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第三章
十四話
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ずいぶんと眠そうな顔だな。徹夜か……それはそれは。ご苦労さん。こっちは問題ないよ。なんとかうまくやってる。寝言がうるさいのは勘弁してほしいけど。
そっちは?
……へえ。まあ、そうだろうね。人数はどれくらいだ? 場合によってはこっちでも対応しなきゃいけなくなるけど……そう。じゃあ予定通りに。
なあ、なにか食べ物持ってないか? 食料を切らしててね。まだ時間がかかりそうだから、なにかわけて欲しいんだけど。
なんだよ。なにもないのか。じゃあその辺の動物狩ってもいいか? 怒るなよ。冗談だ。
そうだ。あれは彼女に返したよ。大事そうに握りしめている。大丈夫。持ってるだけなら特に問題ないから。というか、力の向きが違うからどうなることもない。それは君だってわかっているだろう。
はあ。明日はきっと雨だね。風が冷たいし、山から雨の臭いがしてきた。嫌だなあ。濡れるの嫌なんだよね。
なに、そろそろ行くの? 顔見てかなくていいのか? 今ならぐっすりだと思うけど……そう。まあその方がいいかもしれない。わかった。計画通りに進めよう。恐らく、早ければ明日の夜には全てが終わっている。君はそれまで追跡の目を誤魔化してくれ。
それで? いや、わかってるでしょ。こっちは依頼通りにしているんだけど? 早くしろ。
へえ。これがそのリストか。いいよ。今はこれで問題ない。
それじゃ、次は……。
◇◇◇
翌朝、地面に降り注ぐ雨音で目が覚めた。隣を見るとすでにアーリィの姿はなく、寝ていたであろう場所に手を当てても熱は残っていなかった。
「まただ……。どこ行ってるんだろ」
天幕から出ると、外はしとしとと雨が降っていた。幸い雨足は弱いが、肌に張りつくような湿気が気持ち悪い。今日は気温が低いのか、ブーツを履いた足先が冷水に浸したように冷たくなっていくのがわかった。
どうするべきか逡巡したが、寒さには勝てずに火を起すことにした。幸い張り出した木の枝が焚火痕のうえにあったので、雨に濡れることはなかったようだ。
心のなかでラウルに謝罪しながらバックパックからチリ紙をとり出し、天幕内にあった薪用の薪を数本とって並べてマッチを擦る。小鳥の心臓ほどの小さな火が脈打ち、チリ紙に燃え移る。薪をくべてしばらくすると、バチバチと音を立て始めた。
できるだけ濡れていなくて座りやすい石を探し出して、焚火の前に陣取る。揺れる炎が大きさを絶えず変えていく様子を眺めていると人型のアシュマンのことを思い出した。
「やっぱりなにか言われたような気がすんだよねえ」
右耳を指で撫でる。
「アシュマンの言語か……」
もし勘違いでなければ、あの人型はなにかを伝えようとしていことになる。ただの人であるミーシャには伝わらないことはわかっていたにもかかわらず。
「今もいるのかな……」
辺りを見渡す。雨の降る森は、気温も低くて普段より白っぽく見えて寒々しい。
底冷えする寒さに、心細さが募ってきた。
「えっと……もしもーし。誰かいますかー?」
焚火に向かって呼びかけてみる。当然返答はない。
「あのとき、なんて言ってたんですか? 教えてくださーい……」
風はほとんどないので横から吹きつけてくることはないが、枝葉の間をすり抜けた雨粒が顔や手先の保護されていない部分に落ちてくる。
膝を抱えて見えない相手の返答を待ち続けていたが、やはり答えてはくれないようだ。
「やっぱりあたしだけじゃ無理か」
アシュマンと人間は住む世界が違う。二つの世界には目には見えない境界線があり、交わることはない。その隔たりを越えることができるのは、ルグリと強い力を持ったアシュマンだけ。
特別な力を持つアーリィを羨ましく思う。二つの世界を見ることができるアーリィなら、こんな寂しさを覚えずともいいのだから。
「お腹すいたなあ」
アシュマンと言葉を交わすのを早々に諦めると、いつアーリィが戻ってきてもいいように朝食の準備をすることにした。とはいっても、食材が豊富にあるわけじゃないので、昨日の夕飯と同じ内容だが。
全ての準備が整ってしばらくたっても帰ってく気配がないので、手持ち無沙汰のミーシャはバックパックの中身を整理することにした。
ライフルの弾薬がニ十発、サバイバルナイフ、血まみれのマップ、非常用のランタンセット、簡易応急処置キットに手帳とペン。他にタオルは二枚あるが、これはミーシャの血で赤黒く染まっている。
非常食の残りは五食分。これがなくなるまでがタイムリミットとなる。昨日と比べて体の調子はだいぶよくなってきてはいるが、食料がなくなれば体調維持も難しくなる。
