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21話 カティアス様とのデートの前に…後半ローズ視点
お母様がサッと右手を上げると、壁側に控えていた侍女が私がこぼしてしまった紅茶を拭いて片付けた。
「あなたは大きくなっても粗忽者ね」
お母様の冷ややかな声が響き、私は初めて紅茶をこぼしてしまったことに気が付いた。
「ロッティ、火傷はしていないか」
「え……ええ、大丈夫よ、カティアス様。お母様、爵位継承って!?いえ、それよりも離縁ってどういうことです!」
「淑女がそんな大きな声を出してはしたない」
今気にするところはそこではないです!
「お母様!」
「シャーロット、落ち着きなさい。爵位継承については、あなたが成人したらとは思っていたんだけれど、カティアスとの仲がしっかりしないうちは任せられないと、先延ばしにしていたの。二人が夫婦同然の関係になったのなら、もう継承させても良いでしょう」
「良くありません!まだ先のことだと思ってましたもの」
「そうね、時期については話してなかったけれど、いずれはあなたとカティアスで公爵家を継ぐのはわかっていたことでしょう」
「でもお母様、私とカティアス様は褥を共にしましたが、まだ夫婦同然の関係にはなっておりません!」
「あら……そうなの?」
少し崩した表情を隠すように扇子を口元に持ってくると、お母様はカティアス様に問いかけた。
「未遂……といえば未遂です」
カティアス様、真顔で少し手を出しましたみたいなニュアンスで言うのは止めて欲しいです。家族と色事の会話をするのはいたたまれないですから。
「やはり……魅力が足りないのかしら?はぁ……」
お母様!どこを見ておっしゃっているんですか!?しかも、見てからため息は止めてください!私の体型は、間違いなくお母様譲りですからね。
「いえ、十分魅力的ですよ。ただ、急ぐ必要もないかなと。それに、未遂とはいえ、十分責任の生じるような行為はしてますから、夫婦同然だと思ってくださってかまいません」
「いやいや、ちょっと待って。ロッティに爵位を譲ったら、僕達が離縁するって、意味が分からないんだけど」
にこやかなカティアス様に対し、顔面蒼白になってお母様に縋り付いたのはお父様だった。
「あら、私はあなたが愛人に子供を産ませたとわかった時から、あなたとは離縁しようと思っていました。しかも、あなたは性懲りもなく同じことを繰り返しましたし」
「子供ができてしまったのは一度きりじゃないか」
お母様は、ゴミクズを見るような視線をお父様に向けた。
「一度でも裏切りがあれば十分です」
ピシャリと拒絶されたお父様は、お母様のスカートを握りしめて、おいおいと泣き出してしまう。
泣いてすがるくらいなら、浮気なんかしなければいいのにと思ってしまう私は、薄情なのかしら。
お母様は黙り、お父様は号泣になってしまい、これ以上話はできないとふんだ私とカティアス様は、部屋を出て行くことにした。
「まさか、お母様が離縁を考えていたなんて」
「公爵が最初に浮気をした時点で、夫人は離縁するつもりだったようだ。さっき、公爵夫人と二人で話す機会があって、その時におっしゃっていたよ」
積もり積もってではなく、最初から?じゃあ、十八年も我慢していたということ?お母様の性格ならば、スパッと縁を切りそうなのに。
「なんだって、すぐに離縁しなかったのかしら」
「君に、公爵位を継がせたかったそうだ。君を連れて離縁したら、君に残せるものがないとお考えになったようだよ」
「私のせい?」
カティアス様は苦笑した。
「いや、公爵に対する最大級の復讐だと言っておられた」
それもわかる気がする。お父様は結局はお母様に許されていると、何だかんだ好かれているから捨てられないんだと思っていたに違いない。それが、嫌っているふりじゃなくて、本当に嫌われていたなんて、ショックも大きいだろう。
