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終章
六十四話
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──終幕──
64
「今回モデールで発生した灰菌症は幸いなことに被害は限定的で、ある人物の協力もあり、被害拡大を防ぐことができた。これも皆が団結し、問題を乗り越えようと尽力してくれたおかげだ」
会議室には安堵の溜息や、お互いを称え合う声があちらこちらからあがっている。
「今回の件について、俺は全てにおいて後手に回ってしまった。ミーシャの失踪に始まり、自然現象による特区内の破壊。そして灰菌症の発生。これらについて俺は責任者でありながら有効な手を打てなかった」
不思議なことに魔人の姿を見たものは、ラウル以外誰もいなかった。
正直に説明するべきかとても悩んだ。しかし、目に見えない魔人という存在が、森の一部を破壊してしまったなどという荒唐無稽な話を職員に告げるのは憚られた。だから、魔人によって引き起こされた被害については、突発的な雷と竜巻による自然現象であると職員には説明してある。
「皆の力があってこそ、今回の難局を乗り越えられた。監督署を代表して礼を言わせてほしい。本当にありがとう」
喝采に包まれた会議室はしばらくの間、猛る熱気に満たされていた。
◇◇◇
職員が持ち場に戻り、一人で会議室の後片づけを行っていると背後に人の気配を感じた。
「こんな時間に出勤とはいいご身分だな。商館の主人にでもなったのか?」
振り返ると不貞腐れたような顔をしたトーラスが扉に背を預けてこちらを睨みつけていた。
「全く……いい加減自分で見舞に行けばいいだろう」
「……ふん」
ここ数日、トーラスは毎日仕事に遅刻している。その理由はミーシャだった。
現在ミーシャには宿舎で療養を命じていて、ラウルは毎日仕事終わりにミーシャの様子を見に行っている。
女子宿舎に男性が立ち入るのは本来禁止されているが、共有スペースで短時間の面会と言う条件つきで女性職員から許可を貰うことができたのだ。
一応申請すればトーラスも面会できるのだが顔を合わせづらいのかいじいじと悩んでいて、仕事が終わってから夜中までそんな調子でいるので、朝起きれなくて遅刻するという負の連鎖に陥っている。
「そんで? あいつはどんな様子だった」
「昨日と変わらん。暇だから部屋で簡単なトレーニングをしていると言っていた」
そして、遅刻してきて一番最初にすることといえば、こうして前日のミーシャの様子をラウルに尋ねることだった。
「大丈夫なのかよ」
「本人が大丈夫と言っているのだから、俺は口出ししない」
ため息交じりにラウルが言うと、トーラスは不満そうな顔をした。
「あいつはもう守られるばかりの子供じゃない。このモデール森林監督署の立派な一職員だ」
「まだ十五だぜ」
「だからなんだっていうんだ? 俺やお前がその歳のころは、もう世間で大人たちと対等にやり合っていただろう。あいつも同じだ。一端の大人だよ」
心配する気持ちがないわけではない。だが、ラウルは余計な口出しはしないと決めたのだ。
「……こんな気持ちグリフィスさんに申しわけないが」
「あん?」
「子離れってのは、やっぱり寂しいもんだな。だが、それが喜びでもある」
鼻の頭を掻きながら、尊敬する上司へ後ろめたさを感じつつラウルは言った。
「俺も……変わらなきゃならねえか」
「関わり方ってのはたくさんあるんだ。いつまでも同じような接し方じゃ、お互い成長しない。成長する子を黙って見守るってのは、どうにも心にぽっかり穴が開いちまったような気分になるが、なにも失っちまうわけじゃない。何年後かにきっと開いた穴を満たすもんが得られるんだ」
「なんだよ、得られるものって」
「喜びだよ」
ラウルの言葉に、それでも得心がいかないという顔で黙りこくるトーラスを見て、ちょっと可笑しくなって吹き出してしまった。
