コミュ障ぼっちの私の目標は「石」。なのに新学期初日、隣の陽キャ王子に「お前、面白いな!」と絡まれ計画が完全崩壊。

Gaku

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第13話:「めんどくさい」の先にあるもの

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十二月のきらびやかな光の洪水が、まるで遠い昔の夢であったかのように、街はすっかりとその色彩を失っていた。

イルミネーションが消え、ショーウィンドウを飾っていた赤と緑のリボンが取り払われた街並みは、まるで祭りの後に取り残された舞台装置のように空虚で、どこか物悲しい。

クリスマスという一大イベントが終わり、新しい年を迎えるまでの、あの独特な数日間。カレンダーの上では確かに日々が経過しているはずなのに、世界全体が時間の流れから取り残されてしまったかのような、奇妙な停滞感が漂う。

人々は年末の挨拶を交わしながらも、その表情にはどこか晴れない気ぜわしさが浮かび、足早に過ぎ去っていく。

空は、まるで溶かした鉛を流し込んだかのように、分厚く、重たい灰色に常に覆われていた。 太陽は、その存在をかろうじて示す輪郭だけを雲の向こうに滲ませ、地上に届く光は弱々しく、あらゆるものの影を曖昧にする。

風はもはや冷たいという表現では生ぬるい。 それは肌を直接切りつけるガラスの破片のようで、耳元を通り過ぎる音は、冬の獣の低い唸り声にも似ていた。、という感覚だけが、確かな現実として身体に刻み込まれる。

そして、その骨の髄まで凍てつかせるような空気は、コンクリートとガラスでできた箱、私たちの通う高校の校舎の中にも、淀みなく満ち満ちていた。

私たちの、高校二年生、三学期。 その言葉が持つ意味は、誰にとっても明白だった。

それはすなわち、「受験」という、巨大で、明確で、そして絶対に逃れることのできない現実との全面対決の始まりを告げるゴングだった。 三学期が始まった瞬間から、私たちと志望校との間にある、絶望的なまでに具体的な距離が、偏差値や合格判定という無慈悲な数字となって眼前に突きつけられるのだ。

教室の空気は、物理的な重さを持っているのではないかと錯覚するほどに、重く、沈み込んでいた。

以前ならば、チャイムが鳴るや否や、誰かの冗談に笑い声が弾け、廊下まで響き渡っていた休み時間も、今や不気味なほどの静寂に支配されている。 誰もが自分の机に深く身を沈め、まるで修行僧のように分厚い参考書や問題集を広げている。

その姿は、自らに課せられた罪を償うために、懺悔の言葉を繰り返し唱えているかのようにも見えた。 黒いインクでびっしりと印刷された文字の羅列を、彼らはただひたすらに目で追い、その知識を脳に刻み込もうと必死にもがいていた。

時折、その静寂を破るのは、誰かが絞り出すような、大きくて重たい溜息だけだった。 それは一人のものではなく、まるで伝染病のように教室のあちこちで次々と上がり、重たい空気に溶けていく。

そして、その溜息の合間を縫うようにして聞こえてくるのは、カリカリ、カリカリ、という無数の鉛筆が紙の上を滑る音。 まるで、たくさんの小さな虫が、教室の壁や床を絶え間なく這い回っているような、その無機質で乾いた音は、聞いているだけで神経を苛んだ。

教室の隅では、塗装の剥げた古めかしい石油ストーブが、コポコポとか細い音を立てながら、赤い炎を揺らめかせている。 その独特の、少しむせるような匂いが、この息の詰まる空間の唯一のBGMとなり、私たちの焦燥感を静かに煽っていた。

「……あー、もう、無理。マジで無理」

その日も、長くて退屈な授業が終わった後の放課後。 私たちは、いつものように図書室の奥にある大きな長方形のテーブルに、それぞれの課題を持ち寄って集まっていた。

最初に白旗を上げたのは、やはりというべきか、杏さんだった。 艶やかな金髪を振り乱し、彼女は目の前に広げた世界史の資料集の上に、まるでなだれを打つように突っ伏した。 その資料集には、びっしりと細かい文字で、馴染みのないカタカナの名前と年号が年表となって連なっている。

「なんで、カタールのどっかの王様が、いつ誰と結婚して、子供が何人いたかなんてことまで覚えなきゃなんないわけ? アタシのこれからの人生に、一ミリだって関係なくない?」