しかも、もう若くもなく、爵位も譲渡してしまえば地位もない。そんなお父様が、これから先一人寂しく暮らしていくのだとすれば、それは確かにお母様なりの復讐なんだろう。
「まぁ、二人のことは二人で解決してもらうしかないですね」
「そうだな。私達は私達のことを話さないと」
私達のこと……って、やっぱり爵位のことよね。
カティアス様は、騎士団にお勤めだけれど、私が公爵家を継ぐとしたら、配偶者になるカティアス様は色々と気になることもおありだと思う。せっかく副団長の地位まで上り詰めたのに、もしかしたら退団しないといけなくなるかもしれないし。
でも、カティアス様にはやりたいことをして欲しい。私の為に何かを諦めるなんて、絶対にさせては駄目だわ。
「カティアス様……」
「これからは……」
私はカティアス様に騎士団を辞める必要はないと言おうとし、カティアス様の言葉とかぶってしまった。
「ごめんなさい……」
「悪い……」
またもやかぶってしまった。
カティアス様はフッと微笑むと、私の頭を撫でた。
「ロッティが先に話して」
「いいえ、カティアス様からどうぞ」
「それじゃあ……。これからは、気兼ねなくロッティと二人っきりになれるなって言いたかったんだ」
その甘い口調と穏やかな眼差しに、私の体温は一気に急上昇する。真っ赤になってうつむいた私を、カティアス様は優しく抱きしめてくれた。
★★★ローズ視点
何あれ、何あれ、何あれ!
目の前でイチャイチャするシャーロットとカティアスに、ローズの怒りは大爆発する。
洋裁室の仕事をしろと言われたけれど、むしゃくしゃするから洋裁室へは行かずに屋敷をぶらぶらして時間をつぶしていた。着替えるのも面倒だったから、エプロンで洋服を隠し、手に雑巾を持って掃除しているふりしていた。実際には、付き添い侍女が普通の侍女みたいに屋敷の掃除をすることはないんだけれど、聞かれたらシャーロットに命令されたとか言えば良いと思っていた。
屋敷の侍女が二人、正面からやって来たから、窓を拭いているふりをすれば、窓の外でシャーロットとカティアスが抱き合っているのが見えた。
「何でも、お嬢様に公爵位が譲渡されるらしいわ」
「え?まだ旦那様だってお若いじゃない。四十ちょっとよね。」
「四十二よ。まぁ、執務をこなしているのは奥様だったし、きっとお嬢様は旦那様みたいなお飾りの女公爵になるんじゃないかしら」
「ああ、カティアス様が実権を握る感じね」
侍女達がお喋りをしながら通り過ぎて行った。
なんであの女ばっかり全てを手に入れるの?!爵位に、裕福な暮らしに、素晴らしい旦那様。可愛げもなけりゃ、身体つきも貧相なくせに、生まれた腹が違うだけでこの違いは何よ!
ローズは雑巾を床に叩きつけると、エプロンを脱ぎ捨てた。そしてそのまま公爵邸を抜け出すと、辻馬車を拾って第三区孤児院へ向かった。
孤児院につくと、ローズはまとわりついてくる弟妹達を乱暴に払い除け、大きく足音をたてて廊下を歩き、院長室の前まで来ると躊躇なく扉を開けた。驚き慌てた様子のフランツォ院長は、なにやら書類を引き出しにしまう。ガチャガチャという音がして、引き出しに鍵を閉めてからフランツォ院長は顔を上げた。
「なんだ、おまえか。ノックをしろと、いつも言っているだろう!」
「院長先生、大変なんです!」
「何がだ」
ローズは足早に院長に駆け寄ると、その腕にすがりつくふりをして、院長の机の引き出しを確認した。引き出しには鍵はついていなかったが、フランツォ院長の手には鍵がしっかり握りしめられており、鉛色のそれは普通の鍵よりもやや小さめの特殊な形をした物だった。
机の全ての引き出しを見ても、鍵がついている様子がないのに存在する鍵。つまりこれはからくり机で、隠れた引き出しがあるのだろう。
院長は、その鍵を胸ポケットにしまった。
「お嬢様が、シャーロットお嬢様が院長先生のことを裏切りました」
「なにっ!?」
「いえ、最初から院長先生のことを嵌めようとしていたのかもしれません」
「どういうことなんだ!騎士団に話を通して、私とサーディン商会との関係を揉み消してくれたんじゃなかったのか!その為に、どれだけの宝石を公爵令嬢に贈ったことか」