「笑うなよ!」
「ふははは。お前もいつかわかるようになるさ」
会議室の清掃を終え、ドアの前でいきり立つトーラスの元へ行き肩に手を乗せる。
「なにかを変えたいのならきっかけが必要だ。そうやってうじうじしているのはお前には似合わないぞ」
痛いところを突かれたからか、トーラスは鼻に皺を寄せてラウルの手を振り払う。
「……午前は休みにしてくれ」
「いいだろう。だが、仕事は山ほどあるんだ。午後からは馬車馬のように働いてもらうぞ」
返事はなかった。だが、廊下を走り抜ける足音を聞いて、ラウルは喜びを隠すように眉を掻いた。
◇◇◇
一日中部屋に籠っていると、どうにも時間が経つのが遅い。始めは読書をして時間を潰していたが、もう何度も読んだ本ということもあって文字列を目が滑るだけで全く集中できなかった。
気分でも変えようと寮内にある共有スペースに行くと、談話用に設けられたテーブルのうえに新聞が置きっぱなしになっているのを見つけた。
椅子を引いて腰掛けると新聞を広げてざっと目を通す。
新聞の一面を飾るのは、アーレイでの蜂起に関する騒動がひと段落したことを伝えるものだった。
どうやらアーレイの駐屯軍は半年前の騒動について、再調査をすることを決定したようだ。また、名前は伏せられているが一部の貴族と軍幹部の癒着を認め、軍拡と増税は当該者が謀反を企てたことによるものであり、本来不必要なものだったと認めた。
貴族と軍幹部は逮捕され、王都ルデリアへ移送されたそうだ。
これによって町民の怒りも、ある程度落ち着くだろう。今後アーレイがどのように変化してくのかはミーシャにはわからないが、よい方向にいくことを願うのみだ。
「やっぱり書かれてないか……」
全ての記事を読み終えて、ミーシャは落胆の溜息をついた。
烙核の海から脱出して早五日。ラウルから療養を命じられ、寮に軟禁状態で外の情報を知る手段が新聞しかなかったミーシャは、もやもやとした気持ちのまますごしていた。というのも、ミーシャはグリフィスと最後の別れの後、例の如く気を失ってしまって事の顛末をラウルからの又聞きでしか知らないのだ。
「魔人はなにがしたかったんだろう」
魔人はミーシャたちを飲み込んだあと姿を現すことはなかった。
アーリィ曰く、気配がなくなったからもうモデールにはいないとのことだ。
結局一体なんの目的があってモデールにやってきたのかはわからずじまいで、森に破壊の爪痕だけを残して去ってしまった。
一方で灰菌症については、ある程度の目途がついたそうだ。
その立役者は意外にもアーリィとキャスウェルだった。
魔人が去った後に、監督署は全職員を動員してモデール全体を調査しようとした。一刻も早く感染被害の把握をしなければならないからだ。しかし、当然ながら防護服も人数も足りない状況でできることは限られていた。
そこで手を差し伸べてくれたのはキャスウェルだった。キャスウェルは森に住むアシュマンたちを率いて森の隅々まで灰菌症に感染している動植物がいないか、調べてくれたらしい。
理由はわからないが、ラウルは烙核の海から戻ってきてからキャスウェルのことが見えなくなってしまったため、アーリィはアシュマンと人を繋ぐ仲介人の役目を果たしてくれたそうだ。
おかげで調査は想定していたよりもだいぶ早く終わり、幸いなことに灰菌症の拡大は確認されなかったため、緊急事態宣言を解除するに至った。しかし、これで終わりというわけではなく、今後都から派遣されてくる医療団との原因究明のための調査は行われるらしい。そうなれば、これまで以上に監督署の負担は増えることになるだろう。
今の穏やかな時間は、これからやってくる嵐の前の静けさなのかもしれない。
「父さん……」
木を組み立てて作った簡素な椅子の背もたれに体を預ける。ぎい、と椅子の悲鳴が聞こえた。