ほとんど泣き言に近いその叫びに、生真面目な反論を試みたのは、隣に座っていた颯太くんだった。彼は、ついこの間まで部活一筋だった、日に焼けた快活なスポーツマンだ。

「いや、関係なくはないだろ、杏。そういう一見些細な出来事が、複雑に絡み合って、今の世界情勢に繋がってるんだ。世界の歴史の大きな流れを、体系的に理解することは……」

「うるさい、颯太! あんたはいいよね、どうせサッカー推薦で大学行けちゃうんだから! こちとら、この一点が生死を分けるの! 夏までサッカーばっかやってて、基礎すらヤバいあんたに言われたくない!」

「ぐっ……。それは、否定しない……」

颯太くんは、杏さんの痛いところを突く反撃に、ぐうの音も出ないといった様子で肩をすぼめた。 確かに、彼の実力なら進学は固いだろうと誰もが思っている。それでも、大学で授業についていくための最低限の学力は必要だとかなんとかで、この苦行のような放課後の勉強会に付き合わされているのだった。

「僕も、もう限界です……。英単語という名の情報洪水が、僕の脳の記憶領域ストレージを過剰に圧迫し、致命的なオーバーフローを引き起こしています……。見てください、今、僕の頭の中では、yesterdayとtomorrowが、時空の覇権を巡って激しい主導権争いを繰り広げているのです……」

独特の芝居がかった口調で呻いたのは、分厚い黒縁メガネの奥の瞳を苦悶に歪ませた秋葉くんだ。 彼は自分のこめかみをぐりぐりと押さえながら、本気で辛そうな表情をしている。彼の脳内では、きっと単語たちが擬人化され、壮大なバトルを繰り広げているのだろう。

「あなたたち、少しは静かにできないのかしら。ここは図書館。古今東西の英知が集う、神聖な知識の殿堂なのよ」

凛とした声で私たちを一喝したのは、艶やかな黒髪をきっちりと後ろで一つに束ねた麗奈さんだった。 彼女は学年でもトップクラスの成績を誇る才媛で、その眉間に刻まれた深い皺は、私たちのあまりの不真面目さに対する純粋な怒りを示している。 しかし、定規で引いたように完璧な英文の要点を書き写していく彼女の手も、心なしかいつもより動きが鈍く、時折、小さく止まっているように見えた。

輝くんは、と言えば。もう言うまでもない。 彼は五分以上前から、分厚い数学の参考書を絶妙な角度の枕にして、すうすうと気持ちよさそうな寝息を立てていた。 時折「……あと、五点……」などと寝言を言っているから、夢の中でもテストを受けているのかもしれない。こいつはもう、論外だ。

図書室の高い位置にある窓から、冬の弱々しい灰色の光が、埃の舞う室内へと斜めに差し込んでいる。 その光に照らされながら、私は目の前に広げられた英文法の問題集を、ただぼんやりと眺めていた。

関係代名詞の非制限用法。コンマの後に続くwhichが、先行する文全体を修飾する、という説明書き。 何度読んでも、その意味が全く頭に入ってこない。文字が、ただの記号の羅列として目の上を滑り、右から左へと虚しく流れていくだけだ。 脳が、まるで分厚い膜で覆われてしまったかのように、新しい情報の受け取りを完全に拒絶している。

――めんどくさい。

心の最も深い、澱んだ沼の底から、その一言が浮かび上がってきた。

勉強そのものが、心の底から嫌いなわけじゃない。むしろ、今まで知らなかった世界の仕組みや、新しい知識に触れることは、本来なら楽しいと感じるタイプの人間だと思っていた。

でも、この、「やらなければならない」という、首を絞めるような重圧。 この、終わりが見えないトンネルの中を、ただひたすら歩き続けるような、単調で、無味乾燥な作業の連続。 それが、私の思考回路を少しずつ錆びつかせ、ついには完全に停止させ、身体中から全てのやる気を根こそぎ奪い去っていく。



この、全身を支配する不快な感情は、一体何なのだろう。 私はふと、思考の海へと深く、深く潜っていった。目の前の問題集から意識が離れ、自分の内側へと向かっていく。

まず、怒りとは違う。 怒りとは、もっと熱い感情だ。「変えたいのに変えられないもの」や「理不尽な状況」に対して、それを無理やりねじ伏せようとする時に生まれる、激しい摩擦熱のようなエネルギーだ。そこには明確な対象があり、攻撃性がある。

悲しみとも、違う。 悲しみは、大切な何かを失った時に心にぽっかりと空く、冷たい空洞のような喪失感だ。失ったものの大きさに比例して、その痛みは深くなる。そこには対象の不在があり、諦念がある。

では、「めんどくさい」は?

