あやかし温泉街、秋国

桜乱捕り

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56話、感情が荒ぶる女天狗

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 駅の構内を行き交う人々の数が、だんだんとまばらになってきた夜九時頃。

 泣いて目が赤くなっている花梨、つばの広い白い帽子がうっすらと湿っているゴーニャ、共に行動していた河童の流蔵りゅうぞうは駅事務室の扉の鍵を閉めた後。
 秋国に帰る為に、自分達以外誰も乗っていない電車内で体を揺らしていた。
 心が温かな感情で満たされた花梨は、河童の姿に戻った流蔵と談笑をしている時にも、太ももの上に座っているゴーニャを片時も離さず、優しく抱きしめていた。

 その幸せに包まれているゴーニャは、二人の会話に相槌を打ち、時折甘えるように花梨の体に頬ずりをし、顔をうずめたまま眠りに就いていく。
 そして、しばらくすると電車が秋国に到着したのか、音を立てずに扉が開き、それに気がついた二人は談笑を止めて扉へと向かう。

 夜になって気温が下がっているせいか、やや肌寒く感じる薄暗いホームに降り立つと、ちょうど目の前にあったコンクリート製の階段を上がっていく。
 足元が暗い階段を上り切ると、提灯の淡い灯火に包まれている温泉街の景色が広がり、懐かしささえ覚える場所に戻って来た花梨は、安堵のこもった息を漏らした。

「なんだか、久々に帰って来たような気分だなぁ」

「一日がエライ長かったからなあ。そう思うのも仕方あらへん」

「ですねぇ。でも、なんでだろう? 温泉街に帰って来ると、あっちにいる時よりも落ち着くんだよなぁ」

「せやか。ならいっそ、ここに住んでまえばええのに」

 サラッと口にした流蔵の言葉が、ここに一年間しか居られない花梨の心を揺れ動かし、甘い誘惑に釣られていく。

「ここに住む、かぁ。いいですね、出来ればそうしたいです」

「おお、そうしろそうしろ。ワシは大歓迎やで」

「ふふっ、ありがとうございます。その内、ぬらりひょん様に直談判でもしてみようかなぁ」

「せえせえ。その時になったら、ワシも一緒になって説得したるわ」

 今まで住んでいた人間達しかいない場所よりも、妖怪達が蔓延はびこる温泉街の方が好きになっていた花梨は、無理だと思いながらも小さな期待を寄せていく。
 住宅街で出会ったぬらりひょんに誘われて、一年契約を交わしてここの仕事の手伝いに来た花梨には、最早この温泉街が我が家になりつつあった。

 夢があるも、決して叶うハズのない願いで会話に花を咲かせていると、いつの間にか永秋えいしゅうの前にある丁字路まで来ており、流蔵が右側にある道を少し進んでから振り返る。

「んじゃ、今日はお疲れさん」

「はいっ、お疲れ様でした!」

「また相撲しようや。いつでも待っとるで」

「ふっふっふっ、その内リベンジしに行きますからねぇ~。顔を洗って待っててくださいよぉ?」

 相撲と聞いた花梨が、小悪党な表情をしつつ再戦の意を示すと、流蔵が「はっ!」と嬉々とした声を上げ、口元をニッと緩ませた。

「おお、顔がテカるほど洗っとくわ! んじゃあな」

 冗談を飛ばした流蔵が後ろに振り向くと、手を大きく振りながら秋国山がある方面に歩き出し、姿を小さくしていった。
 その後ろ姿を手を振り返しつつ見送っていた花梨は、流蔵の姿が見えなくなると、客で賑わっている永秋に入り、四階にある支配人室へと足を運んでいく。
 やや気疲れを含んだ顔で支配人室に入ると、夜飯を食べ終えたばかりのぬらりひょんに、今日起こった波乱万丈な出来事を報告し始める。

 全ての始まりとも言える駅事務室で見張りをした事。誤って駅事務室に入ってきた迷子の少女を、母親の元へ送り届けた事。
 腹痛で苦しんでいた乗務員に電車の運転を任され、四苦八苦しながらも終着駅まで電車を運転した事など。

 帰りの電車内で味わった身を引き裂かれそうな孤独感と、黒く染まった電車の窓に、己の存在を否定された事は省いて報告を終えると、静かに耳を傾けていたぬらりひょんが、詰めタバコを入れたキセルに火をつけた。

