66 / 71
終章
六十六話
しおりを挟む
66
「ただいま」
ベッドで眠る母さんの枕元に腰をおろし、そっと声をかける。この家に帰ってくるのは久しぶりだ。
母さんは青白い顔色でベッドに横になっていた。
家に帰ってくる前に村長に挨拶に伺ったときに、今日は体調を崩して休んでいると教えてくれた。
どうやらここ最近忙しかったらしく、根を詰めて働きすぎたらしい。
真っ白な顔で仕事に行こうとする母さんを無理やりベッドに押し込んでくれたそうだ。
あたしがお礼を言うと、村長は「助け合いだから」と笑い、更にローズヒップを乾燥させて作った茶葉を持たせてくれた。
村長には感謝しかない。あたしの代わりに母さんの手助けをしてくれているのだから。
本当ならもっと帰省する頻度をあげるべきなのだろう。そうしなかったのは、どこかで帰りたくないという気持ちがあったからだ。
あたしは怖かった。父さんを忘れてしまった母さんと話すことが。
日常の会話でふと父さんの話題が出たときに、少し困り顔で曖昧に微笑む母さんの顔を見るのがつらかった。
視線を落として寂しそうな顔をする母さんを見ていたくなかった。
父さんの存在がいつの間にかあたしたちの間で扱ってはいけない話題となっていくのが怖かった。
だからあたしは意図的に帰省する機会を減らしていた。
「ここはいつも変わらないね」
母さんの寝室には、村の近くを流れる小川周辺に生息している薬草を乾燥させて作ったドライハーブの束が吊るされている。
果物に似た甘い香りのなかに、すっと通るような清涼感があり、大好きな母さんからこの香りがするのが嬉しくてよく抱きついていたことを思い出す。
今も変わらずこのドライハーブを作っているのだと思うと安心する。
記憶の喪失が広がっていないことを教えてくれるからだ。
そんなことを戦々恐々としながらいちいち確認しなければならないことは悲しいが。
「ああ……ミーシャ、帰ってきてたの」
目を覚ました母さんは擦れた声で言うと、布団から体を起こしてあたしの頭を優しく撫でてくれた。母さんが動くたび、服からハーブのよい香りが漂ってくる。
「もう、子供じゃないんだよ?」
「いくつになっても貴方は母さんの大事な子供よ」
そんな言葉が嬉しくて、でも照れ臭くもあり誤魔化すように目を瞑ると、母さんの忍び笑いが聞こえてきた。
不思議に思って目を開けて首を傾げると、母さんはあたしの心の声に応えように話始める。
「母さんさっきまで男の人の夢を見ていたの。綺麗な星がたくさんある場所で男の人が母さんに笑いかけきて、なにを話すわけでもなくずっと星空を眺めているの。ただそれだけだったんだけどね、その男の人は嬉しそうに目を細めて笑うの。その人とミーシャの目元がそっくりだったからつい嬉しくなって──」
母さんはそこまで言うと、言葉を詰まらせて「なんで嬉しいなんて思ったのかしら」と呟き、視線を彷徨わせた。
ああ。父さんは夢で帰ってきてくれたんだ。
どれだけ離れていても、どれだけ時間が経とうとも、失われない愛の絆がしっかりと結ばれている。
震える唇と込みあげる涙を誤魔化すように、あたしは母さんの胸に飛び込んだ。
「あら、なによ子供みたいに。しょうがないわね」
さっきいくつになっても子供って言ったじゃん。
少しの反抗心を飲み込んで、今日きた目的を告げる。
「あたしね、しばらく監督署を離れることになったの。世界を見て知識を集めて、モデールの自然をいつまでも守るために勉強したいの」
母さんは小さく「そうなの」と呟く。
「しばらくは母さんに会いにこられないけど、必ず手紙は書くから。どれくらい離れることになるかわからないけど、絶対に帰ってくる。ちょっとだけ……母さんに寂しい思いをさせちゃうことになるけど、絶対に、絶対に帰ってくるからっ」
いやだ。母さんと離れたくない。
言葉とは裏腹に、腹の底から湧き出る不安と悲しさに押しつぶされそうになる。
決心が鈍る。
「泣きながらそんなこと言わないの。一生の別れみたいじゃない」
「忘れないで。あたしはずっとお母さんを想っているから」
あたしという存在を母さんに刻みつけるように強く抱きしめる。
「ふふ。力も強くなって。大人になっていくのね」
母さんは小さな子供をあやすように、背中をそっと叩いてくれた。そのリズムが心地よくて、懐かしくて、涙が止まらない。
「大丈夫よ。母さんもミーシャのことずーっと想っているわ。貴方を置いてどこかにいったりしない。約束する」
母さんがあたしの額に触れるだけのキスをする。
「愛しているわ、ミーシャ」
「ただいま」
ベッドで眠る母さんの枕元に腰をおろし、そっと声をかける。この家に帰ってくるのは久しぶりだ。
母さんは青白い顔色でベッドに横になっていた。
家に帰ってくる前に村長に挨拶に伺ったときに、今日は体調を崩して休んでいると教えてくれた。
どうやらここ最近忙しかったらしく、根を詰めて働きすぎたらしい。
真っ白な顔で仕事に行こうとする母さんを無理やりベッドに押し込んでくれたそうだ。