悪化させて動けなくなれば、後は肉食動物の餌になる未来しかない。
そうなればいくら契約を交わしているとはいえ、アーリィに見捨てられないとも限らない。
そんなことをするようには見えないが、利害関係がなくなれば人という生き物は簡単に冷徹になれる生き物だ。自分の身は自分で守れるようでなくてはならない。
「おはよう。起きていたか」
アーリィが戻ってきたのは、バックパックの整理が丁度終わったころだった。どこへ行っていたのか尋ねると、乙女には色々あるのだと濁された。こっちの裸を見たときには女同士なんだからと言っていたくせに、自分はそんなことを言うのか嫌味を込めて返したが、特に気にした様子もなくさっさと食事の席についてしまった。
「今日は縁起がいい」
鉛色の空を見つめていたアーリィがぽつりと呟いた。
「雨は二つの世界の境界線を薄くする。特に今日のような雨の降り具合はね。人の気配もアシュマンの気配も薄くなって曖昧になる」
「そう、ですか」
「なに、嬉しくないの?」
「そんなことないですけど……なんか緊張しちゃって」
アーリィは軽く鼻を鳴らすと、立ちあがり天幕に向かった。
「今日は寒いな。暖かい恰好をして行こう。私は少し準備があるから、それまでに君も身支度をすませておくように」
そっけなく言うと、それっきりアーリィは天幕に引きこもってしまった。
「話くらい聞いてくれたっていいのに……。ていうかご飯はどうすんのよ」
勝手な期待だとはわかりつつも、アーリィのあまりの素っ気なさについ愚痴が零れる。
一人焚火の前で物思いに耽る。あれだけ会いたがっていたというのに、いざその瞬間が現実味を帯び始めると、だんだんと怖くなってきてしまっていた。
目的が達成されて父と再会できたとして、父はあたしをちゃんと娘だとわかってくれるだろうか。そもそも、父はあのときの父のままなのだろうか。
十年という時間は、あまりにも重い。川の流れが山を削り、いつしか深い谷を作るように、埋めがたい溝はできてしまえば修復することは不可能だ。
ちゃんと元の家族に戻れるのだろうか。自身に問いかけて、見つからない答えに怖くなって、苛立って、泣きたくなって。
虹が今日見つかるかもしれないと聞いて、その考えは増すばかりだ。
山の天気のようにころころ変わる感情にミーシャの心は乱されていた。だから、気持ちを整理させるためにも話をしたかったのだが。
結局アーリィが天幕から出てくるまで、ミーシャはやきもきとしたまま膝を抱えてすごすことしかできなかった。
ずいぶんと眠そうな顔だな。徹夜か……それはそれは。ご苦労さん。こっちは問題ないよ。なんとかうまくやってる。寝言がうるさいのは勘弁してほしいけど。
そっちは?
……へえ。まあ、そうだろうね。人数はどれくらいだ? 場合によってはこっちでも対応しなきゃいけなくなるけど……そう。じゃあ予定通りに。
なあ、なにか食べ物持ってないか? 食料を切らしててね。まだ時間がかかりそうだから、なにかわけて欲しいんだけど。
なんだよ。なにもないのか。じゃあその辺の動物狩ってもいいか? 怒るなよ。冗談だ。
そうだ。あれは彼女に返したよ。大事そうに握りしめている。大丈夫。持ってるだけなら特に問題ないから。というか、力の向きが違うからどうなることもない。それは君だってわかっているだろう。
はあ。明日はきっと雨だね。風が冷たいし、山から雨の臭いがしてきた。嫌だなあ。濡れるの嫌なんだよね。
なに、そろそろ行くの? 顔見てかなくていいのか? 今ならぐっすりだと思うけど……そう。まあその方がいいかもしれない。わかった。計画通りに進めよう。恐らく、早ければ明日の夜には全てが終わっている。君はそれまで追跡の目を誤魔化してくれ。
それで? いや、わかってるでしょ。こっちは依頼通りにしているんだけど? 早くしろ。
へえ。これがそのリストか。いいよ。今はこれで問題ない。
それじゃ、次は……。
◇◇◇
翌朝、地面に降り注ぐ雨音で目が覚めた。隣を見るとすでにアーリィの姿はなく、寝ていたであろう場所に手を当てても熱は残っていなかった。
「まただ……。どこ行ってるんだろ」
天幕から出ると、外はしとしとと雨が降っていた。幸い雨足は弱いが、肌に張りつくような湿気が気持ち悪い。今日は気温が低いのか、ブーツを履いた足先が冷水に浸したように冷たくなっていくのがわかった。
どうするべきか逡巡したが、寒さには勝てずに火を起すことにした。幸い張り出した木の枝が焚火痕のうえにあったので、雨に濡れることはなかったようだ。
心のなかでラウルに謝罪しながらバックパックからチリ紙をとり出し、天幕内にあった薪用の薪を数本とって並べてマッチを擦る。小鳥の心臓ほどの小さな火が脈打ち、チリ紙に燃え移る。薪をくべてしばらくすると、バチバチと音を立て始めた。
