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第二章 夏の花
マトリカリア
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期末テストが無事終わり、テスト返却が始まった。クラスメイトが採点結果に一喜一憂するなか、黒崎流奈だけが興味のない表情をしていた。テストを受けとって、点数を一瞥してすぐにカバンの中にしまい込む。結果が良くても悪くても流奈にはどうでもいいことだ。
「るなぁー! 見て! あたしこんなにいい点取ったの初めて! 教えてくれてほんとにありがとう」
満里奈が数学のテストを手に流奈の席へやってきた。その数字はお世辞にもいいとは言えない。それでも勉強よりも部活を優先してきた満里奈からすれば過去一番良いくらいの点数だった。今にも踊りだしそうなほど喜んでいる満里奈を見ると、教えたかいがあったと、こちらまで嬉しくなる。
「お! これ満里奈のテスト? すごいじゃん!」
「えー、ほんと? カンニングとかしてないー?」
明日香と希美がぞろぞろと集まってくる。素直にほめる明日香とにやにやしながらカンニングを疑ってくる希美。満里奈はいつも通り希美とじゃれ合い始めた。
「そういえばさ、お祭りの時って浴衣着る?」
「いいね! みんなで着ようよ。」
夏休みが終わる前に開催される地元の夏祭り。それにみんなで行く約束をしている。浴衣を着るという明日香の提案に希美の頬を引っ張っていた満里奈が食い気味に賛同する。希美も首を縦に振って同意を示している。首を振ったはずみで満里奈の手が頬から離れ、あぅ、とかわいらしい悲鳴を出していた。
「浴衣なんて持ってないよ」
「わたし二つあるから片方貸してあげるよ。うちのお母さん、着付けもできるから頼めばやってくれるし」
「でもわたし、夕方までしかいれないし、明日香のお母さんに迷惑じゃ……」
「一人着付けるのも二人着付けるのも同じだって」
明日香に押されてついわかったと言ってしまう。初めて浴衣を着られる喜び。迷惑にならないかという不安。そして人前で着替えたくないという気持ちが殺到して胸が苦しくなった。
今の時代、スマートフォンがあればいつで連絡を取り合い、遊ぶ約束ができる。しかしそれを持っていない流奈はしばらく友達と顔を合わせる機会が減るだろう。明日香は勉強、満里奈は部活、希美はバイトに明け暮れる日々。高校生活最後の夏休みが始まろうとしている。
*
蝉の声がやかましく鳴り響く平日の真昼。流奈は自宅のベッドでごろごろしていた。夏休みが始まってから数日がたった。他の三人とは違ってやることがない流奈はぼうっと天井のシミを眺めていた。そのシミは少しずつ大きくなり、いつの間にか天井を覆いつくしてしまう。それだけでは飽き足らず流奈の体までも茶色く覆いつくしていく。父以外の誰とも会わず家にこもっているとなんだか三人と出会う前に戻ってしまった気がした。
満里奈の部活でも見に行こうかな……
いつでも部活を見に来てかまわないと満里奈に言われていたことを思い出す。少し迷惑かと思いつつもいつもの黒のワンピースに着替え始めた。自分にこんな行動力があったんだと口角が少しだけ上がる。
この暑さの中、長袖で歩くのは自殺行為だ。熱中症で倒れて救急車で運ばれました、なんてことがあったら殺されてもおかしくない。流奈は出かける支度を済ませると、キッチンの戸棚からプラスチックのコップを取り出してカルキ臭い水道水を一気に飲み干した。
陽炎が揺らめくアスファルトの道のりを行くと、グラウンドでは野球部とサッカー部が声を張り上げて汗を流していた。その端のほうで陸上部が風を切っていた。ほどよく日焼けした満里奈は誰よりも真剣に、楽しそうに練習をしている。
