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5章 目標に向かって
5-3 夢と不安
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その日の夜。
駿君の家で夕飯を食べ終えた美生は、小さな弁当袋を手に帰り道を歩いていた。
袋の持ち手を、何度も握り直す。
頭の中で言葉を繰り返しても、胸の奥の緊張は消えなかった。
家に着くと、玄関の鍵が開いていた。
珍しい。
靴を脱ぎ、茶の間を覗くと、お父さんの姿があった。
「お父さん、ただいま。今から夕飯準備するね」
「おかえり。手伝うよ」
「疲れてるでしょ。座ってて」
お父さんは少し笑って頷いた。
持ち帰った料理を温め、皿に盛りつける。
湯気と一緒に、生姜の香りが広がった。
「……美生、また腕上げたな。これ、すごく美味しい」
「今日は早く帰ってくるって分かったから。お父さん好きでしょ、生姜焼き」
「最近の楽しみは、美生のご飯だからな」
「大げさ」
そう言いながらも、少しだけ嬉しかった。
向かい合って食卓を囲む時間は久しぶりだった。
「仕事とはあえ、帰り遅い日ばっかりでごめんな。たまに家に帰れないし」
お父さんが申し訳なさそうに言う。
「夕飯食べる時にそんな暗い話しないの」
「私もう高2だよ? 1人でも平気。それに夕飯は駿君たちと食べてるし、毎日ちゃんと楽しいから」
「……そっか」
お父さんが食事を終え、片付けと宿題を済ませる。
時計を見る。
逃げたら、きっともう言えない。
「お父さん、ちょっといい?」
「いいよ」
向かいに座ると、手のひらがじんわり汗ばんでいるのに気づいた。
「来年、高3になるでしょ。進路、決めなきゃいけなくて」
「ああ。美生成績いいし、推薦とか――」
その言葉を聞きながら、1度だけ息を吸った。
「私ね」
視線を上げる。
「パティシエになりたい」
言葉が落ちたあと、部屋が静かになった。
お父さんはすぐには答えなかった。
考えるように、ゆっくり視線を落とす。
その沈黙が怖かった。
それでも続ける。
「小さい頃、お母さんと食べたプリンがあってね。すごく美味しくて、ずっと忘れられなくて」
指先を膝の上で握る。
「私が小さい頃、お母さんとお出掛けした時に食べたプリンがあって、それが今でも忘れられないくらい美味しくて、作りたいと思った」
「それから、中学の時、おばあちゃんと何度も作ったの。最初うまくいかなかった。でも、少しずつ出来るようになって……」
自然と声が震える。
「作れるようになるまでの時間が、すごく楽しかった。だから思ったの。これを、誰かに食べてもらいたいって」
お父さんは黙ったまま聞いていた。
「調べたら、市内に製菓専門学校があって……私、そこに行きたい」
言い終える。
逃げずにお父さんを見る。
再び沈黙が落ちた。
「……駄目、かな」
思わず漏れた声に、お父さんが顔を上げた。
「正直に言うとな」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「美生なら、いい大学行って安定した仕事に就けるって思ってた。親としては安心だから」
胸の奥がきゅっと縮む。
「でも……」
お父さんは小さく笑った。
「それは、お父さんの理想」
まっすぐ、自分を見つめる。
「大事なのは、美生が何をやりたいかなんだよ」
「……お父さん」
「本気で目指すなら大変だと思う。だけど、それでもやりたいなら――」
一拍置いて言った。
「お父さんは全力で応援する。そもそも、美生に毎日寂しい思いをさせているのに、美生の夢を否定する義務なんて無いからね」
視界が滲んだ。
言葉より先に涙がこぼれる。
「……ありがとう」
声にならない。
お父さんは立ち上がり、そっと頭を撫でた。
「夢は、わがままじゃないんだよ」
その一言で、堪えていたものが全部溢れた。
しばらくして落ち着くと、お父さんは時計を見た。
「明日早いから、先に寝るね」
「うん。おやすみ」
「おやすみ、美生」
部屋の灯りが消える音を聞きながら、静かに息を吐いた。
胸の奥が、少し軽くなっていた。
——ベッドに横になった美生の父親、拓也は天井を見上げる。
娘が初めて、自分の未来を語った夜だった。
(……ちゃんと、言えるようになったんだな)
嬉しさ同時に――
(でも、今の生活が凄く幸せって、言っていたのは俺に心配かけさせないようにする為に、そう言ったようにしか聞こえないんだよな)
新たな不安も生まれた。
それでも、守るだけだった時間は、もう終わりなのかもしれない。
(負けてられないな)
