夏空の鎮魂歌(レクイエム)は、君の的外れな推理から始まった

Gaku

文字の大きさ
12 / 21

第十二話:潮騒の町と灯台への道

しおりを挟む


ごとり、ごとり。
電車は、規則正しい、どこか眠りを誘うようなリズムを刻みながら、夜の闇の中をひた走っていた。
俺たちの乗った車両は、都心から離れるにつれて、一人、また一人と乗客が降りていき、いつの間にか、ほとんど貸し切り状態になっていた。車内の蛍光灯が、プラスチックの座席や、床に落ちた俺たちの影を、白々しく照らし出している。窓の外の景色は、もう、煌びやかなビルの群れではなく、ぽつり、ぽつりと灯る、民家の温かい光へと変わっていた。その光が、目まぐるしい速さで、後ろへ、後ろへと、流れていく。
まるで、俺たちの日常が、過去へと遠ざかっていくように。
「……なあ、陽介。腹減ったな」
隣の席で、健太が、腹の虫の音を隠そうともせずに言った。
「駅で、駅弁くらい買っておけばよかったぜ。シウマイ弁当とか」
「お前は、少しは黙ってられないのか」
俺は、呆れてため息をついた。だが、その、いつもと変わらない健太の能天気さが、この非日常的な旅の、張り詰めた緊張を、少しだけ和らげてくれるのも事実だった。
向かいの席では、氷川凛が、黙って窓の外の闇を見つめている。その横顔は、車内の光を浴びて、彫刻のように美しかったが、同時に、ガラス細工のように儚く、危うげにも見えた。
「……昔、乗ったことがあるわ。この路線」
彼女は、誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
「翔と、雅と……三人で。夏休みに、彼の故郷へ遊びに行ったの。あの頃は、未来が、ただ、光り輝いて見えていた。何も、疑うことなんて、なかったのに」
その声は、夜の電車の走行音に、かき消されそうなほど、小さかった。
「この鉄の箱は、運命のレールの上を走っているのよ」
その時、俺の隣に座る月読が、静かに言った。
「過去へと向かっているようで、その実、未来へと進んでいる。星々の引力に導かれて、私たちは、約束の地へと、ただ、向かっているだけ」
彼女の言葉は、相変わらず詩的で、難解だった。だが、なぜか、今の俺たちの状況を、的確に言い表しているような気がした。
やがて、電車は、速度を落とし始めた。
『まもなくー、終点ー、〇〇海岸ー』
気の抜けたようなアナウンスが響き、電車は、ゆっくりと、終着駅のホームに滑り込んだ。
ぷしゅー、という音と共にドアが開くと、むわり、と潮の香りが、車内に流れ込んできた。都会の排気ガスの匂いとは全く違う、塩気と、磯の、生命力に満ちた匂い。
俺たちは、ホームに降り立った。
そこは、時間が止まったかのような、小さな、古びた駅だった。木造の駅舎、錆びついた看板、手書きの時刻表。改札は、もう駅員もおらず、ICカードをタッチする無機質な機械だけが、ぽつんと置かれている。
遠くから、ざあ、ざあ、と、規則正しい波の音が聞こえてくる。
俺たちは、吸い寄せられるように、駅前の、寂れた商店街を抜けて、海岸へと向かった。
目の前に、夜の海が、広がっていた。
真っ暗で、どこまでも広がる、底知れない闇。その闇に、空に浮かぶ月と星の光が、きらきらと、ダイヤモンドのように砕け散っている。防波堤に、白い波が打ち寄せ、砕け、そして、また引いていく。その、永遠に繰り返される営みが、俺たちのちっぽけな悩みなど、全て飲み込んでしまうかのように、雄大だった。
晶が、俺たちのスマホの位置情報を頼りに、ハッキングで予約しておいてくれた古い民宿は、港から少し坂を上った場所にあった。
「民宿 あさなぎ」。
年季の入った木の看板が、裸電球に照らされている。
「まあ、こんな夜更けに、高校生のあんたたちだけなんて。家出かい?」
人の良さそうな、腰の曲がった女将さんが、少しだけ心配そうな顔で、俺たちを迎え入れてくれた。俺たちは、学校の社会科見学だとか、適当な嘘をついて、その場をなんとか誤魔化した。
通された部屋は、畳の匂いがする、懐かしい和室だった。障子を開けると、月の光が、すっと部屋の中に差し込んでくる。窓の外からは、波の音と、潮の香りが、絶え間なく流れ込んできた。
荷物を置き、少しだけ落ち着いた後、俺と健太、月読と氷川の、二部屋に分かれて、それぞれの夜を過ごすことになった。
「なあ、陽介」
敷かれた布団の上に、大の字になって寝転がりながら、健太が、天井の木目を見つめて言った。
「俺さ、正直、昨日までは、ちょっとビビってたんだ。監視されてるとか、ハッキングとか、ヤクザみてえな親父とか。俺たちの手に負える話じゃねえってな」
