彼らの話。

ロウバイ

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え、僕?!

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○私にしては珍しい普通のハピエンです!
◯マイペース攻め×鈍感受け


 想像してみてほしい。
茹だるような溶けるほど熱い教室で、男二人。お互い特に親しくはなくて、ごく普通のクラスメイトレベル。目の前に座って、呑気にアイスを食べているそいつが暇つぶしと称して持ち掛けてきたのは、好きな人当てゲームという非リアの僕にとっては縁遠い話だった。

そこまではまだよかった。男同士でやるような会話じゃない気もしたが、水に流しておこう。
だが、好きな人当てゲームの好きな人が実は自分のことを指しているなんて、誰が思うだろうか。

もしかすると、相手の心を読めるなんて厨二病じみた能力をお持ちの方なら分かったのだろうか。だが、残念ながら僕はごく普通の高校生である。ちなみに、厨二病はちゃんと3年前に完治済みだ。

―――後々、人にこの話をすると「それお前のこと言ってるに決まってるじゃん!」とツッコまれるようになるとは、その時の僕は思いもしなかった。




 高校はバスで通える範囲内。
それでも朝に弱い僕には、常に優雅な朝なんてものはない。いつも限られた僅かな時間の始まりは、一応外に出ても人目を引かないレベルに容姿を整えることからだった。
ぺぺっと寝癖で少し荒れたような気がしなくもない髪をいじり、手を水道水で濡らす。一度も染めたことのない黒髪は、どこか浮かないような雰囲気を助長していた。
とくにワックスで髪を整えるなんて洒落たことはせず、適当に顔を洗って乱暴にタオルで肌についた水滴を拭う。ふと顔を上げると、洗面台の前についている僕の腰あたりまで映る無駄に大きな鏡に、いつもの平々凡々な顔面とご対面した。どこか自慢できそうなところはないかと鏡に顔を近づけてみるが、普段より眠そうにしている瞳ぐらいしか見つけることができなかった。どこか物足りないが、どこが物足りないのかわからない。そんな中途半端な顔は見ていても特に楽しくはないので、即座に陶器製のコップにたてられた歯ブラシへと視線を動かした。


 支度ができたら、次は腹ごしらえだ。
ジャムを塗りたくった六枚切りの食パンにサクリと歯を立てながら、スマホをスワイプしていく。
画面には各地で最高気温が更新されているという恐怖の文字が踊っていて、見るだけでも登校が憂鬱になるものだった。どこかでは今年初の四十度を超える地域もあるらしい。都道府県名を見るに、僕が生きている街ではないようでとりあえず安心した。
じんわりと舌がイチゴと砂糖の甘さを伝える。
やっぱり甘いものは最高だ。

突然だが、僕の両親は基本的に放任主義である。
おそらくそれぞれ仕事や趣味やらが忙しいことが影響しているのだろうが、たまに生きているのか不安になるほど顔を合わせない時もあるため、ちょっとやばいなと思っている。まあ僕も当たり前だが、思うだけで特にこれといった行動に移すことはない。しっかり僕は、あの両親の子供であるのだ。
そのため、基本僕の家では「自分のことは自分でする」がモットーだった。洗濯も、食事も、掃除も基本的には自分でする。シャツや靴下が溜まってきたら自分で洗濯機を回すし、気が向いたときには自室に掃除機をかける。
食事に関しては、母が夕方あたりには帰ってくるため夕食は用意してもらえるが、それ以外はすべて自分でだ。

僕は基本的に何を食べるかを考えるのが面倒なため、二食分のメニューをだいたい決めている。多少のイレギュラーが発生することもあるが、甘ければなんでも口に入れることができるため無問題だった。
甘いものが好きな僕は少々内容が偏りがちだが、対照的に今年から高校生として青春を謳歌している妹は、とてつもなく完璧な朝食を食べているようである。おそらく、保健あるいは家庭科の教科書に登場するような朝食。
キッチンのかごに無造作に詰め込まれている食パンの減り具合と、冷蔵庫の中身の変化からそれは読み取ることができた。
この前、僕のお気に入りのジャムトーストを勧めたところ「こんな物食べたら肌が荒れる」と一喝され、少々傷ついた。僕は健康よりもなによりも、満足度を取る派であるため、きっと妹と食に関して馴れ合うことは一生ないのだろうなと悟った一件である。

