僕らの周波数は、永遠に重ならない

Gaku

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高校一年生編

第12話 翻訳機のショート

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 体育館のステージは、埃(ほこり)とカビの臭いがした。
 そこに、ホームセンターで買ってきた投光器の強烈な光が浴びせられ、舞い上がる塵(ちり)の一つ一つまでが白く発光している。
 文化祭まであと一週間。
 一年三組の演劇『ロミオとジュリエット』の稽古(けいこ)は、佳境――というよりは、崩壊の一歩手前を迎えていた。
「ジュリエット! ああ、俺の太陽! マジで眩(まぶ)しいぜ!」
 ロミオ役の翔(かける)が、ステージの中央で絶叫した。
 彼の演技は、演劇というよりは「応援団」に近かった。声量はスピーカーがいらないほどデカイが、抑揚(よくよう)という概念がない。全てのセリフが「全力の肯定」として出力されるため、愛の囁(ささや)きも、嘆きも、全てが「優勝おめでとう!」みたいなテンションに聞こえる。
 対するジュリエット役の静(しずか)は、その暴風雨のような音圧を正面から浴びていた。
「……おお、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?」
 静の声は、震えていた。
 それは役作りではない。
 彼女の脳内CPUが、翔の演技という「粗雑なデータ」を処理しきれず、エラーを吐き続けているのだ。
 翔が近づくたびに、静の体温が下がっていくのが、舞台袖にいる湊(みなと)にはハッキリと見えた。
「カット、カットー!」
 ステージ下から、綾音(あやね)の鋭い声が飛んだ。彼女は演技指導という名目で、ただのダメ出しを楽しんでいる。
「静、声ちっさい! 全然聞こえないんだけど。やる気あんの?」
「そーだよ静ちゃん! 俺みたいに腹から声出そうぜ! 魂でぶつかろうぜ!」
 翔がニカッと笑い、静の肩をバシッと叩く。
 静の体がビクリと跳ねた。
「……ごめんなさい。もう一回、やります」
 静は、頬を引きつらせて笑った。
 彼女は今、必死に自分の解像度を下げようとしている。
 『相手の周波数に合わせる』。それは彼女が生き抜くために身につけた、唯一の処世術だ。
 彼女は自分の中にある繊細な感情、文学的な解釈、それら全ての「高画質データ」を圧縮し、捨て去り、翔たちと同じ「ドット絵」になろうとしていた。
 稽古が再開される。
「ロミオ! 私、あなたに会えて超嬉しい!」
 静が叫んだ。
 それは、シェイクスピアの詩情を完全に無視した、綾音たちが求める「わかりやすい女子高生」の演技だった。
 手足を大きく動かし、バカみたいに口を開けて笑う。
「おっ、いいじゃん静! ノッてきたな!」
 翔が喜ぶ。
「そうそう、それくらい分かりやすくないと客に伝わんないのよ」
 綾音も満足げに頷く。
 周りから見れば、演技が向上したように見えるだろう。
 だが、湊だけは見ていた。
 静の瞳孔が開いたままであることを。
 彼女の魂が、肉体から剥離(はくり)しようとしていることを。
 自分ではない言葉を喋る。
 自分ではない感情を顔に貼り付ける。
 それは、精密機械に泥水を注ぎ込むような行為だ。内部回路が腐食し、ショート寸前の火花を散らしている。
(……やめろ、静。それ以上下げたら、戻れなくなる)
 湊が一歩踏み出そうとした、その時だった。
「じゃあ次、ロミオがジュリエットの手を取って、見つめ合うシーン!」
 翔が、演技に入り込んで静の手をガシッと掴(つか)んだ。
 その手は熱く、汗ばんでいた。
 圧倒的な「生」のエネルギー。無神経な「陽」の暴力。
「ジュリエット、愛してるぜー!!」
 至近距離での絶叫。
