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第五章
二十九話
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「今日の捜索は特区Ⅰ、Ⅱ、Ⅲを中心に行う。皆、連日の捜索で疲弊しているのは重々承知しているが、今日も頼んだぞ」
ミーティングを早々にすませ、班員が荷馬車に乗り込むのを見送った。
本来なら陣頭指揮を執りたいところだが、今日はどうしても外せない仕事がある。一か月後にある、都からの研究者の訪問に関する打合せを行わなければならない。
責任者としてどうしても欠席できない打合せなので、本日の捜索には参加することができなかった。
代わりにトーラスが陣頭指揮を執ることになっている。昨日無理やり休ませたおかげで、やけに気合がはいっていた。その気合が空回りしないといいのだが。
「ラウルさん。おはようございます」
「ああ。おはよう」
自室に戻る最中、事務の女性職員にばったり出くわした。
「お見送りですか?」
「ああ。本当は俺も行きたいんだが、今日は外せない打合せがあるからな」
「あれ、ラウルさん聞いてないんですか?」
「なにがだ?」
「打ち合わせの件ですが、延期になりましたよ?」
「なに!? 聞いてないぞ。いつそんな話しが」
「なんでも王都のほうで派遣する研究員の調整がつかなかったそうで、しばらく延期することになったと、昨日書簡で連絡がありましたけど」
「全く、また前日にそんな大切な連絡の書簡を送ってきやがったのか。というか、そんな話誰からも聞いてないが」
「ラウルさんはミーシャちゃんの捜索で監督署にいなかったから、もしかしたら連絡がどこかで止まったままなのかもしれませんね。すみません。あたしの管理が行き届いていなくて、お手を煩わせてしまって」
「……いや。誰もこない会議室で一日すごす羽目にならなくてすんだ。ありがとう。俺がいない間に溜まっている書類はあるかな」
「えっと……今のところは大丈夫ですよ。こちらで仕分けして、必要なもの以外は振りわけておきましたから。ラウルさんいつも仕事ため込みすぎなんですよ。責任感があるのは素敵ですけど、もっと皆を頼ってくれてもいいんですよ?」
「そう、か。すまないな。これじゃあどっちが上司かわからないな」
場を和ませるためにおどけてみたが、女性職員は眉を怒らせてみせると、まるで教師が生徒に言い聞かせるような口調でラウルを叱り始める。
「そうじゃないです。上司とか部下とかは関係ありません。同じモデールで働く仲間じゃないですか。ラウルさんが色々な重責を抱えて悩んでいるのは皆知っています。でも、ラウルさんは皆に自分の弱みを見せるのをよしとしないじゃないですか。損ですよ。もっと周りを見てください。皆ラウルさんの力になりたいんです。ラウルさんが自分の殻に閉じこもっていたら、誰も助けられないじゃないですか」
年下女性班員からのお言葉に、ラウルは頭を掻いて苦笑いを浮かべるしかできなかった。悟られないようにしていたつもりだったが、やはり周りにはわかってしまうものなのだ。
「もう一回言いますよ? 一人で抱え込まないでください。皆で、モデール監督署なんですから」
「そうだな。これからは皆をもっと頼るようにするよ」
女性職員は満足そうに笑みを浮かべて頷くと、足早に去っていった。
「もっと頼る、か」
思えば十年前に監督署の責任者になってから仕事で誰かを頼るという概念を持ったことはなかった。
もちろん仕事を円滑に行うために人員配置や、仕事内容の変更をお願いしたことはある。だか、それはあくまで適材適所、仕事に不備がないようにするために権限を使ったというだけのこと。
仕事を与え、達成するまでのフォローを含め指示出しをする。それが人のうえに立つ者の仕事だ。
この森で森林保護官として働く以上、失敗は許されない。この仕事が扱うのは森全体の命そのものだから。
人が足りない、装備が古い、備品が不足している。もしなにかあったとき、これらは言いわけにはならない。
責任者として事前に仕事に関する全ての問題点は把握しておかなければならず、改善提案、改善協議、改善実施、改善が終わることはない。人の流動や備品の経年劣化など、コントロ―ルが難しく、不安点を完全に排除するということは事実不可能だ。潰しても潰しても、どこからでも湧き出てくる害虫を全て根絶することはできない。
だからといって、これくらいでいいだろうと妥協をすることは信念に反する。どんなときでも、最善の結果を。途中道を逸れることがあったとしても、最後には最善の結果をもたらす。それがラウルの矜持だった。
これは尊敬する人の背中を見て、学んだことだ。この十年、その学んだことを心の支えとして生きてきた。
