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1 探し物はなんですか
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全身を包むのは春の陽気。頭上から降りそそぐ陽射しはうららかで、反面、そこに含んでいる紫外線は、地上にあるすべてを焼きつくさんばかりに殺人的なものを孕んでいた。
眼下にひろがる土手一面は、新緑といえば聞こえはいいが、存分に吸収した太陽光を反射しまくり、いっそ不快なほどの蛍光カラー。その向こう、対岸まで遙かに見晴るかす川面は、やはり太陽の光を乱反射して、網膜を突き刺す目映い攻撃を絶え間なく繰り返していた。
河川敷では、野球やサッカーに興じるガキどもが大勢。その手前に細く伸びたサイクリング・コースでは、ママチャリやロードバイクを転がす健康自慢のリア充が多数往き来していた。ほかにも、ジョギングで健全アピールをしまくるおっさんどもや、毛づやのいい犬っころを連れた奥さん連中、カップルなどが楽しげに行き交い、こぞって優雅な散歩を決めこんでいる。
じつに平和な光景である。
みんな笑顔で、みんな満足そうだ。なにが楽しいのか俺にはさっぱりわからない。いまが充実して幸せだからといって、その安定が一生約束される保証はどこにもないのだ。それどころか、今日、明日、いまこの瞬間にだって急変するかもしれない。
一寸先は闇。
『結城さん、大変残念ですが……』
俺を一瞬で地獄に突き落とした、聖人面の悪魔の言葉が脳裡に甦る。人生は、あの瞬間に一変した。
思い出した途端に感情が冷えて、暗澹たる気分が押し寄せる。無意識のうちに、「けっ!」という悪態が口をついて出ていた。その声が聞こえたわけでもなかろうに、ちょうど真下のサイクリング・ロードを通りかかった中年女がこちらを振り仰ぐ。犬界の貴族ともいうべきアフガンハウンドを連れた、金持ち奥様風の女である。そして目が合った途端、まるで見てはいけないものでも目にしたかのようにパッと顔を背けた。それは同時に、別の女の姿と重なった。俺が知る中で、もっとも打算的で利己的な、欲望まみれの尻軽女――
すさんだ気持ちが、ますますささくれ立つ。
おまえみたいな女がいちばん、たちが悪いんだよ。
俺は内心で吐き捨てた。
利に敏くて、ちょっとばっか見た目もよく、男に媚びへつらう能力にも長けている。甘え上手で目端が利くのをいいことに、自分という餌をぶら下げて、近づいてきた男の中からいちばん条件がよくて、都合のいい相手を躊躇なく選び取る。
そうやって手に入れた贅沢な暮らしは満足か? え? 奥さんよ。
遠ざかっていく背中を、執拗に目で追いかける。女はまるでその気配を察したかのように犬をせっつくと、足早に去っていった。
贅沢。高級。ハイソ。勝ち組。成功。
およそ自尊心や優越意識をくすぐるすべての条件や境遇も、所詮、ちょっとしたバランスひとつで呆気なく消えてなくなる。
若さは老いに取って代わるし、生涯笑いっぱなしの人生も、永遠の愛なんてものも存在しない。わかっているから、自分よりいい思いをしてる奴がいれば妬むし、自分より可哀想な奴がいれば憐れむふりをして内心でほくそ笑む。みんな欲得ずくで生きていて、結局自分がどれだけいい思いをできるかにしか興味がない。表向き、どれほど善人面をしてようが、人間なんて総じてそんなものなのだ。
だが、どんだけ他人より恵まれてようが、いい思いをしようが、そんなのは些末なことでしかない。金持ちも貧乏人も頭がいい奴も悪い奴も、容姿や才能に恵まれた奴もそうでない奴も、最終的に行き着くところはみんなおなじ。どれだけ成功に彩られた華々しい人生を送ろうが、他人に迷惑をかけつづけて忌み嫌われ、失敗つづきの人生を送ろうが、必ずその人生が終わるときはくる。
『結城さん、どうか気を落とさないでください』
うるせえよ。いいから黙れ。
勝ち組人生。挫折を知らない順風満帆な日々。
俺だってな、この先もずっと、恵まれつづけた負け知らずの人生を歩みつづけていくと信じて疑いもしなかったよ。