「流奈! 見に来てくれたんだ!」
「うん、暇だったからさ。邪魔じゃない?」
「もちろん! もう少しで部活終わるんだよね。終わったら教室で勉強教えてよ」
人に勉強を教えるのは楽しい。それに、どうせ家に帰ってもやることがないので快く了承する。満里奈をまた間、グラウンドに数本だけ生えている木の下で練習を見学させてもらった。
グラウンドにいるのは満里奈以外みんな下級生。ここでは『変な噂のある女子生徒』ではなく『満里奈先輩の友達』でいられる。案外、居心地は悪くなかった。
「はぁ~、疲れた疲れた。流奈、何飲む?」
熱い空気のこもる廊下に設置された自販機がガコンと音を立ててオレンジジュースを落とす。満里奈は後ろにいる流奈に何を飲むか聞いてきた。
「あ……、わたしはいいよ」
「いいから、いいから。勉強教えてもらってるのにジュースの1本もおごらなかったら罰が当たるって。」
「じゃあ、同じやつを」
「はい、どうぞ」
満里奈が差し出したオレンジジュースを受け取る。ペットボトルの冷たさが汗ばんだ手のひらに染み渡る。ペットボトルを首に当てて火照った体温を下げようとしている満里奈と共に教室に向かった。
当たり前だが教室には誰もいない。誰もいない教室に真夏の日差しが降り注いでいる様はなんだか切なく感じた。
「ほんと教えるのうまいよね。先生とか向いてそう」
勉強を教えていると満里奈が突然そんなことを言ってくる。満里奈はこうして突然褒めてくるのだ。そんなことないよ、と消え入りそうな声で言って下を向く。
褒められることに耐性のない流奈は毎回こんな態度をとってしまう。一見、不愛想な態度かもしれない。それでもその頬は桃の花びらのようにピンクに染まっていることを満里奈はちゃんと知っていた。
遠くの空がほんのりオレンジに染まり始めるころまで勉強会は続く。『先生』その言葉が何度も心に染み渡りそうになって慌ててかき消した。自分は夢なんて持つだけ無駄なのだから。
「ちょっと希美のとこ寄って行こうよ」
学校を出ると満里奈が希美のバイト先に向かおうと言い出した。赤い自転車を押して歩く満里奈についていくと、すぐに青い外装のコンビニが見えた。軽快な音を立てる自動扉をくぐると、レジの向こうに希美が立っていた。制服でも私服でもない、半そでのストライプの制服を着た希美は立派な社会の一員に見えた。
「いらっしゃい」
「ほんとに働いてるんだ……」
「嘘かと思ってたの?」
くすくすと笑う希美の横には恰幅のいい男の人が立っている。制服の左の胸ポケットについた名札には店長という肩書とともに松坂、と書かれていた。
「同じ名前……」
「ん、ああ、私の叔父さんだよ。ここのコンビニの店長なんだ」
思わず口にでた疑問に希美が答える。
「初めまして。叔父の松坂義弘です。希美ちゃん、今日はもう上がっていいよ。せっかく友達が来たんだし、ほんとはダメだけどタイムカードもうまくやっておくから」
叔父だというその人は内緒だよ、と目じりを下げて笑う。こんなに優しそうに笑う大人の男の人もいるんだ。流奈は純粋にそう思った。
外で待っていると私服に着替えた希美が出てきた。
「お待たせ。お菓子買ってきたんだ。そこの公園でみんなで食べようよ」
片手に持ったコンビニの袋を少し上にあげて見せる。公園には五分も立たないうちについた。
「この公園、昔よくお兄ちゃんと遊んでさ。今もたまに来るんだよねぇ」
「もう高校生なのに公園遊び?」
突然後ろから声をかけられて飛び上がりそうになる。足を止めて振向くと後ろには明日香が立っていた。
「なんかどうせならって思って着替えてるときに連絡しちゃった」
えへへと頭をかく希美。四人で公園に入り、ベンチに座って希美が買ったお菓子を食べたり、ブランコに乗ったりして遊んだ。逆上がりができるか、という話になったときに満里奈が自慢げにぐるぐると回っていた。
