『空っぽの英雄叙事詩。~幸運がすぎる僕の周りで、なぜか世界が救われていく件~』

Gaku

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第1部:勘違いの連鎖

第8話:非暴力の解決はアフロを生み、ドジと失敗は奇跡の布石である

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「プニプニ事件」の翌日。 ルーシャン(六歳、精神八十六歳)の頭痛のタネは、新たな段階(ステージ)へと移行していた。

(……近い)

初夏の太陽が真上から降り注ぐ、昼休みの中庭。石畳は熱を帯びて白く輝き、中央の噴水が涼しげな飛沫(しぶき)を上げている。生徒たちの楽しげな喧騒が、芝生の上に咲き乱れる色とりどりの花々の甘い香りと共に、心地よい風に乗って運ばれてくる。 完璧なまでの「平穏」を絵に描いたような風景。

その風景の、よりにもよって「ど真ん中」で、ルーシャンは死んだ魚のような目をしていた。

「(近い、近い、近い!)」

彼の左側には、アウレリアが(物理的な距離ゼロで)ぴったりと張り付いていた。 「ねえルーシャン、次って魔術薬学だよね! 予習してきた? 私は昨日、お父様が送ってくれた『太陽草の効能』っていう本を読んだんだけどね――」 太陽(アウレリア)の熱量(という名の強すぎる好意)が、ルーシャンの精神力を容赦なく削っていく。

そして、彼の右側には、ヴァレリウスが(護衛の騎士のように、距離マイナス五センチで)ぴったりと張り付いていた。 「(キッ)……(スッ)……(キッ)」 彼は一言も発しない。ただ、ルーシャンの「主君」として(・・・・・・)、周囲の生徒たちが向ける好奇の視線に対し、その「澄んだ」魔力を(無言で)放ち、「(我が主君に無礼を働くな)」という強烈な威圧(・・)を撒き散らしていた。

(やめてくれ……)

ルーシャンは、心の中で(本日五十八回目の)悲鳴を上げた。 彼が喉から手が出るほど欲している「誰にも注目されない静かな生活」は、今や風前の灯火だった。

「太陽の少女(アウレリア)」と「覚醒したエリート(ヴァレリウス)」という、アカデミーで最も目立つ二枚看板(・・・)に両脇を固められた「怪物(ルーシャン)」。

この異常なスリーマンセル(三人組)は、当然ながら、全校生徒の注目の的(まと)となっていた。遠巻きにヒソヒソと囁かれる声が、彼の頭痛を的確に悪化させる。

「おい、見ろよ……ついにヴァレリウス様まで手なずけたぞ」 「昨日、寮で『我が主君』とか叫んでるの聞いたぜ……」 「アウレリア様も、あんな田舎者にベったりだし……」 「一体、どんな『魔術』を使ったんだ……」

(使ってない! 僕はただ、静かに暮らしたいだけだ!)

彼の「強すぎる望み」が、最悪の「巡り合わせ」を結びつけ、最悪の「結果」を生み出し続ける。この世は「思い通りにならない」という当たり前の現実 を、彼は今、全身全霊で体感していた。

(もうだめだ。この二人(=災難の集合体)から物理的に離れなければ)

ルーシャンは、周囲を観察した。 彼の視界の隅。中庭の端、巨大なクスノキの木陰で、ひっそりと(しかし、こちらを羨望と畏怖の眼差しで)見つめている二人組の生徒がいた。

一人は、気弱そうな眼鏡の男子生徒。手にしたフラスコの中で、何やら紫色の液体が(実験失敗らしく)ブクブクと不気味な泡を立てている。彼は、アカデミーでも有名な魔術研究オタク、アルフォンスだ。

もう一人は、神官見習いの制服を着た、ドジっ子風の女子生徒。彼女もまた、おずおずとこちらを見ている。彼女が(お祈りか何かで)胸の前で組んだ手には、銀細工の美しい小瓶が握られている。神官科のクロエだ。

(……あのあたりは安全そうだ)

ルーシャンは、あの二人の「無害さ」に、一縷(いちる)の望みを見出した。 (アウレリアの眩しさも、ヴァレリウスの忠誠心もない。彼らの周りだけ、空気が澱(よど)んで……いや、落ち着いている)

「すまない、少し、一人になりたい」 「えー、なんでー?」 「(スッ)……承知いたしました、主君。五メートル後方にて警護いたします」

(そういうことじゃないんだ!)