 朝食はともかくジャムトースト一択である。
異論は認めたくないけれど、まあ認めるとしよう。

そういうくだらない謎な文章を脳内に浮かばせながら、僕はおそらく何百回と乗っているバスに揺られて今年で二年目となる学校へと送られていった。
窓を滑るようにして変わっていく見慣れた光景にすぐに飽きてしまい、リュックサックの前方のポケットに入っているイヤホンを引っ張り出す。ホーム画面に置かれた赤色の音楽配信アプリのアイコンをタップし、シャッフル再生を選択する。耳に突っ込んだワイヤレスイヤホンからはお気に入りの音楽が流れていて、気怠げな朝を少しだけ色づけていた。


 しばらく音楽に身を任せていると、学校のほぼ目の前に位置するバス停の名前が告げられ、慌てて停車ボタンを押す。僕がいつも乗るバスの乗客は、ほとんどが僕が降りるバス停の先にあるところを目的地とするサラリーマンや大学生が多い。押し忘れた場合他に降りる人なんていないため、乗り過ごし僕の遅刻が確定してしまう。いつもギリギリを攻めている僕にとって、降り過ごしは死活問題なのだ。

運転手に定期をちらりと見せ、顔を合わせることもなく飛び降りるようにして下車する。ゆったりと時間をかけて降りると、常に時間が不足していそうな他の乗客たちに冷たい視線を向けられそうであるため、いつも僕はどこか急かされるようにして降りていた。

 車内とは打って変わってじわりと暑い熱気に包まれながら厳かな正門を通り抜けると、大体見慣れたメンツがあくびを噛み殺すようにして教室への道を辿っていた。特に言葉を交わしたことはないが、毎朝顔を見合わせているため勝手に知人扱いさせてもらっている。ミンミンと、セミが忙しなく鳴いていた。
赤の他人と言ってもおかしくない生徒たちの中に僕と同じクラスの人間を何人か見つけて、自然と視線が寄った。
そこで、彼の眠たげなオリーブによく似た目と僕の目がかち合う。

彼―――といってもただのクラスメイトに過ぎない同級生、三月盛那みつきさかなと僕はよく目があった。なぜかと問われても、僕自身これといった理由が思い当たらないため、答えは出せそうにない。強いて言うなら、彼とは違って影に生きる人間が珍しいだけなんだと思う。
三月はどこからどう見てもクラスの中心となる男女入り乱れたグループに属していて、いわゆる陽キャと呼ばれる分類の人間だ。対して僕は自分で言ってても悲しくなるが、限りなく影に近い者。毎日言葉を交わす数少ない二人の友人といつも、クラスの窓側に位置する僕の席で駄弁っている。そんな僕らを背景として、どこかきらきらとした日常を送っているのが彼らだった。
漫画で見るようなスクールカースト的なものは僕のクラスにはないが、なんとなく目立つ人間とそうでない人間の集まりはできる。
目立つ側の三月ではあるが、彼はグループの中でも中心人物とまではいかない奴だった。並みに運動も勉強もでき、もとより色素が薄いという見目はそこそこ整っていて悪くない。だがどこか決定力の欠ける三月は、騒ぎ立てないマイペースな性格も相まってか、中心人物となる生徒の隣にいる相棒的ポジションに収まっていたのだった。

三月のどこか緑がかった不思議な色合いの瞳とほんの数秒だけ見つめ合い、僕の方から離す。なんとなく気まずい心象を覚えたからだ。たらり、と背中を汗が滑った。心を掴むような彼の目は、あまり長時間見るものではないような気がした。もう一度三月に視線を戻すと、彼はクラス一の陽キャである笠木かさきに話しかけられていて、こちらからは視線を外していた。

