死にたい俺、不老不死を呪った神を殺す旅に出たら、訳アリ美女たちと日本を救う羽目になった件

Gaku

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関東編

第七話 秋葉原電子幻実

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 七月。気象予報士が何度「観測史上」という言葉を繰り返したか、もう数えるのも億劫になるほどの猛暑が、日本列島を巨大な鉄板のように熱していた。長く陰鬱な梅雨が気まぐれに見せた晴れ間から突き刺さる陽光は、もはや恵みではなく、一種の暴力だった。アスファルトは陽炎を揺らめかせ、まるで粘性を帯びたかのようにタイヤにまとわりつく。俺たちの相棒である、くたびれたハイエース――猛は親しみを込めて『ブリキのアルゴ船』号と呼んでいるが、実態はただのオンボロのバンだ――が、無数の信号機が点滅するコンクリートの峡谷と、カーナビさえ惑わす一方通行の罠が張り巡らされた都心の迷宮を、喘ぐようなエンジン音を立てながら進んでいく。ようやくたどり着いたその街は、湿り気を帯びた熱風と、あらゆる欲望が電気信号に変換されて渦巻く、巨大な坩堝そのものだった。

 秋葉原。

 その名を口にするだけで、ある種の人間は目を輝かせ、またある種の人間は眉をひそめる。サブカルチャーの聖地、電気街、オタクの桃源郷。様々な呼び名を持つこの街は、今、俺たちの目の前で、現実離れしたその姿を横たえていた。
 ほんの少し、窓を開けた瞬間、暴力的なまでの音の洪水が鼓膜に殺到した。大手家電量販店のスピーカーから、中毒性の高い軽快なテーマソングが無限ループで流れ、すぐ隣のゲームセンターの入り口からは、最新のアーケードゲームが吐き出す爆音と、甲高い電子音、そしてプレイヤーたちの歓声とも悲鳴ともつかない声が混ざり合って漏れ出してくる。道の両脇に、まるで天を突くように林立する雑居ビルの壁面には、現実の人間よりも遥かに大きな瞳を持つアニメキャラクターの広告が、けばけばしい原色で微笑んでいた。そして、極めつけは、通りの至る所から、まるで鳥の鳴き声のように、しかし明らかに人工的な抑揚で響いてくる、「お帰りなさいませ、ご主人様!」という、やけに甲高い女の声。脳が情報の処理を放棄し、現実感が急速に希薄になっていくのがわかった。視界の端が、じわりと滲むような感覚。

「おおおおっ! あれ! あれ見てください悠人さん! 俺が血眼になってネットオークションで探してた、限定版の対戦格闘ゲーム『バーニング・ソウル・レクイエム V』じゃないスか! しかも新品在庫ありって! うおおおお、奇跡だ! 神はアキバにいたッス!」

 バックミラーに映る猛が、まるで檻の中の熊のように、後部座席で身じろぎした。彼の巨体が興奮のあまりに揺れるたび、ブリキのアルゴ船号のサスペンションが悲鳴のような音を立てて軋む。彼は、本来なら窮屈であろうその空間で、まるで宝島を発見した子供のように目を輝かせ、汚れた窓ガラスに巨顔を押し付けていた。その純粋すぎる興奮が、この混沌とした街において、唯一の救いのように思えた。

「ゆうとさん」と、今度は助手席から、凛とした、しかしどこか見当違いな声がした。栞が、その黒曜石のような瞳で、通りの向こう側の一角を真剣な眼差しで指さしている。「あの方々は、この土地に仕える『みこ』なのでしょうか。頭には揃いの白い飾りをつけ、神聖な意匠の施された装束を身にまとっています。何か、とても大切な儀式を、この往来で執り行っている最中なのでは」

 彼女の繊細な指が示す先には、何段にも重なったフリルのついたエプロンドレスを身にまとい、頭に白いカチューシャをつけたメイドカフェの店員たちが、通行人に笑顔でチラシを配りながら客引きをしていた。彼女たちにとっては日常業務なのだろうが、栞の清浄なフィルターを通すと、それは一種の神事に映るらしい。俺は、じりじりと熱を持つこめかみを指で強く揉みながら、心の奥底から湧き上がってくる切実な感情を、小さなため息と共に吐き出した。