ルーシャンは、二人の制止を振り切り、(彼なりの「解決策」である)「逃走」を開始した。 目指すは、アルフォンスとクロエがいる、クスノキの木陰(=安息の地)だ。

しかし。 彼がその「静けさ」に到達する(=救われる)ことは、この世界の(意地悪な)物事の成り行きが許さなかった。

「――見つけたぞ、一年坊主ども!」

中庭の空気を切り裂く、下品な怒声。 ルーシャンが振り返ると、そこには、見るからに悪質な笑みを浮かべた上級生(・・)が三人、腕組みをして立っていた。

中心にいるリーダー格の男は、粘つくような瞳で、ルーシャン、ヴァレリウス、そして――アウレリアを睨めつけていた。

(終わった……)

ルーシャンは、人生(八十六年)の経験則から、瞬時に「最悪の事態」を察知した。 面倒事(という名の悪意)が、人型(ひとがた)をして歩いてきた。

「なんだ貴様らは。上級生であろうと、我が主君(・・・)の前では無礼を許さんぞ」 ヴァレリウスが、浄化された(・・)魔力を放ちながら前に出る。

「ハッ、面白い冗談だ。『主君』ごっこか? エリートのヴァレリウスも、熊殺しの田舎者に媚びるとは、落ちたものだな」 リーダーの男は、ヴァレリウスを一瞥すると、その視線をアウレリアの胸元に固定した。 「……それ、いいモン持ってんじゃねぇか、嬢ちゃん」

男の視線は、アウレリアの首から下げられた「木彫りのペンダント」()に注がれていた。 アウレリアは、怯えたように一歩下がり、ペンダントをぎゅっと握りしめた。


「よこせよ。アカデミーの『伝統』ってやつを教えてやる。上級生への『寄付』は、下級生の『義務』だぜ?」 男が、下卑た笑みを浮かべ、アウレリアに向かって手を伸ばした。

(まずい)

ルーシャンは、即座に状況を分析した。 (ヴァレリウスがキレる。アウレリアが泣く。騒ぎになる。僕が中心人物として処理される。静かな生活が死ぬ)

彼の「静けさへの切望」が、彼に唯一の「行動」を指し示した。

(逃げろ)

この騒動が「自分」と結びつく前に、一刻も早く現場から離脱する。 それこそが、この「面倒事」の連鎖から逃れる、唯一にして絶対の「正しい努力」 であった。

彼は、ヴァレリウスと上級生が睨み合い、アウレリアが怯えている、その一瞬の隙を突いた。 誰にも気づかれぬよう、音もなく後ずさり、群衆の中へ紛れ込もうと――

その、瞬間だった。

「(きゃっ!)」

彼の逃走ルートの真上に、クスノキの木陰から飛び出してきた人物がいた。 神官見習いのクロエだ。 彼女は、アウレリアの危機を見て(善意から)助けようとしたのか、あるいは単に(ドジで)逃げようとしたのか、とにかく慌てていた。

そして、クロエは、見事に(・・・・)何もない(・・・・・)石畳で(・・・・)つまずいた(・・・・・)。

「(あ)」

ルーシャンが、その完璧なまでの「ドジ(という名の巡り合わせ)」に気づいた時には、もう遅かった。 クロエの手から、あろうことか、蓋(ふた)の緩んでいた(・・・・・)銀細工の小瓶 がすっぽ抜け、宙を舞った。

パシャァァァァッ!

小瓶の中身――清らかだが、どこか不思議な粘性を持つ「聖水(・・)」――が、ルーシャンの足元、まさに彼が次の一歩を踏み出そうとした石畳の上に、見事な水たまりを作った。

「(!??)」

ルーシャンは、全神経を「逃走」に集中していた。足元の「新たな罠」に気づくはずもなかった。 彼の一歩が、クロエの(ドジによって)撒かれた聖水 を、完璧な角度で踏み抜いた。

ツルッ!!!

「うおっ!?」

八十六年の人生でも経験したことのない、鮮やかなスリップ。 ルーシャンの六歳の小さな体は、物理法則に従い、盛大に宙を舞い、背中から石畳に叩きつけられ――

なかった。

彼の背中(正確には尾てい骨)は、石畳の「上」に転がっていた「何か(・・)」に、ピンポイントで直撃した。

ゴツンッ!!!

「(ぐぎゃっ!?)」

声にならない悲鳴。 尾てい骨を直撃した、骨伝導で脳髄を揺さぶる、強烈な痛み。 (石!? なんでこんなところに石が!?)

それは、石ではなかった。 先ほどの騒ぎで、上級生の威圧に驚いたアルフォンスが、(実験失敗作の)「魔力増幅石(・・・・・)」 を、手から落としていた(・・・・・)のだ。 その「石」は、最悪のタイミングで、最悪の場所(=クロエの聖水の水たまりの真横)に転がっていた。

痛み。 パニック。 そして、目の前の上級生への(逆恨みに近い)怒り。

(テメェらのせいだぁぁぁぁぁぁ!!!)

彼の理性が、痛みと屈辱によって臨界点を超えた。 彼は、反射的に、その痛みの原因(=魔力増幅石)を(聖水で濡れたままの)手で掴み取ると、ヤケクソで(・・・・)、騒動の中心(=上級生のリーダー)に向かって、全力で投げつけた。

「(くらえぇぇぇぇぇ!!)」(心の声)

「ハッ? 石ころだと?」

上級生のリーダーは、自分に向かって飛んでくる小さな石くれを鼻で笑った。 彼は、それを手で叩き落とそうとすらしなかった。 (無駄だ) 彼は、自らの魔術系統である「闇(やみ)」()の力 を練り上げ、体の前面に「防御魔術(ダーク・バリア)」を展開した。

「(愚か者が。闇に触れた石など、塵(ちり)になるだけだ)」

そして。 「偶然」は、満ちた。

ルーシャンが投げた「石」が、リーダーの「闇の防御魔術」に触れた、その瞬間。

(1)アルフォンスの「実験失敗の魔力増幅石(原因A)」 が、 (2)クロエの(ドジでこぼした)「特別な聖水(原因B)」() に濡れた状態で、 (3)上級生の「闇系統の防御魔術(原因C)」() と接触した。

この三つの「原因と条件」 が揃った時、世界が期待した「爆発」は――起きなかった。

フシュゥゥゥゥゥゥ……

まるで、湿った薪(まき)が不完全燃焼を起こしたかのような、締まりのない音。 そして。

ボフンッ!!!

