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第3章:冒険者、始めました
第27話:水の街の怪事件
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機械都市ギアヘイムでの、あの輝かしくも我々の懐にとっては極めて厳しい「ゴーレム暴走事件」から数日の時間が流れていた。鉄と蒸気と油の匂いが染みついた街角で、俺たちは発明家のジン爺さんに涙ながらに(その涙の大部分は俺のものだったが)別れを告げ、新たな目的地へと続く街道に足を踏み出していた。
ジン爺さんは、別れのその瞬間まで爛々と目を輝かせ、「次はもっと、もっとすごいのを作ってやるからな! 期待して待ってろ!」などと、まるで懲りていない様子で豪語していた。しかし、その言葉を遮るように、サラが氷のような声色で「二度と来ませんから」と、それはもう固く、固く念を押していたのが印象的だった。彼女の表情は、今後一切ギアヘイムという地名を聞くことすら拒絶するかのような、断固たる決意に満ちていた。あの偏屈で、それでいてどこか憎みきれない老人との間に芽生えた奇妙な友情の記憶だけを、それぞれの胸の内に仕舞い込み、俺たちはまるで追われるように、あの喧騒と活気に満ちた街を後にしたのである。
季節は初夏から、その勢いを増して本格的な夏へと歩みを進めていた。街道を吹き抜けていく風は、もはや春のそれに含まれていたような柔らかな温かさの名残など微塵も感じさせない。じっとりとした湿気が肌にまとわりつき、まるで生命そのものが発散しているかのような、濃密な熱気を孕んでいた。アスファルトなどない土の道は、前日にでも降った雨の名残か、あるいは夜露のせいか、むわりとした土の匂いを立ち上らせ、歩くたびに足元から熱気が湧き上がってくるようだった。
見上げる空は、どこまでも高く、深く、そして力強い夏の色彩に染め抜かれている。巨大な積乱雲が、あたかも天にそびえ立つ真っ白な城のように、あるいは天界の巨人たちが気まぐれに積み上げた綿の山のように、もくもくとその荘厳な姿を刻一刻と変えながら、空の大部分を支配していた。そして、その雲の切れ間から降り注ぐ太陽の光は、まるで世界そのものを焼き尽くさんばかりの猛烈な勢いで、黄金色の矢となって容赦なく大地に突き刺さっていた。その光はあまりに強く、目を細めなければ直視することすらままならない。
街道沿いに連なる木々は、その生命力の源泉たる力強い日差しを、少しでも多くその身に受け止めようとするかのように、葉を大きく、そして瑞々しい緑色に広げていた。葉の一枚一枚が太陽のエネルギーを貪欲に吸収し、光合成の営みを活発に行っているのが見て取れるようだ。その深い緑が作り出す葉陰からは、じいじい、みんみん、かなかな、と、種類の違う蝉たちがまるで競い合うかのようにけたたましい鳴き声を上げ、その音の洪水はシャワーのように絶え間なく降り注ぎ、空気そのものをビリビリと震わせているかのようだった。
そんな、あらゆる生命力が頂点に達し、爆発しているかのような夏の道を、俺たち一行は、しかし対照的にとぼとぼと力なく歩いていた。先頭を行くサラの肩はがっくりと落ち、その背中からは深い絶望が滲み出ている。
「はあ……。私たちが、ここ数週間、コツコツと依頼をこなして貯めた活動資金が……。あんな、鉄のガラクタが引き起こした騒動のせいで、一瞬にして泡と消えるなんて……信じられない……」
サラが、まるでこの世の終わりでも訪れたかのような悲痛な表情で、天を仰ぎながら深々とため息をついた。彼女のその嘆きは、ギアヘイムを出発してからというもの、もはや何度聞いたか分からないほどだった。地道な薬草採取や魔物退治で食いつなぎ、ようやく蓄えができてきた矢先だった。それが、ジン爺さんのゴーレムが暴走したことによる街の修繕費として、右から左へと、文字通り一瞬で消え去ってしまったのだ。その精神的ショックは、傍から見ている俺たちにとっても計り知れないものがあった。彼女にとってそれは、単なる金銭的損失以上の、冒険者としての生活基盤を揺るがす屈辱的な出来事だったのだろう。
「まあまあ、サラ殿。落ち着かれよ。金は天下の回りもの、と昔から言うからのう。なくなったと思えば、またどこかからひょっこり現れるものじゃ。また稼げばよいではないか。ふぉっふぉっふぉ」
パーティーの最年長であるドルセンが、その長い白髭を揺らしながら、いつものように暢気なことを言って彼女を慰めようとする。しかし、その言葉は今のサラの心には全く響いていないようだった。彼女はちらりとドルセンに視線を送ったが、その瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
「そうだぞ、サラ! 元気を出せって! 終わったことをくよくよ考えても仕方ないだろう! それより、俺は腹が減った! 次の街では、何か美味いものが食えるといいなあ!」
一方、ハガンはもはやギアヘイムでの事件のことなど、その記憶の彼方に完全に消え去っているようだった。彼のたくましい肉体と精神を構成しているのは、おそらくその大部分が食欲と睡眠欲なのだろう。その頭の中は、すでに次の街で待ち受けているであろう美食のことでいっぱいのようであり、腹の虫がぐぅ、と大きな音を立てた。
