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第四部『過去からの使者, 未来への灯火』
第22話:二人の天才、対立する思想
カエルス博士が誇らしげに開いた扉の向こうは、カイトがこれまでいた古代遺跡の雰囲気とは完全に断絶された、別世界だった。
空調の微かな唸りと、巨大な演算装置が発する冷却ファンの音だけが満たす、純白の空間。床も、壁も、天井も、継ぎ目のない滑らかな金属で覆われ、埋め込まれた照明が手術室のような冷たい光を隅々まで照らし出している。空気は濾過されすぎて、もはや何の匂いもしなかった。生命の営みが完全に排除された、無菌室のような静寂と清潔さ。それは、先ほどまで見ていた神々しくも温かい『神の心臓』の輝きとは、真逆の印象を与える光景だった。
研究室の中央には、巨大な霊子顕微鏡と思しき装置が鎮座し、その周囲を無数のモニターが取り囲んでいる。ホログラムで投影された複雑な術式が、虚空でゆっくりと回転していた。その一つのモニターの前で、一人の男が背中を向けて作業に没頭している。白衣は塵一つなく、机の上に置かれた工具は、まるで軍隊の閲兵式のように、ミリ単位の正確さで整然と並べられていた。
「ヴォルカー君、お客さんだ。紹介しよう、私の長年の親友であり、そして最大のライバルでもある、ヴォルカー・アマノ博士だ」
カエルスの陽気な声に、男はようやく顔を上げた。
歳の頃はカエルスと同じ四十代半ばだろうか。しかし、その雰囲気は正反対だった。銀縁の眼鏡の奥にある瞳は、氷のように冷徹な光を宿し、あらゆる感情を削ぎ落としたかのように鋭い。切り揃えられた黒髪、きつく結ばれた唇、そして一切の無駄がない、機械のように精密な仕草。理想に燃える夢想家のカエルスとは対照的に、ヴォルカーという男は、現実だけを信奉する冷徹な科学者、という印象を全身から放っていた。
(アマノ……?)
その姓を聞いた瞬間、カイトの脳裏に、ぶっきらぼうで、頑固で、しかし誰よりも機械を愛する天才技師の少女の顔が浮かんだ。ミコト。まさか、とは思うが、その可能性を完全に否定することもできなかった。
ヴォルカーは一行を一瞥すると、興味なさげに再びモニターへと視線を戻した。彼の関心は、生身の人間よりも、画面に表示される無味乾燥なデータの方にだけ向いているようだった。
「カエルス、君の『お友達』をこんな場所にまで連れてくるとはな。ここは子供の社会科見学の場所じゃない。第一、そこの術師崩れの連中を招き入れるとは、見識を疑うぞ」
その声は、抑揚がなく、まるで合成音声のように平坦だった。しかし、言葉の端々には、カエルス以外の人間に対する明確な侮蔑が滲んでいる。
「まあまあ、固いことを言うなよ、ヴォルカー君。彼らは私の研究の、歴史的な瞬間の証人になるのだから」
「証人、か。失敗した時の責任を押し付ける相手の間違いではないのか?」
「君は相変わらずだな……」
カエルスは苦笑いを浮かべたが、二人の天才の間に流れる緊張は、誰の目にも明らかだった。長年の親友でありながら、その根底にある思想は水と油。互いの才能を認め合っているからこそ、その違いが決して埋まらないことを、二人ともが理解しているのだろう。
ヴォルカーは立ち上がると、カイトたちの方へ歩み寄ってきた。値踏みするような視線が、サエグサ、アサヒナ、クロノア、そしてカイトの上を滑っていく。
「ふん。サエグサの坊主と、アサヒナの巫女か。古い伝承に縛られ、世界のアップデートを拒む亡霊どもが何のようだ?君たちの時代は、もう終わったのだよ」
「……我々は、世界の理が歪められるのを見過ごすわけにはいかない。それだけです、アマノ博士」
サエグサが冷静に言い返すが、ヴォルカーは鼻で笑った。
「理、だと?君たちが守っているのは、バグだらけで非効率な、旧世代のOSに過ぎん。我々は、そのOSを根底から書き換える、新しい神話を創造しているのだ」
その言葉に、カイトは内心で舌を巻いた。自分と同じだ、と。この男もまた、世界の全てをシステムとして捉えている。だが、その捉え方は、カイトが目指すものとは決定的に異なっていた。
カエルスが、誇らしげに胸を張って割り込む。
「その通りだ!ヴォルカー君と私は、同じ頂を目指している。我々が研究しているテーマは、この世界の最も根源的な謎……『魂』そのものなのだから!」
「アプローチは正反対だがな」
ヴォルカーが、冷ややかに付け加えた。
「君、カエルスは、魂を『エネルギー』として捉えている。その力を解放し、世界に拡散させることで、人々を豊かにできると信じている。お伽話だ。まるで、ダムを爆破すれば、下流の村が潤うと信じているようなものだ。結果はただの洪水だよ」
「では君は、魂を何だと捉えているのだね?」
カエルスの問いに、ヴォルカーは眼鏡の位置を指でくい、と押し上げた。そのレンズの奥の瞳が、初めて不気味な光を帯びた。
