東京ネクロマンサー -ゾンビのふーこは愛を集めたい-

神夜帳

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第2章 最後の良心

第16話 いつか会う君

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(※ たぶんVer.2.0で大幅に加筆・修正すると思います)

 ①

 多田、平野、老婆、利発そうな5歳くらいの男の子、髪の長いやたら美人の若い女の5名が、俺達と3mほど距離を取って立っている。。
 こちらは、俺、ふーこ、千鶴に愛の3人と一匹。
 俺は、プロテクターが砕けて重いだけのジャケットを脱ぎすてて、ゾンビの左ももに刺さっていた俺のククリナイフを回収し毒を拭いて腰の鞘に納めた。
 平野のククリナイフもちゃっかり回収済みだ。

「まずは、お互いのことを知りませんか?それから千鶴さんの話を聞かせてもらえればと思うのですが…」

 多田がまず口を開いたが、髪の長い女が口を挟む。

「あれ?たてちゃんがいないよ?みこっちも」

 それに対して平野もおやっといった様子で「そういえばいつからいないんだ?ゾンビにやられたか?」と言った。

 長い髪の女が探しに行くようで離れようとするところを平野が「気を付けろよ」と声をかけると、女は嬉しそうな表情をして「うん」と明るく答えた。

 はっ。こんなやつのどこがいいのか。ダルマにされるぞ。

「危ないですから、いったん皆で探しましょう」

 多田が2人一組になって探すよう指示する。この隙に逃げちゃおうかなと思ったが、平野は動く様子なく「ネクロ野郎、この隙に逃げようとか思うんじゃねぇぞ」と睨みを利かせてきた。

 ちっ

 こいつ今武器がないとはいえ、戦いになったら面倒なのは間違いない。今は静観するか…。


 ②

「うぅ…なんでこんなとこで死んでんのよぉ…」

 あれから、ふーこが食べた女の遺体と、1Fの男子トイレで扼殺されている女の遺体が見つかった。
 それぞれ1Fで老婆と髪の長い女が遺体を整えて安置した。

 俺達は2Fで再度対峙しあう。

「誰がやったんだぁ?」

 平野がこちらを睨みつける。

「1Fの女は知らん。2Fの女は、ごめん、ふーこが食べちゃった」

「あぁ!?結局襲ってくるのかよそいつ!?」

 平野が驚いて俺達から距離を取ったことで、天国の面々に緊張が走る。

「そいつがこっちに急に駆け寄ってきたからさ、ふーこがびっくりして食べちゃったんだよね。まぁ事故だよね」

 まぁ、嘘は言ってないだろう。俺も離れろと警告したしな。

「事故じゃねーよ!!ふざけんなぁ!みこっちもあんたが犯して殺したんじゃないの!?」

 髪の長い女が憎々しげに俺のことを睨み糾弾するように叫んだが、平野が「いやぁ、こいつはゾンビにしか勃たねーからな。殺したかどうかはわからんが、犯しては無いと思うなぁ」と言った。

「だから、知らんって―の」

 訝しげに女はこちらを見ていたがハッとして言った。

「そういえば、宮本は!?宮本はどこに行ったの!?」

「あぁ、そういやぁ。あいつ、千鶴がいなくなってからみこに執着してたよなぁ」

「あいつがやったんじゃないでしょうね!?」

 仲間内で疑い合っているというのに、これに関しては多田は何も言わない。
 そうか、宮本という男は普段からそういう男か…。

「内輪もめはどうでもいいよ。どうするんだ?俺たちは?殺し合うのか?」

 段々面倒になってきてイライラして俺が言うと、多田は慌てて

「待ってくださいって!本当にまずは話を聞きたいだけなんです!」

 と言った。しかし、平野は厄介だが今武器を持っていなさそうだ。平野が持っていたククリナイフは今俺の右手にある。だが、髪の長い女が未知数だ。歩き方からして何かしら武道をやっているようにも思えるが、あんな長い髪でまともに戦えるんだろうか。
 ふーこは、女は積極的に襲う傾向があるから、ふーこに任せてもいいか?
 と思ったところで、首を左右に振る。

