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第7章:聖王国と四天王の脅威
第70話:神器の存在
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「長らく我らが封印していたはずの『忌まわしき裏の回線』を通じ、この聖域へ足を踏み入れるとは……。即座に浄化せねばならぬ」
その声が響いた瞬間、先ほどまで身体を包んでいた心地よい清浄な空気が、一瞬にして肌を突き刺す極低温の刃へと変貌した。誰もが、心臓を氷の鷲掴みにされたかのような衝撃に、呼吸を止める。
はっとして周囲を見渡したガクは、自分の認識の甘さを呪った。気づけば、いつの間にか一行は、完全なる包囲網の只中にいた。前にも、後ろにも、右にも、左にも、そして頭上の空にさえも、純白の翼を持つ者たちが、音もなく、気配もなく、まるで最初からそこに存在していたかのように浮かんでいる。 その数は、ざっと数えても二十は下らないだろう。彼ら、あるいは彼女らは、この世のいかなる芸術家も再現不可能なほどに整った、神々しいまでの美貌を持っていた。
だが、その神懸り的な美しさとは裏腹に、彼らの貌には、生命が持つべき温かみが一切存在しなかった。まるで精巧に作られた人形のように、喜怒哀楽のいずれをも映し出すことのない無表情。そして、一行を見据えるその瞳は、溶かした純金を流し込んだかのような、冷たい輝きを放つ黄金色をしていた。その瞳に宿る光は、単なる警戒心ではない。「異常な手段で侵入してきたウイルス」を見るような、あからさまな処理と排除の光だった。
天使たちの白魚のような手には、それぞれが一振りの槍を携えている。その槍もまた、光の粒子を高密度に圧縮し、練り上げ、槍という形状に固定したかのような、純粋なエネルギーの結晶体。槍の穂先は絶えず陽炎のように揺らめき、その切っ先からは凝縮された神聖な魔力が、目に見えぬ圧力となって周囲の空間を歪ませていた。
一触即発。その四文字が、これほどまでに相応しい状況があっただろうか。天使たちの黄金の瞳が一斉にこちらを射抜き、光の槍の穂先が、寸分の狂いもなく全員の心臓に向けられている。張り詰めた空気は、今にも耐えきれずに砕け散ってしまいそうな、極限まで引き伸ばされた一本の氷の糸のようだった。ガクの背中を、冷たい汗が一筋、ゆっくりと流れ落ちていく。
その、死そのものが具現化したかのような重苦しい沈黙を、けたたましく引き裂いた者がいた。
「な、何よ、いきなり! こっちだって好きでこんな場所に来たわけじゃないんだから!」
やはり、というべきか、沈黙を破ったのはサラだった。彼女の声は、恐怖に上擦りながらも、その奥に確かな反骨心を滲ませている。天使たちが放つ、魂すら凍てつかせるほどの圧倒的な威圧感に、彼女とて一瞬、全身の血が逆流するかのような恐怖を感じていたはずだ。だが、その恐怖を、持ち前の負けん気が寸でのところで凌駕した。
その、あまりにも状況をわきまえない、命知らずとしか言いようのない発言に、隣にいたガクの思考は一瞬完全に停止した。そして次の瞬間、猛烈な勢いで全身の血の気が引いていく。まずい、まずいまずい! 思考よりも早く、彼の身体は動いていた。ほとんど反射的にサラの背後に回り込み、その小さな口を自身の大きな手で力任せに塞ぐ。
「ちょ、サラさん! 相手は本物の天使様だぞ! 少しは言葉を選べ!」
焦燥に駆られたガクの声は、必死さのあまり裏返っていた。 絶望的な膠着状態の中、ただ一人、全く異なる次元に意識を飛ばしている者がいた。
「おお……本物の天使様じゃあ……。しかも、皆揃いも揃ってなんと美しい……」