心のなかの芯になるところに刻まれた背中。どれだけ時間がかかろうとも、ラウルのなかで、その後ろ姿が風化することはない。
いつまでも変わらないあの背中。追い求めて、届かなかったあの背中。
「俺は届かなかったなあ」
土台無理な話だった。憧れは輝いて見えるから手を伸ばし、実現しようと努力する。しかし、現実は影になって見えなくなっていた部分を前に膝を折ってしまうことがほとんどだ。
燦然と燃え続ける太陽を触ってみたいと子供のころに何度も手を伸ばした。
それが無意味な行為だと気づくのは、追い求め、現実を直視したときだ。
自分の立っている場所と憧れを比べて悟る。
その悟りはあまりにも酷なものだ。
生きる気力を保つことが難しくなってしまうほどに。
「こりゃ、また溜まっちまったな」
自室に戻ると机のうえに書類が積まれていた。手にとって内容を確認する。都に提出する環境保全に関する報告書や、監督署内の設備の補修費申請。それに今回のアーリィ・リアトリスの襲撃に対する書きかけの報告書。その他雑務のものが多い。
「ったく……。でも、いつもよりは少ないか。そういえば振り分けしてくれたと言っていたっけか」
積まれた書類を改めると、普段どれだけ自分が仕事を抱え込んでいたのかをまざまざと理解させられる。女性職員の満足気な顔が浮かんでくるようだった。
椅子に座り積まれた書類に手をつけるが、つい溜息が零れる。元々書類仕事は好きではなかった。都のお偉いさんはあがってくる報告書の数字の推移にしか興味がない。どれだけモデールが金を生み出せたのかにしか興味がないのだ。
いついかなるときも金のことが頭の片隅にちらつく。あの設備の調子が悪い、今月は消耗品の消費が早い、保護している動植物の治療費がかさむなど、支出に関して敏感になった。
年二回の都の政治家の視察の際、必ず運用資金に関して詰問される。主に運営方針の変更や、コスト削減で職員の人数削減を勧められる。早い話が、もっと金になる事業内容に変更しろというのだ。彼らは森林保護という概念を理解するつもりなどない。どれだけ金を生み出すことができるのか。それ以外のことは全く興味がないのだ。
そんな守銭奴の相手は胃が痛くなる。学があるわけでもないのに、聞きなれない難しい言葉の飛び交う会議などは異国に放り出されたよう気分で、今こそ慣れたものだが始めは無学を晒し、惨めな思いもした。
職員の前ではそのようなところは噯にも出さないようにしていたが、さきほどの女性職員の様子から察するに、表情や雰囲気に出てしまっていたのだろう。
そう思うと恥ずかしさが込みあげてくる。と同時に、その恥ずかしさが心地よかった。だからこそ、自分にそれだけの価値があるのかと不安になってしまう。
俺は皆に信頼を寄せられるだけの人間なのだろうかと。
気がつくと手が止まっていた。机の書類はまだまだ半分以上残っている。今日中に片づけなければならないというのに、どうしても手が進まない。
溜息と共に万年筆を放り出し、椅子に身を預けそのまま椅子ごと反転させる。外はいつの間にか茜色に染まっていた。
「どうなったかなあ」
眺める空に思うことは捜索に発った職員のことだった。前日に発見したミーシャの足跡。再検証した結果、やはりあの足跡はミーシャに支給されたブーツのものと判明した。ミーシャは生きている。その事実が確定しただけでも行幸だ。
だが、ラウルにはずっと気がかりになっていることがあった。
ミーシャは自分の意思でアーリィ・リアトリスと共に行動している。目的はわかっている。父親のことだろう。
グリフィス・シェルズ。
ミーシャは父親が失踪した理由を探すため、モデール監督署にやってきたということはすでに監督署内では周知されている。
そのことに関してあえて口を出す職員はいない。口を出すなど、どうしてできようか。幼い子供から父親を奪う結果になってしまったというのに。
十年経っても、ミーシャは未だに一人で誰にも助けを求めずに父親の行方を探し求めている。
ラウルはミーシャが誰にも助力を求めない理由に心当たりがあった。
それは恨んでいるのではないかということだ。
本心では裏切者だと見限っているからこそ、表面では皆を信頼している様に振舞い、実際は猜疑心を抱いている。明かすわけにはいかない。この人たちは父を諦めた人たちなのだから、と。
こんなことを考えてしまう自分の愚かさは重々理解している。ミーシャを疑うなど、自分の存在意義を疑うことと同義だ。
そして、自嘲する。
猜疑心を抱いているのはもしかしたらラウル自身かもしれない。
ミーシャはなにも言わない。それがもどかしくて、つい過保護にしてしまう。
今以上に距離が縮まれば本心を打ち明けてくれるのではないかと思ってしまうのだ。
