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第7章:聖王国と四天王の脅威
第61話:姫様外交官、再び
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法国での一連の騒動が、まるで遠い昔の出来事であったかのように、一行の旅路は穏やかなものだった。いや、正確に言えばガクの周囲だけがいつものように騒がしいだけで、世界そのものは、冬の終わりを惜しむかのような、静かでどこか物憂げな空気に満たされていた。
山脈を完全に下り、街道を西へ。目指すは、にわかに不穏な動きを見せ始めたという「聖王国」。 吹き抜ける風は、まだ冬の名残を色濃く含んでおり、厚手の上着の襟を立てたくなるほどに冷たい。しかし、その風に混じって、硬く凍てついていた大地が解け始め、芽吹きの準備をする土の匂いが、微かに鼻腔をくすぐるようになっていた。道端に目をやれば、枯草の隙間から、気の早い緑の若芽が、健気にも顔を覗かせている。空を見上げれば、高く、澄み渡った青。そこに浮かぶ雲は、冬のそれのように重々しくはなく、春の訪れを待ちわびるかのように、軽やかに流れていく。
そんな、季節の移ろいを感じさせる穏やかな道中とは裏腹に、一行が乗る荷馬車の荷台は、今日も今日とて、カオスとドタバタが渦巻く、一つの独立した国家のようであった。
「だから!なんで俺の干し肉が、あんたのポーションの材料になってるんだよ!」 ハガンが、見るからに不機嫌そうな顔で、ドルセンに詰め寄っている。その手には、半分ほど何かの液体に浸かり、見るも無惨な姿になった干し肉が握られていた。 「ふぉっふぉっふぉ。何を言うか、ハガン坊。これは、ワシが新たに開発中の『飲むだけで筋肉がモリモリになる惚れ薬』の、重要な触媒での。完成すれば、お主も、街の娘っこたちに、モテモテになること、間違いなしじゃぞ?」 「誰がそんな怪しい薬を飲むか!っていうか、それ、惚れ薬なのか、筋肉増強剤なのか、どっちなんだよ!」 「両方じゃよ」 「そんな都合のいい薬があるか!」
その隣では、サラとバルガスが、一枚の毛布を巡って、実に低レベルな攻防を繰り広げていた。 「おい、エロ爺!あんた、さっきから、こっちにばっかり毛布を引っ張ってんじゃないわよ!」 「馬鹿を言え、小娘。ワシのような、か弱き老人を、敬うという気持ちはないのか。それに、お主は、その、有り余る脂肪という名の、天然の防寒着があるじゃろうが」 「誰が脂肪よ、誰が!これは、鍛え上げられた、筋肉!」 「ふん。どう見ても、冬眠前の熊にしか見えんがのう」 「……てめぇ、表出ろ」 「望むところじゃ。どうせなら、暖かい酒場の中で、勝負と行こうではないか」
そんな、いつもの光景を、ガクは呆れたような、しかしどこか楽しそうな、複雑な表情で眺めていた。彼の膝の上では、子犬サイズのフェンリル、クロが、気持ちよさそうに丸くなって、すうすうと寝息を立てている。 セリアとアリシア、そしてエリスは、そんな男たちの、実に子供じみた言い争いに、やれやれと肩をすくめながらも、慣れた様子で微笑み合っている。その横では、天才魔導士の少女フィオナが、揺れる車内など気にも留めずに分厚い魔道書を読み耽り、新しく仲間に加わったミリアは、額の第三の目を固く閉じたまま、そんな一行の様子を、ただ静かに、不思議そうに見つめていた。
この、騒がしくも、どこか心地よい日常。 しかし、そんな日常が、いつまでも続くわけではないことを、ガクたちは知っていた。 聖王国の国境が、目前に迫っていたからだ。
