死にたい俺、不老不死を呪った神を殺す旅に出たら、訳アリ美女たちと日本を救う羽目になった件

Gaku

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中部編

第15話『夜明けのカルテ』

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地獄、という言葉がある。
僕は何百年も生きているから、その言葉が使われる場面に、人より少しだけ多く立ち会ってきた。戦火に焼かれる街、飢饉で横たわる骸、そして、愛する者が自分を置いて、静かに息を引き取る瞬間。それらは確かに、地獄だった。
だが、今、この瞬間。猛烈な吹雪に揺さぶられ、ミシミシと崩壊の悲鳴を上げる山小屋の中で、僕は、地獄の本当の意味を知った気がした。
地獄とは、燃え盛る炎でも、血の池でもない。
地獄とは、「終わらない」ということだ。

「彼は帰ってくる!約束したのだから!」

雪女――小雪(こゆき)の、声にならない絶叫が、吹雪をさらに激しくさせる。それはもはや、単なる天候の悪化ではない。彼女の、六十年以上も凍りついたままの、純粋すぎる執着そのものが、現実世界を侵食し、僕たちを純白の絶望で塗りつぶそうとしていた。

「くそっ、このままじゃ小屋ごと潰されるぞ!」
健吾(けんご)が、梁から落ちる雪塊を腕で払いながら叫ぶ。猛(たける)は、倒れかかってくる柱を、その巨体で必死に支えていた。
絶体絶命。万事休す。そんな言葉が、頭の中で空回りする。

その、世界の終わりみたいな轟音を切り裂いて、甲高いエンジン音が近づいてきた。
ブォォォン!
次の瞬間、山小屋の、かろうじて戸の形を保っていた板が、内側から蹴破られた。
「きゃあああ!?」じゃない。
「こんな時に、感傷に浸ってる場合じゃないわよ、あんたたち!」
そこに立っていたのは、ゴーグルと完全防寒着に身を包み、手には何やら頑丈そうなタブレットを持った、女医の伊集院麗子(いじゅういん れいこ)だった。その後ろには、同じく完全装備の莉奈(りな)が、最新鋭のスノーモービルからひょっこりと顔を出している。どうやら、僕たちが山に入ってから、あまりに天候が急変したため、心配になって追いかけてきてくれたらしい。

「麗子先生!莉奈!」
栞(しおり)が、安堵の声を上げる。
だが、麗子は僕たちを一瞥すると、まっすぐに、吹雪の中心にいる雪女――小雪へと向かっていった。
「あなた、名前は小雪さんね」
麗子の声は、この轟音の中にあって、不思議と凛と響いた。彼女は、恐れる素振りも見せず、小雪の目の前に、莉奈が防水・耐寒仕様に改造したタブレットを突きつけた。画面には、黄ばんだ古いカルテの画像が、鮮明に映し出されていた。

「あなたの恋人、和人(かずと)さんは、あなたを置いていったんじゃない。あなたに薬を届けることもできず、あなたより先に、病で亡くなっていたのよ」

それは、宣告だった。
医者として、科学を信奉する者として、彼女が突きつけられる、最も残酷で、最も客観的な「事実」。
カルテには、和人の名前と、彼の病状、そして、赤いインクで書かれた「死亡」の二文字が、はっきりと記されていた。

その文字を見た瞬間、小雪の霊気は、それまでの怒りから、底なしの絶望へと変わった。
「嘘……だ……」
彼女から漏れた声にならない声は、山全体を揺るがすほどの悲しみの波動となって、僕たちの心を直接殴りつけた。信じていた約束が、六十年待ち続けた想いが、一枚の紙に記された「事実」によって、根底から覆されたのだ。
吹雪は、もはや荒れ狂うという表現では生ぬるい。それは、彼女の心が砕け散る音そのものだった。

「待て」

僕は、なおも何かを告げようとする麗子の前に、立ちはだかった。

「事実を突きつけるだけじゃ、救いにはならねえ」

僕は、小雪に向き直った。彼女の瞳は、もう何も映していない。ただ、深い、深い虚無だけが、そこにあった。

「なあ。お前が本当に怖かったのは、彼が死んだことじゃないだろ」

僕の言葉は、まるで自分自身に語りかけているかのようだった。

「彼が、お前のことを忘れて、どこか別の場所で、新しい誰かと幸せに生きてることだったんじゃないか? 俺も、同じだ。忘れられるくらいなら、いっそ、このまま永遠に憎まれていた方がマシだって、ずっと思ってた」

何百年も、たくさんの人を見送ってきた。僕のことを忘れて、新しい人生を歩んでいく彼らの背中を見るたびに、胸にぽっかりと穴が空いた。その穴を埋めるために、僕は「どうせみんな俺を忘れる」と、世界を呪い、自分の心を麻痺させてきた。