「……帰りたい」

 そう、心底から帰りたい。俺たちが愛する、静かで、穏やかで、そして少しだけ退屈な、あの田舎町へ。しかし、そうもいかない理由があった。俺たちの目的は、この奇妙な街の観光ではない。いや、断じて違う。
 発端は、インターネットの深層で、静かに、しかしウイルスのように確実に拡散している一本の動画だった。「呪いの動画」。ありきたりな、都市伝説じみたその呼び名とは裏腹に、その動画がもたらす現象は、あまりにも現実的で、悪質だった。その動画を、最後まで見てしまった者は、例外なく、数時間後に原因不明の高熱を発し、そのまま意識を失う。医者も匙を投げるほどの症状で、回復したという報告は一件もない。ただ眠り続けるだけ。それは、現代医学では説明のつかない、魂だけがどこかへ抜かれてしまったかのような、静かな死だった。
 いくつかの事件が重なり、警察も内々に動き出しているらしいが、デジタルの海に浮かぶ幽霊のようなその動画の尻尾を、彼らは掴めずにいた。そして、そういう「表」の人間が手を出せない領域こそ、俺たちの専門分野だった。その手掛かりを掴むため、俺たちはこの情報の洪水地帯、あらゆるデータと欲望が交錯する電脳都市、秋葉原へとやってきたのだ。

「こういう都市伝説系のヤバい案件は、やっぱ、ネットの裏側にいるプロに聞くのが一番早いらしいッス!」
 猛が、その巨大な指で、意外なほど器用にスマートフォンの画面をタップしながら、興奮冷めやらぬ声で報告してきた。彼の情報収集能力は、こういう分野において、驚異的な嗅覚を発揮する。
「その道じゃ、知らねえ奴はいないっていう、ヤバいハッカーがいるんスよ。コードネームは『スズリ』。そいつなら、この動画の正体について、何か知ってるかもしれねえッス!」

 スズリ。書道で使う硯か、それとも鳥の雀か。あるいは、その両方の意味を掛けているのかもしれない。どちらにせよ、その響きから連想されるのは、まともな人間像ではなかった。俺の中に、これから始まるであろう面倒事に対する、確かな予感だけが、じっとりと重くのしかかっていた。

                  ◇

 天才ハッカー『スズリ』を探すという、本来の目的を果たすための旅は、しかし、開始早々から、予想通り、いや予想以上に困難を極めた。というより、俺以外の二人のメンバーによる、凄まじい寄り道によって、全く前に進まなかった。

「うおおおおおおお! 見てくださいよ悠人さん! この精巧な作り! この圧倒的な重量感! そして、この関節の驚異的な可動域! まさに現代に生きる職人たちの技と魂の結晶ッス! 悠人さん、これ、買っていいスか!? なあ、いいでしょう!?」
「ダメに決まってんだろ。誰が金出すんだ。それに、ただでさえお前の荷物で狭い車内に、こんな全高五十センチはあろうかというデカブツを置くスペースがどこにあるんだ」
「そんなこと言わずに! こいつがいれば、俺たちの旅の守護神になってくれますって! 邪悪な呪いなんざ、このハイパー・メガ・バスターキャノンで一掃ですよ!」

 駅前の巨大なホビーショップに、ほんの出来心で足を踏み入れたのが間違いだった。猛は、まるで水を得た魚、いや、故郷の星に帰還した宇宙人のように、完全に理性を失っていた。ガラスのショーケースの中に鎮座する、限定生産の巨大なロボットのフィギュア。その前に仁王立ちし、巨体をガラスに張り付かせんばかりの勢いで、恍惚とした表情を浮かべている。その異様な熱量と体躯は、明らかに周囲から浮いており、店員だけでなく、他の客たちからも完全に不審者を見る冷たい視線を浴びていた。哀れみと警戒が入り混じった、独特の視線だ。

「この国の文化を深く学ぶには、まず、その内側から体験してみることが肝要ですね。百聞は一見に如かず、と申しますし」

 一方、猛の捕獲に手間取っている間に、いつの間にか姿を消していた栞は、こともあろうに、先ほど車窓から見えたメイドカフェの体験入店に、しれっと申し込んでいた。フリフリのレースとリボンで装飾されたエプロンドレスを身につけた彼女は、しかし、その場の雰囲気から著しく乖離した、一種荘厳なオーラを放っていた。他のメイドたちが、客の注文したオムライスにケチャップで可愛らしい絵を描きながら、「おいしくなーれ、萌え萌えきゅん♡」などという呪文を唱えている中、栞だけは、全く違う作法を執り行っていた。客の前に恭しく置かれたオムライスに対し、すっ、と背筋を伸ばし、静かに、そして真剣に両手を合わせている。