 やめよう。ふーこを人間同士の争いに使うのは。ふーこはそういう存在じゃない。
 そして、話し合いを連呼するから自然と頭から除外していたが、多田の存在もある。
 多田の戦闘力はどれほどか…。
 全員を相手にするのはちょっと不利だなと考え直す。

「で、じゃあ、さっさと話をしようじゃないか。何が聞きたいんだ?こちらをちょっとでも傷つけようとするなら、俺とふーこが襲うぞ」

「ふーこぉ?その女ゾンビの名前かぁ?お前、もうちっと可愛い名前つけてやれよぉ。可哀そうだろぉ」

「はぁ…。ゾンビの名前なんてどうでもいいんだよ。ふーこはふーこだ」

「お前、女にもてないよね」

「関係ないよね」

 平野と俺が言い合ってると、多田がため息ひとつついて話を始めた。

「では、最初に単刀直入に。千鶴さん、天国でのゾンビ大量発生はあなたが犯人なのですか?」

「…そうっす」

 千鶴が多田とは目を合わせずに暗い顔で答える。傍で愛がおろおろしている。

「ちょっと、信じがたいんですよね。どうやって大量発生させたんですか?」

「…それは…」

 千鶴が言いかけたところで、髪の長い女が叫んだ。

「こいつがぁ!水源にウィルスを投げ込んだんだよぉ!」

「落ち着いてください。御子柴さん。誰か目撃者がいるんですか?」

「みこっちがぁ!見たって言ってた!」

「投げ込むところを?」

「そうよ!それに、千鶴は発生前に3人で脱出してる!あの奴隷君との3人で!」

「奴隷君?」

「千鶴はぁ!やらせる代わりに何でも言う事を聞く奴隷が何人もいたぁ!宮本もその一人!あの時は、別の奴隷君とそこの愛を連れて逃げてった!外じゃ生きられないくせに!あの時は一目散に外に逃げてった!それから…あのゾンビ達が…」

 御子柴と呼ばれた髪の長い女は、興奮のあまり肩を震わせながら途中から泣き声に変わって怒鳴っていた。

「御子柴さん…それって全部噂でしょ?派閥が違ったから、そんなに詳しく事情を知れなかったですよね。ただ、千鶴さん。こういう話があるんですが、あなたは本当にウィルスを水源に投げ込んだんですか?」

「水源には投げ込んでない…」

「嘘をつくな!!」

「御子柴さん、落ち着いてください。両者の話を聞きますから」と多田が言うと平野も「みこはなぁ。噂好きだったし、死んだ今確かめようがねぇしなぁ」と続けた。

「千鶴さん。ウィルスはどこで手に入れたのですか?そして、それをどのように使ったのですか?」

 千鶴はカタカタと小さく震えていて、俺の右腕に抱きついて必死に倒れこまないようにしているようだった。

「自分が爆弾にされそうになって…」

「え?」

「聞こえた…。散々私達を奴隷のように扱って、尊厳なんて無視してオモチャみたいに犯す毎日を…それでも、外に出られないから必死に耐えて生きていたのに…」

 これが千鶴の素なのだろう。変な敬語が消えている。

「あの日、小川たちが敵対してるやつらを殺すために…わ、わたしたちのお腹の中に爆弾を入れて…あいつらに送り付けてやろうって…言ってるの聞いて…」

「小川さんが…そこまで…」

 多田が心底呆れた顔をしている。

「ネクロ野郎、話ついてこれないよなぁ。小川ってのは知ってるよな?お前が使った手榴弾の製作者だ。話したこともあるよな。そんで、小川は天国で俺達多田くん一派とは敵対してた」

