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8.隔たる心
しばらくの間、ここには来させない
しおりを挟むセイレン・トーカ医師の目線を追い、医務室奥へ視線を転じたランディリックは、最奥――カイルの寝台へ寄り添うようにして、椅子に腰かけ小さな身体をベッドサイドへ預けているリリアンナの姿を見つけた。
近付いてみれば、カイルの手を握りしめるようにして、目尻には泣き濡れた涙の痕跡を残したままの顔で眠り込んでいた。
その姿を見た瞬間、ランディリックの胸がきゅうっと締め付けられる。
それが、健気に恩人へ寄り添うリリアンナの姿へ胸を打たれてのものなのか、それとも彼女が自分の身体を労わらないことに対する苛立ちなのか、それとももっと〝別の何か〟なのか……。自分でも判然としない。
ただ、物凄く不快なことだけは確かだった。
眉間の皺を深くしたランディリックの傍へ立ったセイレンが、小さく吐息を落とす。
「……わたくしの言葉はリリアンナ様のお耳には届きません。かくなる上は、旦那様にこそ、どうにかしていただかねばと思っていたところです」
セイレンの言葉に、ランディリックは短く頷くと、リリアンナの華奢な身体をそっと抱き上げた。
普通、ぐったりと弛緩した者を抱え上げるのは意識がある人間を抱き抱えるより重く感じる。だが、腕に収めたリリアンナの身体は、年の割にひどく軽く感じられた。
(食事はまともにとっているんだろうか?)
思えば、ここ数日、リリアンナと食卓をともにしていない。
家庭教師のクラリーチェはもとより、専属侍女のナディエルもそばに控えていない状態だ。
もしかしたら食事もおろそかにしていたのではないかと懸念してしまう。
「しばらくの間、ここには来させない」
言って、「カイルのことを頼む」と付け加えたランディリックに、セイレンが「かしこまりました」と恭しく礼をした。
ランディリックはリリアンナを横抱きにしたまま、彼女の自室へ運ぶ。
ここ数日使われた気配のない寝台へリリアンナの身体をそっと横たえると、「んっ」と小さく吐息を漏らしてリリアンナが薄っすらと目を開けた。
「……ランディ?」
目覚めたばかりのマラカイトグリーンの美しい瞳がぼんやりとこちらを見上げ、状況を把握したいみたいに、まぶたが数度、まるで場面転換を促すみたいにぱちぱちとしばたたかれる。
「ここは……」
小さくつぶやいて周囲をゆっくりと見回してから、そこが見慣れた自室だと気が付いた途端、リリアンナは慌てて身体を起こそうとした。
それを片手でグッと肩を押さえるようにして制したランディリックに、リリアンナが困惑した視線を向ける。
「ランディ?」
「休みなさい、リリアンナ」
あえて、〝リリー〟と呼ばずに〝リリアンナ〟と語り掛けて命令口調で言い放てば、敏い子だ。すぐにランディリックの意図を察したらしい。
「イヤ! 私、カイルの看病をしなくちゃいけないの!」
「ダメだ」
「どうして!? ……カイルは私のせいであんなひどい目に遭ったのに!」
「リリー。自分でも分かっているだろう? 頑張り過ぎだ。これ以上はキミの体調に悪影響を及ぼしかねない。庇護者として、許すことは出来ないんだよ」
「でも!」
「カイルが意識を取り戻し、医務室から自室へ戻るまで、キミも医務室へ行くことを禁じる」
その声には逆らえない強さがあった。
リリアンナは、それでもなにか言い募ろうと懸命にランディリックの顔を見つめて言葉を探す。
けれどランディリックはそんなリリアンナからふいっと視線を逸らせると、背後を振り返った。
「ブリジット」
いつの間に、来ていたのだろう?
夜中にも関わらず、リリアンナの自室の扉のすぐ外へ、侍女頭のブリジットが控えていた。
「忙しいところすまないが、ナディエルが回復するまでの間、キミがリリアンナに付いてやって欲しい」
ランディリックはブリジットに、ナディエルが回復するまでの間、彼女自身がリリアンナの世話係として付くよう申し付ける。
他の侍女ならまだしも、リリアンナもブリジットには逆らえないのを知っていての采配だ。
それは実質、リリアンナが勝手なことをしないよう、監視役を付けると言われているようなものだった。
「ランディ!」
リリアンナが抗議の声を上げたけれど、ランディリックはそれを一切聞き入れなかった。
喧嘩にこそならなかったが、リリアンナはそんなランディリックの所業にとうとうプイッと横を向き、唇を固く引き結んでしまう。
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、ランディリックにはその小さな背中がひどく遠く感じられた。
ベッド上、そっぽを向いた小さな背中に生まれた隔たりを感じながら、ランディリックは黙ってそんなリリアンナを見守るしか出来なかった。
リリアンナの身を案じてのことだというのは間違いじゃない。
だが、それにも増してランディリックの胸の奥で渦巻くのは、リリアンナがやたらとカイルにばかり心を向けていることを苦々しく感じるどす黒い感情だった――。
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