手紙も、宝石のやり取りも、全て裏庭の茂みに置いた缶で行っていた。ローズの懐には、慎ましく暮らす平民だったら、住まいを確保し、一生働かなくても生活に困らないくらい価値のある宝石があった。
「あんなの、公爵令嬢のお嬢様からしたら、微々たるお金に決まっているじゃないですか。今朝、黒ずくめの男がお嬢様と話しているのを目撃してしまったんです。その人は、第三区孤児院に忍び込んで、目的の物を処分しましたって言っていたんです」
「目的の物ってなんだ!」
「知りませんよ。私は盗み聞いただけですもの。それと、書類みたいな束をお嬢様に渡していたんです。これがあれば、院長を縛り首にできるからって」
「は?……あ、まさか!」
フランツォ院長は立ち上がると、バタバタと慌てて院長室を走り出た。ローズも「待ってくださーい」と言いながらその後を追い、裏林へ入って行った。予想通り、フランツォ院長が向かったのは裏林にある大木のところで、うろの中に頭を突っ込んで「ない!ない!」と喚いていた。
「院長先生、ここに燃えかすが」
ローズが焼き残りの紙を拾って、院長の袖を引っ張った。字は焼かれて煤になっていたが、便箋の絵柄は見てとれた。
「これは公爵令嬢からの手紙……」
「じゃあ、この燃えかすは全部お嬢様からの手紙?あっ!証拠隠滅ってやつね」
フランツォ院長は、手が真っ黒になるのもかまわず、その燃えかすを握り締めた。
「あの小娘!私を騙して宝石だけ巻き上げたのか!畜生っ!!」
「私も許せない!院長先生に酷いことをするなんて。院長先生、ここにいたら今にも騎士達が来るかもしれないわ。さっき、カティアス様がお嬢様に会いに来ていたから。まずは身を隠さないと」
ローズは、フランツォ院長から巻き上げていた宝石を一粒取り出した。
「お嬢様の宝石箱から一粒取って来たの。院長先生を逃さないとって……。悪いことだとはわかっているけど」
ローズが涙ぐんで宝石を取り出すと、フランツォ院長はそれを奪い取った。
「しかし、逃げると言ってもどこに」
「私、身を隠す良い場所を知っているわ。まずは身を隠して、落ち着いた頃に隣国に逃亡すれば良いわ」
「どこだ、それは!」
「ブレンデル公爵邸」
「は?」
ローズはニンマリと笑った。
「私なら匿えるわ。公爵邸の地下に、今は使われていないワインの貯蔵庫があるの。外からの搬入口もあるし、あそこならば隠れていられる。ふふ、まさかそんな近場に潜んでいるなんて思わないでしょ」
「なるほど……確かにな。ローズはなんて親孝行なんだ」
フランツォ院長は、煤のついた手でローズを抱き締めた。
「もちろん、院長先生は親同然だもの。とにかく、急ぎましょう。手紙のやり取りをしていた裏庭の藪、あそこを右に進んで行ったら搬入口があるから。鍵は壊れていて入れるはずよ。孤児院に院長先生が戻るのは危険だわ。必要な物があれば、私が取って来てあげる。何かある?」
ローズは、院長の胸ポケットを見ながら言った。きっと、隠した引き出しの中には、院長が今まで貯めた宝石があるに違いない。逃走するには、その小さな宝石一粒では心もとないだろうと、ローズは手を差し出した。
「いや、特にはない」
「そう……何かあったら言ってくださいね」
焦らないのが一番だと、ローズはニッコリ微笑んで引き下がった。フランツォ院長も慌てて引き出しの中身を回収しようとしないところを見ると、よほど巧みに隠されているのだろう。
ローズはフランツォ院長と裏林を後にし、人目を避けながらブレンデル公爵邸へ向かった。
「あなたは大きくなっても粗忽者ね」
お母様の冷ややかな声が響き、私は初めて紅茶をこぼしてしまったことに気が付いた。
「ロッティ、火傷はしていないか」
「え……ええ、大丈夫よ、カティアス様。お母様、爵位継承って!?いえ、それよりも離縁ってどういうことです!」
「淑女がそんな大きな声を出してはしたない」
今気にするところはそこではないです!
