あやかし温泉街、秋国

桜乱捕り

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88話-7、二人の旧友

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 ぬえの予想通りであろう返答が、ぬらりひょんの口から発せられるも、クロと鵺は時が止まったかのように動かず、目を見開き口をポカンと開けたまま。
 誰の耳にも決して届いてはならぬ、範疇を超えたぬらりひょんの言葉が、支配人室内に染み込んだ頃。
 ようやく瞬きを出来るようになった二人が、ほぼ同時に固唾を呑んだ。

「……ぬらさん、マジで言ってるのか? それ」

「嘘を言っても仕方がないだろう。花梨の願いを叶える為には、まず一人目の旧友に許可を貰いに行かねばならん。無事に許可が下りれば、二人目の旧友に助けを求める。そして最後に、かえでの変化術を駆使し、鷹瑛たかあき達を事実上生き返らせる算段だ」

 説明が始まるも、旧友の人物像が浮かばない二人にとって、理解が追いつくはずもなく。
 話が進む度に置いてけぼりを食らう鵺が、話の隣に付こうと口を開いた。

「で? その二人の旧友って、一体何者なんだ?」

 鵺がクロの一歩先を行くと、刻みタバコをキセルに詰め、マッチで火をつけたぬらりひょんが、ぷかりと白い煙をふかす。

「一人目の旧友は、閻魔大王だ」

「え、閻魔大王!?」

「え、閻魔大王……。また、とんでねえ名前が出てきたな。つー事は、冥界へ行くってか」

「そうだ。鷹瑛と紅葉もみじの霊体を口寄せで呼び寄せて、花梨に逢わせるだけなら許可を貰う必要は無い。しかし、ワシの考えている方法だと、少々ことわりに反しているんでな。まあ、許可が下りなかったら、二人目の旧友と楓に多大なる迷惑が掛かってしまうので、素直に諦める」

 事の重大さを十分承知の上で、かつ巻き込もうとしている二人にも目を配り、諦める覚悟も持ち合わせているぬらりひょんへ、クロが一歩詰め寄った。

「大体の流れは、大まかに把握出来ました。それで、口寄せが可能だと思われる二人目は、誰なんでしょう?」

「二人目の旧友は、そうだな。クロは、ワシの口から一度耳にしている人物だ」

「ぬらりひょん様の、口からですか?」

 先ほどから、ほぼオウム返ししか出来ないクロに、ぬらりひょんは無言のうなずきを返す。

「ほれ。少し前に、紅葉の日記を盗み読みした時があっただろ? その中で出てきた、温泉街プロジェクトの発案者だ」

「温泉街プロジェクトの発案者って、ぬらりひょん様が昔からの腐れ縁と言ってた方ですよね? まさか、その人が?」

「ああ。そいつは、人魚の肉を食って不老長寿の体を手に入れた八百比丘尼やおびくにでな。今やどこぞの市長を務めていて、兼業で名高いイタコをやっている」

「市長でイタコって……。私、そいつ知ってんぞ。テレビでもたまに見る、不老の魔女と謳われてる奴じゃねえか。名前は確か~……、あっ、そうそう! 『茨園いばらぞの 奄々えんえん』!」

 この場で唯一、現世うつしよで生活していた経験のある鵺が、声を上げつつぬらりひょんに指を差す。

「なんだ、あやつめ。まだ名前を変えず、テレビにまで出ているのか。ったく。あれほど表舞台に立つのは柄じゃないと言っていたのに、八百比丘尼だとバレたらどうするつもりだ」