「しかし、穏やかじゃないわね」 それまで、黙って腕を組み、街道の先を睨んでいたソフィアが、静かに口を開いた。その怜悧な紫色の瞳は、これからの面倒事を心底楽しむかのように、キラリと輝いている。 「表向きは、魔族の脅威に対抗するための軍備拡張。大義名分としては、完璧よ。けれど、そのためにこれほどあからさまな排他的政策を取るかしら。まるで、何かを極端に恐れているかのように」 ソフィアの言葉に、アリシアが、憂いを帯びた表情で頷く。 「ええ。法国の一件も、そうでした。正義や信仰というものは、時に、人を盲目にさせてしまいます。聖王国の民が、道を誤らなければ良いのですが……」 その言葉に、セリアも、胸の前で、そっと十字を切った。
やがて、一行の視界の先に、巨大な壁と物々しい監視塔が見えてきた。聖王国の国境検問所である。 街道の脇には何重にも粗末だが頑丈なバリケードが築かれ、槍や弓で武装した兵士たちが、まるで城壁の一部であるかのように微動だにせず、鋭い視線を往来する人々に向けている。その空気は、これまで通ってきたどの国の国境よりも、冷たく、そして張り詰めていた。まるで、国全体が巨大なハリネズミのように、全身の針を逆立てているかのようだ。
「こりゃあ、思ったより、厄介そうだねえ」 サラが、面倒くさそうに、頭をガシガシと掻いた。 案の定、ガクたちのどう見てもただの一般人ではない、ごった煮のようなパーティ構成は、兵士たちの格好の的となった。 馬車が、検問所の前で止められる。鎧に身を固めた、屈強な体つきの隊長が、無愛想な顔で、一行を見下ろした。 「止まれ。身分を証明するものを提示しろ。……なんだ、その胡散臭い連中は。冒険者か?」 隊長の侮蔑と警戒がないまぜになったような視線が、一行の一人一人を値踏みするように舐め回す。 「我々は、旅の者です。どうか、この国を通していただけませんか」 ガクが、代表して、穏やかに告げる。しかし、隊長は、鼻で笑った。 「旅の者、だと?その物騒な武器と、どう見てもまともじゃないパーティ構成でか?ドワーフにエルフ、挙句の果てには子供たちまでいる。最近は、魔族のスパイが様々な姿に化けて紛れ込んでいるという。お前たちのような素性の知れぬ連中を、やすやすと通すわけにはいかん」 「なにおう!俺の腹ペコを邪魔するやつは、誰であろうと許さんぞ!」 ハガンが、今にも飛びかからんばかりの勢いで、身を乗り出す。 「やめとけって、ハガン。ここで騒ぎを起こしたら、もっと面倒なことになる」 ガクが、慌ててその巨体を抑え込む。 「ちっ。だったら、力ずくで突破すりゃいいだろうが。こんな鉄の塊なんざ、あたしが、一発殴ればお陀仏よ」 サラが、拳をポキポキと鳴らしながら、物騒なことを言う。 「ふぉっふぉっふぉ。ワシの新しい眠り薬を試してみるかのう?三日は起き上がれんぞい」 「あの兵士のお姉さん、なかなか良いお尻をしておるのう……」 ドルセンとバルガスが、全く緊張感のない、いつも通りの不謹慎なセリフを口にする。 セリアとエリスはオロオロとするばかりで、ミリアは相変わらず、黙ってその場の空気を観察している。
まさに、収拾不能。いつものドタバタが、最悪のタイミングで炸裂しようとしていた。 ガクが、いよいよどうしたものかと頭を抱えかけた、その時だった。
「――まったく。この脳筋とエロ爺とポンコツの寄せ集めは」
ふう、と、わざとらしく深く美しい、ため息が荷台に響いた。 声の主は、それまで腕を組み、黙ってその阿鼻叫喚の地獄絵図を冷ややかに眺めていたソフィアだった。 彼女はすっくと立ち上がると、その氷のように美しく、そして怜悧な紫色の瞳でガクたちを一瞥した。 「仕方ないわね。あなたたちのような野生動物に、文明人の真似事をさせようとした私が愚かだったわ」 そのあまりにも辛辣な、しかし的確すぎる言葉に、ハガンやサラですら、ぐうの音も出ない。 ソフィアはくるりとアリシアの方を振り返ると、にこりと、営業スマイルとは全く違う本物の悪女のような笑みを浮かべた。 「ねえ、アリシア王女殿下?どうやら私たちの出番のようよ。また私たちのその高貴な身分を、このポンコツどものためにタクシー代わりに使って差し上げる時が来たみたい」 その皮肉たっぷりの言葉に、アリシアは、しかし臆することなく、真剣な表情でこくりと頷いた。 「ええ、ソフィア様。やりましょう。民の平和のためですもの」 「ふふ。殊勝な心がけね。気に入ったわ」 二人の姫君の間に、目には見えない、しかし確かな絆のような火花が散る。