「俺昨日さー彼女にサプライズしたんだけどさー」
「彼女喜んで泣いちゃって、ちょーかわいかったー」
「よかったな」

(リア充滅べ)

条件反射というのだろうか。唐突に僕の中にその言葉が浮かび上がってきた。僕の名誉のために言っておくと、決して聞き耳を立てていたわけではない。
笠木の声量はとてつもなく大きいのだ。具体的に例を挙げるとするならば、去年の文化祭で開催された大声大会で優勝するレベル。そんなところも彼をムードメーカーたらしめているのであろう。

朝から聞きたくもない、同級生のムカつく惚気を垂れ流されて僕の気分は少し斜めに下がった。
ちなみに、僕に恋人はいたことはない。この前、妹に彼氏ができたと告げられたときは無性に虚しくなった。


 その後、特に三月との接触はなく僕は教室に足を踏み入れた。僕の前を歩くようにして進んでいた三月たちは先に教室に入っていて、教室にて合流したいつメンたちと何やら盛り上がっていた。その賑わいを避けるようにして後ろから二番目窓側の僕の席へと移動し、リュックから教科書類を取り出していると、気心のしれた二人の友人が僕の席へと集まってきた。

「おっは、弥生やよい
「弥生くんおはよー」

センター分けの方の木鳥きとり、焦茶色に髪を染めている鹿倉しかくらだ。この二人は、僕が社交会話以上の話をする数少ない友人の二人であった。二人とも僕と同じ図書委員であり、なにより漫画好きであった。
漫画オタクがあまりいないこのクラスで、彼らは僕にとっての聖域のような存在だった。

「今日の三時から最新話更新だよねー」
「マッジで、あの展開からどうやって続くと思うよ?作者の意図分かんねぇ…」
「やっぱり、主人公が覚醒すると思うよ」
「おっ弥生もそっち側か」
「ネットでは敵が覚醒派が多いんだよー」
「その線もありそうだね」
「俺はやっぱ主人公を信じてるぜ」
「どうなるんだろうねー」

そんなくだらない会話をしていると担任が教室に入ってきたため、僕らは各々の席へと戻った。



四限目の体育が終わり、急いで着替えて購買へと続く階段を駆け下りる。
体育はバスケで、片付けなどで思ったより時間を取られてしまった。体育は嫌いではないが、一ヶ月に一回の頻度でボールやラケットが顔面に当たるため、体育の神様には嫌われているようだ。走りだけは得意なので、まあ神様も完全に僕を嫌いきってはいないのだろう。

僕の家では朝食同様、お昼も各自で用意するように言われているため、僕はいつも購買でパンを買っている。それはそうなのだが…。

(やばいな…今日は間に合わないかもしれない…)

この学校の購買に置かれているパンは二個入り全四種類あり、各種類一日十五個セット限定だ。僕のお気に入りは、その中でも人気のスイスイセットである。いちごメロンパンと蜂蜜フレンチトーストのセットという、僕のような甘党にはもってこいのセットだ。そこそこ量もあるため、それだけでとっちり満たされる。
味よし量よし値段よしの三拍子が揃っている購買パンは、生徒の間ではかなり人気で十分もすれば売り切れてしまう。僕はいつもこのスイスイセットを狙って、無事ゲットしている。が、それは四限目の終鈴ぴったりに教室からダッシュしているからであって、今日のような体育の日は少し難しい。
なるべく急いで着替えたが、スイスイセットをゲットできる確率はいつもを百パーセントとすると四十パーセントほどだろう。タタタ、と所々でつまづきそうになりながら駆け下り、購買場のドアをくぐる。

パンのコーナーを見ると、そこにはちょうど二種類のパンが一つずつ残っていた。お馴染みのスイスイセットと、モリモリセットという卵カツサンドとむにチーズパンのセットだ。

