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第四章 ジョン・コルトレーン「ボス・ディレクションズ・アット・ワンス」

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 佐世保に雪が降ったのは、終業式の前日だった。

 世間的に言えばクリスマス・イブだ。

 佐世保の街もきらびやかなイルミネーションで溢れ、年に1度のその日を着飾っている。

 その日、俺は佐世保駅の構内にある観光情報センターの前のベンチで行き交う人々をぼんやりと眺めていた。


「……あれ、住吉くん?」


 そんな俺に声をかけてきたのは、井上だった。


「何してるの? そんなところで」

「お前こそ何してんだ。家は逆だろ」

「私はお爺ちゃんのお見舞いだよ。中佐世保駅で降りてもよかったんだけど、五番街でお土産でも買っていこうかと思ってさ」


 井上の祖父──正男さんは末期癌で先は長くないと言われていたが、嬉しい誤算で元気に年越しができそうなのだという。

 諦めていたエヴァンスのレコードが見つかって活力に満ちあふれているからなのかもしれない。


「それで、住吉くんは?」

「この後、会う人がいてさ」

「会う人? ……あ、有栖川さんか」


 否定はしなかった。

 井上の言葉どおり、有栖川とこの後会う予定になってるし。

 あの一件のあと、今まで以上に有栖川とは親しくなった。

 連絡先は交換したし、一緒に五番街に行ったり丸山さんのレコードショップに行ったりすることも多くなった。


「ようやく収まるところにおさまったって感じだね」

「は? 何だよ、それ?」

「だって傍から見てておかしかったもん。なんていうか、見て見ぬ振りというかさ?」

「……まぁ、間違いではないよ」

「住吉くんが佐世保に馴染んでくれて、あたしもうれしいよ」

「そうだな。井上たちのおかげばい」


 佐世保弁でおどけてやったら、井上は嬉しそうに笑った。

 関わりを持つことを拒んでいたころが懐かしい。

 父が死んで、母が心を病んでしまったときはすべてのものがどうでもよくなっていた。

 だが、今はこうして、しっかり前を向くことができている。

 母もすっかりよくなりスーパーでレジ打ちのパートをはじめるまで回復した。

 家事は母がやるようになり、自分の時間を持てるようになってからは今まで以上にビハインド・ザ・ビートに入り浸るようになっている。

 ちなみに先日、店に大牟田先輩とコヨミさんが来てくれた。

 コヨミさんは「デートの途中で足を伸ばした」と言ってたけど、俺と有栖川がどうなったのか気になって顔を見に来たのだろう。

 俺と有栖川が一緒にいるのを見て察したのか、ひとこと「頑張れ」と残してすぐに店を出ていった。

 大牟田先輩はなんのことかわからず、首をかしげていたけど。


「じゃあ、おふたりさんの邪魔したら悪いし、私は行くね」

「ああ、また……来年な」

「こういうときは、『良いお年を』っていうんだよ」

「はいはい。良いお年を」


 手をひらひらとなびかせて、井上はバスローターリーがある東口から出ていった。

 待ち人が来る間、再び行き交う人びとを眺めることにした。

 冬休みが始まる学生だけではなく、佐世保駅を利用しているすべての人たちがこころなしか浮ついている感じがした。

 だからこそ、待ち人を見つけるのは容易だった。

 多分、この男は歓喜の中にいても絶望の中にいても、変わらず異様な空気を放っているに違いない。


「……まさかお前から呼び出しを受けるとはな」


 キャリーケースを引きずりながら、俺の隣に腰をかけたのは東真一が淡々という。

 東さんを通じて、俺が呼び出したのだ。


「今日、佐世保を離れるんですよね? だから、最後に確認しておこうと思って」

「ふむ?」


 東真一が腕を組んだ。

 言ってみろといいたげに。


「実に音抜けの良か謎でした」


 いつも有栖川が口にしているセリフを挟んで、俺は続ける。


「先日、東さん……あなたの父親が自宅の整理をしたそうです。本人は『終活だ』なんていってましたけど、多分、あなたが残したものを整理したのだと思います。口約束を交わしたしただけですけど、あなたはもう家には戻らないと断言したわけですからね」