そして、彼女たちは動いた。 まず、ソフィアがゆったりとした、しかしまるで無駄のない完璧な所作で、荷台から地面へと舞い降りる。その立ち居振る舞いだけで、彼女がただの冒険者ではないことが、誰の目にも明らかだった。 彼女は、無愛想な警備隊長の前にすっと進み出ると、その紫色の瞳で真っ直ぐに隊長の目を射抜いた。そのあまりの威圧感に、屈強なはずの隊長が思わずたじろぐ。 「――無礼であろう」 凛とした、しかし絶対零度の冷たさを宿した声が響き渡る。 「我々は、偉大なるガルガン帝国皇帝陛下の特命を受け、貴国との深き友好を結ぶためにはるばる参上した外交使節団である。その代表を務められるのは、我らが帝国の最も信頼厚き同盟国、アステリア王国の第一王女、アリシア・フォン・アステリア様。その高貴なるお方に対して、その物言いはなんだ。聖王国は、帝国と王国、二つの国を同時に敵に回すおつもりか?」 ソフィアの一言一句が、まるで鋭い氷の刃のように、隊長のプライドと理性を突き刺していく。帝国と王国。その巨大な二つの名前を出され、隊長の顔からさっと血の気が引いた。まさか、こんな冒険者のなりをしたご一行が、そんな大層な身分であるとは夢にも思わなかったのだ。 完璧な恫喝。完璧な悪役令嬢ムーブ。
隊長が完全に硬直し、どう返答すべきか迷っている、その絶妙なタイミングで。 今度は、アリシアがふわりと、まるで花の精が舞い降りるかのように、ソフィアの隣に立った。 ソフィアが作り出した凍てつくような緊張感を、春の陽光のように優しく溶かす、穏やかな微笑みを浮かべて。 「兵士の皆様。どうか、お顔をお上げください。あなた方の、その国を守らんとする強い忠誠心、そして職務に忠実なそのお姿。同じ王族として、心から感服いたします」 そのあまりにも清らかで慈愛に満ちた声は、荒んだ兵士たちの心を優しく撫でるようだった。 「ですが、我々もまた、あなた方と同じ。この世界の平和を心から願う者なのです。昨今の魔族の不穏な動きは、我々のアステリア王国、そしてソフィア様のガルガン帝国にとっても、決して他人事ではありません。どうか、我々のその真意を、貴国の王に直接お伝えする機会をいただけませんでしょうか」 真摯な瞳。嘘偽りのない言葉。 ソフィアの「ムチ」の後に繰り出された、アリシアの完璧すぎる「アメ」。 この悪魔と天使の奇跡のコンビネーションを前に、もはや一介の警備隊長に抗う術など残されていなかった。
「は、ははーーーっ!も、申し訳ございません!そ、そのような高貴なお方々とはつゆ知らず、大変なご無礼を!」 隊長は、その場に慌てて膝をつくと、額を地面にこすりつけんばかりの勢いで頭を下げた。周囲の兵士たちも、右へ倣えで一斉に平伏する。 そのあまりにも見事な手のひら返しを、荷台から呆然と眺めていたガクたちは、ただ顔を見合わせることしかできなかった。 「……すげえな、二人とも」 「本物の姫様ってのは、伊達じゃないのね……」 サラが、心底感心したように呟いた。
結果として、一行は王への謁見を正式に許可された。 ただし、「万が一のことがあってはならない」という大義名分のもと、王都まで護衛の騎士団が同行するという条件付きで。 王都へと向かう揺れる馬車の中、ガクは改めて二人の姫君に感嘆の声を漏らした。 「いや、本当に助かったよ。二人のおかげだ」 「ふん。当然よ。これくらいできなくて、あの腹黒い狸親父どもがうごめく帝国の貴族社会で、生き残れるとでも思って?」 ソフィアは、心底つまらなそうに鼻を鳴らすと、窓の外に視線を移した。しかし、その口元がほんの少しだけ満足げに緩んでいるのを、ガクは見逃さなかった。 