「お母様!」
「シャーロット、落ち着きなさい。爵位継承については、あなたが成人したらとは思っていたんだけれど、カティアスとの仲がしっかりしないうちは任せられないと、先延ばしにしていたの。二人が夫婦同然の関係になったのなら、もう継承させても良いでしょう」
「良くありません!まだ先のことだと思ってましたもの」
「そうね、時期については話してなかったけれど、いずれはあなたとカティアスで公爵家を継ぐのはわかっていたことでしょう」
「でもお母様、私とカティアス様は褥を共にしましたが、まだ夫婦同然の関係にはなっておりません!」
「あら……そうなの?」
少し崩した表情を隠すように扇子を口元に持ってくると、お母様はカティアス様に問いかけた。
「未遂……といえば未遂です」
カティアス様、真顔で少し手を出しましたみたいなニュアンスで言うのは止めて欲しいです。家族と色事の会話をするのはいたたまれないですから。
「やはり……魅力が足りないのかしら?はぁ……」
お母様!どこを見ておっしゃっているんですか!?しかも、見てからため息は止めてください!私の体型は、間違いなくお母様譲りですからね。
「いえ、十分魅力的ですよ。ただ、急ぐ必要もないかなと。それに、未遂とはいえ、十分責任の生じるような行為はしてますから、夫婦同然だと思ってくださってかまいません」
「いやいや、ちょっと待って。ロッティに爵位を譲ったら、僕達が離縁するって、意味が分からないんだけど」
にこやかなカティアス様に対し、顔面蒼白になってお母様に縋り付いたのはお父様だった。
「あら、私はあなたが愛人に子供を産ませたとわかった時から、あなたとは離縁しようと思っていました。しかも、あなたは性懲りもなく同じことを繰り返しましたし」
「子供ができてしまったのは一度きりじゃないか」
お母様は、ゴミクズを見るような視線をお父様に向けた。
「一度でも裏切りがあれば十分です」
ピシャリと拒絶されたお父様は、お母様のスカートを握りしめて、おいおいと泣き出してしまう。
泣いてすがるくらいなら、浮気なんかしなければいいのにと思ってしまう私は、薄情なのかしら。
お母様は黙り、お父様は号泣になってしまい、これ以上話はできないとふんだ私とカティアス様は、部屋を出て行くことにした。
「まさか、お母様が離縁を考えていたなんて」
「公爵が最初に浮気をした時点で、夫人は離縁するつもりだったようだ。さっき、公爵夫人と二人で話す機会があって、その時におっしゃっていたよ」
積もり積もってではなく、最初から?じゃあ、十八年も我慢していたということ?お母様の性格ならば、スパッと縁を切りそうなのに。
「なんだって、すぐに離縁しなかったのかしら」
「君に、公爵位を継がせたかったそうだ。君を連れて離縁したら、君に残せるものがないとお考えになったようだよ」
「私のせい?」
カティアス様は苦笑した。
「いや、公爵に対する最大級の復讐だと言っておられた」
それもわかる気がする。お父様は結局はお母様に許されていると、何だかんだ好かれているから捨てられないんだと思っていたに違いない。それが、嫌っているふりじゃなくて、本当に嫌われていたなんて、ショックも大きいだろう。
しかも、もう若くもなく、爵位も譲渡してしまえば地位もない。そんなお父様が、これから先一人寂しく暮らしていくのだとすれば、それは確かにお母様なりの復讐なんだろう。
「まぁ、二人のことは二人で解決してもらうしかないですね」
「そうだな。私達は私達のことを話さないと」
私達のこと……って、やっぱり爵位のことよね。