僕の言葉に、小雪の虚ろな瞳が、わずかに揺れた。

その揺らぎを見逃さず、麗子が、僕の言葉を引き継いだ。彼女の声は、先ほどの冷徹なものではなく、わずかに震えていた。
「和人さんは、最後まで、あなたのことを忘れてなんかいなかったわ。彼は、自分の命が長くないと知りながら、あなたの為に薬を求めて吹雪の街へ向かった。彼が最後に診察に来た時、私の祖父に、こう言ったそうよ」

麗子は、タブレットの画面をスワイプし、カルテの隅に、走り書きされた小さなメモを拡大して見せた。

「『あいつを一人にはできない。俺が死んでも、きっとあいつのそばにいる』ってね」

それは、科学的な記録ではない。だが、六十年前に生きた一人の男の、どうしようもない想いが込められた、紛れもない「真実」だった。

「和人さんは、ずっとあなたのそばにいました」
今度は、栞が、そっと小雪の手に自分の手を重ねた。
「あなたを一人にしないという約束を、魂になってからも、ずっと、ずっと、守り続けていたんです」

栞の清らかな霊力が、触媒となった。彼女の温かい心が、小雪の凍てついた心に、六十年ぶりに光を灯した。
小雪の瞳にだけ、その姿が映る。
若き日のままの、少しはにかんだような笑顔を浮かべた、和人の魂が、そこに立っていた。
彼は、何も言わない。ただ、昔と変わらない優しい眼差しで、彼女を、じっと見つめている。

ああ、そうか。
ずっと、そばにいてくれたのか。
私が、気づかなかっただけで。

自分が忘れられていなかったこと。ずっと愛され続けていたことを、「悟った」瞬間。
彼女を六十年以上もこの世に縛り付けていた、「待ち続ける」という執着の氷が、パリン、と音を立てて、砕け散った。

彼女の体から、氷のような冷たい気が、すうっと消えていく。そして、まるで内側から発光するように、柔らかな光の粒子が、あふれ出した。

彼女は、僕たち一人一人を、そして最後に麗子を見つめ、安らかに、本当に安らかに微笑んだ。
『ありがとう』
その口の形は、はっきりと僕たちに伝わった。
次の瞬間、彼女の体は、ふわり、と雪の結晶に変わり、それまで荒れ狂っていた吹雪の中に、優しく溶け込むようにして、空へと還っていった。

同時に、嘘のように、吹雪が止んだ。
しん、と静まり返った世界に、雲の切れ間から、柔らかな月明かりが差し込んできた。

翌朝。世界は、洗い流されたように、輝く白銀に包まれていた。
僕たちが山小屋から診療所に戻ると、健吾はすぐにフランケン・バンのエンジンをかけ、その状態を入念にチェックし始めた。その姿は、いつもの仏頂面だったが、どこか満足げに見えた。

僕たちが出発の準備を整えていると、玄関のドアが開き、旅支度を整えた麗子が、そこに立っていた。

「私も、連れて行ってほしい」

その言葉に、僕たち全員が、ぽかんと口を開けた。
「先生、どういうことです!?」
「あんたみたいな物好き連中と、これ以上関わるのはごめんだって、言ってなかったか?」

口々に尋ねる僕たちに、麗子は少しだけ照れたように視線を逸らした。

「私は医者として、人の体だけを診てきた。レントゲンに映る骨、血液検査の数値、そういう、目に見えるものだけを信じてきたわ。でも昨夜、科学では説明できない『魂』や『心』が、人を縛りつけ、そして、人を救うのを、この目で見てしまった」

彼女は、僕をまっすぐに見つめた。その瞳には、もう警戒心はない。あるのは、医者としての、そして一人の探求者としての、燃えるような好奇心だった。

「藤原さん、あなたのその体。細胞は新陳代謝を繰り返しているのに、なぜ老化しないのか。傷は治るのに、なぜ死なないのか。医学的に、そして人として、どうしても解明したいの」

そして、彼女は、ふい、と顔を赤らめて付け加えた。

「それに……。死んだ人の魂は救えても、生きているあなたの、そのひねくれた心を救える医者は、まだこの世にいないようだから。少し、お節介を焼かせてもらうわ」

その言葉は、彼女なりの、最大限の優しさであり、僕の旅に同行するための、最高の口実だった。

こうして、科学の徒でありながら、誰よりも魂の在り処を探求しようとする、クールで、少しお節介な女医、伊集院麗子が、僕たちの旅に加わった。
フランケン・バンと、莉奈のハイテクワゴン、そして、その後ろを静かについていく、麗子のクリーンなセダン。三台の奇妙なキャラバンは、雪解けの道を、次なる目的地、古都の闇が待つ近畿地方へと、走り始めた。

僕たちの、あまりにも長くて、そして終わりの見えない旅は、また新しい仲間を加えて、まだ、続いていく。
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