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8.隔たる心
ナディエルの不調
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医務室へと運ばれていくカイルを追いかけ、リリアンナも駆け出そうとする。
そんなリリアンナの腕を、ランディリックがすっと掴んだ。
「リリアンナ。さっきナディエルからも言われただろう? まずは着替えてからだ。君のその姿では……カイルが目を覚ました時に心配させる」
見下ろしたリリアンナは、雪でドレスの裾を濡らし、カイルの血で袖口が赤黒く染まっていた。
「でも……!」
ランディリックがそう説明してもなお、彼の手を振り切ろうとするリリアンナの前に、ナディエルがそっと立ちはだかる。
「リリアンナお嬢様、旦那さまのおっしゃる通りでございます。どうか……」
リリアンナを押し留めながら、ナディエルはランディリックに深々と礼をする。
「お嬢様をお部屋へお連れいたします」
リリアンナはナディエルに腕を引かれて連れ去られながらも、まだ何やら言い募って渋っていた。だが、ナディエルに「お嬢様!」と常ならぬ強い口調で促され、しぶしぶ自室へと戻っていく。
ランディリックはナディエルをリリアンナの侍女に選んだ執事のセドリックの采配に感謝しつつ、自身は医務室へと足を向けた――。
***
医務室へ入ると、カイルの治療に当たった医師セイレン・トウカから彼の容態を聞いた。
帝都出身の老医師であるセイレンは、灰緑の瞳に深い皺を刻んだ男だ。若き日に東方の国で薬術を学んだという片鱗が漂っている。物腰は穏やかだが、声には揺るぎない芯があった。
「命は助かりましょう。ただ、傷が深く、獣に負わされたものですので発熱が始まっています。すでに意識が朦朧としており……数日は目を覚まさぬ可能性も高いかと。とりあえず、セリファリス草の煎液で患部を洗い、ルエリアの根を煎じて飲ませました。あとは熱が下がるのを待つばかりです」
そう言ってセイレンが示した木盆には、銀緑の葉を干した包みと、深紅の球根をすり潰した薬湯が置かれていた。
セイレンが処方したセリファリス草は霧深い渓谷に自生する希少な薬草で、古来より「狼よけの草」として知られ、猟師たちに重宝されてきた。強い殺菌作用を持ち、傷口を洗うことで感染症の悪化を防ぐ。
ルエリアの根は、解熱と鎮痛に効果を持つ苦味のある球根で、煎じて服用させることで獣毒による熱を鎮める効果があった。薬師らの間では、「血熱(炎症による熱)を下げる根」として知られている一般的なものだ。
「任せる。……それと、悪いがリリアンナと彼女の侍女ナディエルのことも気遣ってやってくれ。二人ともオオカミに襲われ、衝撃を受けている」
「承知いたしました」
セイレンは盆を捧げ持ったまま、ランディリックに深々と頭を下げた。
***
急ぎ着替えを済ませたリリアンナは、ナディエルとともに医務室へ駆け戻った。
扉を開けると薬の匂いが鼻を刺し、薬師と助手が慌ただしく動き回っている。寝台の上では、カイルが蒼白な顔で横たわっていた。
「カイル!」
リリアンナは駆け寄り、寝台の傍らに膝をついた。
その様子に、処置にあたっていた老医師セイレン・トウカが、リリアンナのすぐ背後へ控えたナディエルを見咎める。
「……侍女殿、顔色が悪い。あなたも寝込む前に休みなさい」
「い、いえ……私は大丈夫で……」
「大丈夫ではない」
きっぱりした声に、ナディエルが肩を震わせる。二人のやり取りにリリアンナが振り返ると、確かにナディエルの顔面は青白く、いつもならバラ色の頬にも色味がない。カイルのことばかりに頭がいっていていたとはいえ、気付けなかったのが不思議なくらい足元がふらついていた。