カティアス様は、騎士団にお勤めだけれど、私が公爵家を継ぐとしたら、配偶者になるカティアス様は色々と気になることもおありだと思う。せっかく副団長の地位まで上り詰めたのに、もしかしたら退団しないといけなくなるかもしれないし。
でも、カティアス様にはやりたいことをして欲しい。私の為に何かを諦めるなんて、絶対にさせては駄目だわ。
「カティアス様……」
「これからは……」
私はカティアス様に騎士団を辞める必要はないと言おうとし、カティアス様の言葉とかぶってしまった。
「ごめんなさい……」
「悪い……」
またもやかぶってしまった。
カティアス様はフッと微笑むと、私の頭を撫でた。
「ロッティが先に話して」
「いいえ、カティアス様からどうぞ」
「それじゃあ……。これからは、気兼ねなくロッティと二人っきりになれるなって言いたかったんだ」
その甘い口調と穏やかな眼差しに、私の体温は一気に急上昇する。真っ赤になってうつむいた私を、カティアス様は優しく抱きしめてくれた。
★★★ローズ視点
何あれ、何あれ、何あれ!
目の前でイチャイチャするシャーロットとカティアスに、ローズの怒りは大爆発する。
洋裁室の仕事をしろと言われたけれど、むしゃくしゃするから洋裁室へは行かずに屋敷をぶらぶらして時間をつぶしていた。着替えるのも面倒だったから、エプロンで洋服を隠し、手に雑巾を持って掃除しているふりしていた。実際には、付き添い侍女が普通の侍女みたいに屋敷の掃除をすることはないんだけれど、聞かれたらシャーロットに命令されたとか言えば良いと思っていた。
屋敷の侍女が二人、正面からやって来たから、窓を拭いているふりをすれば、窓の外でシャーロットとカティアスが抱き合っているのが見えた。
「何でも、お嬢様に公爵位が譲渡されるらしいわ」
「え?まだ旦那様だってお若いじゃない。四十ちょっとよね。」
「四十二よ。まぁ、執務をこなしているのは奥様だったし、きっとお嬢様は旦那様みたいなお飾りの女公爵になるんじゃないかしら」
「ああ、カティアス様が実権を握る感じね」
侍女達がお喋りをしながら通り過ぎて行った。
なんであの女ばっかり全てを手に入れるの?!爵位に、裕福な暮らしに、素晴らしい旦那様。可愛げもなけりゃ、身体つきも貧相なくせに、生まれた腹が違うだけでこの違いは何よ!
ローズは雑巾を床に叩きつけると、エプロンを脱ぎ捨てた。そしてそのまま公爵邸を抜け出すと、辻馬車を拾って第三区孤児院へ向かった。
孤児院につくと、ローズはまとわりついてくる弟妹達を乱暴に払い除け、大きく足音をたてて廊下を歩き、院長室の前まで来ると躊躇なく扉を開けた。驚き慌てた様子のフランツォ院長は、なにやら書類を引き出しにしまう。ガチャガチャという音がして、引き出しに鍵を閉めてからフランツォ院長は顔を上げた。
「なんだ、おまえか。ノックをしろと、いつも言っているだろう!」
「院長先生、大変なんです!」
「何がだ」
ローズは足早に院長に駆け寄ると、その腕にすがりつくふりをして、院長の机の引き出しを確認した。引き出しには鍵はついていなかったが、フランツォ院長の手には鍵がしっかり握りしめられており、鉛色のそれは普通の鍵よりもやや小さめの特殊な形をした物だった。
机の全ての引き出しを見ても、鍵がついている様子がないのに存在する鍵。つまりこれはからくり机で、隠れた引き出しがあるのだろう。
院長は、その鍵を胸ポケットにしまった。
「お嬢様が、シャーロットお嬢様が院長先生のことを裏切りました」
「なにっ!?」
「いえ、最初から院長先生のことを嵌めようとしていたのかもしれません」