バルガスであった。この、一言でも発すれば魂ごと消滅させられかねない絶体絶命の状況下で、彼は不謹慎にも、恍惚とした表情でほう、と感嘆の息を漏らしていた。
「特にそこのリーダー格の貴女。その涼やかな目元に宿る、どこか憂いを帯びた瞳、実にワシ好みじゃ……。あの瞳に見下されながら、最期の時を迎えられるのなら、それもまた一興……」
もはや彼のこの性癖は、一種の病気と呼ぶしかなかった。ガクやサラが、信じられないものを見る目でバルガスを一瞥するが、彼の意識は完全に美の探求という名の異世界へと旅立ってしまっている。 このままでは、サラの暴発か、あるいはバルガスの不敬によって、いずれにせよ全員が光の塵と化すのは時間の問題だろう。誰もがそう予感し、喉をごくりと鳴らした、その時だった。
静かに、しかし確かな意志を持って、一人の少女が一歩前へと進み出た。アリシアだった。彼女は、この場の誰よりも恐怖を感じていたに違いない。だが、その華奢な身体には、王族として生まれ、一国を背負う者だけが纏うことのできる、気品と威厳が漲っていた。
「皆様、突然の闖入、深くお詫び申し上げます。わたくしはアステリア王国第一王女、アリシア・フォン・アステリア。決してこの聖域を荒らしに来た怪しい者ではございません。何らかの不可抗力により、この地へ迷い込んでしまった次第です。どうか、我々の事情をお聞き届けいただけないでしょうか」
その、いかなる状況下でも礼節を失わない堂々とした名乗りと、理路整然とした物言いに、それまで微動だにしなかった天使たちのリーダー格である女性の眉が、ぴくりと僅かに動いた。
その機を逃さず、もう一人が続く。やれやれ、といった風に軽く肩をすくめながら、ソフィアがアリシアの隣に並び立った。
「同じく、ガルガン帝国第一皇女、ソフィア・フォン・ガルガンよ。まあ、色々と複雑な事情があってこんな場所に迷い込んでしまった、ただの哀れな遭難者だと思って見逃してちょうだい。私たちに敵意がないことだけは、理解してほしいわ」
「……出たよ。伝家の宝刀、姫様外交」
後ろでサラが呆れたようにボソリと呟くが、効果は絶大だった。 アステリア王国とガルガン帝国。下界における二大国家の、それぞれ第一位の継承権を持つ姫君の登場。その高貴極まる血筋と、彼女たちが放つ生まれながらの威厳は、さすがに神聖な領域の住人である天使たちにとっても、無視できるものではなかったらしい。
そして、彼らの動揺を決定的なものにしたのは、他ならぬガク自身が、無自覚のうちに放っていた魔力だった。ヴァルザスとの死闘を経て、さらに一段階その質を高めた彼の魔力は、もはや人間の域を完全に逸脱していた。それは、どこまでも雄大で、どこまでも澄み切った、まるで生まれたての宇宙のような純粋なエネルギーの奔流。 この男は、一体何者なのだ、と。天使たちの黄金の瞳に、初めて侮蔑以外の色、純粋な驚愕と疑念の色が浮かんでいた。
リーダー格の天使は、二人の姫君と、その後ろに立つ規格外の魔力の主を、値踏みするように見つめていた。どれほどの時間が経過しただろうか。彼女はついに、その薄い唇を再び開いた。
「……長がお待ちかねだ。ついてくるがよい」
その声は、最初のものと同じく冷たく無機質だったが、そこに含まれていたあからさまな敵意は消え失せていた。
天使のリーダーに案内されるまま、一行は天空都市の内部へと足を踏み入れていった。外から遠望しただけでも、その美しさは筆舌に尽くしがたいものがあったが、実際にその内部を歩いてみると、その光景は想像を遥かに超えて幻想的で、神々しさに満ち溢れていた。