公園なんて一生縁がないと思っていた場所。この歳になって初めて遊んだ公園はとても楽しくて時間はあっという間に過ぎてゆく。ブランコをゆらゆら揺らしながら血の色に染まる夕陽に祈る。どうか、時間を止めて――。
「るなぁー! 見て! あたしこんなにいい点取ったの初めて! 教えてくれてほんとにありがとう」
満里奈が数学のテストを手に流奈の席へやってきた。その数字はお世辞にもいいとは言えない。それでも勉強よりも部活を優先してきた満里奈からすれば過去一番良いくらいの点数だった。今にも踊りだしそうなほど喜んでいる満里奈を見ると、教えたかいがあったと、こちらまで嬉しくなる。
「お! これ満里奈のテスト? すごいじゃん!」
「えー、ほんと? カンニングとかしてないー?」
明日香と希美がぞろぞろと集まってくる。素直にほめる明日香とにやにやしながらカンニングを疑ってくる希美。満里奈はいつも通り希美とじゃれ合い始めた。
「そういえばさ、お祭りの時って浴衣着る?」
「いいね! みんなで着ようよ。」
夏休みが終わる前に開催される地元の夏祭り。それにみんなで行く約束をしている。浴衣を着るという明日香の提案に希美の頬を引っ張っていた満里奈が食い気味に賛同する。希美も首を縦に振って同意を示している。首を振ったはずみで満里奈の手が頬から離れ、あぅ、とかわいらしい悲鳴を出していた。
「浴衣なんて持ってないよ」
「わたし二つあるから片方貸してあげるよ。うちのお母さん、着付けもできるから頼めばやってくれるし」
「でもわたし、夕方までしかいれないし、明日香のお母さんに迷惑じゃ……」
「一人着付けるのも二人着付けるのも同じだって」
明日香に押されてついわかったと言ってしまう。初めて浴衣を着られる喜び。迷惑にならないかという不安。そして人前で着替えたくないという気持ちが殺到して胸が苦しくなった。
今の時代、スマートフォンがあればいつで連絡を取り合い、遊ぶ約束ができる。しかしそれを持っていない流奈はしばらく友達と顔を合わせる機会が減るだろう。明日香は勉強、満里奈は部活、希美はバイトに明け暮れる日々。高校生活最後の夏休みが始まろうとしている。
*
蝉の声がやかましく鳴り響く平日の真昼。流奈は自宅のベッドでごろごろしていた。夏休みが始まってから数日がたった。他の三人とは違ってやることがない流奈はぼうっと天井のシミを眺めていた。そのシミは少しずつ大きくなり、いつの間にか天井を覆いつくしてしまう。それだけでは飽き足らず流奈の体までも茶色く覆いつくしていく。父以外の誰とも会わず家にこもっているとなんだか三人と出会う前に戻ってしまった気がした。
満里奈の部活でも見に行こうかな……
いつでも部活を見に来てかまわないと満里奈に言われていたことを思い出す。少し迷惑かと思いつつもいつもの黒のワンピースに着替え始めた。自分にこんな行動力があったんだと口角が少しだけ上がる。
この暑さの中、長袖で歩くのは自殺行為だ。熱中症で倒れて救急車で運ばれました、なんてことがあったら殺されてもおかしくない。流奈は出かける支度を済ませると、キッチンの戸棚からプラスチックのコップを取り出してカルキ臭い水道水を一気に飲み干した。
陽炎が揺らめくアスファルトの道のりを行くと、グラウンドでは野球部とサッカー部が声を張り上げて汗を流していた。その端のほうで陸上部が風を切っていた。ほどよく日焼けした満里奈は誰よりも真剣に、楽しそうに練習をしている。
「流奈! 見に来てくれたんだ!」
「うん、暇だったからさ。邪魔じゃない?」
「もちろん! もう少しで部活終わるんだよね。終わったら教室で勉強教えてよ」