(よかった…)

安心しながらスイスイセットへと手を伸ばそうとすると、僕の前に誰かがスイスイセットを掴んだ。

「ん…?え…?」

咄嗟のことに、変な声が出る。
僕のスイスイセットを横取りしたやつは誰だと思いながら顔を上げると、そこには予想外の人物がいた。
特に感情を乗せていない三月の顔。一瞬合わさった瞳はいつもどおり冷静さを物語っている。三月の中にいる僕は、面白いぐらいに無表情だった。

「なんだ?」
「あー…特になにも」
「ん」

それ以上言葉を交わすことはなく、三月はレジの方へと去っていく。その姿を、唖然としながら眺めた。

彼はジャージのポケットから財布を取り出す。彼は四限目の前、事前に財布を入れておきそのまま購買に来れるようにしていたのだ。そこが僕の敗因だった。

(くそ、次からは絶対ジャージのままで来よう…)

宙を漂っていた手で、モリモリセットを手にする。
別におかず系が嫌いなわけじゃないが、僕は好物の甘いもの以外を食べると、急激に口を動かす速度が遅くなってしまう。かなりの謎だが。
いつも甘い系なら早いため、今日のような天気のいい日は木鳥と鹿倉とともに中庭で食べているが、おかず系なら時間的に難しくなってしまう。

教室にはいつも昼は三月たちが居る。別に気になるってわけじゃないけれど、目が合う頻度も増えなんとなく気まずい。だけれど、ちゃんと昼は食べれるようにという二人の心遣いを断るのは申し訳ない。オタク話につい盛り上がってしまう僕の羞恥心より、三月との謎の気まずさよりも、守らなければいけないものはあるのだ。
しょうがないしょうがないと、僕はスラックに入れていた財布を取り出し、百円玉硬貨を二枚取り出した。



 長かったようで案外短い一日が終わり、ホッと一息つく。六限目の古典の授業が終わると、僕ら学生は一気に自由の身となる。教室が授業の時とは打って変わって賑やかになり、同級生たちの纏う空気が少し緩んだのをなんとなく感じた。帰る支度を整えていく同級生たちに羨望の目を向けながら、頬を付く。
図書委員の当番でない今日、帰宅部でもある僕は速やかに家に帰れる予定だった。

という過去形になるのは、ホームルームのため教室へと戻ってきた担任から記入してほしいアンケートがあると告げられたからだった。なんでも、この前熱を出して休んだ日に学校全体で実施したアンケート調査があったらしい。少し時間がかかるかもしれないから終礼のあと残ってくれと言われたときは、思わず頭を抱えたくなった。残るというのは、帰宅から遠ざかることを意味する。
今日は好きな漫画の更新日だから、できることなら早く帰りたかったのに。

 一緒に帰ると約束していた鹿倉と木鳥に謝り、先に帰ってもらうように促す。二人は待つと言ってくれたが、彼らも僕と同じようにして最新話を楽しみにしていることをよく理解しているため、そこは押し切った。オタクにとって、最新話ほど心待ちにするものはなかなかない。しばらくの押し問答を繰り返し、結局鹿倉と木鳥が折れてくれた。
「明日は一緒に帰ろー」という言葉を残して去っていく鹿倉と木鳥に手を振り、机の上に置かれた白紙のアンケート用紙の束へと視線を下ろす。アンケートは三枚ほどのプリントが束ねてあり、たしかに時間がそこそこかかりそうだった。

(先に帰ってもらって正解だったな。)

ほんのりと胸に湧いた寂しさを見なかったことにして、ペンケースからシャーペンを取り出す。「日常に関するアンケート」なんて、僕の私生活を知ったところでなんになるのだろう。三月みたいな考えがあまり読めない奴のなら面白そうだな、と思うがそんな考えはすぐに乾いた教室の空中に霧散していく。
カチカチ、とシャー芯を出してアンケート用紙の表紙を開く。
ずらりと並んだ質問項目に、思わずうへぇと間抜けな声が飛び出た。