歪だ。一人の子供に気を使い恐れている。
どうすればこの状況を打破することができるのかわからない。
「貴方だったらどうしますか、グリフィスさん」
5章 了
「今日の捜索は特区Ⅰ、Ⅱ、Ⅲを中心に行う。皆、連日の捜索で疲弊しているのは重々承知しているが、今日も頼んだぞ」
ミーティングを早々にすませ、班員が荷馬車に乗り込むのを見送った。
本来なら陣頭指揮を執りたいところだが、今日はどうしても外せない仕事がある。一か月後にある、都からの研究者の訪問に関する打合せを行わなければならない。
責任者としてどうしても欠席できない打合せなので、本日の捜索には参加することができなかった。
代わりにトーラスが陣頭指揮を執ることになっている。昨日無理やり休ませたおかげで、やけに気合がはいっていた。その気合が空回りしないといいのだが。
「ラウルさん。おはようございます」
「ああ。おはよう」
自室に戻る最中、事務の女性職員にばったり出くわした。
「お見送りですか?」
「ああ。本当は俺も行きたいんだが、今日は外せない打合せがあるからな」
「あれ、ラウルさん聞いてないんですか?」
「なにがだ?」
「打ち合わせの件ですが、延期になりましたよ?」
「なに!? 聞いてないぞ。いつそんな話しが」
「なんでも王都のほうで派遣する研究員の調整がつかなかったそうで、しばらく延期することになったと、昨日書簡で連絡がありましたけど」
「全く、また前日にそんな大切な連絡の書簡を送ってきやがったのか。というか、そんな話誰からも聞いてないが」
「ラウルさんはミーシャちゃんの捜索で監督署にいなかったから、もしかしたら連絡がどこかで止まったままなのかもしれませんね。すみません。あたしの管理が行き届いていなくて、お手を煩わせてしまって」
「……いや。誰もこない会議室で一日すごす羽目にならなくてすんだ。ありがとう。俺がいない間に溜まっている書類はあるかな」
「えっと……今のところは大丈夫ですよ。こちらで仕分けして、必要なもの以外は振りわけておきましたから。ラウルさんいつも仕事ため込みすぎなんですよ。責任感があるのは素敵ですけど、もっと皆を頼ってくれてもいいんですよ?」
「そう、か。すまないな。これじゃあどっちが上司かわからないな」
場を和ませるためにおどけてみたが、女性職員は眉を怒らせてみせると、まるで教師が生徒に言い聞かせるような口調でラウルを叱り始める。
「そうじゃないです。上司とか部下とかは関係ありません。同じモデールで働く仲間じゃないですか。ラウルさんが色々な重責を抱えて悩んでいるのは皆知っています。でも、ラウルさんは皆に自分の弱みを見せるのをよしとしないじゃないですか。損ですよ。もっと周りを見てください。皆ラウルさんの力になりたいんです。ラウルさんが自分の殻に閉じこもっていたら、誰も助けられないじゃないですか」
年下女性班員からのお言葉に、ラウルは頭を掻いて苦笑いを浮かべるしかできなかった。悟られないようにしていたつもりだったが、やはり周りにはわかってしまうものなのだ。
「もう一回言いますよ? 一人で抱え込まないでください。皆で、モデール監督署なんですから」
「そうだな。これからは皆をもっと頼るようにするよ」
女性職員は満足そうに笑みを浮かべて頷くと、足早に去っていった。
「もっと頼る、か」
思えば十年前に監督署の責任者になってから仕事で誰かを頼るという概念を持ったことはなかった。
もちろん仕事を円滑に行うために人員配置や、仕事内容の変更をお願いしたことはある。だか、それはあくまで適材適所、仕事に不備がないようにするために権限を使ったというだけのこと。
仕事を与え、達成するまでのフォローを含め指示出しをする。それが人のうえに立つ者の仕事だ。
この森で森林保護官として働く以上、失敗は許されない。この仕事が扱うのは森全体の命そのものだから。
人が足りない、装備が古い、備品が不足している。もしなにかあったとき、これらは言いわけにはならない。
責任者として事前に仕事に関する全ての問題点は把握しておかなければならず、改善提案、改善協議、改善実施、改善が終わることはない。人の流動や備品の経年劣化など、コントロ―ルが難しく、不安点を完全に排除するということは事実不可能だ。潰しても潰しても、どこからでも湧き出てくる害虫を全て根絶することはできない。
だからといって、これくらいでいいだろうと妥協をすることは信念に反する。どんなときでも、最善の結果を。途中道を逸れることがあったとしても、最後には最善の結果をもたらす。それがラウルの矜持だった。
これは尊敬する人の背中を見て、学んだことだ。この十年、その学んだことを心の支えとして生きてきた。
心のなかの芯になるところに刻まれた背中。どれだけ時間がかかろうとも、ラウルのなかで、その後ろ姿が風化することはない。
