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第二章 時忘れの森
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ミストウッドを出てからほぼ一日歩き通しで王都アーゼンに到着したグレティアは比較的安い宿をとった。
もう日も暮れていたため森に向かうのは明朝にすることにしたのだ。
兄を救うために早く行きたいとはいえ、夜の森に足を踏み入れるのは自殺行為だ。
そうしてグレティアは翌朝、森を訪れていた。
どこかで鳥の羽ばたく音が聞こえた気がして、グレティアは顔を上げた。
鬱蒼と茂る木々の隙間から青い空が見える。
(……痛い)
枝の隙間から差し込む陽の光に目を細めたあと、ふくらはぎをそっとさすった。
歩き通しでぱんぱんに張っている。
足首も少し痛い。
腕には途中枝に引っ掛けてしまった細かい傷がいくつもできていた。
(がんばらなきゃ……)
今の自分を鏡に映したならば、随分とみすぼらしい姿になっているに違いない。
しかし、休んでいる暇はないのだ。
森の奥に住んでいるという魔導士に早く会わなければ――。
グレティアは改めてまっすぐ前を見据えると歩き出した。
森に入ってから随分長いこと獣道を進んでいる。
時間にして数刻。太陽もほとんど真上にさしかかろうとしていた。けれど、一向に魔導士の屋敷どころか遠くからでもよく見えるはずの塔にすらたどり着けていなかった。
(このまま日が沈んでしまったら……)
怖い考えが脳裏をよぎり、グレティアはぶるりと身震いした。
かなり奥まで来てるはずだ。
森から出る時間も考えたら、ここで引き返した方がいいのかもしれない。このまま魔導士の住処にたどり着けなければ、おそらく森の中で野宿するはめになるだろう。
(――大丈夫。きっとたどり着けるはず)
よし、と自身を奮い立たせて歩き出そうとしたそのとき、グレティアは奇妙な感覚に周りをぐるりと見回した。
「……?」
特に変わったところはない。それまで見てきた景色と同じ森がどこまでも広がっている。
しかし、
「誰かに見られてる……?」
そう小さくつぶやいて、もう一度周囲に視線を巡らせた。
鳥のさえずりや木の葉のさざめき以外は聞こえない森の風景はただひたすらに穏やかであった。あまりの静けさが少しだけ怖く感じる。
「気のせい、だよね」
グレティアは不安を振り切るように足を進めた。
茂みをかき分けながら、そのまましばらく歩いていたのだが森の景色に変化は訪れなかった。
「はあ……っ」
さすがに歩き疲れてふと立ち止まったときだった。
がさ、と落ち葉を踏みつける音が耳に届いたのだ。
(え……)
心臓が大きく跳ねる。
身体の向きを変えて音の発生源を探れば、少し離れた場所で巨大な黒い影が動いているのが見えた。
(な、なにあれ……?)
黒い輪郭がゆっくりとこちらに近づいてくる。
人の形をしているが、やけに巨大な黒い影だ。
「っ……」
グレティアは息を飲んで後ずさった。
ここは時忘れの森だ。なにが出てもおかしくはない。
「…………」
怖くてたまらなかったが、グレティアは後ろに下がりながら黒い影の動向を窺った。
全力で走って逃げ切れるだろうか。
――いや、そんな自信はない。
(だったら……っ)
グレティアはごくりと息をのみ、意を決して黒い影に向き直ると大声で叫んだ。
「あ、あの!」
黒い影がゆらりと動く。
グレティアは続けて声を上げる。
「森の魔導士に会いにきました! あ、あなたは魔導士の家をご存知ですか?」
言いながら全身から冷や汗が噴き出るのを感じていた。
黒い影の正体がわからないため足ががくがくと震える。
飛びかかってきたらどうしよう。
話しかけてみたものの、見目には話が通じる雰囲気はなさそうだ。
黒い影が左右にゆらゆらと動いた。
「…………」
ひとしきり揺れたあと、黒い影はぴたりと止まる。
(……え?)
グレティアは目を見開いて黒い影を凝視した。
黒い影の顔と思われる位置が上を向くように動いて見えた。
――目が合ったような気がした。
『ついてこい』
次の瞬間、突然頭の中に声が響いてきた。
グレティアは驚いて肩を震わせたが、黒い影はそれ以上なにも言わず、踵を返して歩き始めた。
(大丈夫……なのかな……?)