「魂は、『情報』だ。極めて複雑で、高度に組織化された、霊子情報の集合体。エネルギーではない。ならば、我々がすべきことは一つ。その構造を完全に解明し、パターンを分析し、その振る舞いを予測し……そして、**完全に制御下に置くことだ**」
その言葉が研究室に響いた瞬間、空気が凍りついたように感じられた。
解放と、制御。
拡散と、支配。
それは、科学者としての思想が、根源的な部分で全く異なっていることの証明だった。
アサヒナの巫女が、痛みに耐えるかのように顔を歪め、サエグサは眉間に深い皺を刻んでいる。人間としてのアリアでさえ、父の親友が放つ異様な雰囲気に、僅かな恐怖を滲ませていた。
ヴォルカーは、カエルスの理想論を断罪するように言葉を続ける。
「君の研究は、理想論に過ぎる危険な博打だ、カエルス。予測不能なエネルギーを解放して、世界が良くなる保証などどこにある?それは科学ではない、ただの願望だ。祈祷師の雨乞いと何が違う?真の科学とは、未知を既知へと変え、不確実を確実へと変えるプロセスのことだ。魂すらも、我々の理解と制御の及ぶ、ただの現象の一つに過ぎなくなる。それこそが、人類の真の進歩だ」
その時、カイトは気づいた。研究室の隅にある、もう一つの小さな扉。そこだけが、他の区画とは隔絶されたように、厳重なロックで固められている。そして、その扉の周辺だけ、空気の流れが僅かに淀んでいるような、奇妙な違和感があった。
(あそこは……?)
二人の天才が激論を交わしている隙に、カイトはそっと皆から離れ、その扉へと近づいた。ハッキング、というほど大袈裟なものではない。前世の知識を応用し、制御盤の僅かな設計ミスを突けば、数秒だけロックをバイパスできるかもしれない。
「おい、君、そこで何をしている」
ヴォルカーの鋭い声が飛ぶ。だが、一瞬遅かった。
カチリ、という小さな音と共に、扉のロックが解除される。
「入るな!」
ヴォルカーの制止も聞かず、カイトは扉を開け、中の光景に息を呑んだ。
そこは、彼の研究室よりもさらに冷たく、暗い小部屋だった。そして、壁一面に設置されたモニターに、おびただしい数のデータが表示されていた。それは、単なる数値やグラフではなかった。無数の人間の顔写真、名前、そして……波形データ。
『被験体 No. 43 / 意識レベル低下 / 霊子パターン崩壊まで 残り17%』
『被験体 No. 58 / 記憶領域の断片化を確認 / データ抽出率 38%』
『被験体 No. 62 / 魂の電子化プロセス中に自我同一性を喪失 / プロジェクトは失敗と断定』
モニターの一つには、生々しい実験映像が再生されていた。拘束された人間が、頭部に装着された奇妙なヘッドギアから放たれる光に苦しみ、やがてその瞳から光が消え、ぐったりと力を失っていく。それと同時に、隣のモニターに表示された魂の波形が、ノイズだらけの無意味な線へと変わっていく。
魂を『情報』として抽出し、電子データに変換しようとする、非人道的な実験の痕跡。
それは、人の心を、命を、尊厳を、ただの「データ」としか見ていない、狂気の記録だった。
「……ッ!!」
カイトは、胃の奥からせり上がってくる吐き気を、必死でこらえた。これは、自分の知る科学ではない。自分が信じる、人を幸せにするためのシステム構築とは、似ても似つかない。これは、ただの冒涜だ。
「見たかね、未来からの闖入者」
背後から、ヴォルカーの冷たい声がした。いつの間にか、彼はカイトの真後ろに立っていた。その瞳には、怒りも焦りもない。ただ、自分の秘密のコレクションを見られたことに対する、僅かな不快感だけが浮かんでいた。
「理解できないかね?これも、人類の未来のためなのだよ。個人の犠牲は、全体の進歩のためにはやむを得ないコストだ。魂をデータ化できれば、我々は死すら克服できる。病に蝕まれた肉体を捨て、永遠の命を……」
「ふざけるな……ッ!」
カイトの口から、抑えきれない怒りが迸った。
「これは、進歩なんかじゃない!ただの破壊だ!あんたは、複雑で、温かくて、移ろいゆくものを、無理やり自分の理解できる箱に押し込めて、分解して、殺してるだけだ!それは、子供が虫の脚を一本ずつもぎ取って喜んでるのと、何も変わらない!」
その瞬間、ヴォルカーの眉が、初めてぴくりと動いた。
「……面白いことを言う。君は、一体何者だ?」
研究室の入り口で、カエルスやアリアたちが、何が起きているのか分からず、ただ呆然と立ち尽くしている。
理想に燃えた天才と、禁忌に触れた天才。
そして、未来の悲劇を知る、たった一人の観客。
運命の歯車は、もはや誰にも止められない速度で、破滅へと向けて、また一つ、大きく音を立てて回転した。
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