「なるほど。多田派閥VS小川派閥ってことね」

「まぁ、そういう単純な話でもないんだけどよぉ。まぁ、そう思ってもらっていいぜぇ」

 小川がどこまでそれを本気で言っていたのかはわからない。お腹に爆弾を入れる?入れたところでどうやって向かわせるのか?酔っていたか、悪い冗談だったのか。
 ただ、小川はそういうことをやりかねない人間と思われても仕方ない人物でもあるのは確かだ。

「千鶴さん。続けてください」と多田が話の続きを千鶴に促した。

「私は、ここまで全てを踏みにじられて…。捧げて…それなのに…最後は自爆させられるなら…そんな可愛くない死に方しなきゃいけないならって…」

 千鶴が俺の右腕に抱きついていたが、気分が悪くなったのかその場にしゃがみこむ。吐きそうになっているので俺は背中をさすってやった。

「だから…私は…。あの日全てをめちゃめちゃにして…愛と逃げようって…。最後に皆に復讐して逃げてやろうって…小川の爆弾を逆に使ってやるって…部屋に忍び込んだら…いっぱい…うっ…」

 千鶴がいくらか嘔吐して酸っぱい匂いがつんと流れる。
 お腹に爆弾を入れる…それが悪い冗談だったとしても、もしかしたら荷物に紛れさせて千鶴がしらないところで起爆していたかもしれない。
 どちらにせよ、精神的に極限状態だった千鶴の背を押すには十分な会話だったということだ。

「部屋には一杯ゾンビの首が置いてあって、机には…瓶に透明な液体が入ったものがたくさん…ラベルには…HLTって貼ってあって…」

 HLT-1…ゾンビになる4つの原因のうち1つとされているウィルス。通称「ハルトウィルス」。
 空気感染はせず唾液や血液など体液を介して体内にウィルスが侵入することで感染するとされている。
 くしゃみなどの飛沫から感染もあれば、映画のようにゾンビに噛まれて感染ということもあるとみられているが、正直よくわかってないことだらけで全部推測だ。人によっては空気感染もすると主張するやつらもいた。

「小川のことだ。爆弾にウィルス仕込もうと思ってたんだろうな」

 俺がそう言うと、平野もうんうんと同意し頷いた。
 小川はそういうやつだ。敵に最大限のダメージを与えるためなら倫理など捨てていくタイプ。
 恐らく、材料さえあれば核爆弾も作ったんだろうな。

「それをどうしたんですか?」

「徳山を誘惑して…事が終わった時にジュースに混ぜて飲ませた…それから、私を犯しに来た人間皆の飲み物に仕込んで飲ませた…」

「フフフ…あんたの息子もさぁ…来たんだよ?派閥違うのにね?わざわざ来て、私の首を絞めて腹を殴って顔を真っ赤にして死にそうになってる私の顔を見てさ…笑いながら中に出していったよ」

 


 千鶴が老婆に向かって低い声で呪うように言った。
 それに対して、老婆は黙っているだけで何も言わなかった。

「瓶が空になったところで、小川が私のところへ来て…瓶を知らないかって…数が足りないって…フフ…逃げる準備はあまりできなかったけど…奴隷君に殺してもらって、愛と逃げたんだよ…。逃げる時、私を犯していったやつらがゾンビになって周りを襲ってるのを見たよ…フフフ…凄いね。全力のゾンビって…あっという間に仲間を増やして…派閥の人間を壊滅させて…フフフ…」

 千鶴は多田の目を見つめて

「天国のリーダーさん。あなたは色々な人に愛されて…きっとあなたは正しい人間なんだろうね…だからこれは私の逆恨み…でもね…」

 千鶴はそこまで言ってから一呼吸おいて

「…ざまぁみろ…」

 そうつぶやいた。

 私のことを助けてくれなかったから
 あなたがちゃんと支配できなかったから

 そう聞こえた気がした。


 ③

 タカクラデパートの5階はコンサート用のホールになっていて、音響だけでなく舞台設備も整っていて、チケットの販売をするコーナーや、チケットをもぎるカウンター、物販する簡単な店舗跡のほか、大量の椅子があり、戦争ごっこの時も休憩コーナーとして使うべく、色々ベッド等もたくさん設置されていた。