頭上を見上げれば、そこには物理法則を無視した雄大な水の川が、空中に浮かんだまま緩やかに蛇行しながら流れていた。道の両脇には、人の手によって植えられたとは思えない、自然のままに咲き誇る水晶の花々が群生している。サラが好奇心にかられて、その一つの花弁にそっと指先で触れてみると、りん、と澄み切った音が響き渡った。
点在する家々もまた、下界の建築様式とは全く異なっていた。誰かが設計図を描き、石や木材を組み上げて建てた、というような人工的な直線はどこにもない。それは、巨大な宝石の原石が自然の力だけでゆっくりと風化し、最も調和の取れた美しい形へと自ずから変化していったかのような、滑らかで有機的なフォルムをしていた。
やがて一行は、前を歩く天使に導かれ、都市のちょうど中心にそびえ立つ、一際巨大で荘厳な神殿へとたどり着いた。 その最奥。そこには、途方もなく広大な謁見の間が広がっていた。
そして、その中央の玉座に座す、天使たちの長と、一行はついに対面した。
その存在を前にして、ガクたちは完全に言葉を失った。玉座にいるその天使は、二対四枚の巨大な翼を持っていた。純白の翼は、それぞれが広大な謁見の間の端から端まで届こうかというほどに雄大で、その一枚一枚の羽根が、まるで星々の光を宿しているかのように、繊細な輝きを放っている。
床にまで届くほど長く、そして豊かに波打つ白銀の髪。その顔立ちは、男性的でも女性的でもなく、人間の性別という矮小な概念を超越した、完璧なまでの美の結晶。そして、その深く、どこまでも澄み切った瑠璃色の瞳に見つめられた瞬間、一行は、まるでこの世界の始まりから終わりまで、森羅万象の全てをその瞳の中に見てきたかのような、計り知れない叡智と時間の重みを感じた。
やがて、その超越的な存在は、ゆっくりと薄い唇を開いた。
「――よくぞ参った、運命に導かれし子らよ」
その声は、やはり男とも女ともつかない、中性的な響きを持っていた。しかし、それは決して無機質なものではなく、まるで母親の腕に抱かれているかのような、聞く者の魂をその根源から優しく包み込み、安らぎを与えてくれる、不思議な波動を伴っていた。
「汝らが下界でかの四天王の一角、『暴虐』のヴァルザスを滅したことは、我らも天の理を通して感知している」
その言葉に、誰もが息をのんだ。自分たちの戦いを、この天上の存在は全て知っていたのだ。しかし、長の言葉はそこで終わらなかった。
「だが知るがよい。汝らが倒したものは、しょせん奴の仮初めの『肉体』に過ぎぬ」
「――え?」
誰かが、か細い声を漏らした。 長は、彼らの動揺には構わず、淡々と、しかし残酷な真実を語り続けた。
「魔王、そしてその片腕たる四天王は、この世界の理そのものから外れた、いわばバグのような存在。その魂は、世界の摂理の内にある生と死の輪廻から完全に逸脱している。故に、その魂は決して滅びることはない。時が経てば、奴らはまた下界に満ちる邪念や憎悪を糧とし、新たな依り代となる別の肉体を見つけ出し、この世に何度でも蘇るだろう」
愕然、という言葉ですら生ぬるいほどの衝撃が、謁見の間を支配した。 あの死闘は、何だったのだ。仲間全員の力と知恵を結集し、文字通り命を賭して、ようやく掴み取ったはずの勝利。その全てが、ただの一時しのぎに過ぎなかったというのか。
そんな、打ちひしがれる一行の心の内を、長の深い瞳は静かに見つめていた。そして、まるで絶望の淵に垂らされた一本の蜘蛛の糸のように、そっと救いの言葉を紡いだ。
「しかし、希望が全くないわけではない。彼らを不死の魂ごと、因果の鎖から解き放ち、完全にこの世から消滅させる唯一の手段。それこそが、古の神々の大戦の折、この世界の創造主が自らの力の一部を削って作り出したという伝説の武具――『神器』の力」