「まさか、電車を運転する羽目になるとはな。大変だっただろう?」

「ええ……。私が免許証を持っていない事がバレたら、もっと大変な目に遭っていたかと思います。正直、とても疲れました……」

「だろうな。仕方ない、今日の給料は多めにやろう。ほら、受け取れ」

 花梨の報告を聞いて同情したぬらりひょんは、袖から黒い長財布を取り出すと、そこから一万円札を七枚取り出して花梨に差し出した。
 範疇を超える額を見て、目を丸くした花梨は一度は受け取るも、手に取った札とぬらりひょんの顔を交互に見返し、眉間にシワを寄せる。

「こ、こんなにいいんですか?」

「本当はもっとあげたいんだがな。あまり多い金額にしてしまうと、お前さん受け取らんだろう?」

「まあ……、はい。基本断りますね」

「だろう? いいから黙って受け取れ」

 無理矢理言い包められた花梨は、納得していないものの「分かりました、ありがとうございます!」とお礼を述べ、貰ったお札を半分に折り、ポケットの中にしまい込んだ。
 食後の一服として、キセルの白い煙を豪快にふかしたぬらりひょんが、満足気な顔をしつつ話を続ける。

「それじゃあ、三日間の休暇をやろう。ゆっくりと休むがよい」

「おっ、三日間も休みかぁ。明日はずっと寝ていよ―――」

「ぬらりひょん様ぁぁああーーーッッ!!」

 仕事から解放された花梨が、明日を寝曜日にしようと決めた直後。背後から凄まじく乱暴な扉の開く音と共に、聞き覚えはあるものの、とても珍しい叫び声が耳に飛び込んできた。
 花梨とぬらりひょん、寝ていたゴーニャが同時に体を大きく波立たせ、花梨が慌てて後ろを振り返ってみると、そこには険しい表情をした女天狗のクロが立っていた。

 三人の中で一番度肝を抜かれたぬらりひょんが、呆気に取られつつも口を開く。

「く、クロ!? もっと静かに扉を開け、んか……」

 ぬらりひょんの喝をまったく聞く耳を持っていないクロは、悪鬼を彷彿とさせる形相でぬらりひょんの元に歩み寄っていく。
 肩で息をしながら書斎机の前まで来ると、呼吸を整える間も無く挙げた両手を、食器類が並んでいる書斎机に思いっきり叩きつけた。

 けたたましい音が鳴り響き、その衝撃で倒れた空の湯呑みを慌てて抱えたぬらりひょんは、突然の出来事に驚愕しながらも、丸くしている目をクロに向ける。

「な、なっ、なんだ、いったい……?」

「明後日と明々後日しあさって! 二日間有休を、取っても、いいですかぁ!?」

「ゆ、有休……?」

 ぬらりひょんが微かな声で、オウム返しで聞き返すと、クロは大きくうなずいてから鼻を鳴らす。

「べ、別にいいぞ有休ぐらい……。いくらでも使うがいい」

「いいんですか? いいんですね!? っしゃあ!!」

 唐突に現れ、二日間の有休をもぎ取ったクロは、りんとしている顔を激しく崩し、元気溢れるわんぱく小僧のような表情で、力強いガッツポーズを決める。
 そして今度は「むふっ」と、ニヤけながら声を漏らし、背後で棒立ちしていた花梨達の元へとゆっくり歩んでいき、ガッツポーズを決めたばかりの両手を、花梨の肩にそっと置いた。

 今まで見た事が無いクロの姿に、花梨とゴーニャも呆気に取られている中。七福神の布袋を思わせる笑みを浮かべているクロが、猫なで声で喋り始める。

「か~りんっ、ゴーニャっ。明後日、私と一緒に良い所に行かないかぁ~?」

 クロの、何もかも初めての声や表情を垣間見た花梨は、体の隅々までおののき、体をブルッと身震いさせる。

「い、良い所、ですか? えと、どこに行くんですかね?」

「それは、今からじ~っくりと考える。だが、決して後悔はさせんぞ。絶対に満足させてやる!」

「そ、そうですか。私はいいですけど、ゴーニャは大丈夫?」
「うんっ、全然大丈夫よ」

「おお~っ、そうかそうか! じゃあ、明後日の朝九時にお前達の部屋に行くから、それまでに起きててくれな!」

 そう半ば強引に約束を交わしたクロは、軽やかな鼻歌を歌いつつ、スキップをしながら支配人室にする。
 台風が過ぎ去ったような静寂が支配人室内に訪れると、目をパチクリとさせている花梨が、台風の目であるクロが去っていった扉に目をやった。

「あんなクロさん、初めて見たや……」
「私もっ……」
「ワシもだ……」

 感情が暴走しているクロの姿を見た三人は、しばらくの間、口をだらしなく開けたまま扉を見据え続けていた。
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