この五日間、同じ考えがぐるぐると頭のなかで巡り続けている。ミーシャはその考えに確信を持っている。しかし、一歩踏み出す勇気というか覚悟というか、とにかく喉の奥に引っかかる魚の骨のようなものがあり、そのせいで悶々とする日々をすごしていた。
「外の空気でも吸いに行こっかな……」
ラウルからは外出しないようにと言われているが、別にちょっとぐらい外に出てもいいだろう。
寮には今朝方に仕事を終えて休んでいる職員もいるので、足音を忍ばせながら外に出る。
玄関を開けると、春独特の土煙を巻きあげる強い風が体を屋内に押し戻すように吹きつけてきた。
風に負けないように上半身を斜めに倒しながら、寮の裏に回る。たどり着いたのは憩いの場と名のついた休憩スペースだ。
外からの目が届かない場所なので休日に女性職員が集まり、主に男性についての愚痴大会を開く場になっている。
ミーシャは三つ並ぶように設置されたベンチには座らず、その先にある木陰で腰をおろした。
横になり目を瞑る。瞼の裏で次々と現れては消えていく模様にしばらく集中する。
柔らかな木漏れ日、少し強い春風に乗って漂ってくるモデールの香り。
全てが心地よかった。空から降った雨粒が木の葉を伝って大地に染み込みモデールを流れる水の一部になるように、今この瞬間、体も心も自然と一体化していくようだ。
その感覚は烙核の海で感じたものと酷似していた。
「おい、具合が悪いのか!?」
不意にかけられた声に薄く目を開くと、こちらを覗きこむトーラスの顔があった。
「ここは男子禁制ですよ」
「なんだよ。寝てただけか」
じっとりとした目つきで咎めるも、トーラスはその視線を無視して隣に腰をおろした。
ミーシャはトーラスを訝しみながら上半身を起こす。
「なにしにきたんですか?」
「え? あーっと……その、なあ」
「……もしかして夜這い」
「んなわけあるかぁ!」
「わかってますよ。冗談じゃないですか。それよりあまり大声出さないでください。夜勤明けで休んでる人だっているんです」
「あ……ああ、わりい」
変な冗談を言ったせいか、トーラスは俯いたまま気まずそうに視線を泳がせる。今日はすごしやすい気温のはずだが、額には油汗が浮かんでいた。
え? もしかして告白でもされるのか……?
トーラスの女好きはミーシャも知るところだが、今までトーラスのミーシャに対する接し方は、年の離れた兄妹にするような、からかいが多分に混ざっているものだった。
丁度そういう扱いを鬱陶しく思う年頃のミーシャは、トーラスのからかいに邪険な対応しかとっていなかった。
異性として意識したことはない。だから、そんな甘い(気持ち悪い)空気になるはずがない。
だとしたら、トーラスの様子がおかしいのは何故だ? そもそも男子禁制を承知のうえで、女子宿舎に足を踏み入れるなんて、いくらトーラスだとしても変だ。
もし他の女性職員に見つかったら、モデール引き回しの刑のうえで、火あぶりにされておかしくはない。冗談抜きで。
「あの、なにか御用がおありでなんでしょうか?」
目的のわからない、態度もおかしいトーラスに、つい敬語になってしまった。
「あー、その……」
「いや、本当になんなんですか」
「ミーシャは、その……俺がアーリィさんと裏で手を組んで色々やってたことは知ってんのか……?」
「はい。ラウルさんから聞きました」
「あぃ……そう、か」
トーラスがアーリィは互いの利益のために一芝居打っていたという話はラウルから聞いていた。
そのことについてミーシャはトーラスを責める気持ちは一切ない。というか、責める資格などないと思った。
むしろ感謝を伝えなければならないのは自分の方だと思っていた。だが、療養という名の軟禁状態ではこちらから会いに行けないし、トーラスはいつまで経っても見舞にこないしで、二人の間の問題は宙に浮いたままとなっていた。
そんなミーシャの気持ちを知らないトーラスは言い淀んでから「あー!」と絶叫して頭を掻きむしった。