『就寝時間は?  午後十一時。』
『起床時間は?  午前六時。』
       ・
       ・
『家族構成は?  父、母、自分、妹。』

淡々と問われたことへの答えを記していく。
本当は就寝時間と起床時間は約一時間以上後ろにずれるのだが、知る由もないだろう。答えの中に少しの嘘も混ぜながら、空欄だった場所を埋めていった。

 喉の乾きを覚えて、動かし続けていた筆を止めた。気づけば教室にいた同級生たちは全員、部活や委員会に向かったり帰宅したりしてしまったようだった。
教室には僕一人で、どこか乾いたような印象を受ける。終礼が終わるとクーラーを消すという省エネに取り組んだ結果、この教室はむしむしと暑い。

『将来の夢は?』

ちょうど少し回答に困る質問が出てきて、一旦休憩をとることに決めた。ちょうど喉も乾いていたし。
机の隣にあるフックに吊るすようにして掛けていたリュックから水筒を取り出し、口に緑茶を含む。
じんわりと苦い味が舌に広がって、顔をしかめる。それでも喉を流れる冷たさに絆されて、二口三口と飲み進めてしまう。十分に喉が潤い、冷たさよりも苦みが勝った時。

彼は現れた。

「弥生…」

どこか驚くような感情を含んだ声は、いつも目だけが合う三月だった。思えば、今はじめて彼に自分を意味する言葉を紡がれたような気がする。ちょうど、いつもどおり彼のオリーブのような瞳と僕の視線が繋がる。

(こいつってもしかしなくても、人と喋る時もちゃんと目合わせるタイプか…?)

そんなどうでもいいことをぼんやりと思っていると、タッタッと足音を立てて三月が近づいてきた。忘れ物でもしたのだろうかと彼が教室にいる理由を考察していると、三月はどかりと僕の前の席に腰を下ろす。
急なことにびっくりしている僕を置き去りにして、三月は勝手に僕の手元を覗き込んだ。

「この前のアンケートか」
「あっ、見るなよ!」

じとりと僕の回答を眺めている三月に気づいて、少し慌てながら手でそれを隠した。陽キャの遠慮の無さに震えていると、三月は途端に興味を失ったようですぐに視線を窓の外へと移した。そんな三月に少し安心しながら、僕も目線を滑らす。だが、予想外のこととは連続して起こるものらしい。
僕は、彼の手元を見てぎょっとした。

「三月、部活は?」

普通に整った横顔へ問いかける。色素が薄い三月の、染めていないと噂の茶髪は窓から差し込んでいる日に透かされて飴色に輝いている。甘そうだな、と場違いにも甘党の僕は思ってしまった。

 三月は入学当初から笠木とともにバスケ部に所属している。その平均よりありそうな身長を活かして、そこそこ試合でも活躍しているらしいが、特に興味もなかった僕はそれを風のうわさで耳にする程度だった。
だが、三月という人物を構成する大きな要素の一つとしても過言ではないほど、僕の中で三月とバスケは結ばれている。彼がいつも終礼終わり、笠木とともにそそくさと部活に向かっていることから、勝手に三月を部活に熱心な奴だと思っていた。

だからこそ、今ここにアイスを片手に座っていることが不思議だった。

「…面談だから休む」

少しの間を空けて言われた理由に納得する。
今、学年では一年後に迫る受験の準備として志望校諸々を問われる進路面談が盛んだった。だいたい三十分から一時間ほどの時間を要するらしく、部活に所属している生徒は大半が面談が入っている日は練習を休んでいるようだった。
ちなみに、僕も一応来週の水曜日に入っている。苦手な数学についてとやかく言われるんだろうなと思うと、気が重かった。
そこで、面談中だからアンケートは職員室に出しにいくように担任から言われていたのを思い出した。