「そ、そんなことありませんわ。ソフィア様が先に道を作ってくださったからです」 アリシアは、頬をほんのりと赤らめながら謙遜する。その初々しい姿に、一行の荒んだ心が浄化されていくようだった。 そんな二人の圧倒的な「姫様力(ひめさまぢから)」を目の当たりにして、サラは心底げんなりとした顔で呟いた。 「……あたしには、一生無理だわ。こういうの」 ハガンも、うんうんと激しく頷いている。どうやら、食べ物の恨みより身分の差の方が堪えたらしい。 エリスとミリア、そしてフィオナは、ただただ尊敬のきらきらとした眼差しを二人に送っている。 そして、バルガスは懲りもせず、にやにやといやらしい笑みを浮かべながら呟いた。 「しかし、あの隊長のねーちゃん。平伏した時の、あの尻のラインは、なかなか芸術的であったわい……ぐふっ!」 その不敬極まりない独り言は、サラの無慈悲な鉄拳と、セリアの冷たい視線によって、物理的にも社会的にも完全に封殺された。
やがて、一行の視界の先に、聖王国の王都がその巨大な姿を現した。 白亜の美しい城壁。天を突くようにそびえ立つ荘厳な大神殿。その見た目は、どこまでも神聖で美しい。 しかし、どういうわけか、その街全体から放たれる空気は、どこまでも冷たく、そして狂信的で排他的な匂いがした。まるで、美しい白い薔薇が、その棘をこれでもかと外に向けているかのように。 「さて、と。どんな王様が出てくるかねえ」 バルガスが、頭をさすりながら呟く。 「まともな話ができる相手だと、いいんだがな」 ガクのその呟きに、ほとんどの仲間が同意するように頷いた。
ただ、一人。 ソフィアだけが、その全てを見透かすような紫色の瞳を楽しそうに細め、そして、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「――面白いじゃない。最高に面白くなってきたわ」
その不敵な笑みは、これからこの国で巻き起こるであろう、巨大な波乱の幕開けを告げているかのようだった。
山脈を完全に下り、街道を西へ。目指すは、にわかに不穏な動きを見せ始めたという「聖王国」。 吹き抜ける風は、まだ冬の名残を色濃く含んでおり、厚手の上着の襟を立てたくなるほどに冷たい。しかし、その風に混じって、硬く凍てついていた大地が解け始め、芽吹きの準備をする土の匂いが、微かに鼻腔をくすぐるようになっていた。道端に目をやれば、枯草の隙間から、気の早い緑の若芽が、健気にも顔を覗かせている。空を見上げれば、高く、澄み渡った青。そこに浮かぶ雲は、冬のそれのように重々しくはなく、春の訪れを待ちわびるかのように、軽やかに流れていく。
そんな、季節の移ろいを感じさせる穏やかな道中とは裏腹に、一行が乗る荷馬車の荷台は、今日も今日とて、カオスとドタバタが渦巻く、一つの独立した国家のようであった。
「だから!なんで俺の干し肉が、あんたのポーションの材料になってるんだよ!」 ハガンが、見るからに不機嫌そうな顔で、ドルセンに詰め寄っている。その手には、半分ほど何かの液体に浸かり、見るも無惨な姿になった干し肉が握られていた。 「ふぉっふぉっふぉ。何を言うか、ハガン坊。これは、ワシが新たに開発中の『飲むだけで筋肉がモリモリになる惚れ薬』の、重要な触媒での。完成すれば、お主も、街の娘っこたちに、モテモテになること、間違いなしじゃぞ?」 「誰がそんな怪しい薬を飲むか!っていうか、それ、惚れ薬なのか、筋肉増強剤なのか、どっちなんだよ!」 「両方じゃよ」 「そんな都合のいい薬があるか!」
その隣では、サラとバルガスが、一枚の毛布を巡って、実に低レベルな攻防を繰り広げていた。 「おい、エロ爺!あんた、さっきから、こっちにばっかり毛布を引っ張ってんじゃないわよ!」 「馬鹿を言え、小娘。ワシのような、か弱き老人を、敬うという気持ちはないのか。それに、お主は、その、有り余る脂肪という名の、天然の防寒着があるじゃろうが」 「誰が脂肪よ、誰が!これは、鍛え上げられた、筋肉!」 「ふん。どう見ても、冬眠前の熊にしか見えんがのう」 「……てめぇ、表出ろ」 「望むところじゃ。どうせなら、暖かい酒場の中で、勝負と行こうではないか」
