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■Ⅱ■IN BANGKOK■
[4]▽衝撃の秘密 〈N〉*
しおりを挟むカオサン・ロード。
メリルがドライバーに告げた目的地は、バンコクの中でも最も姿を変えずにいる場所と言われている。
外国からの若い旅行者達を優しく迎え入れ、あらゆる娯楽と快楽を与える魅惑の地、三百メートル程の通りにはカフェやレストラン、ツアー会社や土産店、タイマッサージや何やら怪しい店までもが溢れ、露店や屋台は通り過ぎるのが難儀なほど道へはみ出している。その裏側はいわゆる安宿街と呼ばれる地帯だが、二段ベッドで八割を占めてしまうようなせせこましいツインルームや、一室に何十人もがひしめく大所帯のドミトリーなど、激安のゲストハウスからそれなりの中級ホテルまで、様々な寝床が彼らに癒しの場を提供している。
二人が『ムーン・タクシー』を降り、そうした店の隙間を縫って、やっと辿り着いた路地の行き止まりは、この辺りではそこそこの規模と思われる古びた白壁のホテルだった。
「此処か?」
「はい、どうぞお入りください」
メリルはコミューター内で話した「バンコクにある『ツテ』」というのがこのホテルであること・そこへ着いたら自分のことを話す、とだけを告げて、それ以外は到着するまでずっと口を閉ざしてしまった。クウヤとしては一刻でも早く、彼女のことも含めて今後の見解を知りたいと思ったが、メリルの感情を見せない横顔はそれを許さない雰囲気を保っていた。
ホテル正面入口のスモークが貼られた透明扉を開き、クウヤはやや暗いエントランスに足を踏み入れた。数歩進んだ先で辺りを見回したが、質素なフロントにはスタッフらしき姿は見えず、真正面のソファにもお客などが憩う様子もない。しかし後から続いたメリルを振り返った時、クウヤの背後から幼い少女の甲高い声が彼女の名を呼んだ。何故だかそれはタイ語ではなく、場にそぐわないドイツ語であったが。
「あー! メリた~ん、やっと来たー!!」
「ご無沙汰しております、ネイ様」
トテトテと駆け寄る元気な足音が横をすり抜け、しゃがみ込んだメリルの腕の中へ小さな影が吸い込まれた。合わせるように同じくドイツ語で返したメリル。彼女に抱きついたその後ろ姿は、緩いウェーブの真っ黒な髪を腰まで垂らし、水色の涼しげなワンピースを身に着けている。長い髪の所為で一瞬二頭身かと見まごうような可愛らしいサイズの少女だ。
「もうっ、最後に来たのはいつだか覚えてる? アタシ寂しかったよ~だって最近お客さん少ないんだもの!」
「申し訳ございません、ネイ様。わたくしも機会を窺っていたのですが、なかなかチャンスに恵まれませんでした。ちなみに最後は四ヶ月と九日前でございます」
柔らかそうなプニプニの腕に絡みつかれ、熱烈な歓迎に応えるメリルも、表情こそはそう変わらないが、それなりに嬉しそうな声色をしている。「女同士の久々の再会」を堪能する二人を見下ろして、「冷徹能面のメリルも子供に好かれたりするんだな」と、クウヤは少しばかり見直してみたりもした。が、同時に「子供にも「様」付けかよ」と、そのバカ丁寧振りにも改めて驚かされる。となれば、クウヤもずーっと「クウヤ様」である理由が「無い」ということも納得がいった。
「もー相変わらず細かいな~イイのーそんなことは! ネェネェ今回はどれくらいいられるの? アタシと沢山おしゃべり出来る時間ある?」
ネイと呼ばれた少女はメリルを解放し、期待を全身で表わすようにピョンピョンと飛び跳ねた。
「そうでございますね……それはソムチャーイ様の手腕次第かと」
「むむぅ? 来た目的はもしかしてソレ? ってことは……」
話し途中で少女が振り返る。高い塔を見上げるようにネイは首をぐっと後ろに倒し、クウヤの顔を見つめ──そして一言。
「このチンチクリンを『上』に? 『ツール』が手に入っても無理なんじゃない?」
ドイツ語なら分からない相手と思ったのか、「微笑みの国──タイ」ならではの愛らしい笑顔で、子供とは思えない暴言を吐いた。
「てめぇ、今「チンチクリン」って言っただろ!?」
クウヤも子供に対して発するべきではない荒々しいドイツ語と表情で吠える──のだから、まったく大人げがない。
「あ、バレてた。タイ語で言えば良かったかー。メディアの充電切れてるみたいだから、油断しちゃってた。ごめんごめん~えっと?」
「キサラギ クウヤ様でございます」
後ろから紹介するメリルに一度顔を向け、ネイは再びクウヤを見上げた。
「日本人、ね。ハジメマシテ~コンニチハ。ワタシノナマエハ「ネイ」デスードウゾヨロシク」
「お前……その棒読みワザとだな?」