(最悪だ…僕が家に辿り着くのはまだ先になるのか…)

僕は心のなかで顔をクシャッと顰めた。とにかく、手を抜けそうな質問は最低限で済ませるようと心に決める。

 そう僕が変な決心をしているなか、三月はベリッと勢いよくビニール包装を破り取って出てきたアイスを口にした。透明のビニールから姿を現した水色のそれは、おそらくサイダー味だろう。ふわふわとアイスの周囲にもやが泳ぐ。ふんわりと霜を被っているそれは、この暑い教室ではすぐに液体へと還ってしまいそうだった。

「あそ…てか、そのアイスどこに売ってたの?」
「あ?…購買」
「うわ、購買神ってるな」

購買にアイスまで置いてあることを知り、これは得なことをしたと思う。明日、ぜひ鹿倉と木鳥を誘って調達しに行こう。

 ふと黒板の隣に掛けられた掛け時計を見ると、僕が休憩に入ってからすでに五分が経過していることを告げていた。そろそろ再開しなくては、帰宅が遠ざかる一方だ。
筆をもう一度手にし、回答をスタートした。

『将来の夢は?  弁護士。』
「お前、弁護士になりたいんだ」
『好きな季節は? 冬。』
「へー俺とは違う」
『趣味は?  読書、アニメ鑑賞。』
「お前図書委員だしな」

思わず書き進めていた手が止まる。
顔を上げると案の定、三月がしゃくしゃくと口を動かしながら覗き込むようにして僕の回答を眺めていた。
筆を止めた僕に疑問を覚えたのか、下がっていた三月の視線が上げられ、僕の視線と交わる。パチリと合わさった瞳の中に、ぱちりと小さな火花が散ったように見えた。

「書けよ、どうした」
「いや、どうしたじゃねー。三月こそなんだよ。人にいちいち感想言われると書きづらいんだけど」
「しょうがないだろ、暇だし」
「しょうがなくないし、ドヤ顔で言うことでもないだろ…」

思わずため息をつく。

「………なら、俺とゲームしろ」
「…え?ゲーム?」
「好きな人当てゲーム、強制参加な。勝ち負けありだ」
「え、ちょ、」
「俺はヒントを考える、お前は俺の好きなひとを予想しながらアンケートを埋めていく。俺は暇にならなくて、お前はアンケート書けてwin-winだろ」
「いや、えぇ…」
「当てれたら、お前の勝ちだ」

しれっととんでもないことを言い出した三月に困惑する。
てか、こいつ好きな奴いたのか。そこが僕にとっては一番驚きだった。なんとなく人に興味がないと思っていそうな印象があったため、こっそりと謝っておく。

「ま、まぁいいけど…それにしても、そのゲームにする必要ある?」
「ある」
「そんな食い気味に…」

代替案として、しりとりなどが僕の頭に浮かんでいたが秒で潰される。

「うーん…じゃ、それでいいよ。ほい、ヒント出して」

 シャーペンをギュッと握り、三月に推進の言葉を投げかける。三月は自分で提案したにも関わらず、僕が教室にいることに気づいたときのような顔をした。
少しムッとするが、まあいいかとカリカリとペン先を動かす。残る質問数は、最初の三分の一ほど。きっと三月の遊びに付き合っても終わるだろう。

空欄を埋め始めた僕を見て、何を悟ったのか三月はようやくそのゲームとやらを開始した。

「…始めるぞ」
「おけおけ」
「まず、バス通学」
「うん」
「運動が苦手で、そこもかわいい」
「うんうん」
「多分、俺と同じでおかず系のパンが好き」
「おー」
「俺とは反対で、暑いのが嫌いっぽい」
「ほー」
「そんで、黒い髪のやつ。あと、笑顔がくそかわいい」
「はえー」

