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1話 ヒロインとの出会い
「醜悪ね」
今日は婦人会「白鳳会」による奉仕活動の日。私は、ブレンデル公爵家の代表として婦人会に参加し、とある孤児院に来ていた。
貴族婦人にとって、奉仕活動は淑女の嗜みの一つとされ、寄付だけではなく、年に一回支援している孤児院や養老院に赴き、奉仕活動を行うことになっていた。私も今年十八になったし、公爵家の次期女当主として、婦人会に参加してみなさいというお母様の指示に従い、初めて奉仕活動に参加してみたのだ。
私は、窓の外に見える風景に眉を寄せた。
孤児院の中庭では、孤児達と触れ合いをと鬼ごっこやかくれんぼなどをしているようだが、遊んでいるのは貴族の付き添いの従者達で、婦人達は婦人達で集まって優雅にティーパーティーをしていた。そのテーブルのお菓子に惹かれて、一人の小さな子供が婦人の綺羅びやかなドレスに手を伸ばし、婦人は悲鳴を上げてその手を叩き落としていた。
慌ててやってきた職員に子供が折檻されている姿を見て、私の眉間に皺が一つ寄った。
なぜ、婦人達は見せびらかすように豪華なお菓子を並べてティーパーティーをあの場所でしているのか?そもそも、奉仕活動に来るのに汚れたら困るようなドレスをどうして着てくるのか?
奉仕活動は淑女の嗜みの一つ。
お母様の言葉が頭をよぎる。あれを嗜みと呼ぶには、醜悪だとしか言いようがない。第一、婦人達が淑女には到底見えなかった。
いつだって貴族らしく、淑女然としていなさい。そう言われて、お母様に厳しく育てられた。歩き方、話し方、笑い方、食べ方……、頭の先から足の先まで完璧に。感情をなるべく出さず、鉄壁な淑女の仮面をかぶること。公爵令嬢シャーロット・ブレンデルという淑女は、いつでも姿勢を崩してはいけない。何があっても表情を変えてはいけないのだ。
それでも、まだまだ感情の揺れが顔に出てしまうのは、私がまだ未熟だからかもしれない。
こんなことなら、婦人会会長代理として院長と面談するのではなく、あの場にいれば良かった。婦人達が泥だらけになって子供達と遊ぶとは思わなかったけれど、あそこまで非常識なことをするとは思っていなかった。あのことは、後でお母様に報告しなくては。
私は窓の外の様子を見ていたが、ドアが開いて孤児院の院長がやってきた為、表情を作って振り向いた。
「ブレンデル公爵令嬢様、お待たせいたしました。今回も私共の孤児院の奉仕活動にご参加いただき、ありがとうございます。また、多額の寄付金まで、ありがたく存じ上げます」
「貴族として、当たり前のことをしているだけですから、礼は不要です。それより、あそこで行われている婦人会のお茶会ですが、毎回彼女達はあんなことを?」
私は口元にだけ笑みを浮かべ、院長の礼に淡々と言葉を返しながら、窓の外に視線を向けた。私の赤い髪の毛に、ややきつめの切れ長でつり上がった目はお母様そっくりで、人に威圧的なイメージを与えやすいから、なるべく無表情にならないように心掛けている。ただ、公爵令嬢としての威厳は保たなければならないので、そのバランスが難しいところだ。
「いえ……いつもは婦人会の皆様は子供達と三時のおやつを召し上がられているのですが……」
「では、母の目がないからあのようなことをしたのでしょうね」
若いから侮られたのだと悟った。ため息を隠そうとして、目元がさらに険しく、口元だけの微笑みを深くしたせいか、それがお母様の縮小版として院長の目に映ったようで、院長の笑顔が凍りつく。
「あれはご婦人方のご要望で……私共は……あの……」
別に、院長に責任を取らせようとしたわけではないのだけれど、私が不愉快に思ったと伝わったのだろう。笑顔を浮かべているようで、口元がひくついているのは鍛錬不足だわ。いくら娘くらいの年齢の女子のご機嫌取りをしないといけなくても、それが院長としての役割りなんですから、感情はうまく隠さなくては。
「明日の子供達のおやつを、あそこに並んでいる物と同じにしてください。その分の費用は、あそこでティーパーティーをしている婦人達に請求してくださってかまいません。私からそう言われたと伝えてくだされば、彼女達も支払うでしょう」
「かしこまりました。必ずその通りにいたします」
それからしばらく雑談をし、院長がどれだけ献身的に孤児達に尽くしているか、院長の慈愛に満ちたエピソードをこれでとかと聞かされた。そろそろお暇しようと席を立とうとした時、院長室のドアがノックもなく開いて、一人の少女が入って来た。
「院長先生、お呼びだと聞いたんですが」
ふわふわのブロンドに愛らしい顔立ち、その碧眼を見て、私は目の前がグワンと揺れるのを感じた。
怒涛のように流れ込んでくる記憶の渦。白い天井に白いベッド、私の腕に繋がれた点滴のコード、誰も見舞いのこない部屋で過ごした、ただ生きている、生かされているだけの日々。年の離れた妹が生まれ、赤ん坊は病院には入れないからと、それまで二週間に一度来ていた両親の面会はなくなった。そんな中、看護師さんが暇潰しにと貸してくれた漫画がネット小説をコミカライズした『王国騎士は黄金の華を甘やかしたい』だった。
主人公は、公爵家の落とし胤である孤児院育ちのローズ。彼女の母親は公爵家の侍女で、ローズを出産したことで公爵家から追い出され、女手一つで子供を育てられなかった侍女は、公爵と付き合っていた時に貰ったペンダントをローズに握らせて孤児院に捨てた。ローズが三歳の時だとか。
この物語は、そんなローズが王国騎士と出会うことから始まる溺愛ストーリーである。私には両親がいたけれど、見舞いにも来てくれない孤独さを孤児のローズと重ね、少し天然だけれど頑張り屋でひたむきな彼女に好感が持てた。またどんな環境でも前向きに明るく生きる姿に憧れた。彼女が最後には王国騎士と結ばれ、はれて公爵令嬢として認められる結末に感動しつつ、私はこの漫画を読み切った後、病気により短い生命に幕を閉じたのだった。
しかし、それだけ感動した漫画の内容を詳しく覚えているかと言うと、なんとなくのストーリーしか思い出せず、なんだかモヤモヤするものが胸に溜まる。
記憶にあるのが筋書きや人物紹介くらいの内容って、これって思い出した意味があるのかしら?ただ、エンディングの見開きだけはしっかりと覚えている。正装のイケメン騎士と笑顔で抱き合うローズ、これは結婚式か婚約式の衣装だわ。そしてそれを祝福するお父様、小さなコマで屋敷を追い出されて、路地裏で倒れているのは……彼女の異母姉の悪役令嬢ね。
私は白昼夢のような記憶に目眩を覚えながらも、淑女として姿勢を崩すべからずというお母様の教えを忠実に守ろうと踏ん張った。
「今は、接客中だろう!なんだ、ノックもしないで。ローズ、こちらはうちに多大な援助をしてくださっているブレンデル公爵令嬢様だ。婦人会会長のご息女でもいらっしゃる。ご挨拶して下がりなさい。話は後だ」
ローズ……。ブロンドの巻き毛に碧色の目。その瞳を真正面から見つめ、私は彼女が『王国騎士は黄金の華を甘やかしたい』のローズだと直感する。そうか、この孤児院がローズの育った孤児院で、ここで彼女は異母姉である公爵令嬢に会うんだった。この時はまだお互いに異母姉妹だということは知らず、ただすれ違うくらうの出会いだったかも。
ローズと孤児院というキーワードで、プロローグの内容を思い出す。
異母姉の公爵令嬢……?この孤児院を支持している婦人会は、お母様が主催している白鳳会だけで、白鳳会で公爵令嬢といえば……私しかいないじゃない!?