「ナディ、気付かなくてごめんなさい」
その様子に、リリアンナは自分のわがままでナディエルに無理をさせたこと、彼女の体調不良にセイレンが指摘するまで気付けなかったことを深く悔やんだ。
こんな状態で自らの着替えばかりでなく、リリアンナの着替えまで手伝ってくれたのだと思うと申し訳なさに視界が滲む。
(私、カイルだけじゃなくナディエルまで)
心の中でつぶやいてギュッと両の拳を握りしめると、リリアンナは「お嬢様……」と不安げにこちらを見つめるナディエルにニコッと微笑んで見せた。目の際にいっぱい溜まった涙は、なんとかこぼさずにいられた。
「私は大丈夫だから! お願い、休んで? ナディ」
リリアンナが言葉を掛けると、ナディエルは悔しげに唇を噛みしめる。
「ではお嬢様も一緒に……」
「私はカイルの様子をもう少し見てから……」
ナディエルの誘い掛けに、そこだけはフルフルと首を振ってここへ残りたい旨を告げると、ナディエルは一瞬だけ凄く不安そうな顔をした。
だがリリアンナの瞳の奥に、頑として動きそうにない意固地な色を見つけると、諦めたように吐息を落とす。
「お嬢様を……どうかよろしくお願いいたします」
ややして告げられた言葉は、すぐそばへ立つ老医師セイレンに対して。ふらついているくせに深々と頭を下げる辺りがナディエルらしかったけれど、それでふらりとバランスを崩したところをすぐそばにいたセイレンの助手に抱き留められた。
「お嬢様、くれぐれも無理だけは……」
それでも真っ青な顔のままリリアンナを気遣うナディエルに、リリアンナは何度もコクコクと頷いてみせた。
「あとでナディの様子も見に行くね。ちゃんと寝てなかったら怒るんだから!」
ぷぅっと頬を膨らませてみせるリリアンナに、ナディエルは淡く微笑んだ。
ややしてナディエルはセイレンに引き留められた従者に支えられながら、医務室を去っていった。
セイレンは、今度はリリアンナへと視線を向ける。
そんなリリアンナの腕を、ランディリックがすっと掴んだ。
「リリアンナ。さっきナディエルからも言われただろう? まずは着替えてからだ。君のその姿では……カイルが目を覚ました時に心配させる」
見下ろしたリリアンナは、雪でドレスの裾を濡らし、カイルの血で袖口が赤黒く染まっていた。
「でも……!」
ランディリックがそう説明してもなお、彼の手を振り切ろうとするリリアンナの前に、ナディエルがそっと立ちはだかる。
「リリアンナお嬢様、旦那さまのおっしゃる通りでございます。どうか……」
リリアンナを押し留めながら、ナディエルはランディリックに深々と礼をする。
「お嬢様をお部屋へお連れいたします」
リリアンナはナディエルに腕を引かれて連れ去られながらも、まだ何やら言い募って渋っていた。だが、ナディエルに「お嬢様!」と常ならぬ強い口調で促され、しぶしぶ自室へと戻っていく。
ランディリックはナディエルをリリアンナの侍女に選んだ執事のセドリックの采配に感謝しつつ、自身は医務室へと足を向けた――。
***
医務室へ入ると、カイルの治療に当たった医師セイレン・トウカから彼の容態を聞いた。
帝都出身の老医師であるセイレンは、灰緑の瞳に深い皺を刻んだ男だ。若き日に東方の国で薬術を学んだという片鱗が漂っている。物腰は穏やかだが、声には揺るぎない芯があった。
「命は助かりましょう。ただ、傷が深く、獣に負わされたものですので発熱が始まっています。すでに意識が朦朧としており……数日は目を覚まさぬ可能性も高いかと。とりあえず、セリファリス草の煎液で患部を洗い、ルエリアの根を煎じて飲ませました。あとは熱が下がるのを待つばかりです」
そう言ってセイレンが示した木盆には、銀緑の葉を干した包みと、深紅の球根をすり潰した薬湯が置かれていた。