それは、怒りのような熱さも、悲しみのような冷たさもない。 それは、まるで身体中にまとわりつく、粘度の高い、生温かい泥のようだった。 一歩、前に足を踏み出そうとしても、そのねっとりとした泥が足首に絡みつき、動きを執拗に阻害する。動けば動くほど、泥はさらに重く身体にのしかかり、体力を奪い、疲弊させていく。

だから、次第に動きたくなくなる。その場でじっと、泥の中に沈んだまま、やり過ごしたくなる。

でも、問題はここからだ。 じっとしていても、その泥は決して消えてなくならない。それどころか、動かずにいる間も、「ああ、早く泥から抜け出さなきゃ」「このままじゃダメになる」という焦燥感や、「なぜ自分は動けないんだ」という罪悪感が、じわじわと、まるで強力な酸のように心を蝕んでいく。

動いても、泥の中でもがく地獄。 動かなくても、焦りと罪悪感に苛まれる地獄。

なんて救いのない、出口のない感情なのだろう。

……ん? 待てよ。

その時、思考の暗闇の中に、小さな光が灯るのを感じた。私は、ある一つの可能性に思い至ったのだ。

動いている時の苦しみ。つまり、実際に泥の中を歩こうともがいている時の苦痛と。 動かないでいる時の苦痛。つまり、泥の中で立ち尽くし、ただ焦りを感じている時の苦痛。

この二つの苦しみを天秤にかけた時、果たしてどちらが、より長く、そして陰湿に、私を苦しめ続けているのだろうか?

答えは、考えるまでもなく明らかだった。 圧倒的に後者だ。動かないで、「めんどくさいなあ」「やりたくないなあ」と、うだうだ考えている、その時間そのものだ。

行動、つまり勉強という行為そのものは、たとえ辛くても、一問解けば一問分の終わりが来る。一ページ進めば、一ページ分の終わりが訪れる。必ず、終わりは存在する。

でも、行動を先延ばしにしている間に繰り広げられる、この心の袋小路。この内なる戦い。 「やらなきゃいけない」と正論を振りかざす理性の自分と、「でも、今はやりたくない」と駄々をこねる感情の自分が、延々と、互いの主張を譲らずに綱引きを続けている、この不毛で生産性のない時間。

これこそが、「めんどくさい」という感情の正体であり、これこそが、私たちが感じている「苦しみ」そのものなのではないか。

だとしたら。 この、終わりのない苦しみから抜け出す方法は、たった一つしかない。

この不毛な綱引きを、強制的にやめてしまうことだ。 「やりたくない」とぐずる弱い自分を、いったん無視して、さっさと「やらなきゃ」という理性の自分に加勢し、綱を一気に引き切ってしまうことだ。

「……ねえ」

ほとんど無意識のうちに、私の口から声が漏れていた。 テーブルに突っ伏して死んだふりをしていた杏さんが、うっすらと顔を上げて、潤んだ瞳でこちらを見る。

「……なに、静。アタシはもう、パルティア王国と共に滅びる覚悟はできてる」

「この、『めんどくさい』って、ずっと思ってる時間、そのものが、一番苦しくない?」

私の唐突で哲学的な問いかけに、杏さんだけでなく、他のメンバーも一様にきょとんとした顔を向けた。 秋葉くんはメガネを押し上げ、颯太くんは首を傾げている。寝ていたはずの輝くんですら、片目をうっすらと開けて、こちらの様子を伺っていた。

「どういう、こと?」

最初に問い返したのは、完璧なノート作りを中断した麗奈さんだった。

「だって、考えてみて。私たちは、やらなきゃいけないことは、本当はちゃんとわかってる。でも、やりたくない。その、正反対の二つの気持ちが、ずっと頭の中で喧嘩してる状態が続いてる。その喧嘩してる間って、私たちは何も進んでいないのに、ずっと嫌な気持ちでい続けなきゃいけない。それって、ものすごく無駄で、何より苦しい時間じゃないかなって思ったの」