 東真一は何も言わない。

 正面を見据えたまま、じっと俺の言葉に耳を傾けている。


「あなたの部屋にも手をいれたそうです。大したものは残っていなかったそうですが……ただ、そこで気になるものを見つけたらしいんです」


 俺の携帯に連絡があったのは、その気になるものが俺にとっても無視できないものだったからだ。


「見つかったのは店に入れた借入金の放棄を明記された『債権放棄通知書』。それと……ジャケットにメッセージが書かれたレコード」


 ちひろは、ひとりではないよ──。

 そう記された、ミスティのレコード。

 有栖川が探していた祖父の「ミスティ」だった。


「あなたは自宅には戻っておらず、ずっとホテルに泊まっていたそうじゃないですか。もう何年も自宅に足を踏み入れいていない。ということは、部屋に債権放棄通知書とミスティを置いたのは、佐世保を離れる前ということになります」


 東真一にミスティのレコードを尋ねたとき、忘れていたような素振りを見せていた。

 あれは芝居だったというわけだ。

 自宅に債権放棄通知書を残し、さらに有栖川の「ミスティ」を置いておくような手の込んだマネをしていたのだから。


「それを聞いて疑問に思いました。なぜ、あなたは佐世保に戻ってきたのか?」


 債権放棄通知書が見つかれば、借入金の返済を求めるのは不可能になる。

 それに、有栖川から詐欺で訴えられなかったのは、東真一の手に祖父のミスティがあると思っていたからだ。

 東真一もそれがわかっていたはず。

 なのに、どうして命綱とも言えるレコードを自分の部屋に置いてきたのか。

 そして、訴えられるリスクを抱えながらも、なぜ有栖川たちの前に姿を見せたのか。


「その答えは、すぐにわかりましたよ。あなたは有栖川から徹底的に恨まれたかったんです。彼女から恨まれ、嫌われて……関係を終わらせたかった」


 有栖川からレコードを騙し取ったとき、東真一は彼女から恨まれると思っていた。

 だが、蓋を開けてみれば有栖川は恨みながらも、戻ってきてほしいと願っていた。

 東真一はそれを知った。

 有栖川が客を騙してレコードを集め、自分を待っていることを。

 だから、危険を承知で佐世保に舞い戻り一芝居打つことにした。

 有栖川が一番大切に思っていた店を危機に陥らせるような嘘をつき、彼女に決定的に恨まれて、自分への想いを断ち切らせようと考えたのだ。

 東真一に借金なんてなかったのだろう。

 ずっとおかしいと思っていた。

 世界を股にかけるような一流のバイヤーであるはずの人間が、果たしてそんなミスを犯すのだろうかと。

 はじめから東真一は父親を訴えようだなんて思っていなかった。

 東真一の言葉は、すべてが虚構だった。

 借金のことも、店のことも。

 そして──有栖川のことも。

 構内アナウンスが入った。

 ホームに博多行の列車が到着したらしい。

 アナウンスが終わると同時に、東真一が口を開いた。


「それが真実だといいたいのか?」

「真実じゃない。ただの事実です」

「ふむ。だったら、お前が知りたい真実は何だ?」 

「何もありませんよ。というか、あなたの考えなんて知りたくもない。何を言っても、何をやっても……あなたが有栖川にしたことは絶対に消えないんですから」


 有栖川たちを騙して、レコードを奪ったことに変わりはない。

 祖父のメッセージが残ったレコードは無事だったが、その他は売り払ってしまったのだから。


「だから、これは警告です」


 東真一を睨みつけながら、俺は言った。


「また俺たちの前に現れたら、容赦なくあなたを法に訴えます」 


 脅迫と取られても構わない。

 こうでもしないと、この男は意気揚々と佐世保に戻ってくるに違いないのだ。

 この男が口約束を守る保障なんてどこにもない。

 だったら、それに変わるものを突きつける必要がある。

 立場は180度逆転したのだ。

 今度は、こちらが強く出る番だ。


「……」


 東真一の表情は崩れない。

 その視線が、少しだけ腕時計に落ちただけだった。


「佐世保に戻ってきて良かったと、思っている」


 やがて、静かに東真一が言う。


「こうして金を出さずに探していたレコードを手に入れることができたからな。しばらくは海外でバカンスを満喫するつもりだ。残っていたは終わったし、もう日本に戻ってくる必要もないだろう。だから、お前が不安に思うことはない」


 東真一はキャリーケースを手にとり、立ち上がる。 


「じゃあな、住吉。もう二度とお前たちとは会うこともないだろう。達者で暮らせ」


 そう言って、一度も振り返ることなく、東真一は雑踏の中に消えていった。

 東真一という男は、最初から最後まで虚言で塗り固められた男だった。

 だけど──最後のその言葉だけは、信じることができるような気がした。
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