そんな、いつもの光景を、ガクは呆れたような、しかしどこか楽しそうな、複雑な表情で眺めていた。彼の膝の上では、子犬サイズのフェンリル、クロが、気持ちよさそうに丸くなって、すうすうと寝息を立てている。 セリアとアリシア、そしてエリスは、そんな男たちの、実に子供じみた言い争いに、やれやれと肩をすくめながらも、慣れた様子で微笑み合っている。その横では、天才魔導士の少女フィオナが、揺れる車内など気にも留めずに分厚い魔道書を読み耽り、新しく仲間に加わったミリアは、額の第三の目を固く閉じたまま、そんな一行の様子を、ただ静かに、不思議そうに見つめていた。
この、騒がしくも、どこか心地よい日常。 しかし、そんな日常が、いつまでも続くわけではないことを、ガクたちは知っていた。 聖王国の国境が、目前に迫っていたからだ。
「しかし、穏やかじゃないわね」 それまで、黙って腕を組み、街道の先を睨んでいたソフィアが、静かに口を開いた。その怜悧な紫色の瞳は、これからの面倒事を心底楽しむかのように、キラリと輝いている。 「表向きは、魔族の脅威に対抗するための軍備拡張。大義名分としては、完璧よ。けれど、そのためにこれほどあからさまな排他的政策を取るかしら。まるで、何かを極端に恐れているかのように」 ソフィアの言葉に、アリシアが、憂いを帯びた表情で頷く。 「ええ。法国の一件も、そうでした。正義や信仰というものは、時に、人を盲目にさせてしまいます。聖王国の民が、道を誤らなければ良いのですが……」 その言葉に、セリアも、胸の前で、そっと十字を切った。
やがて、一行の視界の先に、巨大な壁と物々しい監視塔が見えてきた。聖王国の国境検問所である。 街道の脇には何重にも粗末だが頑丈なバリケードが築かれ、槍や弓で武装した兵士たちが、まるで城壁の一部であるかのように微動だにせず、鋭い視線を往来する人々に向けている。その空気は、これまで通ってきたどの国の国境よりも、冷たく、そして張り詰めていた。まるで、国全体が巨大なハリネズミのように、全身の針を逆立てているかのようだ。
「こりゃあ、思ったより、厄介そうだねえ」 サラが、面倒くさそうに、頭をガシガシと掻いた。 案の定、ガクたちのどう見てもただの一般人ではない、ごった煮のようなパーティ構成は、兵士たちの格好の的となった。 馬車が、検問所の前で止められる。鎧に身を固めた、屈強な体つきの隊長が、無愛想な顔で、一行を見下ろした。 「止まれ。身分を証明するものを提示しろ。……なんだ、その胡散臭い連中は。冒険者か?」 隊長の侮蔑と警戒がないまぜになったような視線が、一行の一人一人を値踏みするように舐め回す。 「我々は、旅の者です。どうか、この国を通していただけませんか」 ガクが、代表して、穏やかに告げる。しかし、隊長は、鼻で笑った。 「旅の者、だと?その物騒な武器と、どう見てもまともじゃないパーティ構成でか?ドワーフにエルフ、挙句の果てには子供たちまでいる。最近は、魔族のスパイが様々な姿に化けて紛れ込んでいるという。お前たちのような素性の知れぬ連中を、やすやすと通すわけにはいかん」 「なにおう!俺の腹ペコを邪魔するやつは、誰であろうと許さんぞ!」 ハガンが、今にも飛びかからんばかりの勢いで、身を乗り出す。 「やめとけって、ハガン。ここで騒ぎを起こしたら、もっと面倒なことになる」 ガクが、慌ててその巨体を抑え込む。 「ちっ。だったら、力ずくで突破すりゃいいだろうが。こんな鉄の塊なんざ、あたしが、一発殴ればお陀仏よ」 サラが、拳をポキポキと鳴らしながら、物騒なことを言う。 「ふぉっふぉっふぉ。ワシの新しい眠り薬を試してみるかのう?三日は起き上がれんぞい」 「あの兵士のお姉さん、なかなか良いお尻をしておるのう……」 ドルセンとバルガスが、全く緊張感のない、いつも通りの不謹慎なセリフを口にする。 セリアとエリスはオロオロとするばかりで、ミリアは相変わらず、黙ってその場の空気を観察している。