リーダーの立っていた場所が、真っ黒な「スス(・・)」のような煙に包まれた。

「……ゲホッ、ゲホッ! な、なんだ、この煙は……!」 リーダーが、煙を手で払いながらよろめき出る。 他の上級生たちも、何が起きたか分からず呆然としている。

中庭が、水を打ったように静まり返った。 噴水の音だけが、やけに大きく響く。

アウレリアが、信じられないものを見る目で、リーダーの「頭部」を指差した。 「……あ……」

煙が、ゆっくりと晴れていく。 そこに立っていたのは、先ほどまで、ギトギトのオールバック(・・・)でキメていた上級生の姿ではなかった。

「…………え?」

リーダー本人が、自分の頭に「何か」が起きたことに気づき、恐る恐る、その「何か」に触れた。 彼の指は、ふわりとした、信じられないほどの弾力を持つ「未知の物体」に、ズブリと沈み込んだ。

そこには、彼の頭部を中心に、直径一メートルはあろうかという、完璧なまでの「球体」が形成されていた。

漆黒の。 巨大な。 そして、芸術的なまでにフワッフワの。

「アフロ(・・・)」が。

「……………………」

沈黙。

「……………………」

リーダーの顔が、ゆでダコのように真っ赤に染まっていく。

そよ……

初夏の優しい風が、中庭を吹き抜けた。 その巨大なアフロが、風を受けて、*ふぁさ……*と、優しく揺れた。

「「…………ッ!!」」

誰かが、噴き出すのをこらえている。

「き、き、き、き、きさまぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

上級生のリーダーが、人生で(おそらく)経験したことのない「屈辱(くつじょく)」に、裏返った金切り声を上げた。 彼は、その巨大なアフロを(どうすることもできず)抱え、泣き叫びながら逃走した。 取り巻きの二人も、笑いをこらえるのに必死な顔で、慌ててその後を追っていった。

嵐は、去った。

後に残されたのは、呆然とする群衆と、巨大なアフロの残像。 そして、この「奇跡(という名の事故)」を引き起こした三人と、その「目撃者」たちだった。

「……す、すごい、ルーシャン! 痛めつけないで(・・・・・)追い払っちゃった! まるで魔法みたい!」 アウレリアが、目をキラキラさせて駆け寄ってくる。

(魔法というか、化学反応(・・)だ……) ルーシャンは、尾てい骨の痛みに耐えながら、心の中で訂正した。

「(ゴクリ)……」 一方、ヴァレリウスは、またしても「真実(と彼が思うもの)」に到達し、打ち震えていた。 (まさか……。彼は、この事態(・・)すらも読んでいたというのか) (僕の「武力」ではなく、あえて「非暴力」 の解決を選んだ……) (しかも、あの二人の「失敗作(・・)」を瞬時に見抜き、それを「聖水」で浄化・結合させ、上級生の「闇の力」そのものを利用して、無力化(・・)する……) (なんという……なんという「先読み」 と「完璧な行い」 だ!) (主君……あなたの深いお考え、このヴァレリウス、どこまでもお供します!)

ヴァレリウスの(勘違いの)忠誠心が、さらに強固なものになった瞬間だった。

そして。 この「奇跡」の「部品(・・)」を提供した二人が、おずおずとルーシャンの前に進み出た。

「あ、あの……!」 アルフォンスが、眼鏡を震わせながら切り出した。 「ぼ、僕のあの石は、魔力の増幅率が不安定で、いつも暴走するだけの『失敗作』だったんです! それを……それを、あんなふうに、神官科の『聖水』と組み合わせて、相手の魔術を『無力化』するなんて……!」

(いや、知らない。たまたまだ)

「わ、私のお水も……! いつもドジでこぼしてばかりで……!」 クロエが、涙目になりながら続く。 「でも、あなたは、私たちの『失敗(・・)』を、あんな『奇跡(・・)』に変えてくれた! あなたは、すごい人です!」

(勘弁してくれ……)

ルーシャンは、新たに加わった「二つの尊敬の眼差し(という名の新たな頭痛のタネ)」に、眩暈(めまい)がした。

彼が望んだ「静かな生活」は、彼が「逃走」しようとした結果、アルフォンスとクロエという「新たな巡り合わせ」まで引き寄せ、今や「五人(・・)」の勘違い集団 に囲まれるという、さらに深刻な「思い通りにならない」状況へと、彼を叩き落としたのであった。
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