 腐れ縁の名前が出た途端。あからさまかしかめっ面となったぬらりひょんが、「けっ」と不機嫌気味に虚空を罵る。

「その様子じゃあ、関係はあまりよろしくないようだし、しばらく会ってねえようだな」

「言っただろ? 腐れ縁で旧友だと。あやつに頼るのは何かと癪だが、あやつ以上のイタコはこの世にはおらん。なので、残念だが仕方なく声を掛けるんだ」

 声色まで低くなったぬらりひょんが、遺恨がこもっていそうなキセルの白い煙と共に、湿ったため息を辺りへ撒き散らしていく。

「しかし……。もし、事が上手く運べば、鷹瑛や紅葉と本当に再会出来るん、ですか?」

 未だ現実味を帯びていないものの。だんだんその気になり、二人に逢いたい気持ちが強まってきたクロが、昂りを震えた声に乗せ、ぬらりひょんに問い掛ける。

「そうだ。心臓の鼓動、体の温もり、全身の細部まで楓の変化術で再現させて、この世の地を踏ませてやる。そして、愛娘の花梨に逢わせてやるんだ。それが、今一番叶えたい、ワシの切なる夢だ」

 その叶えたい夢は、花梨へ向けられた物にも関わらず。クロは、左胸に込み上げてくる熱い何かを感じ始め。全身に流れていくと、口を固く噤み、無意識に両手を強く握っていく。
 そして目頭まで熱くなってくると、握り拳を更に握った。

「……ぬらりひょん様。私からも、お願いがあります。いえっ、ワガママを一つだけ言わせて下さい」

「言わなくていい。お前さんにまで期待を持たせてしまったからには、尽力するさ」

「いや。なにも、クロだけが期待を持った訳じゃねえぞ」

 クロのワガママを察し、皆まで言わせなかった二人の会話に、腕を組んでいた鵺が割って入る。

「私も聞いちまったからには、無かった希望を見出しちまったんだ。中途半端な別れ方をして、二十年以上もの間、鷹瑛と紅葉が死んじまった事を知らなかった私もな」

 語り出した鵺は、何かを我慢しているのか。一呼吸置いている最中、力を込めた口を一文字に広げていく。

「そしてその想いは、旧温泉街メンバーの総意だろうよ。だから、頼むよぬらさん」

 鮮血の瞳に潤いが増していくと、その瞳を見せたくない鵺が、勢いよく頭を深く下げた。

「鷹瑛と紅葉に、もう一度だけ逢わせてくれ……!」

「鵺……」

 下げた鵺の顔から落ちていく、大粒の涙を認めたクロも少しずつ感化され、左胸に感じていた滾りが更に熱くなっていった。

「さっきも言っただろう、尽力すると」

 鵺にもキッパリと言い切ったぬらりひょんが、椅子を半回転させ、クロ達に背もたれを向けた。

「算段を思い付いてしまったからには、覚悟を決めたからには。そして、二人の死に目から逃げたワシも、本当は逢いたいんだよ。鷹瑛と紅葉に……」

 弱々しくなっていく、ぬらりひょんのか細い声を追う、鼻をすする一つの音。
 愛娘の内なる願いを叶えたいのと、鷹瑛と紅葉の最期すら拝めなかった旧温泉街メンバーに。
 そして、希望を見出してしまったクロと鵺、己のワガママ染みた願いを叶える為に。

 最初は、ただ花梨の心境を聞きたいが故に始めた作戦は、まだ知らぬ者達の想いも背負う形になり。
 いつの間にか皆の期待を抱き、失敗が許されない所まで来ると、ぬらりひょんは再び椅子を回し、妖怪の総大将に恥じぬ顔をクロ達へ戻した。

「だからこそ約束しよう。花梨に、お前さん達に、もう一度鷹瑛と紅葉に逢わせてやる」

「……ぬらさん」

 嘘偽りの無く、確固たる決意を二人に知らしめると、鼻先がほんのりと赤く染まり、涙で顔がくしゃくしゃになっていた鵺が、袖で顔を乱暴に拭う。
 まだ鮮血の瞳が湿っていて、涙を拭き切れていない顔をあらわにさせると、鵺はいつもの様に口角をニッと上げ、手の平に拳を叩いた。

