異世界転生がはじまらない

F.conoe

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 仕事帰り、夕方も過ぎて暗くなってきた住宅街。
 人がいないこの時間に、彼女は見慣れぬ白髪の少年が歩いているのを見つけた。
 きょろきょろと見回している様子から迷子だろうかと思ったが、その青い目がきらきらとしているから、迷子だと気づいていない迷子かもしれない。

 髪は白髪に見えるが、子供で白髪はおかしい。アルビノの目は赤であるし、暗くてそう思うだけで銀髪が正解かもしれない。顔立ちも凹凸のはっきりした美少年だから、外国からの観光客の子供だろうか。

 不慣れな異国で子供が迷子になっているのでは、親御さんはさぞ心配していることだろう。
 声をかけようと近づいていったとき、少年は赤トンボを追いかけて住宅街の外へ走って行った。

 そっちは、車の通りが多い道。

「あぶない」

 急いで追いかけて、危険な道路に少年がいるのを見た時にはスピードの出ている車が少年に向かっているのも見えてしまった。
 車に視線をやれば運転手の顔は驚愕と焦りと恐怖で硬直している。

 世界がスローモーションにでもなっているのか、その短い間に少年が「ん?」という顔でその車を見ているのを確認することまでできた。
 キキーッと鳴り響いた急ブレーキの音と同時に彼女は全力で駆けだした。

 車がもう、すぐ、三十センチ横まで来ている。
 白い髪の小さな体。抱いて逃げるのは間に合わない。
 子供を突き飛ばした彼女は、直後、腰に衝撃を受ける。

 彼女の記憶があるのは、そこまでだった。
 




 目が覚めたら、目の前に美少年の顔があった。

「わぁっ」

 彼女は飛び起きようとして、しかしそうしたら頭突きかますことになるので、ぐっと体をおさえていると。

「よかったー目が覚めたね」

 少年はにっこりと笑ってそういった。
 少年が立ち上がったので、彼女も上体を起こしてみる。
 周囲を見回して「あ」と言った。

「三途の川……」

 色とりどりの花畑の遠い先に、川っぽいものがあるのが見える。
 それを見て、気を失う前にあったことをすべて思い出した。
 痛くない体が全身痛いかのような気がして、身を抱き込む。痛くはない。今は痛くはないのだが。

「私……車にひかれて」

「そう、死んじゃったんだ。ごめんね」

 白い眉毛をハの字にした美少年に見つめられて、彼女は気づいた。

「あなた、もしかしてあのときの子供?」

「うん。そうだよ。本当にごめんね。僕は車にひかれてもなんてことないんだけど、まさかその僕を助けようとしてひかれてしまう人がいるなんて思わなかったんだ。僕の注意不足だった。本当にごめん」

「よく分からないけど、反省しているならそれでいいよ」

 子供というものは考えなしなものだ。仕方がない。
 ひかれた恐怖はまだあるけれど、彼女には死んだという実感がいまひとつないし後悔もなかった。そういうのは後になって出てくるのかもしれないが。
 結婚はしていないし彼氏もいなければ当然子供もいなかったので、親より先に死んだことが申し訳ないと冷静に考えるくらいで、とくに思い残すことがないのが救いだろう。

「うう、許してくれてありがとう。でも僕のせいで死なせちゃったわけだから、おびにお姉さんに今の記憶をもったままの新しい人生をあげようと思うんだ!」

「え?」

「あのね、実は僕、地球のある世界とは別の世界の神なんだよ」

「はぁ……」

 子供がそういう漫画を読んで影響を受けてしまったんだろうか。というのが彼女の感想だった。
 そういえばこの子供がここにいるということは、彼も逃げ切れずにあの事故に巻き込まれたのかな、とも思う。

「むぅ、失礼なこと考えているけど本当なんだからね! あとお姉さんのおかげで僕は転んだだけだったよ! ありがとう!
 あのね、本当に僕の世界っていうのがあって、僕の世界には魔法があって、魔物とか魔王とかもいるスリリングで楽しい世界なんだよ!」

「そうなの」

「無邪気に話す子供を見るような優しい目で見ないで!
 僕これでも神だからお姉さんより年上なんだからね! すっごくいっぱい生きてるんだからね! 体が子供なのは、神の中では子供だからだけど、僕が神なのは本当なんだよ。
 日本にいたのは、あの世界の神は魔法無し縛りで面白い世界を作ってるって有名だったから、見学に行っていただけなんだよ。ちなみにとっても面白かったよ! 僕は魔法好きだから無し縛りはいやだけど、機械もかっこいいよねー!」

 神だとしてもやっぱり子供なんじゃないか、と彼女は思った。

「もー! いいよ! 子供だよ! それでいいよ!
 とにかくお姉さんの世界の神とは違うから生き返らせるほどの干渉はできないけど、僕の世界なら自由にできるからさ。だからお姉さんのこと、僕の世界に転生させてあげようと思うんだ。
 せっかくだから美人で、すごい能力を持った人がいいよね!? こういうのお姉さんの世界ではチートっていうだよね?
 ねぇお姉さん、どんなチートが欲しい? なんでも授けてあげるよ!」

