やがて、君と見る木漏れ日

Gaku

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早乙女里奈の視点

第十一話:極彩色のサヨナラ

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八月の夜気は、安っぽい香水と焼きそばの焦げた匂いが混ざり合って、むせ返るようだった。

「ねーねー、お姉さんたち、これからどう? 席あるよ?」

チャラついた大学生らしき男二人が、声をかけてくる。 私は、扇子で口元を隠しながら、冷ややかな視線を送った。

「ごめんなさい、連れがいるので」

嘘ではない。隣には友人の恵がいる。 男たちは「ちぇっ、ガード固」と捨て台詞を吐いて去っていった。

「もー、里奈ってば冷たいなぁ。今の結構イケメンだったじゃん」 「そう? 中身がペラペラそうで、興味ないわ」

私は溜息交じりに答えた。 紺地に大輪の牡丹があしらわれた浴衣。髪も美容院でセットした。 すれ違う男たちが振り返るのを感じる。 私はいつだって「いい女」だ。誰が見ても、高嶺の花だ。

けれど、心の中は驚くほど砂漠だった。 どれだけ着飾っても、どれだけチヤホヤされても、胸の奥に開いた小さな風穴が埋まらない。 あの「謝罪」の日から、私は瞬の連絡先を消し、彼を過去にしたはずだった。 なのに、この賑やかな祭りの空気が、否応なく「あの頃」を思い出させる。

去年は、瞬と来た。 彼は甚平を着て、私は浴衣を着て。 「お前、歩くの遅せーよ」と文句を言われながらも、手は繋いでいた。 周囲から「美男美女カップル」と見られることに、優越感を感じていた。 あれはあれで、幸せだったと思う。 たとえそれが、お互いのプライドを満たすためのアクセサリーのような関係だったとしても。

「あ、花火始まるよ! 移動しよ!」

恵に手を引かれ、私たちは人混みを避けて、神社の裏手へと回った。 そこは穴場スポットで、人は少ない。

石段を登ろうとした時、私の足が止まった。

いた。 神社の境内の外れ。石段に腰掛けている二人組。

垣原瞬と、前原美影。

心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。 こんな広い会場で、まさか遭遇するなんて。神様はどこまで意地悪な演出家なのだろう。

私は反射的に、恵の背中に隠れた。 二人はこちらに気づいていない。二人の世界に没頭している。

瞬は、甚平すら着ていなかった。 ただの黒いTシャツに、パンツ姿。 髪もセットしておらず、ラフな格好だ。 隣の美影は、いかにも量産型といった感じの、淡いピンクの浴衣。 下駄の鼻緒が痛いのか、少し足を気にしている。

(……ダサい)

思わず、心の中で毒づいた。 花火大会デートなのに、気合が入っていない。 私といた時の瞬は、もっとスタイリッシュで、完璧だった。 あんな気の抜けた格好で隣を歩かれるなんて、私なら耐えられない。

でも。 そんな私の軽蔑をあざ笑うように、瞬の横顔は、見たこともないほど穏やかだった。

ドン、という音が響く。 夜空に、巨大な花火が咲いた。 極彩色の光が、二人のシルエットを浮かび上がらせる。

その光の中で、瞬が何かを言った。 美影が、驚いたように顔を上げる。

そして次の瞬間。 美影が泣き出しそうな顔で笑い、瞬に抱きついた。 瞬もまた、彼女の背中に腕を回し、力強く抱きしめ返す。

その抱擁は、甘いロマンス映画のワンシーンというよりは、溺れかけた同士が互いの存在を確かめ合うような、必死で、切実なものに見えた。

「…………」

私は、扇子を握りしめた指に力を込めた。 悔しい、とは思わなかった。 嫉妬も、もう湧いてこなかった。

ただ、圧倒的な「敗北感」だけがあった。 私には、できなかった。 彼にあんな風に、なりふり構わず抱きしめさせることは。 彼にあんな風に、かっこ悪いくらい必死な顔をさせることは。

私たちがしていたのは「恋愛ごっこ」だった。 お互いに傷つかない距離で、綺麗な部分だけを見せ合うゲーム。 でも、あの子たちは違う。 傷つけ合って、泥だらけになって、それでも「離さない」と決めて、そこに座っている。

Tシャツ姿の瞬は、浴衣姿の私といた時の瞬よりも、ずっと「生きて」いた。

「里奈? どうしたの、あんなとこでカップルがいちゃついてるだけじゃん」

恵が不思議そうに私を覗き込む。 私は、ふっと息を吐き出した。 肩の力が抜けていくのがわかった。

「ううん、なんでもない」

私は、二人から視線を外した。 もう、十分だ。 これ以上見ていたら、私が惨めになるだけだ。 それに、他人のハッピーエンドを見せつけられる趣味はない。

「行こ、恵。ここ、蚊が多いわ」 「えー? せっかく来たのに?」 「いいから。もっといい場所、探そ」

私は踵(きびす)を返した。 背後で、スターマインが炸裂する音が聞こえる。 光のシャワーが降り注ぎ、きっと今頃、二人はキスでもしているのかもしれない。

どうぞ、お幸せに。 私の知らない世界で、私の知らない瞬と、一生やってればいいわ。

私は夜空を見上げた。 大輪の花火が消えた後の、真っ暗な夜空。 でも、そこには星が光っていた。

「……次は、もっといい男見つけるし」

誰に聞かせるわけでもなく、強がりを呟いた。 でも、その強がりは、今までで一番、私の心に素直に響いた気がした。

錆びついた未練は、もうない。 私の夏も、これで終わりだ。 カランコロンと下駄を鳴らして、私は光とは逆の方向へ、胸を張って歩き出した。
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