やばい。トーラスが壊れた。
「俺は、お前を妹のように思ってきた!」
戦々恐々としているミーシャをよそに、今更な告白からトーラスの吐露は始まった。
「俺にとってグリフィスさんは親父のような人だった。金も住む場所も身寄りもない俺を受け入れて、森林保護官という仕事をくれた。仲間と一緒に働く楽しさを教えてくれた。辛いことも仲間と一緒なら乗り越えられることを教えてくれた。人を信じる心をとり戻させてくれた。そして、家族を知らない俺にミーシャの兄代わりという大役すら与えてくれた。こんなこと言うとお前は嫌がるかもしれねえが、俺は本当に嬉しかったんだ。血が繋がっていようがいまいが関係ねえ。お前が俺を『お兄ちゃん』と呼んでくれた日に、俺は兄貴としてお前を守ると決めたんだ」
トーラスを『お兄ちゃん』と呼んだ記憶はミーシャにはない。多分、記憶も残らないほど小さいころにそう呼んだことがあるのだろう。
自分の知らない記憶をトーラスは大切に覚えていた。その事実がくすぐったくも、少し嬉しい。
「けど、俺は守ることを言いわけにお前の気持ちを無視して暴走しちまってた。お前のためにとした選択が、結果的にお苦しめる結果になっちまった」
「トーラスさん……」
「お前をちゃんと見ようとしない悪い兄貴でごめん」
今回の件で一番苦しんだのは誰なのだろうか。
誰が一番悪かったのだろうか。
どうすれば、こんな悲劇を回避できたのだろうか。
たらればの話を延々と考えてしまう。そして、ありえた未来に後ろ髪を引かれて後悔してしまう。
だが、後悔とは本当に悪いものなのだろうか。
「トーラスさんに謝ってもらう必要なんてありませんよ」
俯いたトーラスの唇が真一文字に結ばれた。
「だって、全部あたしのことを思ってしてくれたことでしょう?」
アーリィは後悔を後から絶えず追いかけてくる死神のようなものだと言っていた。そして、甘い誘惑に負けると人は後悔の渦から逃れられなくなってしまうとも言った。
「最善の選択をしたとしても、それが最良の結果をもたらすとは限らないじゃないですか。だから、あたしたちってずっと後悔し続けてしまうんだと思うんですよ」
きっとミーシャたちは死神に囚われていたのだ。だから、立ち止まり視界を閉ざしてしまった。
人が成長し、前を向くのに必要なことは、誘惑を乗り越え後悔そのものを正しく胸に刻むこと。
綺麗事だと吐き捨てる人はいるだろう。しかし、では向き合わなかった場合の未来はどうなるのだろうか。
答えは言うまでもない。
「アーリィさんに言われたんです。ときがきたら、後悔をしっかりと受け止めるんだって。きっとあたしたちは後悔から目を背け続けてきたんです。選択の責任から目を逸らして、後悔を拒んで出口のない迷路で必死にもがいていた」
なにもかもが等しく与えられるのならば、人はここまで感情に左右されることはない。
「父さんがいなくなってすごく辛かったし、寂しかったです。でも、その代わりに支えてくれる仲間がたくさん隣にいた。迷路から抜け出すきっかけはあったんです。ただ、あたしの準備ができていなかったから見つけられなかった」
右へ左へ。前へ後ろへ。延々と後悔のない道を探し続けることで、未来が変わると信じていた。
一人では立ち向かえないとわかっていながら、誰かを頼ることをしないという矛盾を抱えて生きてきた。
でも、もういい加減向き合うときがきたのだ。
「トーラスお兄ちゃん、いつもあたしを守ってくれてありがとう」
そのことに気づけたから、ミーシャは今度こそ伝える。
寄り添おうとしてくれる大切な家族に。
「……ああ」
人は言葉を忘れてしまいがちだ。気持ちは言葉にしなければ伝わらない。言葉にして相手にぶつけなければ、本心から語りあうことはできない。
そこに気づけたからこそ、できていなかった当たり前をこれから始めようと思った。
「ミーシャも、生きていてくれてありがとう」
幸せだ。こんなにも愛してくれる家族に恵まれて。