俺は、そんな三者三様のやり取りを、どこか微笑ましくも、呆れたような苦笑を浮かべながら聞いていた。 (本当に、ある意味では奇跡的なバランスで成り立っている、いいパーティーだな、俺たちは) 金銭感覚が完全に欠如しているおっとりとした魔法使いの老人と、考えることよりも先に食欲が立つ脳筋気味の僧侶。そして、その二人のお目付け役であり、ツッコミ役であり、そしてパーティーの財布を握る苦労人のリーダーである女剣士。これほどまでに安定した(色々な意味で)パーティーも、世の中広しといえども、そうそう見つかるものではないだろう。俺というイレギュラーな存在が加わったことで、その奇妙なバランスはさらに複雑な様相を呈しているのかもしれない。
「次の街は、『水の都アクアリア』よ」 不意に、サラが懐から取り出した地図を広げながら、いくぶんか持ち直した声で言った。 「王国でも最も美しいと謳われる、運河の街。まあ、今のこの、どんよりと淀んだ私の気分を、少しは癒してくれるかもしれないわね」 その声には、まだ諦めの色が色濃く滲んではいたが、それでもほんの少しだけ、次なる目的地への期待が混じっているように、俺の耳には聞こえた。美しい景色は、人の心を癒す力がある。彼女もそれを無意識に期待しているのだろう。
水の都、アクアリア。 その涼やかで美しい響きに、俺もまた、知らず知らずのうちに胸を躍らせていた。鉄と油の匂いが染み付いたギアヘイムとは対極にあるような、清らかで美しい街のイメージ。それは、このうだるような暑さの中を行軍する俺たちにとって、何よりの清涼剤となるはずだった。 その、美しいと謳われる街で、俺たちが新たな、そして以前にも増して面倒くさい事件に真正面から巻き込まれることになるとは、この時の俺たちは知る由もなかったのである。
***
水の都アクアリアは、その噂に違わず、息を呑むほどに美しい街だった。 少なくとも、街道の丘の上から遠望した、その姿は。
緩やかな坂道を登りきり、俺たちの視界にその街の全景が姿を現した時、俺は思わず足を止め、感嘆の声を漏らしていた。まるで、巨大な紺碧の湖の上に、繊細な芸術品がそっと浮かべられているかのように、その街は存在していた。燦々と降り注ぐ真夏の太陽の光を浴びて、広大な水面がきらきらと、まるで砕け散った無数のダイヤモンドのように輝いている。その光り輝く水の上に、白い壁と鮮やかなオレンジ色の屋根を持つ美しい家々が、お互いに寄り添い合うようにして立ち並んでいた。その光景は、まるでおとぎ話の絵本の中から抜け出してきた挿絵のように、あまりにも幻想的な、非現実的ですらあった。
街の内部を、まるで血管のように縦横無尽に運河が走り、その水路の上を、優雅な装飾が施されたゴンドラが、ゆったりとした速度で行き交っているのが遠目にも見て取れた。ゴンドラを漕ぐ船頭の、朗らかな歌声さえ風に乗って聞こえてくるような気がした。
「わあ……」 隣を歩いていたサラが、抑えきれないといった様子で感嘆の声を漏らした。 「なんて、なんて綺麗な街なの……。本当に、宝石みたい……」 彼女の瞳は、目の前に広がる絶景に釘付けになっていた。ギアヘイムでの金銭的損失によって沈み込んでいた彼女の気分も、このあまりにも幻想的な光景を前にして、ようやく少しだけ浮上したようだった。その横顔には、先ほどまでの鬱々とした影は薄れ、純粋な感動の色が浮かんでいる。
「うむ。水のエレメントの、清浄で豊かな魔力を強く感じるわい。これは、良い街じゃ。空気そのものが澄んでおる」 ドルセンも、その長い白髭を満足げに撫でながら、深く頷いている。彼の魔法使いとしての鋭敏な感覚が、この土地に満ちる清らかなマナを捉えているのだろう。
「水がこれだけ綺麗だと、きっと魚も美味いに違いねえ! 塩焼きか? それともムニエルか? ああ、刺身もいいかもしれん!」 ハガンは、やはりというか何というか、その思考は一瞬で食い気に結びついていた。彼の頭の中では、すでに運河で獲れたであろう新鮮な魚たちが、様々な調理法で並べられているに違いなかった。
俺もまた、目の前の光景から目を離すことができずにいた。その美しさに、ただただ心を奪われていたのだ。 先日まで滞在していた機械都市ギアヘイムの、あの無骨で、力強く、蒸気と鋼鉄が織りなす機能美とは全く異なる種類の美しさ。 繊細で、優雅で、そしてどこまでも清らかで、透明な、水の都。 俺たちは、それぞれが抱く期待に胸を大きく膨らませ、その美しい街へと続く坂道を下り、足を踏み入れた。
そして、俺たちはすぐに気づくことになった。 この街が、見た目とは裏腹に、深刻で重い「病」に侵されているという事実に。
街の中へと一歩足を踏み入れた瞬間、遠くから見ていたあの輝くような美しさが、まるで幻だったかのように色褪せて見えた。 まず、俺たちの鼻孔を不快に刺激したのは、その匂いだった。爽やかな潮の香りや、澄んだ水の匂いがするのかと思いきや、俺たちの鼻をついたのは、澱んだ水の生臭い匂いと、何かが腐敗したような、吐き気を催す不快な悪臭だった。それは、まるで淀んだ沼の底のヘドロをかき混ぜたかのような、生命の死を感じさせる匂いだった。