『神器』。 長は続ける。それは、世界の法則、物理的な理そのものを一時的に書き換えるほどの、絶大な力を宿した神の武具。それ故に、魔族の不死の魂すらも、その存在ごと完全に「無」へと帰すことができる唯一の切り札なのだ、と。 しかし、その力はあまりにも強大すぎたため、七つに分割され、世界各地の誰も知ることのない場所に、それぞれ厳重な封印が施されたのだという。
そこまで語ると、長は玉座から静かに立ち上がった。四枚の翼が、ふわりと空間に舞う。
「汝らよ。もし真にこの世界を救わんとする、曇りなき強い意志があるのならば、その七つの神器を探し出し、魔を滅する運命の担い手となるがよい」
世界を救うための、具体的で、しかしあまりにも途方もなく、壮大な道筋。 その言葉は、冷え切っていた一行の心に、再び熱い希望の炎を灯した。そうだ、まだ道は残されていたのだ。絶望している場合ではない。
一行の心に決意の光が宿るのを見届けると、長はふと、その瑠璃色の瞳に僅かな影を落とし、憂いを帯びた声で付け加えた。
「……だが、急がねばならぬ。魔王軍だけではない。先ほど汝らが通ってきた歪なゲート。あれを無理やりこじ開けた『理の外にいる者』もまた、神器の力を欲し、動き出している気配があるゆえにな」
理の外にいる者。歪なゲートをこじ開けた者。 その言葉に、ソフィアとガクは顔を見合わせた。第68話で目にした、あの狂気の実験記録と、転生者疑惑。あのマッドサイエンティストもまた、この神器争奪戦に加わろうとしているというのか。
「奴は我らの張り巡らせた『絶対拒絶の結界』に阻まれ侵入こそ果たせなんだが、ゲート越しに『神器の在処』という情報を盗み出した恐れがある」
長はそこで言葉を切り、ガクの方へとその視線を向けた。その瞳には、呆れとも感嘆ともつかぬ色が混じっていた。
「……もっとも、そこの規格外な男は、その絶対結界をあたかも『ただのカーテン』か何かのように、無自覚にすり抜けてきたようだがな」
その言葉に、ガクは気まずそうに頭をかいた。天使たちの最初の驚愕の理由がこれだったのだ。高度な防御システムを、ただの散歩のように通り抜けてしまった侵入者。彼らにとってガクは、研究者以上の異常事態だったに違いない。
「……まあ、いい。結果として汝らはここにたどり着いた。それもまた運命であろう」
長はそう言うと、どこからともなく一枚の、星空をそのまま布地に織り込んだかのような、美しい巻物を取り出した。それは、最初の神器のありかを示すという古代の星図だった。長はそれを、一行の代表としてガクへと手渡す。
謁見を終えた一行は、再び案内役の天使に導かれ、下界へと戻るための転移魔法陣へと向かった 。 来た時と同じ、幻想的な天空都市の道を歩く。しかし、一行の心持ちは、来た時とは全く違っていた。その背中には、これまでのどんな冒険とも比較にならない、世界そのものの運命という、重く、そして何よりも壮大な使命が、確かにのしかかっていた。
やがて、一行の目の前に、巨大な魔法陣がその輝きを放っているのが見えた。物語は、ヴァルザスとの死闘という一つの章を終え、今、次なる大冒険の章、「神器探し編」へと突入していく。
その輝かしい新たな幕開けを告げるかのように、天空都市ラピュータのどこまでも神聖な鐘の音が、ごぉん、と荘厳に鳴り響いた。その音色は、迷いの中にいた若き英雄たちの未来を祝福し、そして、これから始まるであろう過酷な旅路を力強く鼓舞するかのように、どこまでも、どこまでも、広大な雲海の彼方まで美しく、そして力強く響き渡っていた。