 三月のところどころ彼の感想が混じった言葉に、適当に相槌をうっていく。はたして本当に三月が出した情報が当てはまる女の子がこのクラスに居るんだろうかと、模索する。
とりあえず、名簿のはじめのほうから顔を思い出して自分の知っている情報と擦り合わせてみようと思ったが、二番目あたりからあやふやになって、五番目には考えるのをやめることが適切であることを悟った。
そもそも、家族と鹿倉と木鳥でほぼ構成された僕のちっぽけな世界では女子と関わることはあまりないため、はじめから愚策であった。

 僕は聞く専に徹することに決めた。言い換えれば、この勝負の負けを確信したのだった。
別に三月の好きな人を知ったところで、弱みとして握ってやろうなんて非道なことは考えていない。ただ、三月という人間に「陽キャ・茶髪・バスケ・ゲーム好き」以外の要素が追加されるだけだ。
それにしても、少しは遊んでいそうな三月が相手の身体的な部分を口にしなかったのには意外だ。僕らぐらいの年頃は、失礼かもしれないが、胸の大きさだとか太ももの太さだとか、そういうところも魅力の一つとして捉え始める。
まあ、僕にとってはよくわからない話だが。

「それから、ネクタイがよく似合う」
「ふーん…ネクタイねー……うん?」

そうリピートしたところで違和感を覚え、ハッと気づく。
ネクタイ。ネクタイである。

僕の通うこの高校では基本的に女子はリボンを付け、男子はネクタイを締めていた。妹の高校では、性的指向に配慮してそういった男女の明確な違いがでるような制服を廃止しているようだが、うちでは違う。

つまり、彼―――三月が好きなのは、男子生徒であるということである。一気に謎の濃厚さが増した恋バナ(?)に僕は、とんでもないものに手を出してしまったのかもしれないとこっそり冷や汗をかいた。

(三月を落とす男って…どんな奴なんだろ…)

 三月という人間は、そこそこの数の女子に好意を寄せられている者である。三月自身が、そういったセクシャリティをもつならまた別の話になってくるが、彼の過去の恋人の中に男の名前はなかったように聞いていた。
きっと、彼にとってのイレギュラーなんじゃないだろうか。

「三月…間違ってたら悪いけど、好きな人ってもしかして男…?」

僕が恐る恐る問いかけると、三月はあっけらかんとまるで当たり前のことを告げるようにして答えた。

「だからなんだ?…キモいとでも思うか」

キモい。
その率直な三文字が、殴るようにして僕の頭を揺るがせた。じんわりと殴られてもいないのに、痛みが広がる。
心なしか、感情の抜けたような顔をしている三月の表情が陰っているように見えた。
熱い身を焦がすような太陽が、雲に隠されたのだ。
ぽたり、と僕の顎を伝って垂れた汗が机の上で音を立てる。

「きもい…とは思わないよ」

クラスの男子なら、まだ関わりがあるため誰か突き止めることができそうだったが、あえてやめておく。
なんだか、胸の奥がぐるぐると複雑な感じがしてきたのだ。

バス通学で、運動音痴、おかず系が好きで黒髪。
何人か当てはまりそうな人物が浮上したが、それ以上を暴くのは今の心理環境的にあまりしたくない。

そもそも、三月の恋バナはアンケート用紙の空白を埋めるためのラジオのような聞き流す目的のものだったのだ。
勝負は、僕の負けということで終わりだろう。

「ま、頑張れよー」

そう応援の言葉を告げ、会話の終了を知らせる。ほっとしたような表情を三月が浮かべたような気がした。

 しばらく、僕らに沈黙が降りる。まあ僕から意思疎通を終わらせたのだから、当然の結果ではあるのだけれど。蝉の大合唱が混じり合ったそれは、どこか不思議な雰囲気を伴っていた。
アンケート用紙はとっくに回答として完成していて、僕がこれ以上ここにいる必要性はない。
そろそろこのクソ暑い教室から、冷房がガンガンに効いた愛しの我が家へ帰ろう。そう思ったところで、三月によって沈黙が破られた。