 あれから、千鶴はベッドに横になりながら詳しい経緯を教えてくれたが、正直、よく聞く話のうえ、詳細を知りたければ有名なゾンビ映画でも見れば十分補完できる内容のため、馬耳東風というか、食傷気味で今一覚える気は起きなかった。
 いつもの人間の醜さが蟲毒のように渦巻いて、ちょっと壷のフタから流れ出ました…そんな感じだ。

 その間も平野が俺達が逃げないようにだろう。ぴったり傍にくっついて時折「俺のナイフ返せよ」と言ってきたが、「あのゾンビの止めさしたの俺だから!」で押し切った。
 戦いの最大功労者はわがままが許されるというのが、俺たちの暗黙のルールだった。
 平野も未だにそのルールは破るつもりないらしく、やれやれといった感じにため息をついて諦めた。

「すいません。お待たせいたしました。私たちの意見はまとまりました」

 そう言って、多田が爽やかにこちらに近づいてくるので、こちらも平野から距離を取りながら戦いやすい場所に陣取りを始める。ふーこと愛はなにがなんだかわからないといった感じではあったが、ピリピリとした空気に何か感じ物があったのだろう。大人しく俺の動きに合わせていた。千鶴は、ぴったりと俺の背中に隠れるようにしている。

「まず、私たちの意見としましては、千鶴さんに全ての責任を負わせるのはあまりに酷と言う話になりました。千鶴さんの置かれた状況は、派閥が違うので詳しくは知りませんでしたし確かめようがないのですが、御子柴さんの聞いていた話と合うところもありますし、それに私達が聞いた話も真実とは限りませんので…ただ、ゾンビの大量発生の直接の引き金を引いたのは本人の言からも確かでありますから、それに関してはある程度の罰を受けてもらおうと思っています」

「ふぅん?あんたらの理屈は俺には関係ない。俺にとって千鶴はふーこの世話をしてくれる貴重なものだ。それを傷つけるのなら、俺はふーこと一緒にあんたらを殲滅する」

「なるほど」

「平野?俺にできないと思っているのか?」

「いやぁ?お前が俺に勝てるとは思えないけどよぉ。たしかに、こちらも大損害を受けそうだわなぁ」

「平野、俺はお前に加勢する必要性はなかった。それを加勢したうえでとどめは俺が刺した。その意味を違えるなよ」

「ふぅー。それを言われるとつらいねぇ。確かになぁ。恩はかえさねぇとなぁ。ククリナイフじゃたりねーわなぁ」

「そうだ。こちらも死ぬところだった」

「わったぁ。俺はよぉ。お前のこと結構すきなんだわぁ。ぶっとんでてよぉ。それでいて、自分の小ささを知っていて、分をわきまえてるっていうのかなぁ。一見卑怯に見える戦い方もよぉ、俺は工夫しているように見えて好きなんだよなぁ」

「お前に好かれても嬉しくはない。だがわかっているな?これは戦うもののルールだぞ」

「わーってるよぉ。しょうがない。すまねぇ。主役君。俺はこいつらに今はなにもできねぇ」

 話を振られた多田は、ちょっと思案すると

「確かに、さっきの戦いの功労者はえーっとネクロさん?ですもんねぇ。とはいっても、どうしましょう。何か罰を受けていただかないとこちらもおさまりませんし。私としましては、千鶴さんの身体を傷つけるつもりはありません。ただ、罰として天国の再建を手伝ってもらえないかなと思っています」

 それに対して千鶴が、乾いた笑いをしながら

「ははは。何も能力のない私に何をしろって言うんですか?また股を開けと?実験台になったり、炭鉱の鳥にでもなれと?再建を手伝えって?許されるまで奴隷になれってことでしょ?」