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「今回モデールで発生した灰菌症は幸いなことに被害は限定的で、ある人物の協力もあり、被害拡大を防ぐことができた。これも皆が団結し、問題を乗り越えようと尽力してくれたおかげだ」
会議室には安堵の溜息や、お互いを称え合う声があちらこちらからあがっている。
「今回の件について、俺は全てにおいて後手に回ってしまった。ミーシャの失踪に始まり、自然現象による特区内の破壊。そして灰菌症の発生。これらについて俺は責任者でありながら有効な手を打てなかった」
不思議なことに魔人の姿を見たものは、ラウル以外誰もいなかった。
正直に説明するべきかとても悩んだ。しかし、目に見えない魔人という存在が、森の一部を破壊してしまったなどという荒唐無稽な話を職員に告げるのは憚られた。だから、魔人によって引き起こされた被害については、突発的な雷と竜巻による自然現象であると職員には説明してある。
「皆の力があってこそ、今回の難局を乗り越えられた。監督署を代表して礼を言わせてほしい。本当にありがとう」
喝采に包まれた会議室はしばらくの間、猛る熱気に満たされていた。
◇◇◇
職員が持ち場に戻り、一人で会議室の後片づけを行っていると背後に人の気配を感じた。
「こんな時間に出勤とはいいご身分だな。商館の主人にでもなったのか?」
振り返ると不貞腐れたような顔をしたトーラスが扉に背を預けてこちらを睨みつけていた。
「全く……いい加減自分で見舞に行けばいいだろう」
「……ふん」
ここ数日、トーラスは毎日仕事に遅刻している。その理由はミーシャだった。
現在ミーシャには宿舎で療養を命じていて、ラウルは毎日仕事終わりにミーシャの様子を見に行っている。
女子宿舎に男性が立ち入るのは本来禁止されているが、共有スペースで短時間の面会と言う条件つきで女性職員から許可を貰うことができたのだ。
一応申請すればトーラスも面会できるのだが顔を合わせづらいのかいじいじと悩んでいて、仕事が終わってから夜中までそんな調子でいるので、朝起きれなくて遅刻するという負の連鎖に陥っている。
「そんで? あいつはどんな様子だった」
「昨日と変わらん。暇だから部屋で簡単なトレーニングをしていると言っていた」
そして、遅刻してきて一番最初にすることといえば、こうして前日のミーシャの様子をラウルに尋ねることだった。
「大丈夫なのかよ」
「本人が大丈夫と言っているのだから、俺は口出ししない」
ため息交じりにラウルが言うと、トーラスは不満そうな顔をした。
「あいつはもう守られるばかりの子供じゃない。このモデール森林監督署の立派な一職員だ」
「まだ十五だぜ」
「だからなんだっていうんだ? 俺やお前がその歳のころは、もう世間で大人たちと対等にやり合っていただろう。あいつも同じだ。一端の大人だよ」
心配する気持ちがないわけではない。だが、ラウルは余計な口出しはしないと決めたのだ。
「……こんな気持ちグリフィスさんに申しわけないが」
「あん?」
「子離れってのは、やっぱり寂しいもんだな。だが、それが喜びでもある」
鼻の頭を掻きながら、尊敬する上司へ後ろめたさを感じつつラウルは言った。
「俺も……変わらなきゃならねえか」
「関わり方ってのはたくさんあるんだ。いつまでも同じような接し方じゃ、お互い成長しない。成長する子を黙って見守るってのは、どうにも心にぽっかり穴が開いちまったような気分になるが、なにも失っちまうわけじゃない。何年後かにきっと開いた穴を満たすもんが得られるんだ」
「なんだよ、得られるものって」
「喜びだよ」
ラウルの言葉に、それでも得心がいかないという顔で黙りこくるトーラスを見て、ちょっと可笑しくなって吹き出してしまった。
「笑うなよ!」
「ふははは。お前もいつかわかるようになるさ」