「それで、俺の好きな奴はわかったか?」

もう自分の中では終わったことにしていた話を掘り返される。無視して帰ろうかと一瞬思ったが、どうにも三月のこちらを見つめる目が逃してくれそうになくて、諦めた。諦めも時には大事。
陽キャ独特のオーラが、僕を捕まえて離さない。冷たい快適な自室を脳内から振り落として、会話に専念することにした。

「ごめん。わかんなかった。だから、僕の負けってことでいいよ」

そう告げると、三月の瞳が一回り大きくなる。僕の言葉に、驚く要素ははたしてあっただろうか。

「は?こんなにヒント出してんのにか?」
「うん」

嘘だろ、と疑うような目を向けられる。だから、その目はなんなんだ。本当のことなのだと証明したくて、僕は三月が言っていたヒントを復唱した。

「バス通学で、運動が苦手、おかず系のパンが好きで、暑いのが嫌い。黒髪で、笑顔がかわいいやつだろ?」
「ああ」
「あ、あとネクタイが似合うやつか。…ちゃんと聞いてたけど、わかりそうにないよ。というか、わからなくてもいいや。恋が実るよう応援してるよ」

じゃあ、と机の上からプリントをつまみ上げ帰ろうと動く。
席から立って三月の隣を通り過ぎようとしたところで、引き止められた。職員室に提出しにいこうとした僕の半袖から飛び出た腕を、三月は何も言わないで突然掴む。

「どうしたんだ?僕、そろそろ渡しに「お前だ」…え?」

僕の言葉を遮るようにして発せられた言葉に、僕のすべてが停止する。
かちりと合わさった三月の緑がかった瞳が、とろりと溶けているようにも見えたがその中に固い芯があることがわかった。なぜか、朝と違って目を離そうという気にならない。

 蒸し風呂みたいな暑い空気が体に纏わりついて、やけに重苦しかった。それと同時に、蝉の絶え間ない鳴き声が僕の耳を刺す。でも、それよりも大きな音が僕の耳を支配していた。
どくどくと脈打つ、心臓の音。それが、何よりもクリアに僕の頭の中を駆け抜ける。

三月の手のひらで覆われている部分が、とてつもなく熱い。視界は、相変わらずオリーブに囚われたまま。
じんわりと汗で湿った皮膚はまるで僕らの境目をなくしているようで、頭がくらりとした。理解が、追いつかない。

「お前だ、弥生。俺の好きな奴は、お前だ」

聞き間違いの可能性を踏みにじるようにして、三月は繰り返す。もしかすると、三月は暑さに頭をやられたんじゃないだろうか。なんて現実味のないもしもを僕は構築した。

その間も三月の眼は僕を映していて、僕の眼も三月だけを映している。

「男同士だとか関係ないし、俺は取り消さないからな。なかったことにはしない」

ぎっとこちらを睨みつけるように三月はその瞳を歪める。
僕の顔の温度が、周りよりも一度上がった。

(マジか…嘘だろ…)

少しの間を置いて、僕はようやく理解する。

(なんで僕、こんなに嬉しいんだ?!)

僕が彼に返事をするまで、あと数秒。






「それはそうとして、君の言ってたヒントってほんとに僕のことか?!」
「お前のこと以外なにがあるんだよ」
「バス通学、運動が苦手、おかず系のパンが好き、暑いのが嫌い。黒髪でネクタイが似合って、笑顔がかわいい」
「お前の自己紹介じゃねーか」
「いや、黒髪とバス通学以外完全に違う」
「はぁ?絶対お前だろ。てか、返事は」
「へ、返事ね…その…」

いつものように僕らの瞳がぱちりと合わさる。
顔が今までにないぐらい熱い。
恥ずかしさを誤魔化すように、僕は叫んだ。

「い、いいよ!ヒントの内容には相違点ばっかだったけどな!」

こうして、僕たちは結ばれたのだった。
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