 と言った。

「悪いが、千鶴はお前らに渡せない。こちらにも千鶴にやってもらいたいことがあるんでな」

「そのゾンビの世話ですか…」

「そうだ。千鶴以外にはできない。お前らがしてくれてもいいが、きっとふーこはお前らを襲うぞ。千鶴は襲われない貴重な存在なんだ」

 嘘だ。俺が襲うなと言ったからふーこは千鶴を襲っていない。
 言わなかったら、今頃千鶴も食べられているだろう。愛は事情が違うようだが。

「俺一人じゃ大変でね。ゾンビの身の世話全部やるのはきっついんだよね」

「そうですか…」

 多田が何か言おうとしたが、御子柴が口を挟んだ。

「あんたねぇ!ほんとはあんたにも罰があるんだからね!たてちゃんを食べさせて!許さないからっ!」

「じゃあ、殺し合うか?平野は助けないぞ」

 俺がそういうと御子柴はぐぬぬと黙り込んだ。多田は殺し合いをさせないだろうし、完全体のゾンビであるふーこを相手にしながら俺と戦うのは、平野なしでは無理だろう。

「やめましょう。ネクロさんは、天国の人間ではありません。彼に私たちのルールはあてはまりませんし、それに、あてはめようとしても戦力的に無理です」

 多田は冷静だ。ロボットなんじゃないかこいつ?

「しかし、困りましたね。落としどころをどうしましょうか」

 多田が悩んでいると、老婆が口を開いた。


 ④

 ボサボサの肩までの白髪、痩せこけて骨格が透けて見えるほど細い体、それでいて目は復讐に燃えてギラギラしていた老婆が口を開いた。

「それじゃあ、こうしようかねぇ」

 その場にいた全員が老婆を注目する。

「千鶴。お前は、今から3年以内に必ず子供を一人産みな」

 突拍子もない話に全員きょとんとしているが、老婆は構わずに続ける。

「産まれた子供はあたしらが取り上げる。それが罰だ」

「産まなかったら?」

 俺が素朴な疑問をぶつける。

「そんときは、千鶴を貰うよ。3年もあればあんたも代わりの人間見つけられるだろ」

 穏やかな表情に抑揚のない声で言ったその言葉の裏に重い殺意と決意が含まれていることは、誰にでも窺い知れた。

「あんた、ネクロさんだっけ?あんたが孕ませてやってもいいんだよ」

「悪いが、俺は普通の人間には勃たなくてね」

「そうかい。今後出会うかもしれない誰かでも、ここにいる平野でも、そこらへんにいるだろう宮本でもいい。せっせとやることやるんだね」

「そんなことでいいのか?」

「そんなこと?あんたも中々ぶっ壊れているね」

「愛し合って産まれた子供を取り上げられるならダメージになるのはなんとなくわかるが、嫌々作った贖罪だけのための子供を取り上げて、あんたは気分が晴れるのか?」

「そんなことと思うなら、別にあんたらには良い条件じゃないか。何が問題がある?」

 ここまで俺と老婆がやりとりをしていると、多田が口を開いた。

「タツさん。取り上げる子供は殺すわけじゃないんですよね?」

「さぁ…。殺すかもしれないし育てるかもしれないねぇ」

「そうですか…。殺さないのであれば僕は特に異論はありません」

「主役がそういうなら、俺もそれでいいぜぇ。千鶴、早速今夜から抱いてやろうか?それとも宮本がいいか?」

 平野が千鶴に下賤な視線を向けながら言う。向けられた千鶴は心底気持ち悪そうに平野をひと睨みすると老婆に言った。

「私が、他の人の子供を差し出したらどうするんですか?他人の子供を奪ってきて、自分の子供と言ってあなたに差し出すかもしれませんよ」

「それならそれでいいさ。この罰はじわじわとあんたが死ぬまで苦しませ続けるだろうよ」

「なんでそう思うんすか?」

「そっちのねぇ。ネクロさんとは違うだろ?あんたはさ。無理だよねぇ。その人みたいになるのは」

 老婆がにやりと笑う。その笑いが悪意の海の底から沸いて出たみたいで、まるで深海に住む不気味な魚や生き物を見ているようで、周囲の人間は皆なんともいえないざわざとしたものを背筋に感じた。

