僕らの周波数は、永遠に重ならない

Gaku

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2年生編(特進クラス編)

第9話 未来という名のエラー

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 三者面談の季節がやってきた。
 それは、特進クラスの生徒たちにとって、最も相性の悪いイベントだった。
 なぜなら、この面談は「将来(未来)」という不確定な変数を、「社会常識(テンプレート)」という型枠に無理やり押し込む儀式だからだ。

 放課後の廊下には、重苦しい空気が漂っていた。
 パイプ椅子に座って順番を待つ生徒と、その保護者たち。
 保護者たちの目は、期待と不安、そして我が子が「特進クラス」という特殊な環境にいることへの警戒心で濁っていた。

 教室の中。
 **美波(みなみ)**の面談が行われていた。
 対面に座っているのは、彼女の母親だ。仕立ての良いスーツを着こなし、理知的な眼鏡をかけたその姿は、いかにも「成功したキャリアウーマン」であり、医者特有の冷徹な清潔感を漂わせていた。

「医学部以外、あり得ません」
 母親は、進路希望調査票を指で叩いた。
「美波の成績なら、国立の医学部も十分に狙えます。我が家は代々医者の家系です。それ以外の選択肢など、許しません」
 担任の**西園寺(さいおんじ)**は、頬杖をつきながら書類を眺めている。
「……だそうですよ、美波くん。君の意見は?」

 美波は、俯(うつむ)いていた。
 彼女は、机の上の木目を見つめながら、小さな声で言った。
「……いやだ」
「美波!」母親が声を荒らげる。「わがままを言わないで。人の命を救う、尊い仕事なのよ?」
「違うの」
 美波が顔を上げた。その瞳は、恐怖で見開かれていた。
「病院は、色が……嫌なの」
「色?」
「白すぎるの。あの壁の白は、清潔な白じゃない。人の命が、シュウッて音を立てて消えていく時の、冷たくて悲しい白なの。……あんな場所にいたら、私、色が聞こえなくなっちゃう」

 美波にとって、それは切実な訴えだった。
 彼女の共感覚(シナスタジア)は、病院という空間に漂う「死」や「痛み」の概念を、強烈な色彩や音として受信してしまう。それは彼女の精神を破壊する猛毒なのだ。

 だが、母親の表情は、能面のように冷え切った。
「……また、その話?」
 母親は深い溜息をついた。
「先生。この子は昔からこうなんです。変な色が見えるとか、音がするとか……。精神的に少し不安定なところがありまして。やはり、私がそばについて厳しく指導しないとダメなんです」
 断絶。
 美波の持つ稀有な才能(ギフト)は、母親にとっては「精神的な不安定さ(バグ)」として処理されていた。
 美波は唇を噛み、再び俯いた。
 彼女の目から、光が消えていく。

 ***

 次は、**虚(うつろ)**の番だった。
 彼の父親は、大手企業の重役だという。威圧的な態度で腕を組んでいた。
 机の上には、白紙の進路希望調査票。

「書くことがありません」
 虚は淡々と言った。
「働く意味が分かりません。どうせ人類は滅びるし、経済活動なんて暇つぶしの延長でしょう。なぜ、わざわざ苦労して労働者(歯車)にならなきゃいけないんですか」
 父親の顔が紅潮する。
「甘えるな! 誰のおかげで飯が食えていると思っている! いい大学に入って、いい会社に入る。それが『普通の幸せ』だ!」
「その幸せの定義、論理的に証明できますか?」
「屁理屈を言うな!!」

 怒号が響く。
 廊下で待機していた**湊(みなと)**と**静(しずか)**は、顔を見合わせた。
 痛い。
 壁一枚隔てた向こう側で行われているのは、対話ではない。「矯正(きょうせい)」だ。
 親たちは、子供を愛している。だからこそ、自分の知っている「安全なルート(常識)」に乗せようとする。
 だが、F1マシンに軽自動車の生き方を強要すれば、どうなるか。
 エンジンは焼き切れ、車体は歪む。