会議室の清掃を終え、ドアの前でいきり立つトーラスの元へ行き肩に手を乗せる。
「なにかを変えたいのならきっかけが必要だ。そうやってうじうじしているのはお前には似合わないぞ」
痛いところを突かれたからか、トーラスは鼻に皺を寄せてラウルの手を振り払う。
「……午前は休みにしてくれ」
「いいだろう。だが、仕事は山ほどあるんだ。午後からは馬車馬のように働いてもらうぞ」
返事はなかった。だが、廊下を走り抜ける足音を聞いて、ラウルは喜びを隠すように眉を掻いた。
◇◇◇
一日中部屋に籠っていると、どうにも時間が経つのが遅い。始めは読書をして時間を潰していたが、もう何度も読んだ本ということもあって文字列を目が滑るだけで全く集中できなかった。
気分でも変えようと寮内にある共有スペースに行くと、談話用に設けられたテーブルのうえに新聞が置きっぱなしになっているのを見つけた。
椅子を引いて腰掛けると新聞を広げてざっと目を通す。
新聞の一面を飾るのは、アーレイでの蜂起に関する騒動がひと段落したことを伝えるものだった。
どうやらアーレイの駐屯軍は半年前の騒動について、再調査をすることを決定したようだ。また、名前は伏せられているが一部の貴族と軍幹部の癒着を認め、軍拡と増税は当該者が謀反を企てたことによるものであり、本来不必要なものだったと認めた。
貴族と軍幹部は逮捕され、王都ルデリアへ移送されたそうだ。
これによって町民の怒りも、ある程度落ち着くだろう。今後アーレイがどのように変化してくのかはミーシャにはわからないが、よい方向にいくことを願うのみだ。
「やっぱり書かれてないか……」
全ての記事を読み終えて、ミーシャは落胆の溜息をついた。
烙核の海から脱出して早五日。ラウルから療養を命じられ、寮に軟禁状態で外の情報を知る手段が新聞しかなかったミーシャは、もやもやとした気持ちのまますごしていた。というのも、ミーシャはグリフィスと最後の別れの後、例の如く気を失ってしまって事の顛末をラウルからの又聞きでしか知らないのだ。
「魔人はなにがしたかったんだろう」
魔人はミーシャたちを飲み込んだあと姿を現すことはなかった。
アーリィ曰く、気配がなくなったからもうモデールにはいないとのことだ。
結局一体なんの目的があってモデールにやってきたのかはわからずじまいで、森に破壊の爪痕だけを残して去ってしまった。
一方で灰菌症については、ある程度の目途がついたそうだ。
その立役者は意外にもアーリィとキャスウェルだった。
魔人が去った後に、監督署は全職員を動員してモデール全体を調査しようとした。一刻も早く感染被害の把握をしなければならないからだ。しかし、当然ながら防護服も人数も足りない状況でできることは限られていた。
そこで手を差し伸べてくれたのはキャスウェルだった。キャスウェルは森に住むアシュマンたちを率いて森の隅々まで灰菌症に感染している動植物がいないか、調べてくれたらしい。
理由はわからないが、ラウルは烙核の海から戻ってきてからキャスウェルのことが見えなくなってしまったため、アーリィはアシュマンと人を繋ぐ仲介人の役目を果たしてくれたそうだ。
おかげで調査は想定していたよりもだいぶ早く終わり、幸いなことに灰菌症の拡大は確認されなかったため、緊急事態宣言を解除するに至った。しかし、これで終わりというわけではなく、今後都から派遣されてくる医療団との原因究明のための調査は行われるらしい。そうなれば、これまで以上に監督署の負担は増えることになるだろう。
今の穏やかな時間は、これからやってくる嵐の前の静けさなのかもしれない。
「父さん……」
木を組み立てて作った簡素な椅子の背もたれに体を預ける。ぎい、と椅子の悲鳴が聞こえた。
この五日間、同じ考えがぐるぐると頭のなかで巡り続けている。ミーシャはその考えに確信を持っている。しかし、一歩踏み出す勇気というか覚悟というか、とにかく喉の奥に引っかかる魚の骨のようなものがあり、そのせいで悶々とする日々をすごしていた。