いつまでも変わらないあの背中。追い求めて、届かなかったあの背中。
「俺は届かなかったなあ」
土台無理な話だった。憧れは輝いて見えるから手を伸ばし、実現しようと努力する。しかし、現実は影になって見えなくなっていた部分を前に膝を折ってしまうことがほとんどだ。
燦然と燃え続ける太陽を触ってみたいと子供のころに何度も手を伸ばした。
それが無意味な行為だと気づくのは、追い求め、現実を直視したときだ。
自分の立っている場所と憧れを比べて悟る。
その悟りはあまりにも酷なものだ。
生きる気力を保つことが難しくなってしまうほどに。
「こりゃ、また溜まっちまったな」
自室に戻ると机のうえに書類が積まれていた。手にとって内容を確認する。都に提出する環境保全に関する報告書や、監督署内の設備の補修費申請。それに今回のアーリィ・リアトリスの襲撃に対する書きかけの報告書。その他雑務のものが多い。
「ったく……。でも、いつもよりは少ないか。そういえば振り分けしてくれたと言っていたっけか」
積まれた書類を改めると、普段どれだけ自分が仕事を抱え込んでいたのかをまざまざと理解させられる。女性職員の満足気な顔が浮かんでくるようだった。
椅子に座り積まれた書類に手をつけるが、つい溜息が零れる。元々書類仕事は好きではなかった。都のお偉いさんはあがってくる報告書の数字の推移にしか興味がない。どれだけモデールが金を生み出せたのかにしか興味がないのだ。
いついかなるときも金のことが頭の片隅にちらつく。あの設備の調子が悪い、今月は消耗品の消費が早い、保護している動植物の治療費がかさむなど、支出に関して敏感になった。
年二回の都の政治家の視察の際、必ず運用資金に関して詰問される。主に運営方針の変更や、コスト削減で職員の人数削減を勧められる。早い話が、もっと金になる事業内容に変更しろというのだ。彼らは森林保護という概念を理解するつもりなどない。どれだけ金を生み出すことができるのか。それ以外のことは全く興味がないのだ。
そんな守銭奴の相手は胃が痛くなる。学があるわけでもないのに、聞きなれない難しい言葉の飛び交う会議などは異国に放り出されたよう気分で、今こそ慣れたものだが始めは無学を晒し、惨めな思いもした。
職員の前ではそのようなところは噯にも出さないようにしていたが、さきほどの女性職員の様子から察するに、表情や雰囲気に出てしまっていたのだろう。
そう思うと恥ずかしさが込みあげてくる。と同時に、その恥ずかしさが心地よかった。だからこそ、自分にそれだけの価値があるのかと不安になってしまう。
俺は皆に信頼を寄せられるだけの人間なのだろうかと。
気がつくと手が止まっていた。机の書類はまだまだ半分以上残っている。今日中に片づけなければならないというのに、どうしても手が進まない。
溜息と共に万年筆を放り出し、椅子に身を預けそのまま椅子ごと反転させる。外はいつの間にか茜色に染まっていた。
「どうなったかなあ」
眺める空に思うことは捜索に発った職員のことだった。前日に発見したミーシャの足跡。再検証した結果、やはりあの足跡はミーシャに支給されたブーツのものと判明した。ミーシャは生きている。その事実が確定しただけでも行幸だ。
だが、ラウルにはずっと気がかりになっていることがあった。
ミーシャは自分の意思でアーリィ・リアトリスと共に行動している。目的はわかっている。父親のことだろう。
グリフィス・シェルズ。
ミーシャは父親が失踪した理由を探すため、モデール監督署にやってきたということはすでに監督署内では周知されている。
そのことに関してあえて口を出す職員はいない。口を出すなど、どうしてできようか。幼い子供から父親を奪う結果になってしまったというのに。
十年経っても、ミーシャは未だに一人で誰にも助けを求めずに父親の行方を探し求めている。
ラウルはミーシャが誰にも助力を求めない理由に心当たりがあった。
それは恨んでいるのではないかということだ。
本心では裏切者だと見限っているからこそ、表面では皆を信頼している様に振舞い、実際は猜疑心を抱いている。明かすわけにはいかない。この人たちは父を諦めた人たちなのだから、と。
こんなことを考えてしまう自分の愚かさは重々理解している。ミーシャを疑うなど、自分の存在意義を疑うことと同義だ。
そして、自嘲する。
猜疑心を抱いているのはもしかしたらラウル自身かもしれない。
ミーシャはなにも言わない。それがもどかしくて、つい過保護にしてしまう。
今以上に距離が縮まれば本心を打ち明けてくれるのではないかと思ってしまうのだ。
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