次に、水の色。丘の上から見た時には、太陽の光を反射してダイヤモンドのように輝いていたはずの運河の水は、間近で見るとどす黒く濁り、その水面には緑色の気味の悪い藻が、分厚い絨毯のような層をなして浮かんでいた。そして、その淀んだ水面から、時折ぷくり、とメタンガスのような不気味な泡が弾けては、さらに強烈な悪臭を周囲に撒き散らしていた。かつては街の誇りであっただろう運河は、今や巨大な汚水溜めと化していた。
そして、何よりも俺たちの心を重くしたのは、この街に住む人々の様子だった。 街を行き交う人々の顔には、活気というものが全く感じられない。誰もが土気色のような悪い顔色をしており、その歩みは重く、まるで亡霊のようにどこか虚ろだった。時折、道端で壁に手をつき、激しく咳き込んでいる者や、腹を押さえて苦痛に顔を歪ませながらうずくまっている者すら見受けられた。子供たちの笑い声はどこにもなく、ゴンドラの船頭たちも歌うことをやめ、ただ黙々と、重い水をかき分けていた。 美しいはずの水の都は、まるで重い病に蝕まれた病人のように、静かに、そして確実に、その生命力を失い、弱りきっていたのだ。
「なんてことなの……。一体、この街で何があったっていうのよ」 サラが、先ほどの感動が嘘のように青ざめた顔で、目の前の惨状を信じられないといった様子で呟いた。彼女の手は、無意識のうちに腰に下げた剣の柄を握りしめている。
「これは、単なる水質の悪化というだけではないな。ドルセン殿の言った通り、遠くから感じた清浄な魔力は、この街の中心部では完全に掻き消されている。この澱んだ空気の中には、間違いなく邪悪で不浄な魔力が渦巻いている」 俺は、かつての世界で得た知識の断片を、記憶の底から必死に引き出していた。 工場からの有害物質を含んだ排水による、河川の水質汚染。家庭から出る生活排水が引き起こす、湖沼の富栄養化。そして、その汚染された水を飲用した人々の間に広がる、恐ろしい感染症のパンデミック。 目の前で起きているこの現象は、科学的な知識で説明されるそれらの事象に酷似していた。 だが、ここは魔法やエレメントといった超常の力が厳然として存在する異世界だ。 その原因は、科学では説明のつかない、もっとタチの悪いものである可能性が極めて高かった。
俺たちは、まずは情報を集めることが先決だと判断し、街の中心にある広場へと向かうことにした。人々が集まる場所には、情報もまた集まるはずだからだ。 広場には、ひと際大きな、立派な石造りの井戸があった。おそらく、この街の主要な水源であり、かつては住民たちの憩いの場であったのだろう。 だが、今、その井戸の周りには、「この水、飲むべからず」と書かれた粗末な立て札が無情に立てられ、住民たちはそれを不安そうな顔で遠巻きに見つめているだけだった。井戸を囲む活気はなく、ただ重苦しい沈黙が支配していた。
その、希望を失った井戸の前で、たった一人、住民たちに向かって必死に何かを訴えかけている女性がいた。 「皆さん! どうか、気を確かに持ってください! 全能なる神は、決して私たちをお見捨てにはなりません! 今はただ、ひたすらに祈りを捧げましょう! 神の偉大なるご加護があれば、この穢れた水は必ずや清められ、この街は救われるはずです!」
その女性は、「清廉」という言葉をそのまま人の形にしたかのような、神々しいまでの雰囲気を纏った人物だった。 腰のあたりまである、滑らかで美しい銀色の長髪が、陽の光を浴びて淡く輝いている。その身にまとった、汚れ一つない純白の神官服は、周囲の淀んだ空気の中にあって、そこだけが別世界であるかのように清浄な光を放っていた。そして、何よりも印象的だったのは、彼女の澄み切った青い瞳だった。その瞳は、どこまでも真摯な神への信仰と、苦しむ人々を救いたいという曇りのない強い使命感に満ち溢れていた。 彼女こそが、後に俺たちの旅路に深く関わることになる神官、セリアその人だった。
だが、彼女のそのあまりにも清らかで、そしてあまりにも理想主義的な言葉は、今まさに現実の苦しみに喘いでいる住民たちの心には、悲しいほどに全く届いていなかった。
「祈ってるだけで腹は膨れんのですよ、神官様!」 痩せた腕を振り上げ、一人の男が叫んだ。 「水がなきゃ、洗濯もできねえし、食堂の商売もできやしねえんだ!」 エプロン姿の女性が、涙声で訴える。 「うちの子供が、昨日から高い熱を出して寝込んでるんです! このままじゃ、死んじまう! 神様は、それを見ているだけなんですか! どうしてくれるんですか!」 幼子を抱いた母親の悲痛な声が、広場に響き渡った。
住民たちから浴びせられる、絶望から生まれた悲痛な、そして怒りに満ちた声の刃。セリアは、その一つ一つの厳しい言葉を全身で受け止め、唇をきゅっと強く噛み締めた。それでもなお、彼女は諦めることなく、必死に救いの言葉を紡ごうとしていた。 その、あまりにも不器用で、あまりにも痛々しく、見ていられない光景に、最初に我慢の限界を迎えたのは、俺たちの短気で現実主義なリーダーだった。
サラは、それまで腕を組んで黙って様子をうかがっていたが、ついに堪忍袋の緒が切れたようだった。彼女は、ずかずかと大股で住民たちの輪の中へと割って入っていく。その美しい金色の髪が、怒りに震えるように揺れた。 そして、セリアの真正面に立つと、言ったのだ。
「ちょっと、あんた」
その声は、苛立ちを隠そうともしない、鋭く尖ったものだった。