まさに、収拾不能。いつものドタバタが、最悪のタイミングで炸裂しようとしていた。 ガクが、いよいよどうしたものかと頭を抱えかけた、その時だった。
「――まったく。この脳筋とエロ爺とポンコツの寄せ集めは」
ふう、と、わざとらしく深く美しい、ため息が荷台に響いた。 声の主は、それまで腕を組み、黙ってその阿鼻叫喚の地獄絵図を冷ややかに眺めていたソフィアだった。 彼女はすっくと立ち上がると、その氷のように美しく、そして怜悧な紫色の瞳でガクたちを一瞥した。 「仕方ないわね。あなたたちのような野生動物に、文明人の真似事をさせようとした私が愚かだったわ」 そのあまりにも辛辣な、しかし的確すぎる言葉に、ハガンやサラですら、ぐうの音も出ない。 ソフィアはくるりとアリシアの方を振り返ると、にこりと、営業スマイルとは全く違う本物の悪女のような笑みを浮かべた。 「ねえ、アリシア王女殿下?どうやら私たちの出番のようよ。また私たちのその高貴な身分を、このポンコツどものためにタクシー代わりに使って差し上げる時が来たみたい」 その皮肉たっぷりの言葉に、アリシアは、しかし臆することなく、真剣な表情でこくりと頷いた。 「ええ、ソフィア様。やりましょう。民の平和のためですもの」 「ふふ。殊勝な心がけね。気に入ったわ」 二人の姫君の間に、目には見えない、しかし確かな絆のような火花が散る。
そして、彼女たちは動いた。 まず、ソフィアがゆったりとした、しかしまるで無駄のない完璧な所作で、荷台から地面へと舞い降りる。その立ち居振る舞いだけで、彼女がただの冒険者ではないことが、誰の目にも明らかだった。 彼女は、無愛想な警備隊長の前にすっと進み出ると、その紫色の瞳で真っ直ぐに隊長の目を射抜いた。そのあまりの威圧感に、屈強なはずの隊長が思わずたじろぐ。 「――無礼であろう」 凛とした、しかし絶対零度の冷たさを宿した声が響き渡る。 「我々は、偉大なるガルガン帝国皇帝陛下の特命を受け、貴国との深き友好を結ぶためにはるばる参上した外交使節団である。その代表を務められるのは、我らが帝国の最も信頼厚き同盟国、アステリア王国の第一王女、アリシア・フォン・アステリア様。その高貴なるお方に対して、その物言いはなんだ。聖王国は、帝国と王国、二つの国を同時に敵に回すおつもりか?」 ソフィアの一言一句が、まるで鋭い氷の刃のように、隊長のプライドと理性を突き刺していく。帝国と王国。その巨大な二つの名前を出され、隊長の顔からさっと血の気が引いた。まさか、こんな冒険者のなりをしたご一行が、そんな大層な身分であるとは夢にも思わなかったのだ。 完璧な恫喝。完璧な悪役令嬢ムーブ。
隊長が完全に硬直し、どう返答すべきか迷っている、その絶妙なタイミングで。 今度は、アリシアがふわりと、まるで花の精が舞い降りるかのように、ソフィアの隣に立った。 ソフィアが作り出した凍てつくような緊張感を、春の陽光のように優しく溶かす、穏やかな微笑みを浮かべて。 「兵士の皆様。どうか、お顔をお上げください。あなた方の、その国を守らんとする強い忠誠心、そして職務に忠実なそのお姿。同じ王族として、心から感服いたします」 そのあまりにも清らかで慈愛に満ちた声は、荒んだ兵士たちの心を優しく撫でるようだった。 「ですが、我々もまた、あなた方と同じ。この世界の平和を心から願う者なのです。昨今の魔族の不穏な動きは、我々のアステリア王国、そしてソフィア様のガルガン帝国にとっても、決して他人事ではありません。どうか、我々のその真意を、貴国の王に直接お伝えする機会をいただけませんでしょうか」 真摯な瞳。嘘偽りのない言葉。 ソフィアの「ムチ」の後に繰り出された、アリシアの完璧すぎる「アメ」。 この悪魔と天使の奇跡のコンビネーションを前に、もはや一介の警備隊長に抗う術など残されていなかった。