人に勉強を教えるのは楽しい。それに、どうせ家に帰ってもやることがないので快く了承する。満里奈をまた間、グラウンドに数本だけ生えている木の下で練習を見学させてもらった。
グラウンドにいるのは満里奈以外みんな下級生。ここでは『変な噂のある女子生徒』ではなく『満里奈先輩の友達』でいられる。案外、居心地は悪くなかった。
「はぁ~、疲れた疲れた。流奈、何飲む?」
熱い空気のこもる廊下に設置された自販機がガコンと音を立ててオレンジジュースを落とす。満里奈は後ろにいる流奈に何を飲むか聞いてきた。
「あ……、わたしはいいよ」
「いいから、いいから。勉強教えてもらってるのにジュースの1本もおごらなかったら罰が当たるって。」
「じゃあ、同じやつを」
「はい、どうぞ」
満里奈が差し出したオレンジジュースを受け取る。ペットボトルの冷たさが汗ばんだ手のひらに染み渡る。ペットボトルを首に当てて火照った体温を下げようとしている満里奈と共に教室に向かった。
当たり前だが教室には誰もいない。誰もいない教室に真夏の日差しが降り注いでいる様はなんだか切なく感じた。
「ほんと教えるのうまいよね。先生とか向いてそう」
勉強を教えていると満里奈が突然そんなことを言ってくる。満里奈はこうして突然褒めてくるのだ。そんなことないよ、と消え入りそうな声で言って下を向く。
褒められることに耐性のない流奈は毎回こんな態度をとってしまう。一見、不愛想な態度かもしれない。それでもその頬は桃の花びらのようにピンクに染まっていることを満里奈はちゃんと知っていた。
遠くの空がほんのりオレンジに染まり始めるころまで勉強会は続く。『先生』その言葉が何度も心に染み渡りそうになって慌ててかき消した。自分は夢なんて持つだけ無駄なのだから。
「ちょっと希美のとこ寄って行こうよ」
学校を出ると満里奈が希美のバイト先に向かおうと言い出した。赤い自転車を押して歩く満里奈についていくと、すぐに青い外装のコンビニが見えた。軽快な音を立てる自動扉をくぐると、レジの向こうに希美が立っていた。制服でも私服でもない、半そでのストライプの制服を着た希美は立派な社会の一員に見えた。
「いらっしゃい」
「ほんとに働いてるんだ……」
「嘘かと思ってたの?」
くすくすと笑う希美の横には恰幅のいい男の人が立っている。制服の左の胸ポケットについた名札には店長という肩書とともに松坂、と書かれていた。
「同じ名前……」
「ん、ああ、私の叔父さんだよ。ここのコンビニの店長なんだ」
思わず口にでた疑問に希美が答える。
「初めまして。叔父の松坂義弘です。希美ちゃん、今日はもう上がっていいよ。せっかく友達が来たんだし、ほんとはダメだけどタイムカードもうまくやっておくから」
叔父だというその人は内緒だよ、と目じりを下げて笑う。こんなに優しそうに笑う大人の男の人もいるんだ。流奈は純粋にそう思った。
外で待っていると私服に着替えた希美が出てきた。
「お待たせ。お菓子買ってきたんだ。そこの公園でみんなで食べようよ」
片手に持ったコンビニの袋を少し上にあげて見せる。公園には五分も立たないうちについた。
「この公園、昔よくお兄ちゃんと遊んでさ。今もたまに来るんだよねぇ」
「もう高校生なのに公園遊び?」
突然後ろから声をかけられて飛び上がりそうになる。足を止めて振向くと後ろには明日香が立っていた。
「なんかどうせならって思って着替えてるときに連絡しちゃった」
えへへと頭をかく希美。四人で公園に入り、ベンチに座って希美が買ったお菓子を食べたり、ブランコに乗ったりして遊んだ。逆上がりができるか、という話になったときに満里奈が自慢げにぐるぐると回っていた。
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