 別に愛し合った者との望まれた子供を取り上げられ、最悪殺されるのなら千鶴の心に大きなダメージを与えるのはわかる。しかし、最悪他人の子供を奪って差し出すことも可能なのに、それでも良いとはどういうことだろうか。その場合、千鶴に何のダメージがあるのか?罪悪感だろうか?
 赤の他人の子供を差し出すことに、千鶴が生涯苦しむほどのダメージを受けるとは思えないが…。
 いや、きっとそう思ってしまう自分が壊れているのだろう。
 確かに、常識的に考えれば許されることではない。しかし、最早法律も倫理もなくなったこの世界で自分が助かるためにやることがそこまで苦しませることだろうか。
 もし、そうなら俺のやっていることもなかなか罪深いものということになるが。
 千鶴の表情を見ると、どんより暗く今にも吐きそうな顔をしている。

「さぁ、どうするんだい?誰が決める?あんたか?千鶴か?」

 老婆がそう言うと、千鶴は俺のシャツの裾を指でつまんで引っ張った。今にも吐きそうに体を前に傾けて口を抑えている。俺に決めろということか。

「ふむ。それでこちらに一切干渉しないというのなら構わない。ただし、ここから西は俺のテリトリーとする。一切の侵入は許さない。侵した場合は、俺とふーこがあんたらを殺しつくすまで襲い続ける。それでもいいかな?」

「元々、今のあたしらにはあんたをどうこうする力がないんだ。こちらの条件を飲んでくれるだけで十分だよ」

「そうかい」

「あんた、首の皮一枚だけ繋がってるね」

「なにがだ?」

「人間としてのだよ。その皮切れたら、もう戻れないから気を付けな」

「…それは、お互い様だと思うがな」

 俺の返しには、もう老婆は反応を返すことなく目をつぶった。
 その様子を見て、多田が大きな声で場を閉める。

「では、3年後に我々は千鶴さんの子供をいただきに参ります。それまで、私たちはここから東をテリトリーとして新たな天国を再建しましょう」

 天国の面々の顔つきがきりっとしまる。

 多田は俺の目を見て「もし、交流をするつもりがあるならいつでも新しい天国に訪れてください。私たちはあなた達が来るのは拒みませんよ」と言ったところで、幼い男の子が不満そうにこう言った。

「えー。僕たちは行っちゃいけないのに、あの人たちは来ていいの?ずるくない?」

「良いんですよ。僕たちは別にあの方々を拒絶したいわけじゃないですから。ただ、あの人達は僕たちに入って欲しくないと思っています。未来の友人となるかもしれない人達が嫌と感じることをわざわざやることはないですよね?」