「祈ってるだけで水が綺麗になるんなら、冒険者なんて商売はとっくに廃業してるわよ。そんな、何の役にも立たない非現実的な精神論を説いてる暇があったら、もっと現実的な調査をしなさいよ! この、役立たず!」
サラの、あまりにも単刀直入で、そしてこの上なく失礼な物言いに、セリアの澄み切った青い瞳が、驚きと屈辱に大きく見開かれた。そして、次の瞬間、その白磁のように美しかった顔が、怒りでさっと朱に染まった。
「や、役立たずですって!?」 セリアの声は、鈴が鳴るように可憐な響きを持っていたが、その奥には鋼のような強い意志と、決して折れることのない誇りが感じられた。 「なんと、神を、そして神に仕える私を冒涜するようなお言葉! あなたこそ、その冒険者らしい粗野で野蛮な物言いを、今すぐお慎みなさい! まずは神殿で、言葉遣いの基礎から学び直してきてはいかがです!」
「はあ!? あんた、今、私に喧嘩売ったの!?」 サラの眉が、ぐっと吊り上がる。
「売られた喧嘩を、神の代理として、謹んでお受けしているだけです!」 セリアも一歩も引かない。
広場の中心で、目に見えない火花が、ばちばちと激しく散った。 気が強く、曲がったことが大嫌いな現実主義の金髪の女剣士。 真面目で、信仰に篤く、理想を追い求める銀髪の女神官。 水と油。 磁石のN極とN極。 この二人が、初対面で分かり合えるはずが、万に一つもなかった。
二人は、大勢の住民が見守る広場のど真ん中で、まるで子供の喧嘩のような、しかしその当事者の見た目のレベルが非常に高いという、世にも奇妙な口論を始めてしまったのである。
「大体、あんたみたいな世間も知らない箱入りのお嬢様神官に、日々の生活に苦しむ私たちの、何がわかるって言うのよ!」 サラが、腰に手を当ててセリアを睨みつける。
「あなたのような、神への敬意も、苦しむ人々への慈愛の心も、微塵も感じられない野蛮な方に、私のこの崇高な使命が理解できるはずもありませんわ!」 セリアも、胸を張って言い返す。
「言ってくれるじゃない、この、天然ふわふわお花畑頭の聖女!」 「あなたこそ、その、脳みそまで筋肉でできているに違いない、戦闘狂!」
その壮絶な(?)言い争いを、ドルセンとハガンは「お、始まったぞ」「わしは銀髪のお嬢ちゃんの方に銅貨一枚じゃな」「いや、俺はいつものサラに賭ける!」などと、完全に野次馬に徹し、呑気に賭けまで始めている。住民たちも、街の惨状をしばし忘れ、目の前で繰り広げられる美女二人の口喧嘩に呆然と見入っていた。
俺は、思わず頭を抱えた。 (なんで、初対面でこうなるんだ……。頼むから、今はやめてくれ……)
このままでは埒が明かない。俺は意を決して、二人の間に割って入ることにした。よちよちと二人の間に歩み寄り、その間から顔を出す。
「まあまあまあまあ! 二人とも、少し落ち着いてください!」
まだ声変わりもしていない、幼い子供の声。その場にそぐわない高い声が響くと、あれほどヒートアップしていた二人は、はっと我に返ったように動きを止め、一斉に俺に視線を向けた。そして、きまり悪そうに口を閉じた。
「いいですか。口喧嘩をしたって、この井戸の水は綺麗になりません。サラの言う通り、まずは汚染の原因を突き止めて、それを排除するための現実的な調査をすることが大事です。そして、セリアさんの言う通り、不安に駆られているこの街の人々の心を救うことも、同じくらい大事なことです」
俺は、二人の顔を交互に見上げながら、一生懸命に説いた。
「目的は、二人とも同じはずです。この、病気になった街を救うこと。だったら、お互いにいがみ合っていないで、協力しませんか?」
俺の、あまりにも正論で、そして子供らしい純粋さが込められた言葉に、二人はぐっと言葉に詰まったようだった。しばらくの沈黙の後、やがてセリアが、ふい、と気まずそうに顔を背けながら、小さな声で言った。
「……わ、分かりましたわ。確かに、あなたの言う通りです。今は、私たち人間同士が仲間割れをしている場合では、ありません。……分かりました。一時的に、あなたたちの力を、お借りしましょう。ただし!」
彼女は、ビシッ! と効果音がつきそうな勢いで、サラを人差し指で指差した。
「私の指示には、絶対に従っていただきますからね! 特に、そこの口の悪い、金髪のあなた!」
「上等じゃない! あんたこそ、いざという時に泣き言を言って、私の足を引っ張らないでよね、この、石頭のお姫様神官!」
サラも、即座に売り言葉に買い言葉で応戦する。 二人は、再びばちばちと視線で火花を散らし始めたが、先ほどのような激しい口論に発展することはなかった。協力するという一点においては、合意が形成されたようだった。
俺は、空に向かって誰にともなく、深々とため息をついた。 こうして。 全く予期せぬ形で、俺たちのパーティーに、新たに一人(そして、心配の種が一つ)、期間限定で加わることになった。 そして、この、あまりにも前途多難な雰囲気を醸し出す即席パーティーは、街を蝕む汚染の原因を究明すべく、全ての元凶がいるであろう水源地、すなわち上流の洞窟へと向かうことを、満場一致(?)で決意したのである。
互いに背を向け、ふんと鼻を鳴らして反目し合う二人の美しい女性。 それを、実に面白そうににやにやと眺めている、老魔法使いと脳筋僧侶。 そして、その奇妙な集団の真ん中で、これから先のことを思って、ただただ頭を抱える俺。