その声が響いた瞬間、先ほどまで身体を包んでいた心地よい清浄な空気が、一瞬にして肌を突き刺す極低温の刃へと変貌した。誰もが、心臓を氷の鷲掴みにされたかのような衝撃に、呼吸を止める。
はっとして周囲を見渡したガクは、自分の認識の甘さを呪った。気づけば、いつの間にか一行は、完全なる包囲網の只中にいた。前にも、後ろにも、右にも、左にも、そして頭上の空にさえも、純白の翼を持つ者たちが、音もなく、気配もなく、まるで最初からそこに存在していたかのように浮かんでいる。 その数は、ざっと数えても二十は下らないだろう。彼ら、あるいは彼女らは、この世のいかなる芸術家も再現不可能なほどに整った、神々しいまでの美貌を持っていた。
だが、その神懸り的な美しさとは裏腹に、彼らの貌には、生命が持つべき温かみが一切存在しなかった。まるで精巧に作られた人形のように、喜怒哀楽のいずれをも映し出すことのない無表情。そして、一行を見据えるその瞳は、溶かした純金を流し込んだかのような、冷たい輝きを放つ黄金色をしていた。その瞳に宿る光は、単なる警戒心ではない。「異常な手段で侵入してきたウイルス」を見るような、あからさまな処理と排除の光だった。
天使たちの白魚のような手には、それぞれが一振りの槍を携えている。その槍もまた、光の粒子を高密度に圧縮し、練り上げ、槍という形状に固定したかのような、純粋なエネルギーの結晶体。槍の穂先は絶えず陽炎のように揺らめき、その切っ先からは凝縮された神聖な魔力が、目に見えぬ圧力となって周囲の空間を歪ませていた。
一触即発。その四文字が、これほどまでに相応しい状況があっただろうか。天使たちの黄金の瞳が一斉にこちらを射抜き、光の槍の穂先が、寸分の狂いもなく全員の心臓に向けられている。張り詰めた空気は、今にも耐えきれずに砕け散ってしまいそうな、極限まで引き伸ばされた一本の氷の糸のようだった。ガクの背中を、冷たい汗が一筋、ゆっくりと流れ落ちていく。
その、死そのものが具現化したかのような重苦しい沈黙を、けたたましく引き裂いた者がいた。
「な、何よ、いきなり! こっちだって好きでこんな場所に来たわけじゃないんだから!」
やはり、というべきか、沈黙を破ったのはサラだった。彼女の声は、恐怖に上擦りながらも、その奥に確かな反骨心を滲ませている。天使たちが放つ、魂すら凍てつかせるほどの圧倒的な威圧感に、彼女とて一瞬、全身の血が逆流するかのような恐怖を感じていたはずだ。だが、その恐怖を、持ち前の負けん気が寸でのところで凌駕した。
その、あまりにも状況をわきまえない、命知らずとしか言いようのない発言に、隣にいたガクの思考は一瞬完全に停止した。そして次の瞬間、猛烈な勢いで全身の血の気が引いていく。まずい、まずいまずい! 思考よりも早く、彼の身体は動いていた。ほとんど反射的にサラの背後に回り込み、その小さな口を自身の大きな手で力任せに塞ぐ。
「ちょ、サラさん! 相手は本物の天使様だぞ! 少しは言葉を選べ!」
焦燥に駆られたガクの声は、必死さのあまり裏返っていた。 絶望的な膠着状態の中、ただ一人、全く異なる次元に意識を飛ばしている者がいた。
「おお……本物の天使様じゃあ……。しかも、皆揃いも揃ってなんと美しい……」
バルガスであった。この、一言でも発すれば魂ごと消滅させられかねない絶体絶命の状況下で、彼は不謹慎にも、恍惚とした表情でほう、と感嘆の息を漏らしていた。
「特にそこのリーダー格の貴女。その涼やかな目元に宿る、どこか憂いを帯びた瞳、実にワシ好みじゃ……。あの瞳に見下されながら、最期の時を迎えられるのなら、それもまた一興……」