 多田はしゃがみこみ、男の目の目線に合わせてゆっくりと穏やかに言った。

「そっかなぁ…」

 男の子は憮然として納得がいってないようだったが、これ以上多田を困らせたくないといった様子で押し黙った。

「今度よぉ。思い出話でもしようやぁ。ネクロ野郎」

 平野がニタニタ笑いながら言ってくるが、こいつはなんなんだろうな。

「ネクロさん、お互い将来友好を結べると信じて、これを差し上げます」

 多田がトランシーバくらいのサイズのスマホっぽい端末を差し出してきた。

「ボーダレス社製の衛星を使ったインターネット用端末です」

「へぇ。良いのか。そんな貴重なもの」

「僕たちはもう1個ありますから。ただ、状況的にいつまで使えるかわからないですけどね」

 俺は受け取ったら最後、何か面倒ごとを頼まれそうで一瞬躊躇すると、多田は笑いながら続けて言った。

「大丈夫。見返りは求めませんよ。あのゾンビのとどめを刺したのはあなたですから。報酬です」

「そうか…。じゃあ、遠慮なくいただこう」

 端末を多田から受け取ると、見ていた千鶴がびくっとしている。

「別に、情報が自由に手に入るようになったからって千鶴を追い出したりしないよ。ふ―この世話手伝ってね」

 なんとなく千鶴が思ってそうな心配を潰してやる。千鶴は誰にも見られないようにだろうか、後ろから俺の背中にすがりついて泣いていた。

 3年以内に、子供をか…。
 千鶴の体温を背中で感じながら、生まれてくる子供を想像すると、理由はわからないがもう一人の自分が少し熱くなるのを感じた。

 帰ったら、今日と明日はふーこを一日中抱こう…。


 ⑤

 帰ってきたいつものマンションの居室。
 深夜となった洗面所の鏡の前にふーこが一人佇んでいる。

 一体いつから、どれくらい立ち続けているのか、ふーこは鏡に映る自分をじっと見つめながら立ち尽くしていた。

 自分の世話をする男も千鶴も愛も疲れたのだろう。泥のように眠っている。
 自分は眠る必要がない。眠くもならない。
 少し前から4人同じ部屋で眠っていたが、愛が少し正気が戻ったせいか今日は千鶴と愛は別の部屋で眠っていた。
 男は、自分を一日中抱いてやると息巻いて帰ってきたが、食事を済ませたら風呂に入ることもなく眠りこけてしまった。
 本当なら男の顔を朝まで見つめ続けて過ごすところだが、自分でもわからない。なぜか鏡の前にいる。

 鏡の前の自分は、煌々と赤く輝く瞳が感情を示すことなく自分を見つめ返している。
 ふと自分の右手を上げて爪を見る。

 紅く塗られた爪。
 マニキュアにラメが入っているのか。ただ紅いだけでなく光の当て方で星々が宇宙で輝いているようにきらきらと粒子が光っている。

 ふーこは、じっと彩られた自分の爪を見つめると、ふと歯で人差し指の爪を噛んでそれをぴっと剥がした。

 


 紅く輝いていた指先はどろっとした赤黒い血で彩られ、ぽたぽたと洗面所のシンクに垂れていく。

 剥がされた爪が、赤く染まった洗面所のシンクの排水溝にひっかかって、銀色の部品の上できらきらと光っている。

 続けて、中指、薬指とマニキュアで彩られた爪を剥がしていく。

 1枚

 2枚

 とシンクに落ちていく輝く爪。

 ふーこは、小指の爪に喰いかかろうとしたところで、ぴたっと動きを止める。
 何かを思案しているのだろうか?
 小指のキラキラと輝く爪を時間にして5分程度だろうか、じっと見つめた後に鏡に顔を向き直し、また自分と見つめ合う。

 しばらくした後、着ていた服を脱いでその辺にぽいっと放っていく。
 鏡の向こうでもう一人の自分が裸になっていく。

 全裸になってから、もう一度鏡に向き直した時、自分の表情が変わっているのに気が付いた。
 自分の気持ちを整理したくても、頭がぼーっとしていて、何かを考えようとしても思いつきそうになっても、誰かに無理やり思考を止められているように、何もぴんとこない。靄のような霧のような何かが常に頭の中にかかっていて、ものをうまく考えることができなかった。

 しかし、体はわかっているのだろう。

 この感情を。

 自分が一体どんな存在だったのかを。

 鏡の自分が恨めしそうに自分を見つめている。

 


 ふーこは爪を剥がした指を舐めていく。舐められた箇所はすっと血が止まった。

 それから、全裸のまま寝室のベッドで寝ている男の元へ歩き出した。
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