俺たちの、波乱に満ちたドタバタな冒険は、またしても新たなカオスの予感を色濃くはらみながら、次のステージへと、その歩みを進めていくのだった。
ジン爺さんは、別れのその瞬間まで爛々と目を輝かせ、「次はもっと、もっとすごいのを作ってやるからな! 期待して待ってろ!」などと、まるで懲りていない様子で豪語していた。しかし、その言葉を遮るように、サラが氷のような声色で「二度と来ませんから」と、それはもう固く、固く念を押していたのが印象的だった。彼女の表情は、今後一切ギアヘイムという地名を聞くことすら拒絶するかのような、断固たる決意に満ちていた。あの偏屈で、それでいてどこか憎みきれない老人との間に芽生えた奇妙な友情の記憶だけを、それぞれの胸の内に仕舞い込み、俺たちはまるで追われるように、あの喧騒と活気に満ちた街を後にしたのである。
季節は初夏から、その勢いを増して本格的な夏へと歩みを進めていた。街道を吹き抜けていく風は、もはや春のそれに含まれていたような柔らかな温かさの名残など微塵も感じさせない。じっとりとした湿気が肌にまとわりつき、まるで生命そのものが発散しているかのような、濃密な熱気を孕んでいた。アスファルトなどない土の道は、前日にでも降った雨の名残か、あるいは夜露のせいか、むわりとした土の匂いを立ち上らせ、歩くたびに足元から熱気が湧き上がってくるようだった。
見上げる空は、どこまでも高く、深く、そして力強い夏の色彩に染め抜かれている。巨大な積乱雲が、あたかも天にそびえ立つ真っ白な城のように、あるいは天界の巨人たちが気まぐれに積み上げた綿の山のように、もくもくとその荘厳な姿を刻一刻と変えながら、空の大部分を支配していた。そして、その雲の切れ間から降り注ぐ太陽の光は、まるで世界そのものを焼き尽くさんばかりの猛烈な勢いで、黄金色の矢となって容赦なく大地に突き刺さっていた。その光はあまりに強く、目を細めなければ直視することすらままならない。
街道沿いに連なる木々は、その生命力の源泉たる力強い日差しを、少しでも多くその身に受け止めようとするかのように、葉を大きく、そして瑞々しい緑色に広げていた。葉の一枚一枚が太陽のエネルギーを貪欲に吸収し、光合成の営みを活発に行っているのが見て取れるようだ。その深い緑が作り出す葉陰からは、じいじい、みんみん、かなかな、と、種類の違う蝉たちがまるで競い合うかのようにけたたましい鳴き声を上げ、その音の洪水はシャワーのように絶え間なく降り注ぎ、空気そのものをビリビリと震わせているかのようだった。
そんな、あらゆる生命力が頂点に達し、爆発しているかのような夏の道を、俺たち一行は、しかし対照的にとぼとぼと力なく歩いていた。先頭を行くサラの肩はがっくりと落ち、その背中からは深い絶望が滲み出ている。
「はあ……。私たちが、ここ数週間、コツコツと依頼をこなして貯めた活動資金が……。あんな、鉄のガラクタが引き起こした騒動のせいで、一瞬にして泡と消えるなんて……信じられない……」
サラが、まるでこの世の終わりでも訪れたかのような悲痛な表情で、天を仰ぎながら深々とため息をついた。彼女のその嘆きは、ギアヘイムを出発してからというもの、もはや何度聞いたか分からないほどだった。地道な薬草採取や魔物退治で食いつなぎ、ようやく蓄えができてきた矢先だった。それが、ジン爺さんのゴーレムが暴走したことによる街の修繕費として、右から左へと、文字通り一瞬で消え去ってしまったのだ。その精神的ショックは、傍から見ている俺たちにとっても計り知れないものがあった。彼女にとってそれは、単なる金銭的損失以上の、冒険者としての生活基盤を揺るがす屈辱的な出来事だったのだろう。
「まあまあ、サラ殿。落ち着かれよ。金は天下の回りもの、と昔から言うからのう。なくなったと思えば、またどこかからひょっこり現れるものじゃ。また稼げばよいではないか。ふぉっふぉっふぉ」
パーティーの最年長であるドルセンが、その長い白髭を揺らしながら、いつものように暢気なことを言って彼女を慰めようとする。しかし、その言葉は今のサラの心には全く響いていないようだった。彼女はちらりとドルセンに視線を送ったが、その瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
「そうだぞ、サラ! 元気を出せって! 終わったことをくよくよ考えても仕方ないだろう! それより、俺は腹が減った! 次の街では、何か美味いものが食えるといいなあ!」
一方、ハガンはもはやギアヘイムでの事件のことなど、その記憶の彼方に完全に消え去っているようだった。彼のたくましい肉体と精神を構成しているのは、おそらくその大部分が食欲と睡眠欲なのだろう。その頭の中は、すでに次の街で待ち受けているであろう美食のことでいっぱいのようであり、腹の虫がぐぅ、と大きな音を立てた。