もはや彼のこの性癖は、一種の病気と呼ぶしかなかった。ガクやサラが、信じられないものを見る目でバルガスを一瞥するが、彼の意識は完全に美の探求という名の異世界へと旅立ってしまっている。 このままでは、サラの暴発か、あるいはバルガスの不敬によって、いずれにせよ全員が光の塵と化すのは時間の問題だろう。誰もがそう予感し、喉をごくりと鳴らした、その時だった。
静かに、しかし確かな意志を持って、一人の少女が一歩前へと進み出た。アリシアだった。彼女は、この場の誰よりも恐怖を感じていたに違いない。だが、その華奢な身体には、王族として生まれ、一国を背負う者だけが纏うことのできる、気品と威厳が漲っていた。
「皆様、突然の闖入、深くお詫び申し上げます。わたくしはアステリア王国第一王女、アリシア・フォン・アステリア。決してこの聖域を荒らしに来た怪しい者ではございません。何らかの不可抗力により、この地へ迷い込んでしまった次第です。どうか、我々の事情をお聞き届けいただけないでしょうか」
その、いかなる状況下でも礼節を失わない堂々とした名乗りと、理路整然とした物言いに、それまで微動だにしなかった天使たちのリーダー格である女性の眉が、ぴくりと僅かに動いた。
その機を逃さず、もう一人が続く。やれやれ、といった風に軽く肩をすくめながら、ソフィアがアリシアの隣に並び立った。
「同じく、ガルガン帝国第一皇女、ソフィア・フォン・ガルガンよ。まあ、色々と複雑な事情があってこんな場所に迷い込んでしまった、ただの哀れな遭難者だと思って見逃してちょうだい。私たちに敵意がないことだけは、理解してほしいわ」
「……出たよ。伝家の宝刀、姫様外交」
後ろでサラが呆れたようにボソリと呟くが、効果は絶大だった。 アステリア王国とガルガン帝国。下界における二大国家の、それぞれ第一位の継承権を持つ姫君の登場。その高貴極まる血筋と、彼女たちが放つ生まれながらの威厳は、さすがに神聖な領域の住人である天使たちにとっても、無視できるものではなかったらしい。
そして、彼らの動揺を決定的なものにしたのは、他ならぬガク自身が、無自覚のうちに放っていた魔力だった。ヴァルザスとの死闘を経て、さらに一段階その質を高めた彼の魔力は、もはや人間の域を完全に逸脱していた。それは、どこまでも雄大で、どこまでも澄み切った、まるで生まれたての宇宙のような純粋なエネルギーの奔流。 この男は、一体何者なのだ、と。天使たちの黄金の瞳に、初めて侮蔑以外の色、純粋な驚愕と疑念の色が浮かんでいた。
リーダー格の天使は、二人の姫君と、その後ろに立つ規格外の魔力の主を、値踏みするように見つめていた。どれほどの時間が経過しただろうか。彼女はついに、その薄い唇を再び開いた。
「……長がお待ちかねだ。ついてくるがよい」
その声は、最初のものと同じく冷たく無機質だったが、そこに含まれていたあからさまな敵意は消え失せていた。
天使のリーダーに案内されるまま、一行は天空都市の内部へと足を踏み入れていった。外から遠望しただけでも、その美しさは筆舌に尽くしがたいものがあったが、実際にその内部を歩いてみると、その光景は想像を遥かに超えて幻想的で、神々しさに満ち溢れていた。
頭上を見上げれば、そこには物理法則を無視した雄大な水の川が、空中に浮かんだまま緩やかに蛇行しながら流れていた。道の両脇には、人の手によって植えられたとは思えない、自然のままに咲き誇る水晶の花々が群生している。サラが好奇心にかられて、その一つの花弁にそっと指先で触れてみると、りん、と澄み切った音が響き渡った。
点在する家々もまた、下界の建築様式とは全く異なっていた。誰かが設計図を描き、石や木材を組み上げて建てた、というような人工的な直線はどこにもない。それは、巨大な宝石の原石が自然の力だけでゆっくりと風化し、最も調和の取れた美しい形へと自ずから変化していったかのような、滑らかで有機的なフォルムをしていた。