「外の空気でも吸いに行こっかな……」
ラウルからは外出しないようにと言われているが、別にちょっとぐらい外に出てもいいだろう。
寮には今朝方に仕事を終えて休んでいる職員もいるので、足音を忍ばせながら外に出る。
玄関を開けると、春独特の土煙を巻きあげる強い風が体を屋内に押し戻すように吹きつけてきた。
風に負けないように上半身を斜めに倒しながら、寮の裏に回る。たどり着いたのは憩いの場と名のついた休憩スペースだ。
外からの目が届かない場所なので休日に女性職員が集まり、主に男性についての愚痴大会を開く場になっている。
ミーシャは三つ並ぶように設置されたベンチには座らず、その先にある木陰で腰をおろした。
横になり目を瞑る。瞼の裏で次々と現れては消えていく模様にしばらく集中する。
柔らかな木漏れ日、少し強い春風に乗って漂ってくるモデールの香り。
全てが心地よかった。空から降った雨粒が木の葉を伝って大地に染み込みモデールを流れる水の一部になるように、今この瞬間、体も心も自然と一体化していくようだ。
その感覚は烙核の海で感じたものと酷似していた。
「おい、具合が悪いのか!?」
不意にかけられた声に薄く目を開くと、こちらを覗きこむトーラスの顔があった。
「ここは男子禁制ですよ」
「なんだよ。寝てただけか」
じっとりとした目つきで咎めるも、トーラスはその視線を無視して隣に腰をおろした。
ミーシャはトーラスを訝しみながら上半身を起こす。
「なにしにきたんですか?」
「え? あーっと……その、なあ」
「……もしかして夜這い」
「んなわけあるかぁ!」
「わかってますよ。冗談じゃないですか。それよりあまり大声出さないでください。夜勤明けで休んでる人だっているんです」
「あ……ああ、わりい」
変な冗談を言ったせいか、トーラスは俯いたまま気まずそうに視線を泳がせる。今日はすごしやすい気温のはずだが、額には油汗が浮かんでいた。
え? もしかして告白でもされるのか……?
トーラスの女好きはミーシャも知るところだが、今までトーラスのミーシャに対する接し方は、年の離れた兄妹にするような、からかいが多分に混ざっているものだった。
丁度そういう扱いを鬱陶しく思う年頃のミーシャは、トーラスのからかいに邪険な対応しかとっていなかった。
異性として意識したことはない。だから、そんな甘い(気持ち悪い)空気になるはずがない。
だとしたら、トーラスの様子がおかしいのは何故だ? そもそも男子禁制を承知のうえで、女子宿舎に足を踏み入れるなんて、いくらトーラスだとしても変だ。
もし他の女性職員に見つかったら、モデール引き回しの刑のうえで、火あぶりにされておかしくはない。冗談抜きで。
「あの、なにか御用がおありでなんでしょうか?」
目的のわからない、態度もおかしいトーラスに、つい敬語になってしまった。
「あー、その……」
「いや、本当になんなんですか」
「ミーシャは、その……俺がアーリィさんと裏で手を組んで色々やってたことは知ってんのか……?」
「はい。ラウルさんから聞きました」
「あぃ……そう、か」
トーラスがアーリィは互いの利益のために一芝居打っていたという話はラウルから聞いていた。
そのことについてミーシャはトーラスを責める気持ちは一切ない。というか、責める資格などないと思った。
むしろ感謝を伝えなければならないのは自分の方だと思っていた。だが、療養という名の軟禁状態ではこちらから会いに行けないし、トーラスはいつまで経っても見舞にこないしで、二人の間の問題は宙に浮いたままとなっていた。
そんなミーシャの気持ちを知らないトーラスは言い淀んでから「あー!」と絶叫して頭を掻きむしった。
やばい。トーラスが壊れた。
「俺は、お前を妹のように思ってきた!」
戦々恐々としているミーシャをよそに、今更な告白からトーラスの吐露は始まった。