俺は、そんな三者三様のやり取りを、どこか微笑ましくも、呆れたような苦笑を浮かべながら聞いていた。 (本当に、ある意味では奇跡的なバランスで成り立っている、いいパーティーだな、俺たちは) 金銭感覚が完全に欠如しているおっとりとした魔法使いの老人と、考えることよりも先に食欲が立つ脳筋気味の僧侶。そして、その二人のお目付け役であり、ツッコミ役であり、そしてパーティーの財布を握る苦労人のリーダーである女剣士。これほどまでに安定した(色々な意味で)パーティーも、世の中広しといえども、そうそう見つかるものではないだろう。俺というイレギュラーな存在が加わったことで、その奇妙なバランスはさらに複雑な様相を呈しているのかもしれない。
「次の街は、『水の都アクアリア』よ」 不意に、サラが懐から取り出した地図を広げながら、いくぶんか持ち直した声で言った。 「王国でも最も美しいと謳われる、運河の街。まあ、今のこの、どんよりと淀んだ私の気分を、少しは癒してくれるかもしれないわね」 その声には、まだ諦めの色が色濃く滲んではいたが、それでもほんの少しだけ、次なる目的地への期待が混じっているように、俺の耳には聞こえた。美しい景色は、人の心を癒す力がある。彼女もそれを無意識に期待しているのだろう。
水の都、アクアリア。 その涼やかで美しい響きに、俺もまた、知らず知らずのうちに胸を躍らせていた。鉄と油の匂いが染み付いたギアヘイムとは対極にあるような、清らかで美しい街のイメージ。それは、このうだるような暑さの中を行軍する俺たちにとって、何よりの清涼剤となるはずだった。 その、美しいと謳われる街で、俺たちが新たな、そして以前にも増して面倒くさい事件に真正面から巻き込まれることになるとは、この時の俺たちは知る由もなかったのである。
***
水の都アクアリアは、その噂に違わず、息を呑むほどに美しい街だった。 少なくとも、街道の丘の上から遠望した、その姿は。
緩やかな坂道を登りきり、俺たちの視界にその街の全景が姿を現した時、俺は思わず足を止め、感嘆の声を漏らしていた。まるで、巨大な紺碧の湖の上に、繊細な芸術品がそっと浮かべられているかのように、その街は存在していた。燦々と降り注ぐ真夏の太陽の光を浴びて、広大な水面がきらきらと、まるで砕け散った無数のダイヤモンドのように輝いている。その光り輝く水の上に、白い壁と鮮やかなオレンジ色の屋根を持つ美しい家々が、お互いに寄り添い合うようにして立ち並んでいた。その光景は、まるでおとぎ話の絵本の中から抜け出してきた挿絵のように、あまりにも幻想的な、非現実的ですらあった。
街の内部を、まるで血管のように縦横無尽に運河が走り、その水路の上を、優雅な装飾が施されたゴンドラが、ゆったりとした速度で行き交っているのが遠目にも見て取れた。ゴンドラを漕ぐ船頭の、朗らかな歌声さえ風に乗って聞こえてくるような気がした。
「わあ……」 隣を歩いていたサラが、抑えきれないといった様子で感嘆の声を漏らした。 「なんて、なんて綺麗な街なの……。本当に、宝石みたい……」 彼女の瞳は、目の前に広がる絶景に釘付けになっていた。ギアヘイムでの金銭的損失によって沈み込んでいた彼女の気分も、このあまりにも幻想的な光景を前にして、ようやく少しだけ浮上したようだった。その横顔には、先ほどまでの鬱々とした影は薄れ、純粋な感動の色が浮かんでいる。
「うむ。水のエレメントの、清浄で豊かな魔力を強く感じるわい。これは、良い街じゃ。空気そのものが澄んでおる」 ドルセンも、その長い白髭を満足げに撫でながら、深く頷いている。彼の魔法使いとしての鋭敏な感覚が、この土地に満ちる清らかなマナを捉えているのだろう。
「水がこれだけ綺麗だと、きっと魚も美味いに違いねえ! 塩焼きか? それともムニエルか? ああ、刺身もいいかもしれん!」 ハガンは、やはりというか何というか、その思考は一瞬で食い気に結びついていた。彼の頭の中では、すでに運河で獲れたであろう新鮮な魚たちが、様々な調理法で並べられているに違いなかった。
俺もまた、目の前の光景から目を離すことができずにいた。その美しさに、ただただ心を奪われていたのだ。 先日まで滞在していた機械都市ギアヘイムの、あの無骨で、力強く、蒸気と鋼鉄が織りなす機能美とは全く異なる種類の美しさ。 繊細で、優雅で、そしてどこまでも清らかで、透明な、水の都。 俺たちは、それぞれが抱く期待に胸を大きく膨らませ、その美しい街へと続く坂道を下り、足を踏み入れた。
そして、俺たちはすぐに気づくことになった。 この街が、見た目とは裏腹に、深刻で重い「病」に侵されているという事実に。
街の中へと一歩足を踏み入れた瞬間、遠くから見ていたあの輝くような美しさが、まるで幻だったかのように色褪せて見えた。 まず、俺たちの鼻孔を不快に刺激したのは、その匂いだった。爽やかな潮の香りや、澄んだ水の匂いがするのかと思いきや、俺たちの鼻をついたのは、澱んだ水の生臭い匂いと、何かが腐敗したような、吐き気を催す不快な悪臭だった。それは、まるで淀んだ沼の底のヘドロをかき混ぜたかのような、生命の死を感じさせる匂いだった。
次に、水の色。丘の上から見た時には、太陽の光を反射してダイヤモンドのように輝いていたはずの運河の水は、間近で見るとどす黒く濁り、その水面には緑色の気味の悪い藻が、分厚い絨毯のような層をなして浮かんでいた。そして、その淀んだ水面から、時折ぷくり、とメタンガスのような不気味な泡が弾けては、さらに強烈な悪臭を周囲に撒き散らしていた。かつては街の誇りであっただろう運河は、今や巨大な汚水溜めと化していた。