やがて一行は、前を歩く天使に導かれ、都市のちょうど中心にそびえ立つ、一際巨大で荘厳な神殿へとたどり着いた。 その最奥。そこには、途方もなく広大な謁見の間が広がっていた。
そして、その中央の玉座に座す、天使たちの長と、一行はついに対面した。
その存在を前にして、ガクたちは完全に言葉を失った。玉座にいるその天使は、二対四枚の巨大な翼を持っていた。純白の翼は、それぞれが広大な謁見の間の端から端まで届こうかというほどに雄大で、その一枚一枚の羽根が、まるで星々の光を宿しているかのように、繊細な輝きを放っている。
床にまで届くほど長く、そして豊かに波打つ白銀の髪。その顔立ちは、男性的でも女性的でもなく、人間の性別という矮小な概念を超越した、完璧なまでの美の結晶。そして、その深く、どこまでも澄み切った瑠璃色の瞳に見つめられた瞬間、一行は、まるでこの世界の始まりから終わりまで、森羅万象の全てをその瞳の中に見てきたかのような、計り知れない叡智と時間の重みを感じた。
やがて、その超越的な存在は、ゆっくりと薄い唇を開いた。
「――よくぞ参った、運命に導かれし子らよ」
その声は、やはり男とも女ともつかない、中性的な響きを持っていた。しかし、それは決して無機質なものではなく、まるで母親の腕に抱かれているかのような、聞く者の魂をその根源から優しく包み込み、安らぎを与えてくれる、不思議な波動を伴っていた。
「汝らが下界でかの四天王の一角、『暴虐』のヴァルザスを滅したことは、我らも天の理を通して感知している」
その言葉に、誰もが息をのんだ。自分たちの戦いを、この天上の存在は全て知っていたのだ。しかし、長の言葉はそこで終わらなかった。
「だが知るがよい。汝らが倒したものは、しょせん奴の仮初めの『肉体』に過ぎぬ」
「――え?」
誰かが、か細い声を漏らした。 長は、彼らの動揺には構わず、淡々と、しかし残酷な真実を語り続けた。
「魔王、そしてその片腕たる四天王は、この世界の理そのものから外れた、いわばバグのような存在。その魂は、世界の摂理の内にある生と死の輪廻から完全に逸脱している。故に、その魂は決して滅びることはない。時が経てば、奴らはまた下界に満ちる邪念や憎悪を糧とし、新たな依り代となる別の肉体を見つけ出し、この世に何度でも蘇るだろう」
愕然、という言葉ですら生ぬるいほどの衝撃が、謁見の間を支配した。 あの死闘は、何だったのだ。仲間全員の力と知恵を結集し、文字通り命を賭して、ようやく掴み取ったはずの勝利。その全てが、ただの一時しのぎに過ぎなかったというのか。
そんな、打ちひしがれる一行の心の内を、長の深い瞳は静かに見つめていた。そして、まるで絶望の淵に垂らされた一本の蜘蛛の糸のように、そっと救いの言葉を紡いだ。
「しかし、希望が全くないわけではない。彼らを不死の魂ごと、因果の鎖から解き放ち、完全にこの世から消滅させる唯一の手段。それこそが、古の神々の大戦の折、この世界の創造主が自らの力の一部を削って作り出したという伝説の武具――『神器』の力」
『神器』。 長は続ける。それは、世界の法則、物理的な理そのものを一時的に書き換えるほどの、絶大な力を宿した神の武具。それ故に、魔族の不死の魂すらも、その存在ごと完全に「無」へと帰すことができる唯一の切り札なのだ、と。 しかし、その力はあまりにも強大すぎたため、七つに分割され、世界各地の誰も知ることのない場所に、それぞれ厳重な封印が施されたのだという。