そんな風に思ったグレティアだったけれど、迷っている時間はなかった。
このまま歩いていても魔導士の屋敷は見つかりそうにないのだ。それならば、不思議な黒い影についていく価値はある。
グレティアはぐっと拳を握ると黒い影を追いかけて歩き始めた。
もう日も暮れていたため森に向かうのは明朝にすることにしたのだ。
兄を救うために早く行きたいとはいえ、夜の森に足を踏み入れるのは自殺行為だ。
そうしてグレティアは翌朝、森を訪れていた。
どこかで鳥の羽ばたく音が聞こえた気がして、グレティアは顔を上げた。
鬱蒼と茂る木々の隙間から青い空が見える。
(……痛い)
枝の隙間から差し込む陽の光に目を細めたあと、ふくらはぎをそっとさすった。
歩き通しでぱんぱんに張っている。
足首も少し痛い。
腕には途中枝に引っ掛けてしまった細かい傷がいくつもできていた。
(がんばらなきゃ……)
今の自分を鏡に映したならば、随分とみすぼらしい姿になっているに違いない。
しかし、休んでいる暇はないのだ。
森の奥に住んでいるという魔導士に早く会わなければ――。
グレティアは改めてまっすぐ前を見据えると歩き出した。
森に入ってから随分長いこと獣道を進んでいる。
時間にして数刻。太陽もほとんど真上にさしかかろうとしていた。けれど、一向に魔導士の屋敷どころか遠くからでもよく見えるはずの塔にすらたどり着けていなかった。
(このまま日が沈んでしまったら……)
怖い考えが脳裏をよぎり、グレティアはぶるりと身震いした。
かなり奥まで来てるはずだ。
森から出る時間も考えたら、ここで引き返した方がいいのかもしれない。このまま魔導士の住処にたどり着けなければ、おそらく森の中で野宿するはめになるだろう。
(――大丈夫。きっとたどり着けるはず)
よし、と自身を奮い立たせて歩き出そうとしたそのとき、グレティアは奇妙な感覚に周りをぐるりと見回した。
「……?」
特に変わったところはない。それまで見てきた景色と同じ森がどこまでも広がっている。
しかし、
「誰かに見られてる……?」
そう小さくつぶやいて、もう一度周囲に視線を巡らせた。
鳥のさえずりや木の葉のさざめき以外は聞こえない森の風景はただひたすらに穏やかであった。あまりの静けさが少しだけ怖く感じる。
「気のせい、だよね」
グレティアは不安を振り切るように足を進めた。
茂みをかき分けながら、そのまましばらく歩いていたのだが森の景色に変化は訪れなかった。
「はあ……っ」
さすがに歩き疲れてふと立ち止まったときだった。
がさ、と落ち葉を踏みつける音が耳に届いたのだ。
(え……)
心臓が大きく跳ねる。
身体の向きを変えて音の発生源を探れば、少し離れた場所で巨大な黒い影が動いているのが見えた。
(な、なにあれ……?)
黒い輪郭がゆっくりとこちらに近づいてくる。
人の形をしているが、やけに巨大な黒い影だ。
「っ……」
グレティアは息を飲んで後ずさった。
ここは時忘れの森だ。なにが出てもおかしくはない。
「…………」
怖くてたまらなかったが、グレティアは後ろに下がりながら黒い影の動向を窺った。
全力で走って逃げ切れるだろうか。
――いや、そんな自信はない。
(だったら……っ)
グレティアはごくりと息をのみ、意を決して黒い影に向き直ると大声で叫んだ。
「あ、あの!」
黒い影がゆらりと動く。
グレティアは続けて声を上げる。
「森の魔導士に会いにきました! あ、あなたは魔導士の家をご存知ですか?」
言いながら全身から冷や汗が噴き出るのを感じていた。
黒い影の正体がわからないため足ががくがくと震える。
飛びかかってきたらどうしよう。
話しかけてみたものの、見目には話が通じる雰囲気はなさそうだ。
黒い影が左右にゆらゆらと動いた。
「…………」
ひとしきり揺れたあと、黒い影はぴたりと止まる。
(……え?)
グレティアは目を見開いて黒い影を凝視した。
黒い影の顔と思われる位置が上を向くように動いて見えた。
――目が合ったような気がした。
『ついてこい』
次の瞬間、突然頭の中に声が響いてきた。
グレティアは驚いて肩を震わせたが、黒い影はそれ以上なにも言わず、踵を返して歩き始めた。
(大丈夫……なのかな……?)
そんな風に思ったグレティアだったけれど、迷っている時間はなかった。
このまま歩いていても魔導士の屋敷は見つかりそうにないのだ。それならば、不思議な黒い影についていく価値はある。
グレティアはぐっと拳を握ると黒い影を追いかけて歩き始めた。
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