もしかして、私がヒロインの異母姉?ヒロインの異母姉って、ヒロインを虐め抜く悪役令嬢の立ち位置じゃなかったかしら?私がこの可憐なヒロインを虐めるの?ないわ!あり得ない!そんなこと絶対にしないし、ヒロインに訪れる逆境は、私がことごとく粉砕してあげるわ。
この時、私は前世の記憶と現世の記憶が混ざり合って混濁した状態にあった。
「それはありがとうございます。私共が生活できているのは、貴族様方のご支援があるからです」
嘘のない笑顔に、思わず拍手をしそうになって耐える。さすがヒロイン、可愛過ぎるんですもの。
「気になさる必要はないわ。それより院長先生、彼女を呼んだ理由があるのでしょう。私には構わずお話になってください」
特にローズ推しだった訳じゃないけれど、死ぬ直前に読んでいた漫画だから思い入れはあるし、目の前でヒロインが生きて動いている姿を見るだけで、ついテンションが上がりそうになる。このままでは、淑女のメッキが剥がれてしまいそうだわ。
「そうですか?では失礼して。ローズ、実はおまえの就職先が決まったから、それを伝えようと思ったんだ」
就職……。孤児院には18歳までしかいられず、18歳を過ぎたら就職先を見つけて、19歳までに自活する術を見つけないといけないらしい。大抵は住み込みの仕事を孤児院から紹介されることが多く、女子ならば裕福な平民の屋敷の住み込み侍女か、大手洋裁店の針子見習い、男子ならば同じく平民の屋敷での馬方見習いか、大工見習いなどが多いようだ。
「ありがとうございます。お針子ですか?」
そう言えば、漫画の中のローズは針仕事が得意だったわ。彼女の刺繍したハンカチを、ヒーローはずっと大事にとっていましたっけ。ローズの着ているワンピースを見ても、着古したものながら、首回りの刺繍はなかなかセンスが良かった。
「いや、針子の募集はなくてな。サーディン商会のサーディンさん宅の侍女の募集があったんだ」
「針子じゃないならちょっと……」
「何を言ってるんだ!あんな大手の商会を経営しているお宅は、給料だって破格なんだから。孤児院出身者なんか、めったに雇って貰えないぞ」
サーディン商会って……あの!?
これも漫画の知識だけど、表向きは健全な大手商会だが、裏では貴族相手に闇オークションを行っており、そこには人間も商品になっていた。そして、その商品となる人間の仕入れ先は……孤児院だった。
そうよ、思い出した。ローズは孤児院の院長に騙されて、サーディン商会に売られ、闇オークションに出品されてしまうのよ。色んな情報とともに、記憶の引き出しを開けるように漫画の内容も思い出して行く。
……って、孤児院院長ってこいつじゃないの。最低、最悪!裏でサーディン商会に繋がって、今までも沢山の孤児を不幸にしてきたくせに、自分は孤児達を本当の子供のように思っているって、どの口が言ったのかしら。
しかも、闇オークションの商品に出される前に、ローズは商品の印である焼き印を胸に押されてしまうのよ。薔薇の焼き印はローズには似合っていたけれど、そういう問題じゃないわ。ローズはその焼き印のせいで、ヒーローを最初拒んでしまうのだから。ローズをサーディン商会に行かせる訳にはいかないわ。
「そのお話、ちょっと待ってくださる?」
「はい?えっと、どのお話でしょうか?」
いきなり口を挟んだ私に、院長はキョトンとした表情になる。
そんな顔をしても、全くもって可愛くないですわ。
「そちらの方の就職です」
「え?私?」
ローズのキョトン顔は愛らしいわね。さすが私の妹。もちろん、目の色しか似てはいないのですけれど。私はどちらかというときついツリ目で、彼女は愛らしいタレ目。口元も私は薄くめだけれど、彼女はふっくらしていて少し色気があるわね。身長は同じくらいだけれど、何よりもスタイルが違うわ。私はスレンダーと言えば聞こえはいいけれど、全体的に薄い身体つきをしているのに、彼女はたわわなお胸に細いウエスト、プリンとしたお尻はまさに美の女神もびっくりね。
私が心の中でローズを賛美していると、無表情で黙ってしまった私を前に、院長が揉み手をしながら顔色を伺う。
「ブレンデル公爵令嬢様、あの、ご理由をお聞きしても……」
「彼女のその衣服の刺繍、素晴らしいですわ」
「これですか?これは染みを隠そうと私が自分で……」
恥じらいながら言うローズも可愛いわ。自慢しないところが、ヒロインっぽいもの。
「うちの洋裁室の刺繍担当が妊娠しまして、彼女の補佐ができる人材を探していたんです。それと、私の付き添い侍女も最近職を辞してしまいまして、ローズさんならば両方こなせる人材だと思いましたの」
「いや、しかしですね、サーディン商会にはすでに話が……。契約書も交わしていまして。それに、この子に付き添い侍女が勤まるかどうか。なんの教養もない娘ですし」
本来、高位貴族令嬢の付き添い侍女は、下位の貴族令嬢が行儀見習いを兼ねて行うことが多かった。侍女とは名ばかりで、話し相手兼、外出時の付き添いを兼ねる女性のことを指し、貴族としての素養が必要となる職業だった。
「それはちゃんと教育させていただくから大丈夫です。そうですわね、ローズさんがうちで働いていただけるようならば、来月の寄付金は倍額にするよう、お父様に頼みますわ」
「倍……」
「院長先生、私、こちらのお嬢様の侍女になりたいです。お願いします」
院長は口の中でモゴモゴと何かつぶやいていたが、寄付金倍額には勝てなかったようで、最終的にはローズが私の侍女になることに了承した。
「では、さっそく参りましょう」
「もうですか?」
「はい。思い立ったが吉日ですから」
「は?」
あら、この諺があったのは前の世界だったかしら?