そして、何よりも俺たちの心を重くしたのは、この街に住む人々の様子だった。 街を行き交う人々の顔には、活気というものが全く感じられない。誰もが土気色のような悪い顔色をしており、その歩みは重く、まるで亡霊のようにどこか虚ろだった。時折、道端で壁に手をつき、激しく咳き込んでいる者や、腹を押さえて苦痛に顔を歪ませながらうずくまっている者すら見受けられた。子供たちの笑い声はどこにもなく、ゴンドラの船頭たちも歌うことをやめ、ただ黙々と、重い水をかき分けていた。 美しいはずの水の都は、まるで重い病に蝕まれた病人のように、静かに、そして確実に、その生命力を失い、弱りきっていたのだ。
「なんてことなの……。一体、この街で何があったっていうのよ」 サラが、先ほどの感動が嘘のように青ざめた顔で、目の前の惨状を信じられないといった様子で呟いた。彼女の手は、無意識のうちに腰に下げた剣の柄を握りしめている。
「これは、単なる水質の悪化というだけではないな。ドルセン殿の言った通り、遠くから感じた清浄な魔力は、この街の中心部では完全に掻き消されている。この澱んだ空気の中には、間違いなく邪悪で不浄な魔力が渦巻いている」 俺は、かつての世界で得た知識の断片を、記憶の底から必死に引き出していた。 工場からの有害物質を含んだ排水による、河川の水質汚染。家庭から出る生活排水が引き起こす、湖沼の富栄養化。そして、その汚染された水を飲用した人々の間に広がる、恐ろしい感染症のパンデミック。 目の前で起きているこの現象は、科学的な知識で説明されるそれらの事象に酷似していた。 だが、ここは魔法やエレメントといった超常の力が厳然として存在する異世界だ。 その原因は、科学では説明のつかない、もっとタチの悪いものである可能性が極めて高かった。
俺たちは、まずは情報を集めることが先決だと判断し、街の中心にある広場へと向かうことにした。人々が集まる場所には、情報もまた集まるはずだからだ。 広場には、ひと際大きな、立派な石造りの井戸があった。おそらく、この街の主要な水源であり、かつては住民たちの憩いの場であったのだろう。 だが、今、その井戸の周りには、「この水、飲むべからず」と書かれた粗末な立て札が無情に立てられ、住民たちはそれを不安そうな顔で遠巻きに見つめているだけだった。井戸を囲む活気はなく、ただ重苦しい沈黙が支配していた。
その、希望を失った井戸の前で、たった一人、住民たちに向かって必死に何かを訴えかけている女性がいた。 「皆さん! どうか、気を確かに持ってください! 全能なる神は、決して私たちをお見捨てにはなりません! 今はただ、ひたすらに祈りを捧げましょう! 神の偉大なるご加護があれば、この穢れた水は必ずや清められ、この街は救われるはずです!」
その女性は、「清廉」という言葉をそのまま人の形にしたかのような、神々しいまでの雰囲気を纏った人物だった。 腰のあたりまである、滑らかで美しい銀色の長髪が、陽の光を浴びて淡く輝いている。その身にまとった、汚れ一つない純白の神官服は、周囲の淀んだ空気の中にあって、そこだけが別世界であるかのように清浄な光を放っていた。そして、何よりも印象的だったのは、彼女の澄み切った青い瞳だった。その瞳は、どこまでも真摯な神への信仰と、苦しむ人々を救いたいという曇りのない強い使命感に満ち溢れていた。 彼女こそが、後に俺たちの旅路に深く関わることになる神官、セリアその人だった。
だが、彼女のそのあまりにも清らかで、そしてあまりにも理想主義的な言葉は、今まさに現実の苦しみに喘いでいる住民たちの心には、悲しいほどに全く届いていなかった。
「祈ってるだけで腹は膨れんのですよ、神官様!」 痩せた腕を振り上げ、一人の男が叫んだ。 「水がなきゃ、洗濯もできねえし、食堂の商売もできやしねえんだ!」 エプロン姿の女性が、涙声で訴える。 「うちの子供が、昨日から高い熱を出して寝込んでるんです! このままじゃ、死んじまう! 神様は、それを見ているだけなんですか! どうしてくれるんですか!」 幼子を抱いた母親の悲痛な声が、広場に響き渡った。
住民たちから浴びせられる、絶望から生まれた悲痛な、そして怒りに満ちた声の刃。セリアは、その一つ一つの厳しい言葉を全身で受け止め、唇をきゅっと強く噛み締めた。それでもなお、彼女は諦めることなく、必死に救いの言葉を紡ごうとしていた。 その、あまりにも不器用で、あまりにも痛々しく、見ていられない光景に、最初に我慢の限界を迎えたのは、俺たちの短気で現実主義なリーダーだった。
サラは、それまで腕を組んで黙って様子をうかがっていたが、ついに堪忍袋の緒が切れたようだった。彼女は、ずかずかと大股で住民たちの輪の中へと割って入っていく。その美しい金色の髪が、怒りに震えるように揺れた。 そして、セリアの真正面に立つと、言ったのだ。
「ちょっと、あんた」
その声は、苛立ちを隠そうともしない、鋭く尖ったものだった。
「祈ってるだけで水が綺麗になるんなら、冒険者なんて商売はとっくに廃業してるわよ。そんな、何の役にも立たない非現実的な精神論を説いてる暇があったら、もっと現実的な調査をしなさいよ! この、役立たず!」
サラの、あまりにも単刀直入で、そしてこの上なく失礼な物言いに、セリアの澄み切った青い瞳が、驚きと屈辱に大きく見開かれた。そして、次の瞬間、その白磁のように美しかった顔が、怒りでさっと朱に染まった。