「俺にとってグリフィスさんは親父のような人だった。金も住む場所も身寄りもない俺を受け入れて、森林保護官という仕事をくれた。仲間と一緒に働く楽しさを教えてくれた。辛いことも仲間と一緒なら乗り越えられることを教えてくれた。人を信じる心をとり戻させてくれた。そして、家族を知らない俺にミーシャの兄代わりという大役すら与えてくれた。こんなこと言うとお前は嫌がるかもしれねえが、俺は本当に嬉しかったんだ。血が繋がっていようがいまいが関係ねえ。お前が俺を『お兄ちゃん』と呼んでくれた日に、俺は兄貴としてお前を守ると決めたんだ」
トーラスを『お兄ちゃん』と呼んだ記憶はミーシャにはない。多分、記憶も残らないほど小さいころにそう呼んだことがあるのだろう。
自分の知らない記憶をトーラスは大切に覚えていた。その事実がくすぐったくも、少し嬉しい。
「けど、俺は守ることを言いわけにお前の気持ちを無視して暴走しちまってた。お前のためにとした選択が、結果的にお苦しめる結果になっちまった」
「トーラスさん……」
「お前をちゃんと見ようとしない悪い兄貴でごめん」
今回の件で一番苦しんだのは誰なのだろうか。
誰が一番悪かったのだろうか。
どうすれば、こんな悲劇を回避できたのだろうか。
たらればの話を延々と考えてしまう。そして、ありえた未来に後ろ髪を引かれて後悔してしまう。
だが、後悔とは本当に悪いものなのだろうか。
「トーラスさんに謝ってもらう必要なんてありませんよ」
俯いたトーラスの唇が真一文字に結ばれた。
「だって、全部あたしのことを思ってしてくれたことでしょう?」
アーリィは後悔を後から絶えず追いかけてくる死神のようなものだと言っていた。そして、甘い誘惑に負けると人は後悔の渦から逃れられなくなってしまうとも言った。
「最善の選択をしたとしても、それが最良の結果をもたらすとは限らないじゃないですか。だから、あたしたちってずっと後悔し続けてしまうんだと思うんですよ」
きっとミーシャたちは死神に囚われていたのだ。だから、立ち止まり視界を閉ざしてしまった。
人が成長し、前を向くのに必要なことは、誘惑を乗り越え後悔そのものを正しく胸に刻むこと。
綺麗事だと吐き捨てる人はいるだろう。しかし、では向き合わなかった場合の未来はどうなるのだろうか。
答えは言うまでもない。
「アーリィさんに言われたんです。ときがきたら、後悔をしっかりと受け止めるんだって。きっとあたしたちは後悔から目を背け続けてきたんです。選択の責任から目を逸らして、後悔を拒んで出口のない迷路で必死にもがいていた」
なにもかもが等しく与えられるのならば、人はここまで感情に左右されることはない。
「父さんがいなくなってすごく辛かったし、寂しかったです。でも、その代わりに支えてくれる仲間がたくさん隣にいた。迷路から抜け出すきっかけはあったんです。ただ、あたしの準備ができていなかったから見つけられなかった」
右へ左へ。前へ後ろへ。延々と後悔のない道を探し続けることで、未来が変わると信じていた。
一人では立ち向かえないとわかっていながら、誰かを頼ることをしないという矛盾を抱えて生きてきた。
でも、もういい加減向き合うときがきたのだ。
「トーラスお兄ちゃん、いつもあたしを守ってくれてありがとう」
そのことに気づけたから、ミーシャは今度こそ伝える。
寄り添おうとしてくれる大切な家族に。
「……ああ」
人は言葉を忘れてしまいがちだ。気持ちは言葉にしなければ伝わらない。言葉にして相手にぶつけなければ、本心から語りあうことはできない。
そこに気づけたからこそ、できていなかった当たり前をこれから始めようと思った。
「ミーシャも、生きていてくれてありがとう」
幸せだ。こんなにも愛してくれる家族に恵まれて。
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