そこまで語ると、長は玉座から静かに立ち上がった。四枚の翼が、ふわりと空間に舞う。
「汝らよ。もし真にこの世界を救わんとする、曇りなき強い意志があるのならば、その七つの神器を探し出し、魔を滅する運命の担い手となるがよい」
世界を救うための、具体的で、しかしあまりにも途方もなく、壮大な道筋。 その言葉は、冷え切っていた一行の心に、再び熱い希望の炎を灯した。そうだ、まだ道は残されていたのだ。絶望している場合ではない。
一行の心に決意の光が宿るのを見届けると、長はふと、その瑠璃色の瞳に僅かな影を落とし、憂いを帯びた声で付け加えた。
「……だが、急がねばならぬ。魔王軍だけではない。先ほど汝らが通ってきた歪なゲート。あれを無理やりこじ開けた『理の外にいる者』もまた、神器の力を欲し、動き出している気配があるゆえにな」
理の外にいる者。歪なゲートをこじ開けた者。 その言葉に、ソフィアとガクは顔を見合わせた。第68話で目にした、あの狂気の実験記録と、転生者疑惑。あのマッドサイエンティストもまた、この神器争奪戦に加わろうとしているというのか。
「奴は我らの張り巡らせた『絶対拒絶の結界』に阻まれ侵入こそ果たせなんだが、ゲート越しに『神器の在処』という情報を盗み出した恐れがある」
長はそこで言葉を切り、ガクの方へとその視線を向けた。その瞳には、呆れとも感嘆ともつかぬ色が混じっていた。
「……もっとも、そこの規格外な男は、その絶対結界をあたかも『ただのカーテン』か何かのように、無自覚にすり抜けてきたようだがな」
その言葉に、ガクは気まずそうに頭をかいた。天使たちの最初の驚愕の理由がこれだったのだ。高度な防御システムを、ただの散歩のように通り抜けてしまった侵入者。彼らにとってガクは、研究者以上の異常事態だったに違いない。
「……まあ、いい。結果として汝らはここにたどり着いた。それもまた運命であろう」
長はそう言うと、どこからともなく一枚の、星空をそのまま布地に織り込んだかのような、美しい巻物を取り出した。それは、最初の神器のありかを示すという古代の星図だった。長はそれを、一行の代表としてガクへと手渡す。
謁見を終えた一行は、再び案内役の天使に導かれ、下界へと戻るための転移魔法陣へと向かった 。 来た時と同じ、幻想的な天空都市の道を歩く。しかし、一行の心持ちは、来た時とは全く違っていた。その背中には、これまでのどんな冒険とも比較にならない、世界そのものの運命という、重く、そして何よりも壮大な使命が、確かにのしかかっていた。
やがて、一行の目の前に、巨大な魔法陣がその輝きを放っているのが見えた。物語は、ヴァルザスとの死闘という一つの章を終え、今、次なる大冒険の章、「神器探し編」へと突入していく。
その輝かしい新たな幕開けを告げるかのように、天空都市ラピュータのどこまでも神聖な鐘の音が、ごぉん、と荘厳に鳴り響いた。その音色は、迷いの中にいた若き英雄たちの未来を祝福し、そして、これから始まるであろう過酷な旅路を力強く鼓舞するかのように、どこまでも、どこまでも、広大な雲海の彼方まで美しく、そして力強く響き渡っていた。
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インターネットで異世界無双!?
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~最弱のスキルコレクター~ スキルを無限に獲得できるようになった元落ちこぼれは、レベル1のまま世界最強まで成り上がる
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