そう小さく思い、目を閉じた。
娘の夢を支えられる父でいようと決めながら。
駿君の家で夕飯を食べ終えた美生は、小さな弁当袋を手に帰り道を歩いていた。
袋の持ち手を、何度も握り直す。
頭の中で言葉を繰り返しても、胸の奥の緊張は消えなかった。
家に着くと、玄関の鍵が開いていた。
珍しい。
靴を脱ぎ、茶の間を覗くと、お父さんの姿があった。
「お父さん、ただいま。今から夕飯準備するね」
「おかえり。手伝うよ」
「疲れてるでしょ。座ってて」
お父さんは少し笑って頷いた。
持ち帰った料理を温め、皿に盛りつける。
湯気と一緒に、生姜の香りが広がった。
「……美生、また腕上げたな。これ、すごく美味しい」
「今日は早く帰ってくるって分かったから。お父さん好きでしょ、生姜焼き」
「最近の楽しみは、美生のご飯だからな」
「大げさ」
そう言いながらも、少しだけ嬉しかった。
向かい合って食卓を囲む時間は久しぶりだった。
「仕事とはあえ、帰り遅い日ばっかりでごめんな。たまに家に帰れないし」
お父さんが申し訳なさそうに言う。
「夕飯食べる時にそんな暗い話しないの」
「私もう高2だよ? 1人でも平気。それに夕飯は駿君たちと食べてるし、毎日ちゃんと楽しいから」
「……そっか」
お父さんが食事を終え、片付けと宿題を済ませる。
時計を見る。
逃げたら、きっともう言えない。
「お父さん、ちょっといい?」
「いいよ」
向かいに座ると、手のひらがじんわり汗ばんでいるのに気づいた。
「来年、高3になるでしょ。進路、決めなきゃいけなくて」
「ああ。美生成績いいし、推薦とか――」
その言葉を聞きながら、1度だけ息を吸った。
「私ね」
視線を上げる。
「パティシエになりたい」
言葉が落ちたあと、部屋が静かになった。
お父さんはすぐには答えなかった。
考えるように、ゆっくり視線を落とす。
その沈黙が怖かった。
それでも続ける。
「小さい頃、お母さんと食べたプリンがあってね。すごく美味しくて、ずっと忘れられなくて」
指先を膝の上で握る。
「私が小さい頃、お母さんとお出掛けした時に食べたプリンがあって、それが今でも忘れられないくらい美味しくて、作りたいと思った」
「それから、中学の時、おばあちゃんと何度も作ったの。最初うまくいかなかった。でも、少しずつ出来るようになって……」
自然と声が震える。
「作れるようになるまでの時間が、すごく楽しかった。だから思ったの。これを、誰かに食べてもらいたいって」
お父さんは黙ったまま聞いていた。
「調べたら、市内に製菓専門学校があって……私、そこに行きたい」
言い終える。
逃げずにお父さんを見る。
再び沈黙が落ちた。
「……駄目、かな」
思わず漏れた声に、お父さんが顔を上げた。
「正直に言うとな」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「美生なら、いい大学行って安定した仕事に就けるって思ってた。親としては安心だから」
胸の奥がきゅっと縮む。
「でも……」
お父さんは小さく笑った。
「それは、お父さんの理想」
まっすぐ、自分を見つめる。
「大事なのは、美生が何をやりたいかなんだよ」
「……お父さん」
「本気で目指すなら大変だと思う。だけど、それでもやりたいなら――」
一拍置いて言った。
「お父さんは全力で応援する。そもそも、美生に毎日寂しい思いをさせているのに、美生の夢を否定する義務なんて無いからね」
視界が滲んだ。
言葉より先に涙がこぼれる。
「……ありがとう」
声にならない。
お父さんは立ち上がり、そっと頭を撫でた。
「夢は、わがままじゃないんだよ」
その一言で、堪えていたものが全部溢れた。
しばらくして落ち着くと、お父さんは時計を見た。
「明日早いから、先に寝るね」
「うん。おやすみ」
「おやすみ、美生」
部屋の灯りが消える音を聞きながら、静かに息を吐いた。
胸の奥が、少し軽くなっていた。
——ベッドに横になった美生の父親、拓也は天井を見上げる。
娘が初めて、自分の未来を語った夜だった。
(……ちゃんと、言えるようになったんだな)
嬉しさ同時に――
(でも、今の生活が凄く幸せって、言っていたのは俺に心配かけさせないようにする為に、そう言ったようにしか聞こえないんだよな)
新たな不安も生まれた。
それでも、守るだけだった時間は、もう終わりなのかもしれない。
(負けてられないな)
そう小さく思い、目を閉じた。
娘の夢を支えられる父でいようと決めながら。
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