そこそこいい家に生まれて、いい大学出て、一流企業に勤めてモデル出身の金のかかる女を女房にして、都内の一等地でだれもが憧れるタワーマンション暮らし。そのうち子供でもできりゃ、エスカレーター式の有名私立にでも入れて、なに不自由なく暮らしていくもんだと思ってた。このまま会社にいれば、間違いなく最短で役員の席も用意される。場合によっては、もっと条件のいいところからヘッドハンティングされる可能性だっていくらでもあった。人に使われるのにうんざりしたら、会社を辞めて、起業したっていいとさえ思ってた。それが――
現実を見て失笑が漏れる。
平日の昼日中。
髪は伸び放題。顔も無精髭だらけ。服はいつ洗濯したかも憶えていない、薄汚れたスウェットの上下。そんな恰好で何時間も土手に座ってりゃ、だれがどう見ても底辺中の底辺、最下層の人間。下手すりゃ浮浪者そのものだろう。
築き上げるのにどれだけの時間と労力をかけようが、転落するのなんざあっという間。気づけば独り。この手に残されたものなど、なにひとつありはしなかった。
それでもかまわない。人間はなにも持たずに生まれてきて、なにも持たずに消えていく。そういうものなのだ。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな――
感傷とは無縁な性格だと思ってたのに、秀吉の辞世の句までが浮かんできて我ながらげんなりする。
なにが夢のまた夢だ。どうせ夢の中で見る夢なら、こんなしょぼくてお粗末な結末なんかじゃなく、もっと壮大で型破りで、ハチャメチャな内容だってよかったはずだ。それがどうだよ、現実は。こんなん、俺の人生のシナリオにはなかったはずだろ……。
無様すぎて滑稽にさえ思える己の現状に、いっそ嗤いがこみあげてくる。とそのとき、
「ねえ、なにしてんの?」
すぐ真後ろで、不愉快なほど無神経な声が甲高く響いた。
この空気の読まなさ加減。ぞんざいな物言い。耳障りなハイトーンボイス。
俺の人生において、もっとも縁のなかった人種――見ず知らずのクソガキは、いつのまにやら人の許可もなくパーソナルスペースの内側に入りこんでいた。
直前まで己の裡を満たしていた惨めったらしい気分は、一瞬のうちに消し飛んだ。
不意打ちで声をかけられたことで咄嗟に反応してしまったのがマズかった。合わせるつもりもなかった目が、まともに合ってしまう。黄色い通学帽をかぶったちっこい坊主。内心でチッと舌打ちするも後の祭り。いまさら聞こえなかったふりもできず、かといって相手をする気にも当然なれない。
俺は、邪険な態度も露わにひと睨みすると、ふたたび正面に向きなおった。
いかに無神経なクソガキといえど、ここまであからさまに態度で示せば察するものもあるだろう。大人がみんな、子供に寛大で手心を加えられると思ったら大間違いだ。ましてやいまの俺に、まっとうな大人の良識なんぞ持ち合わせる余裕など欠片もないのだから。
もともと子供になんていっさい興味もなく、日頃から身近に接する機会さえ皆無だった。擦れ違いざま挨拶を交わしたくらいで通報されるこのご時世、知り合いでもなんでもない子供と言葉まで交わした日には、どんな事態になるかわかったものではない。不用意に話しかけてくるようなガキと迂闊に関わりを持って、面倒ごとに巻きこまれるなど、ご免こうむるところだった。
だいたいが見ず知らずの大人に無警戒に近づいて、平然と話しかけるガキもどうかしている。悪気なく話しかけた相手に睨まれた挙げ句、無視までされれば、いかに物事の道理や機微を解しない年齢でも、さすがに感じるものはあるだろう。場合によっては傷つくかもしれない。だが、ある意味、それも自業自得というものである。子供であることを理由に、なんでも許されると思うこと自体が大間違いなのだ。これであのガキも、そうそう馴れ馴れしい態度で見知らぬ大人に無遠慮な振る舞いをすることもなくなるだろう。そもそも、こちらにだって都合というものがあるのだ。
「他人と馴れ合うなんざ、ごめんなんだよ」
ボソッと漏れた本音。
そうだ。いまの俺は、子供どころか、どんな人間とも関わり合いたくなかった。だれとも関わらず、だれにも顧みられることなく、このまますべてを終えてしまいたい。虚しくて結構。孤独で万々歳ってなもんだ。俺がこの世にいた痕跡ごと、パーッと消えてなくなれば、いっそせいせいするというものである。
「なれあう、ってなに?」
「うわっ!」
不意打ちでかけられた言葉に、変な声が出てしまった。ついでにビクッと飛び上がってしまったかもしれない。反射的に身を捩れば、とっくにいなくなったと思っていたクソガキが、まだおなじ場所にじっと立っていた。
眼下にひろがる土手一面は、新緑といえば聞こえはいいが、存分に吸収した太陽光を反射しまくり、いっそ不快なほどの蛍光カラー。その向こう、対岸まで遙かに見晴るかす川面は、やはり太陽の光を乱反射して、網膜を突き刺す目映い攻撃を絶え間なく繰り返していた。
河川敷では、野球やサッカーに興じるガキどもが大勢。その手前に細く伸びたサイクリング・コースでは、ママチャリやロードバイクを転がす健康自慢のリア充が多数往き来していた。ほかにも、ジョギングで健全アピールをしまくるおっさんどもや、毛づやのいい犬っころを連れた奥さん連中、カップルなどが楽しげに行き交い、こぞって優雅な散歩を決めこんでいる。
じつに平和な光景である。
みんな笑顔で、みんな満足そうだ。なにが楽しいのか俺にはさっぱりわからない。いまが充実して幸せだからといって、その安定が一生約束される保証はどこにもないのだ。それどころか、今日、明日、いまこの瞬間にだって急変するかもしれない。
一寸先は闇。
『結城さん、大変残念ですが……』
俺を一瞬で地獄に突き落とした、聖人面の悪魔の言葉が脳裡に甦る。人生は、あの瞬間に一変した。
思い出した途端に感情が冷えて、暗澹たる気分が押し寄せる。無意識のうちに、「けっ!」という悪態が口をついて出ていた。その声が聞こえたわけでもなかろうに、ちょうど真下のサイクリング・ロードを通りかかった中年女がこちらを振り仰ぐ。犬界の貴族ともいうべきアフガンハウンドを連れた、金持ち奥様風の女である。そして目が合った途端、まるで見てはいけないものでも目にしたかのようにパッと顔を背けた。それは同時に、別の女の姿と重なった。俺が知る中で、もっとも打算的で利己的な、欲望まみれの尻軽女――
すさんだ気持ちが、ますますささくれ立つ。
おまえみたいな女がいちばん、たちが悪いんだよ。
俺は内心で吐き捨てた。
利に敏くて、ちょっとばっか見た目もよく、男に媚びへつらう能力にも長けている。甘え上手で目端が利くのをいいことに、自分という餌をぶら下げて、近づいてきた男の中からいちばん条件がよくて、都合のいい相手を躊躇なく選び取る。
そうやって手に入れた贅沢な暮らしは満足か? え? 奥さんよ。
遠ざかっていく背中を、執拗に目で追いかける。女はまるでその気配を察したかのように犬をせっつくと、足早に去っていった。
贅沢。高級。ハイソ。勝ち組。成功。
およそ自尊心や優越意識をくすぐるすべての条件や境遇も、所詮、ちょっとしたバランスひとつで呆気なく消えてなくなる。
若さは老いに取って代わるし、生涯笑いっぱなしの人生も、永遠の愛なんてものも存在しない。わかっているから、自分よりいい思いをしてる奴がいれば妬むし、自分より可哀想な奴がいれば憐れむふりをして内心でほくそ笑む。みんな欲得ずくで生きていて、結局自分がどれだけいい思いをできるかにしか興味がない。表向き、どれほど善人面をしてようが、人間なんて総じてそんなものなのだ。
だが、どんだけ他人より恵まれてようが、いい思いをしようが、そんなのは些末なことでしかない。金持ちも貧乏人も頭がいい奴も悪い奴も、容姿や才能に恵まれた奴もそうでない奴も、最終的に行き着くところはみんなおなじ。どれだけ成功に彩られた華々しい人生を送ろうが、他人に迷惑をかけつづけて忌み嫌われ、失敗つづきの人生を送ろうが、必ずその人生が終わるときはくる。
『結城さん、どうか気を落とさないでください』
うるせえよ。いいから黙れ。
勝ち組人生。挫折を知らない順風満帆な日々。
俺だってな、この先もずっと、恵まれつづけた負け知らずの人生を歩みつづけていくと信じて疑いもしなかったよ。
そこそこいい家に生まれて、いい大学出て、一流企業に勤めてモデル出身の金のかかる女を女房にして、都内の一等地でだれもが憧れるタワーマンション暮らし。そのうち子供でもできりゃ、エスカレーター式の有名私立にでも入れて、なに不自由なく暮らしていくもんだと思ってた。このまま会社にいれば、間違いなく最短で役員の席も用意される。場合によっては、もっと条件のいいところからヘッドハンティングされる可能性だっていくらでもあった。人に使われるのにうんざりしたら、会社を辞めて、起業したっていいとさえ思ってた。それが――
現実を見て失笑が漏れる。
平日の昼日中。
髪は伸び放題。顔も無精髭だらけ。服はいつ洗濯したかも憶えていない、薄汚れたスウェットの上下。そんな恰好で何時間も土手に座ってりゃ、だれがどう見ても底辺中の底辺、最下層の人間。下手すりゃ浮浪者そのものだろう。
築き上げるのにどれだけの時間と労力をかけようが、転落するのなんざあっという間。気づけば独り。この手に残されたものなど、なにひとつありはしなかった。
それでもかまわない。人間はなにも持たずに生まれてきて、なにも持たずに消えていく。そういうものなのだ。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな――
感傷とは無縁な性格だと思ってたのに、秀吉の辞世の句までが浮かんできて我ながらげんなりする。
なにが夢のまた夢だ。どうせ夢の中で見る夢なら、こんなしょぼくてお粗末な結末なんかじゃなく、もっと壮大で型破りで、ハチャメチャな内容だってよかったはずだ。それがどうだよ、現実は。こんなん、俺の人生のシナリオにはなかったはずだろ……。
無様すぎて滑稽にさえ思える己の現状に、いっそ嗤いがこみあげてくる。とそのとき、
「ねえ、なにしてんの?」
すぐ真後ろで、不愉快なほど無神経な声が甲高く響いた。
この空気の読まなさ加減。ぞんざいな物言い。耳障りなハイトーンボイス。
俺の人生において、もっとも縁のなかった人種――見ず知らずのクソガキは、いつのまにやら人の許可もなくパーソナルスペースの内側に入りこんでいた。
直前まで己の裡を満たしていた惨めったらしい気分は、一瞬のうちに消し飛んだ。
不意打ちで声をかけられたことで咄嗟に反応してしまったのがマズかった。合わせるつもりもなかった目が、まともに合ってしまう。黄色い通学帽をかぶったちっこい坊主。内心でチッと舌打ちするも後の祭り。いまさら聞こえなかったふりもできず、かといって相手をする気にも当然なれない。
俺は、邪険な態度も露わにひと睨みすると、ふたたび正面に向きなおった。
いかに無神経なクソガキといえど、ここまであからさまに態度で示せば察するものもあるだろう。大人がみんな、子供に寛大で手心を加えられると思ったら大間違いだ。ましてやいまの俺に、まっとうな大人の良識なんぞ持ち合わせる余裕など欠片もないのだから。
もともと子供になんていっさい興味もなく、日頃から身近に接する機会さえ皆無だった。擦れ違いざま挨拶を交わしたくらいで通報されるこのご時世、知り合いでもなんでもない子供と言葉まで交わした日には、どんな事態になるかわかったものではない。不用意に話しかけてくるようなガキと迂闊に関わりを持って、面倒ごとに巻きこまれるなど、ご免こうむるところだった。
だいたいが見ず知らずの大人に無警戒に近づいて、平然と話しかけるガキもどうかしている。悪気なく話しかけた相手に睨まれた挙げ句、無視までされれば、いかに物事の道理や機微を解しない年齢でも、さすがに感じるものはあるだろう。場合によっては傷つくかもしれない。だが、ある意味、それも自業自得というものである。子供であることを理由に、なんでも許されると思うこと自体が大間違いなのだ。これであのガキも、そうそう馴れ馴れしい態度で見知らぬ大人に無遠慮な振る舞いをすることもなくなるだろう。そもそも、こちらにだって都合というものがあるのだ。
「他人と馴れ合うなんざ、ごめんなんだよ」
ボソッと漏れた本音。
そうだ。いまの俺は、子供どころか、どんな人間とも関わり合いたくなかった。だれとも関わらず、だれにも顧みられることなく、このまますべてを終えてしまいたい。虚しくて結構。孤独で万々歳ってなもんだ。俺がこの世にいた痕跡ごと、パーッと消えてなくなれば、いっそせいせいするというものである。
「なれあう、ってなに?」
「うわっ!」
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