「は、ははーーーっ!も、申し訳ございません!そ、そのような高貴なお方々とはつゆ知らず、大変なご無礼を!」 隊長は、その場に慌てて膝をつくと、額を地面にこすりつけんばかりの勢いで頭を下げた。周囲の兵士たちも、右へ倣えで一斉に平伏する。 そのあまりにも見事な手のひら返しを、荷台から呆然と眺めていたガクたちは、ただ顔を見合わせることしかできなかった。 「……すげえな、二人とも」 「本物の姫様ってのは、伊達じゃないのね……」 サラが、心底感心したように呟いた。
結果として、一行は王への謁見を正式に許可された。 ただし、「万が一のことがあってはならない」という大義名分のもと、王都まで護衛の騎士団が同行するという条件付きで。 王都へと向かう揺れる馬車の中、ガクは改めて二人の姫君に感嘆の声を漏らした。 「いや、本当に助かったよ。二人のおかげだ」 「ふん。当然よ。これくらいできなくて、あの腹黒い狸親父どもがうごめく帝国の貴族社会で、生き残れるとでも思って?」 ソフィアは、心底つまらなそうに鼻を鳴らすと、窓の外に視線を移した。しかし、その口元がほんの少しだけ満足げに緩んでいるのを、ガクは見逃さなかった。 「そ、そんなことありませんわ。ソフィア様が先に道を作ってくださったからです」 アリシアは、頬をほんのりと赤らめながら謙遜する。その初々しい姿に、一行の荒んだ心が浄化されていくようだった。 そんな二人の圧倒的な「姫様力(ひめさまぢから)」を目の当たりにして、サラは心底げんなりとした顔で呟いた。 「……あたしには、一生無理だわ。こういうの」 ハガンも、うんうんと激しく頷いている。どうやら、食べ物の恨みより身分の差の方が堪えたらしい。 エリスとミリア、そしてフィオナは、ただただ尊敬のきらきらとした眼差しを二人に送っている。 そして、バルガスは懲りもせず、にやにやといやらしい笑みを浮かべながら呟いた。 「しかし、あの隊長のねーちゃん。平伏した時の、あの尻のラインは、なかなか芸術的であったわい……ぐふっ!」 その不敬極まりない独り言は、サラの無慈悲な鉄拳と、セリアの冷たい視線によって、物理的にも社会的にも完全に封殺された。
やがて、一行の視界の先に、聖王国の王都がその巨大な姿を現した。 白亜の美しい城壁。天を突くようにそびえ立つ荘厳な大神殿。その見た目は、どこまでも神聖で美しい。 しかし、どういうわけか、その街全体から放たれる空気は、どこまでも冷たく、そして狂信的で排他的な匂いがした。まるで、美しい白い薔薇が、その棘をこれでもかと外に向けているかのように。 「さて、と。どんな王様が出てくるかねえ」 バルガスが、頭をさすりながら呟く。 「まともな話ができる相手だと、いいんだがな」 ガクのその呟きに、ほとんどの仲間が同意するように頷いた。
ただ、一人。 ソフィアだけが、その全てを見透かすような紫色の瞳を楽しそうに細め、そして、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「――面白いじゃない。最高に面白くなってきたわ」
その不敵な笑みは、これからこの国で巻き起こるであろう、巨大な波乱の幕開けを告げているかのようだった。
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ここで如月飛鳥は考えた。いくらスキルの一つ一つが大したことが無くても、100個、200個と大量に集めたのならレベルを上げるのと同様に強くなれるのではないかと。
一つの光明を見出した主人公は、最強への道を一直線に突き進む。
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