 非現実的な話、一緒に死んだっぽい子供、けれどよく見れば美少年の体は白く発光していて、自分の体はどう目をこらして見ても光ってはいない。
 言葉にしていない考えただけのことを読みられる、美少年のその造形のありえない美しさ、年齢にそぐわぬ語彙ごい力から、彼女もやっと本当に神様かもしれないと思った。
 そして真面目にその提案について考えて。

「嫌です」

「え」

「転生したくありません」

 迷いなく答えた。

「えっと、どうして?」

 ばばばっと瞬く間に脳内で展開された思考は読み取れないのか、はたまた混乱しているからか、神様はそんなことを聞いてくる。
 座り込んだ姿勢のまま、少年を見上げて彼女は語った。

「お詫びに私を転生させる、ってことは、神様に過失がなかったときは転生されないってことですよね。そのまま死ぬってことですよね」

「もちろんそうだよ。本来はそうだからね」

 彼女は不愉快そうに眉をひそめた。

「おかしいじゃないですか。なんで私だけ救いがあるんですか。なんで他の不慮の事故や病で死んでしまった人はそのまま、神の過失ではない運命だった、なんていう理由で普通に死んで終わるのに、私だけたまたま助かるんですか」

「そ、それは、そういうものだし……」

「しかもチート授けるってなんですか。真面目に生きてがんばっている人たちにご褒美をあげるんじゃなく、たまたま神様がやっちまって死んだだけの私が、なんでそんなすごいものを授けられるんですか。理不尽じゃないですか。不平等じゃないですか。人の努力を馬鹿にしているんですか! そんなの間違っています!」

「そ、そうですね!」

「私は努力せずに結果だけ得ようという考えは賞賛できませんし、同じ理由で自分がそうなるのも楽しくありません。
 ありがたくはありますけど納得できません。
 そもそも悔いのないように生きてきたので、死んだなら死んだでいいです。
 私に詫びをしたいと思うなら、その詫びの分だけあなたの世界でまっとうにがんばっている人たちにご褒美をあげてください!」

「承知いたしました!」

 少年神様とっさに敬礼して声高く言った。
 言いたいことを言ってすっきりしたらしい彼女が少し肩の力を抜いたのを見て、少年神様もぴんしゃんと伸ばした背筋を丸めて、しょぼんと肩を落とす。

「うう、ごめんなさい。僕はとても悪い? ことをしようとしていたんだね……他の神もやらかしちゃったときこうしてるから、いいかなぁって思ったんだけど」

 キッと彼女の眼差しがまたするどくなった。

「赤信号みんなで渡れば怖くなくても悪いことは悪いんですよ! 車来たらひかれますよ! 私ひかれましたよ!」

「そうですね! すみませんでした!」

 がばっと頭を下げる。
 神様に頭をさげられてるとかすごいな、と冷静な頭は考えたが、彼女はやっぱり子供に対するような気持ちでいた。

「分かればいいんです!」

 ふんっと彼女が息をつくと、少年がそろりと頭をあげながら情けなく言った。

「うう、神より立派な考えの人間とか、神の面目丸つぶれだよ……」

「この程度でつぶれる面目なんか捨ててしまいなさい」

 地の底から這い出てくるような恐ろしげな声で言われて、神様ふたたび背筋を伸ばした。

「そうですね!」

 かくして神を助けた彼女は普通に死んで、普通に輪廻りんねの流れに戻されることになったのだが。

 天界につながる花畑に響き渡ったお説教を聞いていた神もびくりとした神も少年一柱だけではなかったようで、彼女の新しい生は努力が報われるような運命のものになったとか。

 また、事故を起こした車の運転手は、記憶を消され車を元に戻され、いつもと変わらず帰宅した。彼女の遺体の損傷は癒され、死因は急性心不全とされた。事故の目撃者の記憶や監視カメラの映像、現場の状況もすべて平穏ななんでもない日々のものに変えられている。

 神のやらかした事故はなかったことになった。


   ++++


「怒られた……いいことしようとしたつもりだったのに怒られた」

 輪廻の流れにもどっていった恩人の女性を見送って、神のおわすべき場所に帰ってきた少年神様は、雲のようなクッションを抱えて雲のような床の上でごろごろしていた。
 その横には、頭上に光輪のある六枚羽の金髪美女が、表情のない顔で立っている。

「私は全面的にあの人間の意見に同意ですわ」

「天使がつめたい」

「いつものことでございましょう。それよりお詫びで努力している人間に祝福を与えるのをさっさと済ませてしまいましょう神様」

「はーい」

 その日、少年神様の世界で天上より光が降り注ぎ、世界中の努力していた人々に神の祝福がさずけられた。
 この日より文化大革命が巻き起こり、時代は新たな局面を迎えることとなる。

「やりすぎです」

 と怒るだろう人はもう別の人生を始めていて、どこかの神様がお説教をされることはなかった。

 がしかし、悟りを開いて輪廻りんねを抜け、天の人となったとある女性に少年神様がとつとつと本物の仏陀さとったひとの説教をされることになるのだが、それはまだ遠い遠い先のことなのである。
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