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(4)拒絶*

山女の嘘

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***


 山女やまめは、一瞬しんに何を言われたのか分からなかった。

 でも呆然と辰を見上げた山女は、彼の冷ややかな視線から完全なる拒絶の意思をくみ取った。

 辰と暮らし始めて六年半余り。
 山女が最も恐れていた事態が目の前に突き付けられていた。

「辰様、私まだ……」
 ――一人前なんかじゃありません。

 そう続けたいけれど、先程自分で自身の身体が大人として成熟した旨を辰に伝えてしまったばかりだ。

 あれを言ったのは、山女にとってある種の賭けだったのだが、どうやら自分はその賭けに負けたらしい。

 いつまでも子供のままだと思われていては、辰との関係は進まない。
 でもだからと言って大人になったのだと示唆しさすれば、独り立ち出来ると判断され兼ねないことは分かっていた。

 でも――。
 山女はそれを打ち砕いてでも、辰との関係を変えたいと思ってしまったのだ。

 辰のいない邸内で、一人異形の龍神様の帰りを待っていたら、どうしても。
 例え彼が人でないとしても、自分は辰の事を慕わしく思っていると訴えたくなってしまった。

 ――貴方の事を、一人の女としてお慕いしております。

 そう素直に言えたなら、どんなにいいだろう。
 でも、きっとそんな事を伝えたら辰を困らせてしまうから。
 だから、心は無理でもせめて身体ぐらいは辰のものにして欲しかった。

 生贄として彼に捧げられた六年前から、自分の身体は間違いなく龍神様のものなのだから。

 なのに――。

 辰にとって山女は、抱く価値はおろか食べる値打ちもない存在だったらしい。

 そこでふと思ってしまった。

 ――今まで辰様に捧げられてきた贄の娘達は一体どうなってしまったの?と。

 山女は、主様に捧げられて里へ帰ってきた者は誰一人居ないと伝え聞いている。

 では、辰がいま山女に問うて来たように、他所の里に混ざると言う選択肢を選んだ者ばかりだったのだろうか。

 山女みたいに皆の厄介者として育てられた娘ばかりが贄となったわけではないだろうし、その選択を迫られて一人も郷里に戻って来ないのはどこか不自然に思えて。

(供物になる必要などないと主様ご自身から言い渡されて戻ってきた贄娘の前例がいてくれたなら、私だってここへ来てすぐの日に里へ帰るという選択が出来ていた……?)

 そうなっていたらきっと、里の皆からは贄となる前以上にうとまれた事だろう。
 でも、それでもこんな風に辰の傍にいて、彼の事をこんなにも愛しいと思うようになってから放り出されるよりは、よっぽど良かったかも……と思ってしまった山女だ。

「辰様……」

 辰に対する恋情未練から、すぐ傍に立つ彼のたもとを掴もうと手を伸ばした山女だったけれど。

 さり気なく距離をあけられてかわされてしまう。

 もうそれだけで、山女には十分だった。

 考えてみれば、辰には〝いい人〟が待っているのかも知れなかったではないか。

 事ある毎に辰から仄めかされてきた見知らぬ女性の気配を失念していたわけではない。ただ、悲しくなるから考えない様にしていただけ。

 娘としてなら傍にいても大丈夫で、女としての山女の存在が辰にとって敬遠されるなら、理由はきっとそれしかない。


「私、郷里へ戻ります……」

 本当は辰の手引きで、ごく潰しだった上に贄としてもまともにお役目を果たせなかった自分の事など誰も知らない他所の里へ混ざる方が生き易いはずだ。

 でも――。

 さっき山女自身が思った様に、「贄乙女に選ばれても戻って来られるかも?」という前例を作っておく事は、約三年半後、自分と同じ責務を背負わされるだろう少女にとって、小さな希望の光になれるかも知れない。

 それに、昔と違って大人の女性へと変貌へんぼうげた今の自分ならば、里の誰かが子を持つためのこまくらいの価値は見出して貰えるんじゃないだろうか。

 辰から大事にされ過ぎて忘れかけていたけれど、山女の価値なんてあの里ではきっとその程度だ。

 初めての相手が、憎からず思っている辰ではないのは怖いし凄く悲しいけれど、きっと辛く当たられる方が心の痛みを感じなくて済む。


 山女はニコッと微笑むと、その場に静かにひざを折った。

「辰様。長い間お世話になりました。辰様から大切にして頂いてここまでつつがなく暮らしてこられたご恩、決して忘れません」

 そのまま三つ指をついて、かつて里長に教えられた通り丁寧に頭を下げた。

 贄としての婚礼お役目のために仕込まれた挨拶は、果たして上手く出来ただろうか。

 そんな事を思いながら、山女は今にも床に零れ落ちてしまいそうな涙を必死に堪えた。
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