「どういうことなんだ!騎士団に話を通して、私とサーディン商会との関係を揉み消してくれたんじゃなかったのか!その為に、どれだけの宝石を公爵令嬢に贈ったことか」
手紙も、宝石のやり取りも、全て裏庭の茂みに置いた缶で行っていた。ローズの懐には、慎ましく暮らす平民だったら、住まいを確保し、一生働かなくても生活に困らないくらい価値のある宝石があった。
「あんなの、公爵令嬢のお嬢様からしたら、微々たるお金に決まっているじゃないですか。今朝、黒ずくめの男がお嬢様と話しているのを目撃してしまったんです。その人は、第三区孤児院に忍び込んで、目的の物を処分しましたって言っていたんです」
「目的の物ってなんだ!」
「知りませんよ。私は盗み聞いただけですもの。それと、書類みたいな束をお嬢様に渡していたんです。これがあれば、院長を縛り首にできるからって」
「は?……あ、まさか!」
フランツォ院長は立ち上がると、バタバタと慌てて院長室を走り出た。ローズも「待ってくださーい」と言いながらその後を追い、裏林へ入って行った。予想通り、フランツォ院長が向かったのは裏林にある大木のところで、うろの中に頭を突っ込んで「ない!ない!」と喚いていた。
「院長先生、ここに燃えかすが」
ローズが焼き残りの紙を拾って、院長の袖を引っ張った。字は焼かれて煤になっていたが、便箋の絵柄は見てとれた。
「これは公爵令嬢からの手紙……」
「じゃあ、この燃えかすは全部お嬢様からの手紙?あっ!証拠隠滅ってやつね」
フランツォ院長は、手が真っ黒になるのもかまわず、その燃えかすを握り締めた。
「あの小娘!私を騙して宝石だけ巻き上げたのか!畜生っ!!」
「私も許せない!院長先生に酷いことをするなんて。院長先生、ここにいたら今にも騎士達が来るかもしれないわ。さっき、カティアス様がお嬢様に会いに来ていたから。まずは身を隠さないと」
ローズは、フランツォ院長から巻き上げていた宝石を一粒取り出した。
「お嬢様の宝石箱から一粒取って来たの。院長先生を逃さないとって……。悪いことだとはわかっているけど」
ローズが涙ぐんで宝石を取り出すと、フランツォ院長はそれを奪い取った。
「しかし、逃げると言ってもどこに」
「私、身を隠す良い場所を知っているわ。まずは身を隠して、落ち着いた頃に隣国に逃亡すれば良いわ」
「どこだ、それは!」
「ブレンデル公爵邸」
「は?」
ローズはニンマリと笑った。
「私なら匿えるわ。公爵邸の地下に、今は使われていないワインの貯蔵庫があるの。外からの搬入口もあるし、あそこならば隠れていられる。ふふ、まさかそんな近場に潜んでいるなんて思わないでしょ」
「なるほど……確かにな。ローズはなんて親孝行なんだ」
フランツォ院長は、煤のついた手でローズを抱き締めた。
「もちろん、院長先生は親同然だもの。とにかく、急ぎましょう。手紙のやり取りをしていた裏庭の藪、あそこを右に進んで行ったら搬入口があるから。鍵は壊れていて入れるはずよ。孤児院に院長先生が戻るのは危険だわ。必要な物があれば、私が取って来てあげる。何かある?」
ローズは、院長の胸ポケットを見ながら言った。きっと、隠した引き出しの中には、院長が今まで貯めた宝石があるに違いない。逃走するには、その小さな宝石一粒では心もとないだろうと、ローズは手を差し出した。
「いや、特にはない」
「そう……何かあったら言ってくださいね」
焦らないのが一番だと、ローズはニッコリ微笑んで引き下がった。フランツォ院長も慌てて引き出しの中身を回収しようとしないところを見ると、よほど巧みに隠されているのだろう。
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