「ご主人様、お帰りなさいませ。当店の本日の祭神は、この土地に宿る『萌えの御霊(みたま)』にございます。その御霊の偉大なる力が、この聖なる供物『おむらいす』に満ち満ちますよう、わたくしめが、誠心誠意、心を込めて祈りを捧げさせていただきます。それでは、僭越ながら」

 パンッ、パンッ、と、静まり返った店内に、厳かで、やけに澄んだ柏手の音が響き渡る。
 オムライスを注文した当の客も、周りでその様子を見ていた他の客も、一緒に働いていたメイドたちも、そして店の責任者である小太りの店長も、全員が、時が止まったかのように固まっていた。ある種の宗教的儀式を目の当たりにしたかのような、畏怖と困惑が入り混じった沈黙が、そこにはあった。

「お前ら、少しは、ほんの少しは、俺たちが何のためにここに来たのか、その目的を思い出せ!!」

 俺は、ハイパー・メガ・バスターキャノンから半ば力づくで引き剥がした猛と、店長に菓子折りを持参せんばかりの勢いで平謝りして連れ出した栞の首根っこを、両手で掴んだ。そして、二人を半ば引きずるようにして、喧騒の中へと戻ったのだった。

 気を取り直し、俺たちは秋葉原のメインストリートから、入り組んだ裏通りへと調査の舞台を移した。怪しげな電子パーツ屋、マニアックな同人誌を扱う書店、レトロゲーム専門店。様々な店で「スズリ」という名前について聞き込みを続けるが、返ってくる反応は芳しくない。「ああ、あのネットの都市伝説だろ?」「そんな奴、いるわけねえじゃん、マンガの読みすぎだよ」「スズリ?ああ、向かいの定食屋のサバ味噌は美味いぞ」。ほとんどが、そんな風に鼻で笑われるか、まともに取り合ってもらえないかのどちらかだった。情報はあまりに多く、しかし、そのどれもが核心には程遠い。時間だけが、じりじりと過ぎていく。半ば諦めかけた、その時だった。
 雑居ビルの薄暗い通路の奥で、埃をかぶった怪しげな電子パーツや、用途不明のジャンク品を山と積んで商っている、小さな店の店主が、俺たちの質問に、面倒くさそうに、しかしその目には確信に満ちた光を宿して言った。

「ああ、スズリか。あいつなら、駅前のネットカフェにいるだろ。一番奥の、防音仕様のVIPルームだ。もう、何ヶ月もあそこから一歩も出てきてねえはずだぜ。あいつは、もはや人間じゃねえ。あの店の、地縛霊みてえなもんだ」

 その言葉には、嘲笑と、そしてほんの少しの畏敬の念が混じっているように聞こえた。

                  ◇

 ジャンク屋の店主が指し示したネットカフェは、真夏の太陽が照りつける外の世界とは完全に隔絶された、ひんやりとした空気が淀んだ空間だった。空調が効きすぎているのか、それとも別の理由があるのか、肌にまとわりつくような冷気を感じる。薄暗く長い通路の両脇に、高さ二メートルほどのパーティションで区切られた無数の個室が、まるで蜂の巣のように並んでいる。どこかの個室から漏れ聞こえてくるヘッドフォン越しのゲームの銃撃音と、誰かがキーボードを凄まじい速度で叩き続けるタイピング音だけが、単調なBGMのように延々と響いている。まるで、現代社会が生み出した孤独という感情を集め、圧縮して固めたような、そんな息苦しい場所だった。

 教えられた通り、一番奥の突き当りにある『VIP ROOM 07』と書かれたドアの前で、俺は立ち止まった。ここだけ、他の個室とは違う、重厚な防音扉が取り付けられている。深呼吸を一つして、ドアを軽くノックする。コン、コン。乾いた音が通路に響くが、中から返事はない。もう一度、今度は少し強くノックし、「スズリ、いるか」と呼びかけるが、やはり反応は皆無だ。

「……留守、なんスかね?」
「いや、中に人の気配は確かにあります。でも、なんだか、ものすごく深く、何かに没頭しているような……意識が、この部屋にはない、というような……」
 栞が、目を閉じて、ドアの向こう側の気配を探っている。彼女の言う通り、中には確かに誰かがいる。しかし、その意識は、この物理的な空間ではなく、もっと別の、広大なネットワークの海にでも潜っているかのようだ。
「失礼します」

