霊和怪異譚 野花と野薔薇Ⅱ〜エイエン語り〜

野花マリオ

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蜂黒須怪異談∞X∞

0054話「イチジュク」

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 ――その果実は、心の形をしていた。

 ⸻

 瑠奈「うわぁ……どうしたの?この果物の山」

 瑠奈の声が弾んだ。八木家のリビングに入り込んだ瞬間、目に飛び込んできたのは、テーブルから溢れんばかりの鮮やかな果実たちだった。朱色、深紅、黄金、そして…見たことのない、どこか血のように暗い赤。

 美月「親戚が果樹園やってるんだって。虫男さんのね」と美月が答える。「どうも“食べきれないから”って、箱で押し付けてくるみたい」

 瑠奈「じゃあ…遠慮なく?」

 笑い合いながら、瑠奈と美月は果実を次々に口へ運んでいく。そこに楓と虫男、鮫長も加わり、八木家は果実の楽園と化していた。

 ——そのとき、まだ誰も知らなかった。

 “熟れすぎた果実”は、人の心を甘やかし、そして腐らせることを。

 ⸻

 「1」

 あれは、小学六年の夏。

 母の実家で過ごした数日間の、ある夕暮れだった。私は年上の従姉・真菜に誘われて、裏山の林に入った。

 蝉の鳴き声も薄れ、空が朱から群青へと変わる頃、風の通わない木陰にそれはあった。

「これ、食べたことある?」

 真菜が指差したのは、低く垂れた枝にぶら下がったひとつの実だった。赤黒く、果皮が破れかけていた。

「……柿?」

「“イチジュク”って言うんだよ。ひとつだけなら、だいじょうぶだから」

 そう言って真菜は、笑いながら果実をもいだ。

 皮を剥くと、果肉がどろりと露わになり、甘く濃密な香りが周囲の空気を支配した。なぜか、喉が渇いた。

 私は一口だけかじった。

 甘かった。でも、甘すぎた。

 のどに、ざらつく甘さが引っかかった。

 そして、何かが始まった。

 ⸻

 「2」

 その夜から、私は変わった。

 布団の中で目を閉じても、心臓の音が耳に残る。
 夜が深まるほど、その鼓動はだんだんと大きく、そして…不自然に早くなる。

 夢の中では、イチジュクが潰れる音が聞こえた。

 ぐちゅ……ぱきゅ……ぴちゅん。

 舌に残る甘さが、朝になっても消えなかった。

「……あの子、食べたね」

 祖母がぽつりと呟いた言葉が耳に残る。
 母は笑って取り繕ったが、祖母は笑わなかった。
 それどころか、仏壇の前で一晩中、線香を絶やさずにいた。

 その夜、私は部屋の隅で“何か”を見た。

 暗闇の奥に、誰かが立っていた。顔は見えない。ただ、その手に熟れたイチジュクが握られていた。

 ねっとりとした汁が、畳の上にぽたぽたと落ちていた。

 その音に合わせて――私の心臓が、ごくり、と鳴った。

 ⸻

 「3」

 二年後。真菜は行方不明になった。

 林の奥に入って、そのまま三日間、誰にも見つからなかった。

 発見されたとき、彼女は木の根元に座り込んでいた。右目だけが開いていて、左目は……無かった。

 まるで、何かに喰い破られたように、くぼんでいた。

 彼女は何も語らなかった。泣きも怒りもしなかった。ただ、視線だけが空を彷徨い続けていた。

 母と伯母が、静かに会話しているのを聞いた。

「……やっぱり、“熟れた”のよ」

 その言葉の意味は、私にはわからなかった。

 けれど、心のどこかで思っていた。

 私も、いつか“熟れてしまう”のだと。

 ⸻

 「4」

 東京での暮らし。誰にも話していない秘密。

 大学の帰り、ふと寄ったスーパー。果物コーナーの一角に、それはあった。

 《イチジュク 限定入荷 熟度MAX》

 札に書かれた言葉が、脳の奥で音になって響いた。

 気づけば、手が勝手に動いていた。
 レジで支払い、帰宅して冷蔵庫に入れた。
 夜、包丁で皮を剥く。
 果汁が指にとろりと絡む。

 一口、かじる。あの夏の記憶が一斉に蘇る。

 口の中が甘さでいっぱいになるのと同時に、涙が頬を伝った。

 その夜、見た。

 部屋の天井に、あの“影”がへばりついていた。

 果実を持った手が、私の鼓動に合わせてゆっくりと動いていた。

 ⸻

 「5」

 二十三歳の誕生日の朝。差出人不明の封筒が届いた。中には一枚の手紙。

「ねえ、まだ食べてるでしょ。

 あれね、一度食べると、もう離れられないんだよ。

 私、七個食べた。

 それ以上食べるとね、中から音がするようになる。

 ……心臓と、入れ替わるんだって。

 “イチジュク”って、“一熟”って書くの。

 一度だけ熟して、それで終わり。

 人の命も、あの果実も、ほんとは同じ。

 気をつけてね。まだ間に合うかもしれないから」

 冷蔵庫を開けると、買った記憶のないイチジュクがそこにあった。

 包丁で切ると、果肉の奥から、**赤黒く脈打つ“核”**が見えた。

 それは、心臓にそっくりだった。

 ⸻

 「6」

 部屋に、誰かがいる。

 寝ても覚めても、“音”が消えない。
 心臓の鼓動が、自分のものじゃないように感じる。

 背中に触れた、冷たい“実”の感触。

 私はもう、人間じゃないかもしれない。

 胸の奥で、何かがビクッ……と跳ねる。

 ビクビク……ビクッ……トクン……トクン。

 それはまるで、私の心臓のように。

 でも、違う。

 それは果実だ。

 ⸻

 「7」

 病院には行っていない。
 見せたら壊れてしまう気がした。

 私はいま、部屋の隅で、ひとり。

 鼓動が止まらない。
 音が、身体の奥で鳴り響く。

 ビクッ……ビクビク……ビクン……

 指を胸に当てると、何か柔らかく、果肉のようなものが動いている。

 もう、戻れない。

 鼻の奥に、腐りかけの甘い香りがこびりついている。

 そして私は知る。

 ——この果実は、私になるのだ。

 ⸻

 「8」

 桜「こんにちはー。楓ー。サボテンフルーツ持ってきたよ。お裾分け」

 楓「……」

 桜「どうしたの?」

 楓「なんでもないわ」

 瑠奈がつぶやく。「……またか」

 八木家では今、また果物の“お裾分け”が集まり始めていた。かつて食べきれず、持て余した季節の恵みが、今度は別の“種”を持っていた。

 箱の中。鮮やかな果実の列に、一つだけ、異様に赤黒い果実が混ざっている。

 熟しきった“イチジュク”。

 けれど、誰がそれを持ち込んだのかは、誰も知らない――

 イチジュク 完
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