私の言葉に、図書室の空気がわずかに揺れた気がした。

「……言われてみれば、そうかもな」

颯太くんが、腕を組んで、ぽつりと呟いた。 「確かに、始めるまでが一番しんどい。始めてしまえば、意外と集中できたりするし」

「だとしたら」

私は、自分の内側から湧き上がる、確信に近い何かを感じながら続けた。

「どうせ、いつかはやらなきゃいけないことなら、さっさと手を付けて始めてしまった方が、その苦しい時間は、結果的にずっと短くて済むんじゃないかな。そして……」

私は、一度、大きく息を吸った。 自分でも信じられないような、大胆で、馬鹿げた言葉が、喉まで出かかっていた。でも、もう止まれなかった。

「どうせやるなら、その時間を、方が、絶対にお得じゃない?」

しん、と図書室が静まり返った。いや、元から静かだったが、空気の密度と温度が、明らかに変わった。 まるで、真空状態にでもなったかのような、絶対的な静寂だった。

「……はあ?」

最初に我に返った杏さんが、心底、意味がわからないという顔で、私を見つめた。

「静、あんた、ついに勉強のしすぎで頭おかしくなった?」

「水無月さん。あなたは、正気でおっしゃっていますか。この、人類の叡智とは対極に位置する、単調で無慈悲な苦行の集合体を、楽しむ、と? その発想は、僕の理解の範疇を完全に超えています」

秋葉くんが、まるで未知の生命体に遭遇したかのように、後ずさりながら慄いている。

「楽しむ、ですって? 笑わせないで。勉強とは、己の欲望を律し、苦痛に耐え、膨大な知識を脳に詰め込むという、極めてストイックな行為よ。そこに、楽しみなどという、低俗で刹那的な感情が入り込む余地は、微塵もないわ」

麗奈さんが、氷のように冷たい声で、私の提案をバッサリと切り捨てた。 彼女の言うことは、正論だ。少なくとも、今までの私たちにとっては、それが常識だった。

「でも」

私は、なぜか引かなかった。ここで引き下がったら、またあの重苦しい泥沼に戻ってしまう。そう思うと、不思議な勇気が湧いてきた。 過去の失敗や呪縛から解き放たれた今の私には、もう失うものは何もない。

「例えば、ほら、その歴史の年号」

私は、杏さんの目の前にある資料集の、無味乾燥な年表を指差した。

「『1192年、鎌倉幕府、成立』。これを、ただ呪文みたいに『いちいちきゅーに、かまくらばくふ』って唱えても、全然面白くないし、すぐに忘れちゃう。でも……」

私は、少しだけ息を吸った。 恥ずかしい。ものすごく、恥ずかしい。人生で最大の黒歴史を、今ここで更新しようとしている。 でも、やるしかないんだ。

「♪いい国(1192)作ろうぜ、Yeah! 源頼朝、カモン! 鎌倉、幕府で、Check it out! Yo!♪ ……みたいな、へなちょこなラップにしてみたら、少しは、覚えられる……かもしれない、じゃん……?」

声が、だんだんと尻すぼみになっていく。 私の、人生で最も勇気を振り絞ったであろう、即興ラップ。 その、あまりにも悲惨なクオリティと、絶望的なまでのリズム感のなさに、図書室の空気は再び、絶対零度にまで達した。窓ガラスが、この寒さで凍てついて割れてしまうのではないかと、本気で心配になった。

ああ、終わった。 私は、また、やってしまった。 壮絶に、華麗に、スベり倒してしまった。 私が石になって化石として発見されるべき場所は、あの重苦しい教室ではなく、この神聖な図書室だったのかもしれない。

私が顔から噴き出す火を消すように、机に突っ伏そうとした、まさにその時だった。

「…………ぷっ」

静寂を破って、誰かが吹き出す音がした。 見ると、輝くんだった。 彼は、いつの間にか完全に目を覚まし、机に突っ伏したまま、肩を小刻みに震わせていた。

そして、次の瞬間。

「あははははは! なにそれ! 静、お前、最高かよ! ヤベえ、超ウケる! いい国作ろうぜ、チェックイットアウトって! ダサすぎだろ!」

輝くんの抑えきれない爆笑が、まるでダムの決壊のように、静寂の空間に溢れ出した。 その、あまりにも純粋で、悪意のない笑い声が、固く凍りついていた空気を、一瞬で溶かしていくのがわかった。

その爆笑は、伝染した。

「ちょ、マジ、やめてよ! 何それ! ダサすぎて、逆に面白いんだけど!」

突っ伏していた杏さんが顔を上げ、涙を浮かべながら笑っている。

「いや、でも、なんか、めちゃくちゃ耳に残る……! くそっ、『いい国作ろうぜ』が、頭の中で無限ループしてる……! 頼朝カモンってなんだよ!」

颯太くんも、必死に口元を押さえているが、笑いを堪えきれていない。

「……今の教科書だと1185年が主流だから、史実としては不正確よ」

麗奈さんが、笑いを堪えるように口元を引き結びながら、それでも冷静さを保って指摘した。

「非論理的極まりない。しかし、音声情報とリズムによる記憶へのフックとしては、あるいは、有効なのかもしれない……」

彼女は腕を組んで、真顔で分析を続けているが、その目は明らかに笑っていた。

「その、独特のフロウ……僕の知っている、どのラッパーの系譜にも属しませんね……。これは、アカデミック・ラップという、新しいジャンルの誕生の瞬間に、我々は立ち会っているのかもしれません……」

