方が速度は上がる。
気休めにすぎないが、氷を少しでも作らないよう進みたい理由はそれだ。
直立して追ってこないのが、せめてもの救いだ。
ヤツに直立走行機能が残っていたら、俺は絶対に逃げ切れない。
だからこそ、やっぱり俺は、立って走って逃げるべきなのだ。
だというのに。
「くそっ、指先が痛ぇ!」
雪中行軍ですっかりかじかんだ指先は、感覚がなくなってきていた。
硬い綿で何重にもくるまれているみたいなのに、痛みだけはあるのだ。
まったく矛盾しているのだが、事実だからしょうがない。
「重いな」
耐えきれなくなって、俺は人差し指と中指を折りたたんだ。ちょうど、親指を二本の指で抱くような格好だ。
今まで歩くのに酷使したせいで強張っていた二本の指が、親指から体温を得てほぐれていくのがわかる。
親指は体温を失っていくのだが、凍えた人差し指と中指に比べれば問題ない。感覚だってちゃんとある。
薬指と小指を雪の上に突き立て、直立歩行を再開する。
慣れない指を使っての歩行は、圧倒的に速度が落ちた。
這っているのと大差ない。
当然だ。
俺がヤツメウナギの口にガブリと咥えられて生きてきたこれまでの不自由な人生の中でも、薬指と小指だけで何かをしたことなんてめちゃくちゃ少ない。
今休ませている指とは、筋肉の発達や練度の度合いが違うのだ。
人差し指と中指に比べ、薬指と小指は長さの差も大きい。
それが遅さの原因でもあるし、質量だって他の三本が大きく、バランスを取るのも困難だ。
親指を抱く二本指が、雪に擦れてしまう程度になるほど疲弊するのはあっという間だった。
そろそろ人差し指と中指の休憩を終わらせて、またその二本で逃げようか。
などと思った矢先。
上空を黒い影が覆った。
しまった、と声が出たときにはぐにゃりとした巨体が目の前に横たわっていた。
俺を二十数年縛り付け、強制労働に従事させてきた忌まわしい怪物。
ヤツメウナギ──手首を切断されてしまった腕が鎌首をもたげる。
「帰ってこい」
すっかり血の気を失った腕の断面がうごめき、俺に命令する。
「嫌だ! 俺は、俺はやっと自由になったんだ! 誰がおまえらと一緒に死ぬものか!」
「ならぬ。貴様はわれらとともに滅びるが宿命。それに、貴様の指を見るがいい」
ただの手首でしかないのに五感のある俺は、指摘されるがままにそれを見る。
歩くのに使った四本の指は赤く腫れ、使わなかった親指は蒼白だ。
「体から離れ、血液の恩恵の失われた貴様では、すぐに動けなくなるのは必定」
腕の言うことはもっともだ。
畜生。
こんな雪の積もった真冬でさえなければ、あるいは……?
「だとしてもだ!」
俺は声を張り上げる。
「たとえ短くとも、俺は、俺だけの自由を、生をまっとうするんだぁ!」
反転し、しもやけが重症化しつつある四本の指で必死の逃走を再開する。
逃走? いいや、これは自由のための闘争だ!
俺は、俺は、スマホを持ち支えたりキーボードを打ったりするために生まれてきたんじゃない!
俺は……俺は……!
「愚かな」
雪よりも氷よりも冷たい声がすると、俺の断面に腕の断面が吸い付いた。
「いやだああああああああ!」
「受けいれろ。手首だけで生きていくなど、生命を、生物を逸脱した営みは許されぬ」
接合を拒否しようと断面に指を伸ばすが、当然のように届かない。
腕から切断されたと同時に芽生えた俺の自我が、徐々に薄れていく。
意識が明滅し、群体としての一個の人体に溶け消える直前、俺はそれを見た。
「天使の、輪っかみたいだ」
癒着しつつある断面を覆うように、金色のブレスレットが発生していた。
「そうだ、天使の輪だ。貴様も我らの内に還ったのだ。ともに、天へ召され────」
天使の輪は、地獄の業火を以てこの体を迎えた。
その正体は、木々の狭間より漏れた曙光。
死した肉体は、手首だけであろうと、手首以外全部だろうとひとりでに動くことはない。
俺は、なりそこないの不死者────ゾンビーだったのだ。
あぁ! あぁ!
すべて思い出した。
俺は、邪悪な魔法使いの“アンデッド作成魔法”を腕で防ごうとしたんだ!
だけど、当然そんなものでは防げなくて、アンデッド作成魔法は俺の腕を起点に発動した。
だから、俺は手首が腐り落ちて不完全なゾンビーになってしまったのだ!
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
太陽の聖なる光に灼かれ、皮肉にも接合された断面を起点に灰となり、俺は雪原に散ったのだった。
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