あたしがお礼を言うと、村長は「助け合いだから」と笑い、更にローズヒップを乾燥させて作った茶葉を持たせてくれた。
村長には感謝しかない。あたしの代わりに母さんの手助けをしてくれているのだから。
本当ならもっと帰省する頻度をあげるべきなのだろう。そうしなかったのは、どこかで帰りたくないという気持ちがあったからだ。
あたしは怖かった。父さんを忘れてしまった母さんと話すことが。
日常の会話でふと父さんの話題が出たときに、少し困り顔で曖昧に微笑む母さんの顔を見るのがつらかった。
視線を落として寂しそうな顔をする母さんを見ていたくなかった。
父さんの存在がいつの間にかあたしたちの間で扱ってはいけない話題となっていくのが怖かった。
だからあたしは意図的に帰省する機会を減らしていた。
「ここはいつも変わらないね」
母さんの寝室には、村の近くを流れる小川周辺に生息している薬草を乾燥させて作ったドライハーブの束が吊るされている。
果物に似た甘い香りのなかに、すっと通るような清涼感があり、大好きな母さんからこの香りがするのが嬉しくてよく抱きついていたことを思い出す。
今も変わらずこのドライハーブを作っているのだと思うと安心する。
記憶の喪失が広がっていないことを教えてくれるからだ。
そんなことを戦々恐々としながらいちいち確認しなければならないことは悲しいが。
「ああ……ミーシャ、帰ってきてたの」
目を覚ました母さんは擦れた声で言うと、布団から体を起こしてあたしの頭を優しく撫でてくれた。母さんが動くたび、服からハーブのよい香りが漂ってくる。
「もう、子供じゃないんだよ?」
「いくつになっても貴方は母さんの大事な子供よ」
そんな言葉が嬉しくて、でも照れ臭くもあり誤魔化すように目を瞑ると、母さんの忍び笑いが聞こえてきた。
不思議に思って目を開けて首を傾げると、母さんはあたしの心の声に応えように話始める。
「母さんさっきまで男の人の夢を見ていたの。綺麗な星がたくさんある場所で男の人が母さんに笑いかけきて、なにを話すわけでもなくずっと星空を眺めているの。ただそれだけだったんだけどね、その男の人は嬉しそうに目を細めて笑うの。その人とミーシャの目元がそっくりだったからつい嬉しくなって──」
母さんはそこまで言うと、言葉を詰まらせて「なんで嬉しいなんて思ったのかしら」と呟き、視線を彷徨わせた。
ああ。父さんは夢で帰ってきてくれたんだ。
どれだけ離れていても、どれだけ時間が経とうとも、失われない愛の絆がしっかりと結ばれている。
震える唇と込みあげる涙を誤魔化すように、あたしは母さんの胸に飛び込んだ。
「あら、なによ子供みたいに。しょうがないわね」
さっきいくつになっても子供って言ったじゃん。
少しの反抗心を飲み込んで、今日きた目的を告げる。
「あたしね、しばらく監督署を離れることになったの。世界を見て知識を集めて、モデールの自然をいつまでも守るために勉強したいの」
母さんは小さく「そうなの」と呟く。
「しばらくは母さんに会いにこられないけど、必ず手紙は書くから。どれくらい離れることになるかわからないけど、絶対に帰ってくる。ちょっとだけ……母さんに寂しい思いをさせちゃうことになるけど、絶対に、絶対に帰ってくるからっ」
いやだ。母さんと離れたくない。
言葉とは裏腹に、腹の底から湧き出る不安と悲しさに押しつぶされそうになる。
決心が鈍る。
「泣きながらそんなこと言わないの。一生の別れみたいじゃない」
「忘れないで。あたしはずっとお母さんを想っているから」
あたしという存在を母さんに刻みつけるように強く抱きしめる。
「ふふ。力も強くなって。大人になっていくのね」
母さんは小さな子供をあやすように、背中をそっと叩いてくれた。そのリズムが心地よくて、懐かしくて、涙が止まらない。
「大丈夫よ。母さんもミーシャのことずーっと想っているわ。貴方を置いてどこかにいったりしない。約束する」
母さんがあたしの額に触れるだけのキスをする。
「愛しているわ、ミーシャ」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
社畜のおじさん過労で死に、異世界でダンジョンマスターと なり自由に行動し、それを脅かす人間には容赦しません。
本条蒼依
ファンタジー
山本優(やまもとまさる)45歳はブラック企業に勤め、
残業、休日出勤は当たり前で、連続出勤30日目にして
遂に過労死をしてしまい、女神に異世界転移をはたす。
そして、あまりな強大な力を得て、貴族達にその身柄を
拘束させられ、地球のように束縛をされそうになり、
町から逃げ出すところから始まる。
異世界転生~チート魔法でスローライフ
玲央
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。
その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」
大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる