コミュ障ぼっちの私の目標は「石」。なのに新学期初日、隣の陽キャ王子に「お前、面白いな!」と絡まれ計画が完全崩壊。

Gaku

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夏野杏のシークレット・ノート

第2話:派手なネイルと、臆病な正義

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六月。湿気を含んだ空気が、せっかく巻いた髪を容赦なくへたらせる、憂鬱な季節。  教室の空気も、梅雨空と同じようにどんよりと澱んでいた。

「あー、マジだる。湿気で髪死ぬんだけど」 「わかるー。体育とか絶対やりたくないし」

 昼休み。私はいつものグループで机を囲み、中身のない会話を転がしていた。コンビニで買ったサラダパスタをつつきながら、スマホの画面をスクロールする。  このグループにいるのは楽だ。話を合わせ、適当に笑い、流行りのコスメの話をしていれば、「カースト上位」という安全地帯にいられる。  でも時々、この場所がひどく息苦しくなる時がある。

 例えば、今みたいな時だ。

「おい秋葉ー、またそんなキモいの読んでんのかよ」

 教室の後ろの方から、下品な笑い声が聞こえた。  ウチのグループと仲が良い、いわゆる「イケてる男子」の三人組だ。彼らが、斜め前の席に座る秋葉雄太を取り囲んでいる。  秋葉は体を小さくして、何かを隠すように俯いていた。

「うわ、なにこれ。女の絵じゃん。ロリコンかよ、引くわー」  男子の一人が、秋葉の鞄についていたキーホルダーを指先で弾いた。

 私の胸の奥で、黒いモヤのようなものが広がる。 (……ダサっ)  思わず、サラダパスタを持つ手が止まる。  私が思う「ダサい」は、秋葉のことじゃない。自分たちの優位性を確認するために、抵抗しない相手をからかって喜んでいる、あの男たちのことだ。

 本当の強者は、他人を見下したりしない。  自分の好きなものを貫いている秋葉の方が、よっぽどマシだ。そのキーホルダーだって、よく見れば造形が細かいし、彼にとっては大切なものなんだろう。それを汚いものみたいに扱う神経が、私には理解できない。

 ――やめなよ、カッコ悪いじゃん。

 喉元まで、その言葉が出かかった。  でも、声にはならなかった。

「……キャハハ、男子たち、またやってんねー」

 私の口から出たのは、そんな、媚びたような乾いた笑い声だった。  もし私がここで彼らを止めれば、空気は凍りつく。「杏、空気読めなくない?」「なに正義の味方ぶってんの?」と、今度は私が標的になるかもしれない。  私は、この居場所を守るために、自分の心を殺した。  派手なメイクで武装していても、中身はこんなにも臆病だ。自分の爪に施した、強そうなラインストーンが、急に安っぽく見えた。

「――お前ら、何してんの?」

 その時だった。  鋭く、でも涼やかな声が、教室の澱んだ空気を切り裂いた。  朝陽輝だ。  彼は焼きそばパンの袋を片手に、いじめっ子たちの背後に立っていた。

(輝……。止める気?)

 私は固唾を飲んで見守った。輝のことだ、きっと正義感を振りかざして、彼らを注意するに違いない。そうしたら、きっと揉める。面倒なことになる。

 しかし、彼は私の浅はかな予想を軽々と裏切った。

「へえ、そのアニメ、面白そうじゃん! 俺、見たことねえや」

 彼は、いじめていた男子たちを無視し、秋葉の隣に屈み込んで、そのキーホルダーをキラキラした目で見つめたのだ。  教室中が、ポカンとした。  そこに「庇ってやる」という偽善はない。ただ純粋な「興味」だけがあった。

 いじめていた男子たちは、毒気を抜かれたように、バツが悪そうに散っていった。  後に残ったのは、熱心にアニメの設定を語り始めた秋葉と、それを楽しそうに聞く輝。そして、なぜか話に巻き込まれ、「……因果を、断ち切る……」とボソッと呟いた水無月静。

 ……なんなの、あいつら。  教室の隅っこで展開される、あまりにも平和で、あまりにも異質な光景。  カーストも、偏見も、空気の読み合いもない。  ただ、「好き」と「楽しい」だけで繋がっている世界。

 私は、自分の指先をギュッと握りしめた。  長い爪が手のひらに食い込む。痛い。でも、その痛みよりも、胸の奥の敗北感の方が強かった。

 輝はすごい。太陽みたいだ。  でも、もっと悔しかったのは、あの地味な水無月静が、その輪の中に自然と入っていたことだ。  彼女は「石」になりたいとか言ってるくせに、いざという時は、私なんかよりずっと素直に、その場の空気に身を委ねていた。

(私は、何を守ってるんだろう)

 周りの友だちに合わせて笑いながら、視線だけは、ずっと彼らの方を見ていた。  秋葉が嬉しそうに早口で喋っている。輝が大きな口を開けて笑っている。水無月が、困ったように、でも少しだけ口元を緩めている。

 あそこには、嘘がない。  私のいる場所は、こんなにも華やかなのに、どうしてあっちの方が、眩しく見えるんだろう。

「ねえ杏、放課後どうする?」 「え? あー……ごめん、今日はパス。用事あるんだ」

 私は初めて、嘘ではない理由で誘いを断った。  これ以上、愛想笑いをする気になれなかった。

 放課後、私は逃げるように教室を出た。  向かったのは、いつもの手芸店ではない。駅前の大きな書店だ。  アニメコーナーの棚の前で、立ち止まる。 『星詠みの魔導騎士』  秋葉が持っていたキーホルダーの作品だ。

「……ふーん、絵は綺麗じゃん」

 誰に言い訳するでもなく呟いて、私はその設定資料集を手に取った。  衣装の装飾が細かい。レースの描き込みがすごい。これを作るのは、きっと難しいけど、面白そうだ。

 レジに向かう私の心臓は、少しだけ早く脈打っていた。  これは、輝たちに近づくためじゃない。  ただ、彼らが「面白い」と言った世界を、私も少しだけ、覗いてみたかっただけだ。

 この日の私はまだ知らない。  この小さな好奇心が、やがてあの暑い夏の夜に、私を彼らの輪の中へと突き動かすことになるなんて。
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