秋葉くんが、いつの間にかメガネの奥の瞳を輝かせ、真剣な眼差しで私を見つめている。

その日から。 私たちの、あの陰鬱だった放課後の勉強会は、劇的に一変した。 いや、それはもはや、勉強会と呼べるような代物ではなかった。

「はい、次の問題! この英文を、最も中二病っぽく翻訳した者が、本日のチャンピオンだ!」

「『我、古の盟約に基づき、汝が求める禁断の果実を欲す……!』どうだ!」

「却下! まだまだ邪王炎殺黒龍波が足りないわ! もっとひねりなさい!」

「見てくれ、この化学式を! この、ベンゼン環かんのなんとシンメトリカルで美しい構造! 安定した電子の配置は、もはや宇宙の摂理! これは、恋……!」

「秋葉、うるさい! 恋とか言ってないで、次の異性体を早く書き出せ!」

「よし、緊急企画! 今から、徳川十五代将軍、全員フルネームで暗唱するまで、誰もこの図書室から帰れまテン、開催!」

「鬼か、お前は! 輝、お前が言い出しっぺなんだから、家康から全部言ってみろよ!」

「え、俺!? ……徳川、えーっと、家康、ひでただ、いえみつ……その次なんだっけ?」

私たちは、笑っていた。 腹を抱え、時には涙を流しながら、学んでいた。

英文法の複雑な構文も、歴史の無味乾燥な年号も、化学の難解な数式も、それ自体が持つ意味や難易度は、昨日までと何も変わらない。 ただ、私たちの、それに対する捉え方が、ほんの少しだけ変わっただけだ。

「苦行」から、「ゲーム」へ。

その、たった一つの視点の転換が、私たちの目の前に広がる全ての景色を、鮮やかに塗り替えてしまったのだ。

いつの間にか、あれほど敵視していた参考書のページをめくる指は軽くなり、難問に頭を悩ませることすら、まるで攻略の難しいゲームのステージに挑むような、スリリングな楽しさに変わっていた。

気づけば、図書室の高い窓の外は、もうインクをこぼしたような深い闇に包まれていた。 閉館時間を告げる、穏やかなチャイムの音が、静かな室内に響き渡る。

「え、うそ、もうそんな時間?」

誰かが驚きの声を上げた。 あれほど長く、退屈で、一秒一秒が永遠のように感じられた放課後の時間が、まるで誰かが早送りボタンでも押したかのように、一瞬で過ぎ去ってしまったかのようだった。

体は、一日中授業を受け、さらに数時間集中したことで、鉛のように疲れているはずなのに、心は不思議なくらいに軽かった。 それどころか、心地よい達成感と、仲間と共に困難を乗り越えたという高揚感に満たされている。

「めんどくさい」という、あの粘度の高い泥沼の先には、ただ苦痛に耐え抜いた者だけが手にできる、ささやかなご褒美が待っているわけじゃなかった。

その泥沼の中で、ただ沈んでいくのか、それとも、もがきながらも進もうとするのか。あるいは、まったく別の方法で、その状況を楽しむのか。 どう泳ぐかを決めるのは、他の誰でもない、自分自身だったんだ。

どうせ泥だらけになるのなら、いっそのこと、本気で泥遊びをしてしまえばよかった。 そうすれば、絶望的だと思っていた泥沼は、いつの間にか、私たちだけの最高の遊び場に変わる。

帰り道。 凍てつくような冬の夜空には、数え切れないほどの星が、まるでダイヤモンドの粉を撒き散らしたかのように、強く、美しく瞬いていた。

吐く息が、白い。 でも、数時間前に感じた、あの頼りなく消えていく光の粒子ではなかった。

杏さんの冗談に、颯太くんがツッコミを入れ、輝くんが腹を抱えて笑う。 麗奈さんが呆れたように溜息をつき、秋葉くんが何やら専門的な解説を加える。 私たちの温かい笑い声が、そのまま白い湯気となって、夜の空気の中に、確かな形を残しているようだった。

重く垂れ込めていた灰色の雲は、いつの間にかどこかへ消え去っていた。 見上げた空は、どこまでも澄み渡り、私たちの進むべき未来を、静かに照らし出していた。
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