 これ以上待っていても埒が明かない。痺れを切らした俺がドアノブに手をかけると、意外にも鍵はかかっていなかった。ゆっくりと、軋む音を立てないようにドアを開けると、そこに広がっていたのは、想像を絶する異様な光景だった。

 六畳ほどの個室は、おびただしい数のカップ麺の容器と、様々な種類のエナジードリンクの空き缶の山で、足の踏み場もないほどに埋め尽くされている。酸っぱいような、化学的な甘い匂いのような、独特の異臭が鼻をついた。そのゴミの山の中心、まるで祭壇のように配置された複数のモニターが発する青白い光に照らされて、一人の小柄な人物が、猫のように背中を丸めて椅子に座っていた。
 サイズの合っていない黒いフード付きのパーカーを目深に被っており、顔はほとんど見えない。ただ、フードの影から伸びる、病的なまでに白い、細い指だけが、獲物を狩る猛禽の爪のように、常人には考えられないほどの猛烈なスピードでキーボードの上を舞っていた。カタカタカタ、というよりは、タタタタタタッ!という、まるでミシンのような、無機質で連続的な音が、部屋の異様な静寂を切り裂いている。

 俺が、その異様な光景に圧倒されながらも、意を決して声をかけようとした、その時だった。

「何の用?」

 少女の声だった。驚くほどに平坦で、温度のない声。顔も上げず、視線は目の前のメインモニターに映し出された、複雑怪奇な文字列の羅列に釘付けのままだ。

「こっち、今、世界の平和と秩序を守るのに忙しいんだけど。てか、誰? あんたらのアバター、解像度、低すぎじゃない? リアルでもそんな残念な感じなの?」
 その声は、人間が発する体温というものが一切感じられない、まるで合成音声のような、無機質な響きを持っていた。俺たちのことを、モニターの向こう側の存在か何かと勘違いしているらしい。
「あんたが『スズリ』か? 頼みがある。呪いの動画について、聞きたいことがあるんだ」
 俺が単刀直入に本題を切り出すと、それまで狂ったように動き続けていた彼女の指が、初めて、ぴたりと、完璧に静止した。数秒の沈黙。そして、心底から馬鹿にしたように、鼻で、ふん、と短く笑った。

「呪い? 幽霊? あんたら、まだそんな前世紀のOSで世界見てんの? ウケる。そんな非科学的なオカルト、時間の無駄だから。さっさとキャッシュクリアして帰ってくんない?」

 それだけを早口で言い放つと、彼女は俺たちの存在など、最初からいなかったかのように完全に無視を決め込み、再び超高速のタイピングを再開してしまった。その小さな背中は、これ以上ないほど雄弁に、そして冷酷に、「お前らのような非論理的な存在とは住む世界が違う」と語っていた。

                  ◇

「おい、てめえ! 人が話してんのが聞こえねえのか!」
 猛の堪忍袋の緒が切れた。その巨体が少女に掴みかかろうとするのを、俺は腕を伸ばして手で制した。暴力が、この種の人間に対して最も無意味な手段であることは、経験上わかっている。彼女にとって、俺たちの物理的な存在など、ディスプレイ上のノイズ程度の意味しか持たないだろう。

 俺たちの存在など、まるで部屋の隅に転がる空き缶か何かのように、完全に意識の外に置かれている。ただ、ひたすらにキーボードを叩き続ける少女。その時だった。
 それまで黙って様子を見ていた俺の隣の栞が、じっと、少女のメインモニターに表示されている、俺には意味不明な記号と数字の羅列――おそらく、それが問題の呪いの動画のプログラムコードなのだろう――を、その澄んだ瞳で見つめて、静かに、しかし凛とした、はっきりとした声で、こう言った。

「これは、ただのデータではありません」

 その言葉は、まるで静かな水面に投じられた小石のように、この淀んだ空気に波紋を広げた。少女の指が、再び、ぴたりと止まった。今度の静止は、先程の侮蔑に満ちたものとは明らかに質が違った。

「とても強い、とても深い、悲しみの声が聞こえます。このプログラムの中心で、誰かがずっと、ずっと、泣いています。助けて、と」

 栞は、感じ取っていた。俺たちには到底認識できない、霊的な何かを。この無機質で、冷徹なデータの羅列の奥底に隠された、人間の生々しい感情の渦を。絶望と、憎悪と、そしてどうしようもない深い悲しみの残響を。