 その瞬間、静の中で何かが弾け飛んだ。
「……っ、う……!」
 静が口元を押さえた。
 顔色が、白を通り越して土色に変わる。
「え、静? どうし……」
 翔が言いかけた直後。
 静は、舞台の上で崩れ落ちるように膝をつき――嘔吐(おうと)した。
 胃の中身をぶちまけたわけではない。朝から何も食べていないのだろう、吐き出されたのは胃液だけだった。
 だが、その光景の衝撃は凄まじかった。
 ヒロインが、愛の告白のシーンで、拒絶反応を示して吐いたのだ。
 体育館が凍りついた。
 翔は「うわっ!」と後ずさりし、綾音たちは悲鳴を上げた。
「え、何? 汚い!」「ノロウイルスとかじゃないよね?」
 誰も駆け寄らない。
 ただ遠巻きにして、汚いものを見る目で見ている。
 静は床に手をついたまま、震えていた。
 「ごめんなさい、ごめんなさい」と掠(かす)れた声で繰り返している。
 それは体調不良ではない。
 「嘘をつくこと」に対する、生理的な限界だった。
 誰よりも早く動いたのは、湊だった。
 雑巾を持ってステージに駆け上がり、静の背中を隠すように立ちはだかる。
「……見るな」
 湊は、野次馬たちを低い声で威圧した。
 そして、震える静の肩を抱き起こす。
「立てるか?」
「……みなと、くん……私、うまく、ドット絵に、なれなかっ……」
「喋らなくていい」
 湊は静を支え、足早にステージを降りた。
 すれ違いざま、呆然としている翔が「お、おい、大丈夫かよ……」と声をかけてきたが、湊は無視した。
 今、この男の「心配」という名のノイズを静に聞かせるわけにはいかない。
 ***
 保健室のベッドに静を寝かせると、カーテンを閉め切った。
 薄暗い空間。消毒液の匂い。
 そこだけが、世界から切り離された静寂だった。
 静は、青白い顔で天井を見つめていた。
 涙が、目尻からツーッと伝って枕を濡らしていく。
「……私、最低だね」
 静が、消え入りそうな声で言った。
「みんな一生懸命やってるのに。翔くんも、悪気ないのに。……私、合わせられなかった。ただの『普通の女の子』のふりをするだけのことが、どうしても、できなかった」
 彼女は自分の無能さを責めていた。
 あんなに簡単な演技ができないなんて。あんなに単純な会話に入れないなんて。
 自分は欠陥品だ、と。
 湊は、丸椅子に座り、静の手を握った。
 その手は氷のように冷たかった。
「……君は、8Kテレビでファミコンの画面を出そうとしたんだ」
 湊は静かに言った。
「無理やり引き伸ばせば、画像は乱れるし、回路も焼き切れる。それは欠陥じゃない。規格が違うんだ」
「……規格外、かあ」
 静は力なく笑った。
「じゃあ、私はどこに行けばいいの? この世界は、ファミコン用ソフトしか売ってないのに」
 その問いに、湊は答えを持っていなかった。
 学校も、社会も、基本的には「多数派(マジョリティ)」のために設計されている。高解像度すぎる人間は、ノイズとして排除されるか、自ら画質を落として摩耗していくしかない。
 だから、湊はこう言うしかなかった。
「……どこにも行かなくていい」
 湊は、静の手を少しだけ強く握り返した。
「もう、無理して人間に化けなくていい。
 化け物のままでいいから、生きててくれ。
 ……君が壊れるくらいなら、演劇なんて中止になればいい」
 それは、湊なりの「世界の否定」であり、最大限の肯定だった。
 静は、湊の手を握り返した。
 その力は弱かったけれど、脈打つ鼓動だけは、確かに伝わってきた。
「……うん。化け物のまま、ここにいる」
 保健室の外からは、まだ微かに吹奏楽部の練習音が聞こえていた。
 祭りの準備は進んでいく。
 だが、主演女優はもう、あの舞台には戻れないことを、二人は悟っていた。
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