「よっし、俄然やる気が湧いてきたぜ! なら今夜の満月は、ぬらさんが落ち着いて旧友共と交渉出来るように、堕ちた奴らを満月ごと黙らせてやらねえとなあ」

「その必要は無いぞ、鵺」

 拳まで鳴らし出すも、やる気を削ぐクロの呆れた反応に、「は?」と抜けた返答をし、固くなった拳が解れていく。

「ほら。前回の満月は、こちら側にも実害が出ただろ? だから今日は一人を除き、夕方の四時半以降、温泉街の従業員及び全客の外出を禁じたんだ」

「え、マジで?」

 つい最近『のっぺら温泉卵』の副店長になり、一躍温泉街の従業員になったのにも関わらず、何も知らなかった鵺の右肩が、やる気と共にガクッと下がる。

無古都むことにも伝えてるけど、聞いてなかったのか?」

「あー……。そういえば、そんな事を言ってたようなぁ、言ってなかったような?」

「要は、忘れてた訳だな」

「まあ、そういう事になる、かな?」

 思い出せそうにもなく、己に非がある事を認めた鵺が苦笑いし。クロも、鵺らしいとりんとした苦笑いを返した。

「で、でよ、それは一旦置いといてだ。ぬらさん。紅葉の日記って、なんだ?」

 ばつが悪い話を逸らす為ではなく、単純な興味本位で質問した鵺が、静かにキセルの煙をふかしているぬらりひょんへ、真顔をやる。

「そういえば、クロ以外には話していなかったな。少し前に、花梨の部屋にあるベッドの下から、紅葉の日記が出てきたんだ」

 そうあっけらかんに話したぬらりひょんは、書斎机の引き出しを開け、『読んだ者には、死を与える』と記された一冊の本を取り出し、書斎机の上に置く。
 その間に、傍まで歩み寄って来ていた鵺が、紅葉の日記を手に取り、裏表を変えしながらまじまじと眺めた。

「へぇ~。状態は良好だし、ちゃんと紅葉の名前まであるじゃねえか。けどよ、ぬらさん。この日記、すげえ物騒な事が書かれてるけど、読んで大丈夫だったのか? もし紅葉が生き返ったら、今度はぬらさんとクロが死ぬぞ?」

「いや。鵺、お前もだよ」

 いつの間にか、鵺の横に付いていたクロが、逃がさまいと鵺の肩に腕を回し、その身を引き寄せる。

「お、おいてめえ……。もしかして、私にも読ませるつもりだろ?」

「死なば諸共さ、とりあえず読んでみろよ。私達と出会う前の二人が、この本の中に沢山居るぞ」

「グッ……! そう言われると、ちょっと気になるなぁ」

 誘惑が強いクロの悪魔の囁きに、鵺の元からあまり無かった抵抗心が揺らぎ、一気に傾いていく。

「ちなみに、お前らはどこまで読んだんだ?」

「無論、最初から最後まで全部読んだ」

「おいおい、やってんなあ。クロも全部読んだのか?」

「ああ。ぬらりひょん様と一緒になって、読破したよ」

「あっそー……。容赦ねえな、二人共。人の日記を勝手に読むなんてよ」

 そう言う鵺も、本能と両手は正直なようで。最早、躊躇いすら無い様子で、一ページを丁寧に開いた。

「よーし、死ぬ時は三人一緒だ。私も隅から隅まで、じっくり拝んでやるぜ」

「たぶん鵺は、最後の方で絶対に泣くな」

「あ? なんでだよ?」

「いいから、早く読んでみろって」

「んだよ、ったく。いいか? 見てろよ? 私はぜってえ泣かねえからな」

 クロのニヤケ顔にガンを飛ばすと、躍起気味になった鵺は顔を日記へ戻し、一字一句を舐める様に読み始め、すぐさま没頭していく。
 時にはほくそ笑み、時には嬉しそうに相槌を打ち、紅葉の生涯を綴った日記を読み進め。
 そして最終場面に差し掛かると、絶句した鵺は膝から崩れ落ち、クロが宣言以上の慟哭を、支配人室内に轟かせていった。
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