抑揚のない一辺倒な日本語で挨拶をしたネイに、クウヤはまたもや噛みついた。
「ねーメリたん、この日本人怖いよ~ホントに『ツール』見つけて一緒に『上』へ帰る気?」
そう言いつつもクウヤに配慮する気になったのか、そのまま日本語を使うネイ。わざとらしく怯えた体で再びメリルの懐に抱きつく。
「クウヤ様は怖くなどありませんからご安心ください。それからお部屋を二室ご用意いただけますか?」
「二室?」
と、意外そうに言葉を繰り返したのは、ネイではなくてクウヤだった。
「何かおかしなことを申しましたでしょうか?」
メリルは立ち上がりながら小首を傾げて訊ねる。その真っ直ぐになった細身の脚に、ネイがつまらなそうにしがみついた。
「いや……まぁ「お守り致します」と言ったからには、別室ってのはどんなものかと~」
男としては情けない話だが、あんな恐ろしい刺客を思えば独りで過ごすのは不安があった。ただその台詞の裏側には「あっちの方も助けてくれたら助かるなー」という男としては当たり前のやましい期待も明らかに込められている。
「ご心配には及びません。この館の中に限りましては、ネイ様がお守りくださいます」
メリルはうっすら微笑みながら、誇らしげに「ない胸」を張る真下の少女を見下ろした。
「ネイって、こいつがか?」
「こいつって何よー! そんなこと言うと守ってあげないぞ!!」
意味不明の理由によって、自分の願望が即却下されてしまったのだ。そんな不服を顔面に露わにしたクウヤは、途端呆けたように口を半開きにした。かなり下の方に佇むネイへ指先を向けると、頷くメリルのスカートの陰で、ネイも瞬く間に頬をパンパンに膨らませてみせる。
「こちら「ホテル・マイペンライ」はネイ様によって常に守られているのでございます。ですから此処では心おきなくお寛ぎください」
「この宿の名前、ちっともセンスがねぇな……」
マイペンライとはタイ語で「問題ない」という意味である。クウヤは説明の前半にツッコミを入れてみたが、後半の意味はまったく分からなかった。
「メリた~ん、もうこんな奴のことなんてほっといて、アタシとおしゃべりしよーよ!」
メリルのスカートの裾を引っ張り、抱っこしてよとばかりに両手を掲げるネイ。メリルは再びしゃがみ込みはしたが、少女のおねだりには応えなかった。
「なんか随分懐かれてるんだな、このちっこいのに」
「ちっこいのって言うな~」
抱きつこうとした身体をひねり、ネイはクウヤをキッと睨みつけた。
「お前だって俺を「こんな奴」って言ったぞ」
売り言葉に買い言葉とはこういうことを言うのだろう。少女はとうとうクウヤのすねを蹴っ飛ばし、
「いてーっ! あの弁慶だって耐えられなかった急所だぞ!?」
「ベンケイって誰~? アタシ知らない。メリたんの連れだからってもう容赦しないもん! 指一本で追い出してやるんだから~」
腰に当てていた両手の内、右手を掲げて人差し指を天へと向けた。が、それを制すようにメリルの掌がスッと指先スレスレを覆う。
「そんなこと仰らずに、ネイ様どうぞクウヤ様のこと、くれぐれも宜しくお願い致します。クウヤ様、ネイ様はこのホテル全室とフェンス内全ての敷地を管理致します「マザー・コンピュータ」でございます。余りネイ様の機嫌を損ねますとブレーカーを落とされますので、どうぞお手柔らかに」
相変わらず緩急のない、けれど突拍子もないメリルの説明に、片足を抱えて痛みに耐える口元は、もう一度半開きにならざるを得なかった。
「マ、マザー・コンピュータ!?」
「何よー文句あるって言うの!?」
此処まで驚かされることばかりが続いた旅路だが、こればかりはクウヤも理解に苦しんだ。目の前の少女はどう見ても「生きた人間」で、どう考えてみても「コンピュータ」である訳がない。
そんな信じられないという驚きの眼は、「マザー・コンピュータ=ネイ」によって解されたようだ。
「ねぇメリたん。もしかしてこのチンチクリン、メリたんのことも人間だと思ってるの?」
「ええっ!?」
メリルが返事をする前に、脳天から飛び出したような大声を上げるクウヤ。
──メリルが……人間じゃない!?
「……思ってたんだね」
ネイの同情を含んだダメ押しに、言葉もなく愕然と首肯する。それからネイの隣で見上げる、しゃがんだままのメリルを見やった。
「ずっと申し上げなくて大変失礼を致しました。わたくしは……警護用アンドロイドでございます、クウヤ様」
「アンド……ロイド……──」
『グランド・ムーン』で一笑に付されたあの冗談が、クウヤの知らない内に知らない所で、冗談ではない時代となっていた──。
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