前世の記憶が戻ったばかりで、頭の中が色々ごちゃまぜになっていた。漫画の内容も、大まかな内容は覚えているけれど、一語一句正しく思い出せるかと言えば、そんなことは全くない。言われれば、そんなエピソードもあったわね……という部分もなくはない。
私の記憶力が悪いのかしら?
「では、ローズさん。持っていきたい荷物があればまとめてください。衣服は支給品がありますから、最小限で良いですよ」
ローズは胸元に手をやりながら、首を横に振った。
「ならば、持って行くものはありません。でも、子供達に挨拶はしたいです」
「じゃあ、馬車で待ってます。ゆっくり挨拶なさってください」
「はい、お嬢様。院長先生、お世話になりました」
ローズは頭をペコリと下げると、院長室を小走りに出て行った。
この時の私は、自分が悪役令嬢であると理解していたけれど、どうして悪役令嬢という立ち位置になったのか、しっかりと思い出すこともなく、ただローズを助けなければという気持ちだけで行動していた。
今日は婦人会「白鳳会」による奉仕活動の日。私は、ブレンデル公爵家の代表として婦人会に参加し、とある孤児院に来ていた。
貴族婦人にとって、奉仕活動は淑女の嗜みの一つとされ、寄付だけではなく、年に一回支援している孤児院や養老院に赴き、奉仕活動を行うことになっていた。私も今年十八になったし、公爵家の次期女当主として、婦人会に参加してみなさいというお母様の指示に従い、初めて奉仕活動に参加してみたのだ。
私は、窓の外に見える風景に眉を寄せた。
孤児院の中庭では、孤児達と触れ合いをと鬼ごっこやかくれんぼなどをしているようだが、遊んでいるのは貴族の付き添いの従者達で、婦人達は婦人達で集まって優雅にティーパーティーをしていた。そのテーブルのお菓子に惹かれて、一人の小さな子供が婦人の綺羅びやかなドレスに手を伸ばし、婦人は悲鳴を上げてその手を叩き落としていた。
慌ててやってきた職員に子供が折檻されている姿を見て、私の眉間に皺が一つ寄った。
なぜ、婦人達は見せびらかすように豪華なお菓子を並べてティーパーティーをあの場所でしているのか?そもそも、奉仕活動に来るのに汚れたら困るようなドレスをどうして着てくるのか?
奉仕活動は淑女の嗜みの一つ。
お母様の言葉が頭をよぎる。あれを嗜みと呼ぶには、醜悪だとしか言いようがない。第一、婦人達が淑女には到底見えなかった。
いつだって貴族らしく、淑女然としていなさい。そう言われて、お母様に厳しく育てられた。歩き方、話し方、笑い方、食べ方……、頭の先から足の先まで完璧に。感情をなるべく出さず、鉄壁な淑女の仮面をかぶること。公爵令嬢シャーロット・ブレンデルという淑女は、いつでも姿勢を崩してはいけない。何があっても表情を変えてはいけないのだ。
それでも、まだまだ感情の揺れが顔に出てしまうのは、私がまだ未熟だからかもしれない。
こんなことなら、婦人会会長代理として院長と面談するのではなく、あの場にいれば良かった。婦人達が泥だらけになって子供達と遊ぶとは思わなかったけれど、あそこまで非常識なことをするとは思っていなかった。あのことは、後でお母様に報告しなくては。
私は窓の外の様子を見ていたが、ドアが開いて孤児院の院長がやってきた為、表情を作って振り向いた。
「ブレンデル公爵令嬢様、お待たせいたしました。今回も私共の孤児院の奉仕活動にご参加いただき、ありがとうございます。また、多額の寄付金まで、ありがたく存じ上げます」
「貴族として、当たり前のことをしているだけですから、礼は不要です。それより、あそこで行われている婦人会のお茶会ですが、毎回彼女達はあんなことを?」
私は口元にだけ笑みを浮かべ、院長の礼に淡々と言葉を返しながら、窓の外に視線を向けた。私の赤い髪の毛に、ややきつめの切れ長でつり上がった目はお母様そっくりで、人に威圧的なイメージを与えやすいから、なるべく無表情にならないように心掛けている。ただ、公爵令嬢としての威厳は保たなければならないので、そのバランスが難しいところだ。
「いえ……いつもは婦人会の皆様は子供達と三時のおやつを召し上がられているのですが……」
「では、母の目がないからあのようなことをしたのでしょうね」
若いから侮られたのだと悟った。ため息を隠そうとして、目元がさらに険しく、口元だけの微笑みを深くしたせいか、それがお母様の縮小版として院長の目に映ったようで、院長の笑顔が凍りつく。
「あれはご婦人方のご要望で……私共は……あの……」
別に、院長に責任を取らせようとしたわけではないのだけれど、私が不愉快に思ったと伝わったのだろう。笑顔を浮かべているようで、口元がひくついているのは鍛錬不足だわ。いくら娘くらいの年齢の女子のご機嫌取りをしないといけなくても、それが院長としての役割りなんですから、感情はうまく隠さなくては。
「明日の子供達のおやつを、あそこに並んでいる物と同じにしてください。その分の費用は、あそこでティーパーティーをしている婦人達に請求してくださってかまいません。私からそう言われたと伝えてくだされば、彼女達も支払うでしょう」
「かしこまりました。必ずその通りにいたします」
それからしばらく雑談をし、院長がどれだけ献身的に孤児達に尽くしているか、院長の慈愛に満ちたエピソードをこれでとかと聞かされた。そろそろお暇しようと席を立とうとした時、院長室のドアがノックもなく開いて、一人の少女が入って来た。
「院長先生、お呼びだと聞いたんですが」
ふわふわのブロンドに愛らしい顔立ち、その碧眼を見て、私は目の前がグワンと揺れるのを感じた。
怒涛のように流れ込んでくる記憶の渦。白い天井に白いベッド、私の腕に繋がれた点滴のコード、誰も見舞いのこない部屋で過ごした、ただ生きている、生かされているだけの日々。年の離れた妹が生まれ、赤ん坊は病院には入れないからと、それまで二週間に一度来ていた両親の面会はなくなった。そんな中、看護師さんが暇潰しにと貸してくれた漫画がネット小説をコミカライズした『王国騎士は黄金の華を甘やかしたい』だった。
主人公は、公爵家の落とし胤である孤児院育ちのローズ。彼女の母親は公爵家の侍女で、ローズを出産したことで公爵家から追い出され、女手一つで子供を育てられなかった侍女は、公爵と付き合っていた時に貰ったペンダントをローズに握らせて孤児院に捨てた。ローズが三歳の時だとか。
この物語は、そんなローズが王国騎士と出会うことから始まる溺愛ストーリーである。私には両親がいたけれど、見舞いにも来てくれない孤独さを孤児のローズと重ね、少し天然だけれど頑張り屋でひたむきな彼女に好感が持てた。またどんな環境でも前向きに明るく生きる姿に憧れた。彼女が最後には王国騎士と結ばれ、はれて公爵令嬢として認められる結末に感動しつつ、私はこの漫画を読み切った後、病気により短い生命に幕を閉じたのだった。
しかし、それだけ感動した漫画の内容を詳しく覚えているかと言うと、なんとなくのストーリーしか思い出せず、なんだかモヤモヤするものが胸に溜まる。
記憶にあるのが筋書きや人物紹介くらいの内容って、これって思い出した意味があるのかしら?ただ、エンディングの見開きだけはしっかりと覚えている。正装のイケメン騎士と笑顔で抱き合うローズ、これは結婚式か婚約式の衣装だわ。そしてそれを祝福するお父様、小さなコマで屋敷を追い出されて、路地裏で倒れているのは……彼女の異母姉の悪役令嬢ね。
私は白昼夢のような記憶に目眩を覚えながらも、淑女として姿勢を崩すべからずというお母様の教えを忠実に守ろうと踏ん張った。
「今は、接客中だろう!なんだ、ノックもしないで。ローズ、こちらはうちに多大な援助をしてくださっているブレンデル公爵令嬢様だ。婦人会会長のご息女でもいらっしゃる。ご挨拶して下がりなさい。話は後だ」
ローズ……。ブロンドの巻き毛に碧色の目。その瞳を真正面から見つめ、私は彼女が『王国騎士は黄金の華を甘やかしたい』のローズだと直感する。そうか、この孤児院がローズの育った孤児院で、ここで彼女は異母姉である公爵令嬢に会うんだった。この時はまだお互いに異母姉妹だということは知らず、ただすれ違うくらうの出会いだったかも。
ローズと孤児院というキーワードで、プロローグの内容を思い出す。
異母姉の公爵令嬢……?この孤児院を支持している婦人会は、お母様が主催している白鳳会だけで、白鳳会で公爵令嬢といえば……私しかいないじゃない!?
もしかして、私がヒロインの異母姉?ヒロインの異母姉って、ヒロインを虐め抜く悪役令嬢の立ち位置じゃなかったかしら?私がこの可憐なヒロインを虐めるの?ないわ!あり得ない!そんなこと絶対にしないし、ヒロインに訪れる逆境は、私がことごとく粉砕してあげるわ。
この時、私は前世の記憶と現世の記憶が混ざり合って混濁した状態にあった。
「それはありがとうございます。私共が生活できているのは、貴族様方のご支援があるからです」
嘘のない笑顔に、思わず拍手をしそうになって耐える。さすがヒロイン、可愛過ぎるんですもの。
「気になさる必要はないわ。それより院長先生、彼女を呼んだ理由があるのでしょう。私には構わずお話になってください」
特にローズ推しだった訳じゃないけれど、死ぬ直前に読んでいた漫画だから思い入れはあるし、目の前でヒロインが生きて動いている姿を見るだけで、ついテンションが上がりそうになる。このままでは、淑女のメッキが剥がれてしまいそうだわ。
「そうですか?では失礼して。ローズ、実はおまえの就職先が決まったから、それを伝えようと思ったんだ」
就職……。孤児院には18歳までしかいられず、18歳を過ぎたら就職先を見つけて、19歳までに自活する術を見つけないといけないらしい。大抵は住み込みの仕事を孤児院から紹介されることが多く、女子ならば裕福な平民の屋敷の住み込み侍女か、大手洋裁店の針子見習い、男子ならば同じく平民の屋敷での馬方見習いか、大工見習いなどが多いようだ。
「ありがとうございます。お針子ですか?」
そう言えば、漫画の中のローズは針仕事が得意だったわ。彼女の刺繍したハンカチを、ヒーローはずっと大事にとっていましたっけ。ローズの着ているワンピースを見ても、着古したものながら、首回りの刺繍はなかなかセンスが良かった。
「いや、針子の募集はなくてな。サーディン商会のサーディンさん宅の侍女の募集があったんだ」
「針子じゃないならちょっと……」
「何を言ってるんだ!あんな大手の商会を経営しているお宅は、給料だって破格なんだから。孤児院出身者なんか、めったに雇って貰えないぞ」
サーディン商会って……あの!?