「や、役立たずですって!?」 セリアの声は、鈴が鳴るように可憐な響きを持っていたが、その奥には鋼のような強い意志と、決して折れることのない誇りが感じられた。 「なんと、神を、そして神に仕える私を冒涜するようなお言葉! あなたこそ、その冒険者らしい粗野で野蛮な物言いを、今すぐお慎みなさい! まずは神殿で、言葉遣いの基礎から学び直してきてはいかがです!」
「はあ!? あんた、今、私に喧嘩売ったの!?」 サラの眉が、ぐっと吊り上がる。
「売られた喧嘩を、神の代理として、謹んでお受けしているだけです!」 セリアも一歩も引かない。
広場の中心で、目に見えない火花が、ばちばちと激しく散った。 気が強く、曲がったことが大嫌いな現実主義の金髪の女剣士。 真面目で、信仰に篤く、理想を追い求める銀髪の女神官。 水と油。 磁石のN極とN極。 この二人が、初対面で分かり合えるはずが、万に一つもなかった。
二人は、大勢の住民が見守る広場のど真ん中で、まるで子供の喧嘩のような、しかしその当事者の見た目のレベルが非常に高いという、世にも奇妙な口論を始めてしまったのである。
「大体、あんたみたいな世間も知らない箱入りのお嬢様神官に、日々の生活に苦しむ私たちの、何がわかるって言うのよ!」 サラが、腰に手を当ててセリアを睨みつける。
「あなたのような、神への敬意も、苦しむ人々への慈愛の心も、微塵も感じられない野蛮な方に、私のこの崇高な使命が理解できるはずもありませんわ!」 セリアも、胸を張って言い返す。
「言ってくれるじゃない、この、天然ふわふわお花畑頭の聖女!」 「あなたこそ、その、脳みそまで筋肉でできているに違いない、戦闘狂!」
その壮絶な(?)言い争いを、ドルセンとハガンは「お、始まったぞ」「わしは銀髪のお嬢ちゃんの方に銅貨一枚じゃな」「いや、俺はいつものサラに賭ける!」などと、完全に野次馬に徹し、呑気に賭けまで始めている。住民たちも、街の惨状をしばし忘れ、目の前で繰り広げられる美女二人の口喧嘩に呆然と見入っていた。
俺は、思わず頭を抱えた。 (なんで、初対面でこうなるんだ……。頼むから、今はやめてくれ……)
このままでは埒が明かない。俺は意を決して、二人の間に割って入ることにした。よちよちと二人の間に歩み寄り、その間から顔を出す。
「まあまあまあまあ! 二人とも、少し落ち着いてください!」
まだ声変わりもしていない、幼い子供の声。その場にそぐわない高い声が響くと、あれほどヒートアップしていた二人は、はっと我に返ったように動きを止め、一斉に俺に視線を向けた。そして、きまり悪そうに口を閉じた。
「いいですか。口喧嘩をしたって、この井戸の水は綺麗になりません。サラの言う通り、まずは汚染の原因を突き止めて、それを排除するための現実的な調査をすることが大事です。そして、セリアさんの言う通り、不安に駆られているこの街の人々の心を救うことも、同じくらい大事なことです」
俺は、二人の顔を交互に見上げながら、一生懸命に説いた。
「目的は、二人とも同じはずです。この、病気になった街を救うこと。だったら、お互いにいがみ合っていないで、協力しませんか?」
俺の、あまりにも正論で、そして子供らしい純粋さが込められた言葉に、二人はぐっと言葉に詰まったようだった。しばらくの沈黙の後、やがてセリアが、ふい、と気まずそうに顔を背けながら、小さな声で言った。
「……わ、分かりましたわ。確かに、あなたの言う通りです。今は、私たち人間同士が仲間割れをしている場合では、ありません。……分かりました。一時的に、あなたたちの力を、お借りしましょう。ただし!」
彼女は、ビシッ! と効果音がつきそうな勢いで、サラを人差し指で指差した。
「私の指示には、絶対に従っていただきますからね! 特に、そこの口の悪い、金髪のあなた!」
「上等じゃない! あんたこそ、いざという時に泣き言を言って、私の足を引っ張らないでよね、この、石頭のお姫様神官!」
サラも、即座に売り言葉に買い言葉で応戦する。 二人は、再びばちばちと視線で火花を散らし始めたが、先ほどのような激しい口論に発展することはなかった。協力するという一点においては、合意が形成されたようだった。
俺は、空に向かって誰にともなく、深々とため息をついた。 こうして。 全く予期せぬ形で、俺たちのパーティーに、新たに一人(そして、心配の種が一つ)、期間限定で加わることになった。 そして、この、あまりにも前途多難な雰囲気を醸し出す即席パーティーは、街を蝕む汚染の原因を究明すべく、全ての元凶がいるであろう水源地、すなわち上流の洞窟へと向かうことを、満場一致(?)で決意したのである。
互いに背を向け、ふんと鼻を鳴らして反目し合う二人の美しい女性。 それを、実に面白そうににやにやと眺めている、老魔法使いと脳筋僧侶。 そして、その奇妙な集団の真ん中で、これから先のことを思って、ただただ頭を抱える俺。
俺たちの、波乱に満ちたドタバタな冒険は、またしても新たなカオスの予感を色濃くはらみながら、次のステージへと、その歩みを進めていくのだった。
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