セイレンが処方したセリファリス草は霧深い渓谷に自生する希少な薬草で、古来より「狼よけの草」として知られ、猟師たちに重宝されてきた。強い殺菌作用を持ち、傷口を洗うことで感染症の悪化を防ぐ。
ルエリアの根は、解熱と鎮痛に効果を持つ苦味のある球根で、煎じて服用させることで獣毒による熱を鎮める効果があった。薬師らの間では、「血熱(炎症による熱)を下げる根」として知られている一般的なものだ。
「任せる。……それと、悪いがリリアンナと彼女の侍女ナディエルのことも気遣ってやってくれ。二人ともオオカミに襲われ、衝撃を受けている」
「承知いたしました」
セイレンは盆を捧げ持ったまま、ランディリックに深々と頭を下げた。
***
急ぎ着替えを済ませたリリアンナは、ナディエルとともに医務室へ駆け戻った。
扉を開けると薬の匂いが鼻を刺し、薬師と助手が慌ただしく動き回っている。寝台の上では、カイルが蒼白な顔で横たわっていた。
「カイル!」
リリアンナは駆け寄り、寝台の傍らに膝をついた。
その様子に、処置にあたっていた老医師セイレン・トウカが、リリアンナのすぐ背後へ控えたナディエルを見咎める。
「……侍女殿、顔色が悪い。あなたも寝込む前に休みなさい」
「い、いえ……私は大丈夫で……」
「大丈夫ではない」
きっぱりした声に、ナディエルが肩を震わせる。二人のやり取りにリリアンナが振り返ると、確かにナディエルの顔面は青白く、いつもならバラ色の頬にも色味がない。カイルのことばかりに頭がいっていていたとはいえ、気付けなかったのが不思議なくらい足元がふらついていた。
「ナディ、気付かなくてごめんなさい」
その様子に、リリアンナは自分のわがままでナディエルに無理をさせたこと、彼女の体調不良にセイレンが指摘するまで気付けなかったことを深く悔やんだ。
こんな状態で自らの着替えばかりでなく、リリアンナの着替えまで手伝ってくれたのだと思うと申し訳なさに視界が滲む。
(私、カイルだけじゃなくナディエルまで)
心の中でつぶやいてギュッと両の拳を握りしめると、リリアンナは「お嬢様……」と不安げにこちらを見つめるナディエルにニコッと微笑んで見せた。目の際にいっぱい溜まった涙は、なんとかこぼさずにいられた。
「私は大丈夫だから! お願い、休んで? ナディ」
リリアンナが言葉を掛けると、ナディエルは悔しげに唇を噛みしめる。
「ではお嬢様も一緒に……」
「私はカイルの様子をもう少し見てから……」
ナディエルの誘い掛けに、そこだけはフルフルと首を振ってここへ残りたい旨を告げると、ナディエルは一瞬だけ凄く不安そうな顔をした。
だがリリアンナの瞳の奥に、頑として動きそうにない意固地な色を見つけると、諦めたように吐息を落とす。
「お嬢様を……どうかよろしくお願いいたします」
ややして告げられた言葉は、すぐそばへ立つ老医師セイレンに対して。ふらついているくせに深々と頭を下げる辺りがナディエルらしかったけれど、それでふらりとバランスを崩したところをすぐそばにいたセイレンの助手に抱き留められた。
「お嬢様、くれぐれも無理だけは……」
それでも真っ青な顔のままリリアンナを気遣うナディエルに、リリアンナは何度もコクコクと頷いてみせた。
「あとでナディの様子も見に行くね。ちゃんと寝てなかったら怒るんだから!」
ぷぅっと頬を膨らませてみせるリリアンナに、ナディエルは淡く微笑んだ。
ややしてナディエルはセイレンに引き留められた従者に支えられながら、医務室を去っていった。
セイレンは、今度はリリアンナへと視線を向ける。
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