できるだけ濡れていなくて座りやすい石を探し出して、焚火の前に陣取る。揺れる炎が大きさを絶えず変えていく様子を眺めていると人型のアシュマンのことを思い出した。
「やっぱりなにか言われたような気がすんだよねえ」
右耳を指で撫でる。
「アシュマンの言語か……」
もし勘違いでなければ、あの人型はなにかを伝えようとしていことになる。ただの人であるミーシャには伝わらないことはわかっていたにもかかわらず。
「今もいるのかな……」
辺りを見渡す。雨の降る森は、気温も低くて普段より白っぽく見えて寒々しい。
底冷えする寒さに、心細さが募ってきた。
「えっと……もしもーし。誰かいますかー?」
焚火に向かって呼びかけてみる。当然返答はない。
「あのとき、なんて言ってたんですか? 教えてくださーい……」
風はほとんどないので横から吹きつけてくることはないが、枝葉の間をすり抜けた雨粒が顔や手先の保護されていない部分に落ちてくる。
膝を抱えて見えない相手の返答を待ち続けていたが、やはり答えてはくれないようだ。
「やっぱりあたしだけじゃ無理か」
アシュマンと人間は住む世界が違う。二つの世界には目には見えない境界線があり、交わることはない。その隔たりを越えることができるのは、ルグリと強い力を持ったアシュマンだけ。
特別な力を持つアーリィを羨ましく思う。二つの世界を見ることができるアーリィなら、こんな寂しさを覚えずともいいのだから。
「お腹すいたなあ」
アシュマンと言葉を交わすのを早々に諦めると、いつアーリィが戻ってきてもいいように朝食の準備をすることにした。とはいっても、食材が豊富にあるわけじゃないので、昨日の夕飯と同じ内容だが。
全ての準備が整ってしばらくたっても帰ってく気配がないので、手持ち無沙汰のミーシャはバックパックの中身を整理することにした。
ライフルの弾薬がニ十発、サバイバルナイフ、血まみれのマップ、非常用のランタンセット、簡易応急処置キットに手帳とペン。他にタオルは二枚あるが、これはミーシャの血で赤黒く染まっている。
非常食の残りは五食分。これがなくなるまでがタイムリミットとなる。昨日と比べて体の調子はだいぶよくなってきてはいるが、食料がなくなれば体調維持も難しくなる。
悪化させて動けなくなれば、後は肉食動物の餌になる未来しかない。
そうなればいくら契約を交わしているとはいえ、アーリィに見捨てられないとも限らない。
そんなことをするようには見えないが、利害関係がなくなれば人という生き物は簡単に冷徹になれる生き物だ。自分の身は自分で守れるようでなくてはならない。
「おはよう。起きていたか」
アーリィが戻ってきたのは、バックパックの整理が丁度終わったころだった。どこへ行っていたのか尋ねると、乙女には色々あるのだと濁された。こっちの裸を見たときには女同士なんだからと言っていたくせに、自分はそんなことを言うのか嫌味を込めて返したが、特に気にした様子もなくさっさと食事の席についてしまった。
「今日は縁起がいい」
鉛色の空を見つめていたアーリィがぽつりと呟いた。
「雨は二つの世界の境界線を薄くする。特に今日のような雨の降り具合はね。人の気配もアシュマンの気配も薄くなって曖昧になる」
「そう、ですか」
「なに、嬉しくないの?」
「そんなことないですけど……なんか緊張しちゃって」
アーリィは軽く鼻を鳴らすと、立ちあがり天幕に向かった。
「今日は寒いな。暖かい恰好をして行こう。私は少し準備があるから、それまでに君も身支度をすませておくように」
そっけなく言うと、それっきりアーリィは天幕に引きこもってしまった。
「話くらい聞いてくれたっていいのに……。ていうかご飯はどうすんのよ」
勝手な期待だとはわかりつつも、アーリィのあまりの素っ気なさについ愚痴が零れる。
一人焚火の前で物思いに耽る。あれだけ会いたがっていたというのに、いざその瞬間が現実味を帯び始めると、だんだんと怖くなってきてしまっていた。
目的が達成されて父と再会できたとして、父はあたしをちゃんと娘だとわかってくれるだろうか。そもそも、父はあのときの父のままなのだろうか。
十年という時間は、あまりにも重い。川の流れが山を削り、いつしか深い谷を作るように、埋めがたい溝はできてしまえば修復することは不可能だ。
ちゃんと元の家族に戻れるのだろうか。自身に問いかけて、見つからない答えに怖くなって、苛立って、泣きたくなって。
虹が今日見つかるかもしれないと聞いて、その考えは増すばかりだ。
山の天気のようにころころ変わる感情にミーシャの心は乱されていた。だから、気持ちを整理させるためにも話をしたかったのだが。
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