その声は、いつもの彼らしくなく、少しだけ、弱々しかった。
「でもさ、今、ここにこうしていると、なんだか、どうにかなるような気がしてくんだよな。お前がいて、月読がいて、氷川先輩もいる。晶だって、向こうで頑張ってくれてる。一人じゃねえんだなって思うとさ」
彼は、ごろりとこちらに寝返りを打った。
「お前らがいるから、俺、大丈夫だって思えるんだよ」
その、あまりに素直な言葉に、俺は、少しだけ、照れくさくなった。
「……俺もだよ。健太がいなかったら、とっくに、心が折れてた。お前が、いてくれて、助かった」
「へへ。だろ?」
健太は、嬉しそうに笑った。
俺たちは、それ以上は何も話さず、ただ、遠い波の音を、子守唄のように聞きながら、それぞれの思いに、沈んでいった。
一方、その頃。女子たちの部屋では。
「……なぜ、あなたが付いてきてくれたの?」
氷川が、正座をしたまま、月読に尋ねた。
「あなたは、この事件とは、本来、何の関係もない、部外者のはずなのに」
その問いに、月読は、静かにお茶を一口すすると、答えた。
「愛に、部外者なんていないわ」
その声は、凛として、澄み渡っていた。
「友情も、恋愛も、家族愛も。形は違えど、全ての愛は、宇宙の真理へと繋がっている、神聖なエネルギー。私は、その真実の輝きを、この目で見届けたいだけ。それに……」
彼女は、そこで、ほんの少しだけ、表情を曇らせた。
「私にも、昔、いたのよ。大切な、友達がね」
「……え?」
「その子は、私にとって、太陽のような存在だった。でも、私の、ほんの些細な、愚かな一言が、その太陽を、深く傷つけてしまった。私は、自分の過ちを認めるのが怖くて、彼女から、逃げ出してしまったの」
その告白は、氷川にとって、あまりに意外なものだった。完璧で、何者にも動じないと思っていた、この少女の、初めて見せる、脆い一面。
「だから、わかるのよ。あなたや、雅君の、その苦しみがね。過去の呪縛から、逃れることが、どれほど難しいか。……でも、あなたたちは、一人じゃないわ」
月読は、氷川の手に、そっと、自分の手を重ねた。
その手は、驚くほど、温かかった。
氷川の瞳から、一筋、涙がこぼれ落ちた。それは、五年間、彼女を縛り付けていた、冷たい呪いが、ほんの少しだけ、溶け始めた瞬間だったのかもしれない。
夜が明け、新しい朝が、海辺の町を包み込んだ。
障子越しに差し込む、柔らかく、そして力強い、朝の光。窓を開けると、ひんやりとした潮風が、部屋の中を吹き抜けていく。遠くで、カモメが、甲高い声で鳴いていた。
俺たちは、民宿の、質素だが、心のこもった朝食を、静かに食べた。焼き魚と、あさりの味噌汁と、つやつやと光る、白いごはん。
会話は、ほとんどなかった。だが、俺たちの間には、言葉にする必要のない、固い、決意に満ちた空気が流れていた。
準備を終え、俺たち四人は、民宿の女将さんに深々と頭を下げて、外へと出た。
目指すは、「海の見える丘」、そして、その先に立つ、「古い灯台」。
俺たちは、港へと続く、急な坂道を、一歩、一歩、踏みしめるように上り始めた。
坂を上りきると、視界が、一気に開けた。
目の前に、どこまでも広がる、青い、青い、海。
朝の光を浴びて、その水面は、まるで、無数のダイヤモンドを撒き散らしたかのように、きらきらと、眩いばかりに輝いている。
そして、その海の向こう。切り立った、緑の岬の、その突端に。
ぽつんと、一本、白い灯台が、立っているのが見えた。
それは、まるで、この世の果てに立つ、墓標のようにも、あるいは、道に迷った者たちを導く、希望の標のようにも、見えた。
あそこが、本当の、「約束の場所」。
一条雅が、きっと、いる。
そして、結城翔の魂もまた、そこで、ずっと、親友のことを、待ち続けているのかもしれない。
俺たちは、その白い灯台に向かって、黙って、歩き出した。
夏の、強い日差しが、俺たちの背中を、力強く、押していた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

俺は陰キャだったはずなのに……なぜか学園内でモテ期が到来した件

こうたろ
青春
友人も恋人も居ないボッチ学生だった山田拓海が何故かモテだしてしまう。 ・学園一の美人で、男女問わず憧れの的。 ・陸上部のエースで、明るく活発なスポーツ女子。 ・物静かで儚げな美術部員。 ・アメリカから来た金髪碧眼でハイテンションな留学生。 ・幼稚園から中学まで毎朝一緒に登校していた幼馴染。 拓海の生活はどうなるのか!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

処理中です...