 少女――スズリは、ゆっくりと、本当にゆっくりと、まるで錆びついた機械が初めて動くかのように、キーボードからその細い手を離した。そして、初めて、俺たちの方へと、その顔を向けた。
 深いフードの影から覗く、大きな瞳。色素の薄い茶色のその瞳には、彼女の年齢には到底そぐわない、凍てつくような冷たい知性と、世界のすべてを見尽くしてしまったかのような、深い深い倦怠感が宿っていた。整った顔立ちは、長期間の不摂生で血の気を失い、まるで精巧なビスクドールのように見えた。

「……あんた、何者?」

 その問いは、俺たちに向けられた、初めての純粋な興味であり、純粋な疑問だった。

「あたしが、このクソみたいなコードの解析を始めて、もう三日三晩、不眠不休だ。こいつは、異常だ。誰かが意図的に作ったウイルスや、単純なプログラムのバグじゃない。ネットの海に漂う、無数のゴミデータの中から、まるでアメーバみたいに、勝手に生まれ、勝手に形を変え、勝手に増殖していく。自己進化するデジタル生命体……いや、もっとタチの悪い何かだ。あんたの言う『声』とやらは、あたしの高性能スペクトラムアナライザには、影も形も映らない。ノイズすら検出されない。完全に、論理的に、ありえない。でも……」

 そこで彼女は、言葉を切り、その血の気の無い唇の端を、にやりと吊り上げた。それは、長い間忘れていた面白い玩具を見つけた子供のような、不敵で、挑戦的な笑みだった。

「面白いじゃん」

 その一言で、部屋の空気が、完全に変わった。

「いいよ、協力してあげる。あんたらの、その胡散臭い『非科学』的なアプローチと、あたしの、この最強の『科学』、どっちが先にこのクソみたいなデジタルゴーストの正体を突き止めるか、競争しようぜ」

 彼女は、まるでゴミの山から不死鳥が飛び立つように、軽やかな身のこなしで椅子から飛び降りた。その拍子に、パーカーのフードがはずれ、長く手入れされていない、しかし艶のある黒髪がさらりと揺れた。鈴木莉奈。それが、彼女の本当の名前だった。

「ついてきな。こんな肥溜めじゃ、機材が足りない。あたしの本当の『聖域(サンクチュアリ)』に案内してやるよ」

 莉奈に導かれるまま、俺たちは、あの息苦しいネットカフェを後にした。彼女は、まるで街の構造を脳内にマッピングしているかのように、迷いなく人込みをすり抜け、秋葉原の裏通りの、さらに奥にある、地図にも載っていないような古びた倉庫へとたどり着いた。錆びついたシャッターの脇にある、目立たない鋼鉄の扉。そこには、最新式の電子ロックと、いくつもの監視カメラが取り付けられており、物々しい雰囲気を醸し出している。ここが、彼女の本当の城だった。
 重い認証音と共に扉が開かれ、その内部に足を踏み入れた俺たちは、息を呑んだ。倉庫の中は、壁一面に設置された巨大なサーバーラックと、用途不明の最新鋭機材、そして床や天井を蛇のように這う無数のケーブルで埋め尽くされていた。巨大な冷却ファンが低い唸りをあげ、いくつものモニターが青白い光を明滅させている。そこは、個人の作業場というよりは、どこかの国家機関の秘密施設のような、非日常的な光景が広がっていた。俺たちが、その圧倒的な情報量に言葉を失っていると、莉奈は、まるでどうでもいい世間話をするかのように、壁際のメインコンソールに向かいながら、ぼそりと呟いた。

「ちなみに、あんたらが追ってるその呪いの動画。その核になってんのは、ネットリンチが原因で自殺した、売れない地下アイドルの子の残留思念だよ。まあ、あんたらに言わせれば、ってことだけど」

 彼女の横顔には、相変わらずの冷たい軽蔑と、そして、注意深く見なければ見過ごしてしまいそうなほどの、ほんの小さな、針の先ほどの悲しみが滲んでいるように見えた。

「人間ってさ、本当に愚かで、どうしようもなく救いようがないよね」

 それは、このカオスな電脳都市の片隅で、たった一人、世界の真実と向き合い続けてきた天才少女の、あまりにも孤独で、切実な本音だったのかもしれない。俺たちの、奇妙で、そして困難な共同戦線が、今、幕を開けた。
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