 ***

 全ての面談が終わった後。
 西園寺は、教室に残った生徒たち――湊、静、美波、虚、そして他のメンバーを見渡した。
 空気は最悪だ。
 美波は泣きはらした目でぼんやりとし、虚はさらに深くニヒリズムの闇に沈んでいる。

「……災難だったね」
 西園寺は、いつものようにコーヒーを啜った。
「親御さんの言う『普通』や『常識』というのは、凡人が群れの中で生き残るための生存戦略だ。君たちのような猛獣にそれを適用すれば、牙が抜けて死んでしまう」

 西園寺は黒板の前に立ち、チョークで一本の線を引いた。
「社会に適合しようとするな」
 彼の声は、低く、力強かった。
「君たちの形は、社会の規格に合わない。無理に合わせれば、君たちが壊れる。……ならば、方法は一つだ」

 彼は、黒板の線を、激しく波打つ曲線で上書きした。

**「社会の方を、君たちの形に歪めなさい」**

 生徒たちが顔を上げる。
「美波くん。君の直感は、既存の医学では説明できない。ならば、君自身が新しい研究分野を作り、君の『色』を学術的価値として定義させればいい」
「虚くん。君の虚無感は、哲学の領域だ。世界を否定し続けることを仕事にすればいい。批評家でも、作家でもな」

 西園寺の言葉は、彼らにとって初めての、完全な「肯定」だった。
 バグではない。仕様だ。
 直さなくていい。世界の方が間違っているのだから、世界を書き換えろ。
 そのメッセージは、美波の瞳に微かな光を灯した。
「……私、変じゃ……ない?」
「変だよ。最高にね」
 西園寺はニヤリと笑った。

 教室の空気が、少しだけ軽くなった。
 そうか。戦えばいいんだ。
 親が敷いたレールを爆破して、自分だけの荒野を走ればいい。
 湊は、拳を握りしめた。
 僕たちはここで、そのための武器を磨いているんだ。

 だが。
 現実は、西園寺の哲学ほど甘くはなかった。

 翌日。
 西園寺が、珍しく険しい顔で教室に入ってきた。
 彼は教卓に一枚の書類を置いた。

「……美波くん」
 西園寺の声が沈んでいた。
「ご両親から連絡があった。……君を、転校させると」

 教室がざわめく。
 美波が息を呑んだ。「え……?」

「『特進クラスのような環境にいるから、変な妄想が悪化するのだ』とね。……来週から、全寮制の医学部予備校のような高校へ移す手続きを進めるそうだ」

 それは、死刑宣告に等しかった。
 全寮制の管理教育。美波の感性(色)を、徹底的に否定し、矯正するための施設。
 そこに行けば、彼女は確実に壊れる。
 「白い色」に塗りつぶされて、二度と戻ってこられなくなる。

「そんな……先生、止めてくれないんですか!?」
 静が叫んだ。
 西園寺は、苦渋の表情で首を振った。
「……私は教師だ。だが、親権には勝てない。法的には、保護者の判断が優先される」

 無力感が、教室を支配した。
 西園寺の「社会を歪めろ」という言葉は正しかった。
 だが、まだ彼らはあまりにも弱い。
 社会(大人)のシステムという巨大な壁の前では、彼らの才能など「扱いづらいバグ」として、デリートキー一つで消去されてしまうのだ。

 美波が、震え出した。
 その目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
 彼女に見えている世界が、急速に灰色に染まっていくのが、湊には痛いほど分かった。

 この「箱庭」は、安全なシェルターではなかった。
 外敵(社会)がその気になれば、いつでもガラスを割って踏み込んでこれる、脆弱(ぜいじゃく)な檻(おり)だったのだ。
 
 湊は、美波の震える背中を見ながら、歯を食いしばった。
 肯定されるだけじゃダメだ。
 理論武装だけでも足りない。
 「力」が必要だ。
 大人たちを黙らせ、この不条理な決定を覆すための、圧倒的な「実力(エビデンス)」が。

 二年生の秋。
 特進クラスは、初めて「外の世界」という本当の敵と対峙することになった。
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