伯爵令嬢が幼馴染と結婚させられるまで~フロランス王国秘書官物語~

綾織 茅

文字の大きさ
1 / 11
プロローグ

1

しおりを挟む
 

 リディアは父である伯爵が言い放った言葉に耳を疑った。
 深呼吸を二、三度繰り返して、十分に心を落ち着けてから口を開いた。そうでもしないと絶叫するに違いなかったから。


「お父様、ごめんなさい。もう一回言ってくれる?」
「あぁ、何度だって言ってやるとも。お前はこれから王都へ行って、ジョエル君と婚約しなさい」
「だからっ! なんでそう、なるのよっ!」


 聞き間違いであって欲しいと願った言葉は、真実正しいものだったとこれで証明されてしまった。
 同時に、寸前のところで我慢できていた心の底からの言葉が遠慮なしに叫ばれた。


「なんで私があんな奴と婚約しないといけないわけっ!? そもそも、一人娘の私と一人息子のあいつが結婚なんてできるわけないじゃない! 寝言ならちゃんとベッドに行って目をつむってから言ってよね!」
「あーうるさいうるさい。お前はどうして昔から自分の気に入らないことがあると大声でまくし立てるんだ。母さんはあんなにおしとやかだったっていうのに」


 伯爵は耳を両手でふさぎ、やれやれと首を左右に振った。

 今は亡き妻であり母である女性が二人の脳裏にふっと浮かぶ。

 しみじみとした空気が一瞬流れかけたけれど、リディアの方が気を取り戻すのが早かった。


「大声出させるような父様が悪いんでしょ!」


 再び大声を出すリディアに呆れた顔を見せた伯爵は、先程リディアが入ってきたばかりの入り口のドアの方へ目を向けた。不服感満載で顔をしかめるリディアもその視線の先を追いかけた。

 すると、そこには今まで身じろぎもせず壁に寄りかかっていたと思われるジョエルの姿があった。まるで彫刻のように立ち尽くしているものだから、リディアが部屋の調度品と見間違えてしまうのも無理はない。


「ジョエル君、すまないね。うちの娘が毎度うるさくて」
「いえ、慣れてますから」


 伯爵の言葉にジョエルはちらとも表情を変えずに淡々と返した。ちなみに通常仕様である。
 そこは、そんなことは、とか言って言葉を濁すものだが、彼はそんな人間関係を円満にするような常套手段は使わない。いつだってその時その時思ったことが口からなんの遠慮もなしに放たれるのだ。ある意味正直者と言えなくもない。

 そんなジョエルにリディアは口元をヒクリと動かしたが、その話題についてはこれ以上触れないでおく。自分に関してのことは逆に藪蛇になりかねないことを経験で知っているからだ。代わりに今一番気になることを聞いてみることにした。


「……なんであんたがここにいるのよ。一年中帰る暇もないほど忙しいんじゃないの?」


 腕を組み、家庭教師からははしたないと言われる仁王立ちをしてジョエルを睨みつける。そして、さらに言葉を続けた。


「だいたい、あんたみたいに顔がよければ婚約者になりたいなんて女の人、星の数ほどいるでしょ」
「うん」


 まるでごくごく日常的な、それこそ今晩のメニューはなになにでいいかと尋ねた時に頷いて答えるような簡単な返事が全く自慢げもなく返ってきた。

 リディアは再び口元をヒクリと動かした。

 確かにジョエルの見た目は、見た目だけはいい。ここで注釈をつけるとすると、“だけ”という部分が非常に重要であるということだ。

 淡い金髪にエメラルドの双眸をもつ端正な顔立ちに、王宮で近衛士官として出仕しているだけあってすらりとした体躯で颯爽と歩く姿は、物語から出てきた王子様のようだと表現されているのは何度も見聞きしている。子供の頃からこんな感じなので、そりゃあ女の子達にモテてもいた。

 ただし、その女の子達のジョエルへの恋慕も、ジョエルのある意味真実の口を知るまでのことだ。なかにはそれでもという猛者がいることにはいたが、それでもジョエル自身が自分のことを何とも思わないことを悟った時、泣く泣く諦めていった。

 リディアはこの容姿は良くともその正直すぎる口のせいで老若男女ほとんどの人に嫌われまくっている幼馴染にほとほと困らされていた。なまじ頭の方もずば抜けていいせいで、語彙や知識の豊富さで大抵の会話で三回は相手を怒らせることができる。ここまで来ると一種の才能だと、リディアは割と真剣に思っている。

 そんな幼馴染と婚約。不安しかない。


「……それなら、その中から選べばいでしょ? わざわざ私じゃなくてもいいじゃない」
「美人はすぐに飽きるっていうけど、その点、リディアは昔っから一度も飽きたことがないから。君のその単純ですぐ感情を表に出すところも、裏表がほとんどないところも、病的なまでにお人好しなところも、全部ひっくるめて好きだよ?」
「……一つ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「それは私の良い所を並べてるのよね?」
「そうだよ。あ、あと一つ。嫌なことをすぐに忘れて、また同じようなことに遭う馬鹿さ加減も」


 真顔で続けられる言葉に、彼が本当にそう思っていることが見受けられる。
 苦言を言われた父の手前、一度は冷静につとめようとしたリディアの努力は泡と消えることになった。


「死んでも婚約なんてしてやるもんですかっ!!」


 本日一番の怒声が伯爵の執務室だけでなく、屋敷中に響き渡った。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

貴方なんて大嫌い

ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い

【R18】熱い夜の相手は王太子!? ~婚約者だと告げられましたが、記憶がございません~

世界のボボブラ汁(エロル)
恋愛
激しい夜を過ごしたあと、私は気づいてしまった。 ──え……この方、誰? 相手は王太子で、しかも私の婚約者だという。 けれど私は、自分の名前すら思い出せない。 訳も分からず散った純潔、家族や自分の姿への違和感──混乱する私に追い打ちをかけるように、親友(?)が告げた。 「あなた、わたくしのお兄様と恋人同士だったのよ」 ……え、私、恋人がいたのに王太子とベッドを共に!? しかも王太子も恋人も、社交界を騒がすモテ男子。 もしかして、そのせいで私は命を狙われている? 公爵令嬢ベアトリス(?)が記憶を取り戻した先に待つのは── 愛か、陰謀か、それとも破滅か。 全米がハラハラする宮廷恋愛ストーリー……になっていてほしいですね! ※本作品はR18表現があります、ご注意ください。

わんこ系婚約者の大誤算

甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。 そんなある日… 「婚約破棄して他の男と婚約!?」 そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。 その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。 小型犬から猛犬へ矯正完了!?

君は番じゃ無かったと言われた王宮からの帰り道、本物の番に拾われました

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ココはフラワーテイル王国と言います。確率は少ないけど、番に出会うと匂いで分かると言います。かく言う、私の両親は番だったみたいで、未だに甘い匂いがするって言って、ラブラブです。私もそんな両親みたいになりたいっ!と思っていたのに、私に番宣言した人からは、甘い匂いがしません。しかも、番じゃなかったなんて言い出しました。番婚約破棄?そんなの聞いた事無いわっ!! 打ちひしがれたライムは王宮からの帰り道、本物の番に出会えちゃいます。

諦めない男は愛人つきの花嫁を得る

丸井竹
恋愛
王命により愛人のいる女と結婚した男の話。

処理中です...