これも漫画の知識だけど、表向きは健全な大手商会だが、裏では貴族相手に闇オークションを行っており、そこには人間も商品になっていた。そして、その商品となる人間の仕入れ先は……孤児院だった。
そうよ、思い出した。ローズは孤児院の院長に騙されて、サーディン商会に売られ、闇オークションに出品されてしまうのよ。色んな情報とともに、記憶の引き出しを開けるように漫画の内容も思い出して行く。
……って、孤児院院長ってこいつじゃないの。最低、最悪!裏でサーディン商会に繋がって、今までも沢山の孤児を不幸にしてきたくせに、自分は孤児達を本当の子供のように思っているって、どの口が言ったのかしら。
しかも、闇オークションの商品に出される前に、ローズは商品の印である焼き印を胸に押されてしまうのよ。薔薇の焼き印はローズには似合っていたけれど、そういう問題じゃないわ。ローズはその焼き印のせいで、ヒーローを最初拒んでしまうのだから。ローズをサーディン商会に行かせる訳にはいかないわ。
「そのお話、ちょっと待ってくださる?」
「はい?えっと、どのお話でしょうか?」
いきなり口を挟んだ私に、院長はキョトンとした表情になる。
そんな顔をしても、全くもって可愛くないですわ。
「そちらの方の就職です」
「え?私?」
ローズのキョトン顔は愛らしいわね。さすが私の妹。もちろん、目の色しか似てはいないのですけれど。私はどちらかというときついツリ目で、彼女は愛らしいタレ目。口元も私は薄くめだけれど、彼女はふっくらしていて少し色気があるわね。身長は同じくらいだけれど、何よりもスタイルが違うわ。私はスレンダーと言えば聞こえはいいけれど、全体的に薄い身体つきをしているのに、彼女はたわわなお胸に細いウエスト、プリンとしたお尻はまさに美の女神もびっくりね。
私が心の中でローズを賛美していると、無表情で黙ってしまった私を前に、院長が揉み手をしながら顔色を伺う。
「ブレンデル公爵令嬢様、あの、ご理由をお聞きしても……」
「彼女のその衣服の刺繍、素晴らしいですわ」
「これですか?これは染みを隠そうと私が自分で……」
恥じらいながら言うローズも可愛いわ。自慢しないところが、ヒロインっぽいもの。
「うちの洋裁室の刺繍担当が妊娠しまして、彼女の補佐ができる人材を探していたんです。それと、私の付き添い侍女も最近職を辞してしまいまして、ローズさんならば両方こなせる人材だと思いましたの」
「いや、しかしですね、サーディン商会にはすでに話が……。契約書も交わしていまして。それに、この子に付き添い侍女が勤まるかどうか。なんの教養もない娘ですし」
本来、高位貴族令嬢の付き添い侍女は、下位の貴族令嬢が行儀見習いを兼ねて行うことが多かった。侍女とは名ばかりで、話し相手兼、外出時の付き添いを兼ねる女性のことを指し、貴族としての素養が必要となる職業だった。
「それはちゃんと教育させていただくから大丈夫です。そうですわね、ローズさんがうちで働いていただけるようならば、来月の寄付金は倍額にするよう、お父様に頼みますわ」
「倍……」
「院長先生、私、こちらのお嬢様の侍女になりたいです。お願いします」
院長は口の中でモゴモゴと何かつぶやいていたが、寄付金倍額には勝てなかったようで、最終的にはローズが私の侍女になることに了承した。
「では、さっそく参りましょう」
「もうですか?」
「はい。思い立ったが吉日ですから」
「は?」
あら、この諺があったのは前の世界だったかしら?
前世の記憶が戻ったばかりで、頭の中が色々ごちゃまぜになっていた。漫画の内容も、大まかな内容は覚えているけれど、一語一句正しく思い出せるかと言えば、そんなことは全くない。言われれば、そんなエピソードもあったわね……という部分もなくはない。
私の記憶力が悪いのかしら?
「では、ローズさん。持っていきたい荷物があればまとめてください。衣服は支給品がありますから、最小限で良いですよ」
ローズは胸元に手をやりながら、首を横に振った。
「ならば、持って行くものはありません。でも、子供達に挨拶はしたいです」
「じゃあ、馬車で待ってます。ゆっくり挨拶なさってください」
「はい、お嬢様。院長先生、お世話になりました」
ローズは頭をペコリと下げると、院長室を小走りに出て行った。
この時の私は、自分が悪役令嬢であると理解していたけれど、どうして悪役令嬢という立ち位置になったのか、しっかりと思い出すこともなく、ただローズを助けなければという気持ちだけで行動していた。
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私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。
これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
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