天才・新井場縁の災難

陽芹孝介

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第三話 天才美人作家・小笠原桃子の災難

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  ……新井場邸……


  夏休みも後半にさしかかった。
  外は相変わらず暑い。
  夏の始めこそは、蝉の鳴き声で夏を体感し、夏休みに心を踊らされたが……夏休みも後半になり、その蝉の鳴き声も少々うっとおしい。
  新井場邸の朝はいつも通り、リビングのテーブルには朝食が並んでいた。
  トーストとコーヒーのセットが3人分……。
  ……3人分?……。
  縁は母親と二人暮らしだ。朝食が一人分多い……。そう……ただ一つだけ違う事があった。
  朝食の席に桃子がいたのだ。
  縁の母はニコニコしている。
  桃子はすました表情でコーヒーをすすっている。
  縁に至っては……疲れきった表情だ。


 ……昨晩…喫茶店風の声……
 

 「ストーカーっ!?」
  縁の大きな声は店内に響いた。
  桃子は淡々と言った。
 「ああ……ここ数日誰かに見られている」
  巧も驚いて言った。
 「マジか?……」
  縁は言った。
 「勘違いとかじゃないの?」
  桃子は不敵に笑って言った。
 「フッ……縁……私は有名な美人作家だぞ、熱烈な男性ファンがいてもおかしくないだろ……」
 「自分で言うな……」
  だが本人が言うように、桃子が有名な推理作家なのは確かだ。
  桃子は縁に言った。
 「実は4日後に、とあるイベントがあってな……それを邪魔されたら厄介だ」
 「イベント?」
 「百合根百貨店のイベントだ……」
  百合根百貨店とは百合根町の中心にある、大きな百貨店で町の住人はおろか、それ以外の町の人もやってくる程、有名な百貨店だ。
  桃子は縁に言った。
 「そう言う訳だ……ストーカーの特定を手伝って欲しい……」
 「まぁ……事情が事情だから手伝うけど…」
  縁がそう言うと、桃子の表情は明るくなった。
 「そうか……助かる。では、イベントまでの間は縁の家で世話になる……」
  縁は聞き直した。
 「うん?何だって?」
 「だから、世話になると言ったんだ」
 「世話になるのはいいんだけど……今『家で』って、言わなかった?」
 「そうだが……何か問題でも?」
  縁は立ち上がって激昂した。
 「大ありだろっ!何で俺ん家に来るんだっ!?」
  桃子は縁が怒っているのを、不思議そうに見て言った。
 「何でって、私の護衛もしてもらわないとな……それとも何か?縁は私が訳のわからんストーカーに何をされてもいいと?」
  縁は頭を抱えた。
 「かぁ~っ!マジか~っ!」
  巧はニヤニヤしながら縁の肩を、ポンと叩いた。
 「諦めろ……縁」
  縁は怨めしそうに巧に言った。
 「たっくん……面白がってるだろ……」
  桃子は淡々と言った。
 「じゃあ今晩からよろしくなっ……荷物もすでに準備して、車に積んである」
  縁は諦め口調で言った。
 「準備がよろしい事で……」


  ……再び新井場邸……


  縁の母はニコニコしながら言った。
 「桃ちゃんが来てくれて家族が増えたみたい……。ねぇ、縁……」
  母の問い掛けに無言な縁に代わり、桃子が言った。
 「お母様……私は家族だと思っています……」
  すかさず縁が突っ込んだ。
 「何を言ってる……」
  縁の母は桃子の言葉に感動した。
 「桃ちゃん……私、私……嬉しいわっ!ずっとここにいても、いいのよ……」
  縁は呟いた。
 「勘弁してくれ……」
  桃子と母が盛り上がっているのを見て縁は思った。
  さっさとストーカーを捕まえようと……。
  縁は桃子に言った。
 「で、桃子さん……今日の予定は?」
  母は桃子との会話を縁に邪魔をされて少し不機嫌になったが、桃子は縁に答えた。
 「今日は大学の文芸部に顔を出す」
 「大学に行くのか……」
 「部員達と次回作の執筆作業だ……」
  桃子は大学の文芸部の部長をしている。
  自身の作家活動の傍ら、部員達との共同作品も執筆している。
 「縁ももちろん一緒に行くぞ……」
 「わかってるよ……少し興味もあるから、文芸部に……」
  朝食を済ませた二人は、新井場邸を出て桃子の通う百合根女子大へ向かった。
  因みに百合根女子大学は地元でも有名なお嬢様大学だ。
  歩いて大学に向かう事になったが……外は相変わらず暑い。
  縁は言った。
 「車で行ったらよかったんじゃ……」
 「大学は車通学を禁止している」
 「そうなんだ……。でも、俺……女子大行くの初めてだわ」
 「私ほどの美人はそんなに居ないがな……」
 「だから……自分で言うなっての……」
  桃子は縁に言った。
 「だが、私ほどの美人はそうはいないが……あまり学生にうつつをぬかすなよ……」
 「何を言ってんだ?」
 「お前は私のストーカーを特定するのだから……」
 「でも、俺の家から大学通ってんのを、そいつに見られたら……俺も危ないんじゃないの?俺……腕っぷしは自信がないぜ」
  桃子は笑って言った。
 「ふんっ、昼行灯ひるあんどんめ……心配するな、お前は私が守ってやる」
  桃子は空手の有段者だ。
  これまでにも何度か事件の犯人を殴り飛ばしている。
  縁は言った。
 「頼もしいわ……」
  二人が歩いておよそ20分程経過した。
  縁にとってはこの暑い中20分も歩くのは拷問に近かった。
  すでに百合根町の住宅地からは外れていて、やがて前方に壁や木岐に覆われた、大きな敷地が見えてきた……百合根女子大だ。
  縁は言った。
 「外からは見た事あるけど……中は初めてだな……ちょっと緊張する」
  桃子は言った。
 「縁は男だからな……しかも年頃の……」
 「そうだぜ……俺って健全な高校生だぜ……」
 「夏休みだから、人はそんなに居ないぞ……」
 「俺はその方がいいよ……女だらけだったら、逆にどうしていいか、わからん……」
  桃子は縁が緊張している様子を見て、クスクス笑いながら大学の敷地内に入って行った。
  縁も緊張感が解れぬまま、桃子の後を追った。
  正門から敷地入りしばらく進むと、広い場所に出た。
  桃子の言うように夏休み期間なので人は少ない。
  ベンチに座っている者や、歩いてどこかに向かっている者……様々だが、もちろんの事、女子大なので女性ばかりだ。
  縁は桃子に言った。
 「心当たりないのかよ?ストーカーに……」
 「後を付けてられている気配はあるのだが……捕まえようにも距離があり、すぐに逃げられる……」
 「捕まえようとしたのか?」
 「当たり前だ……この私が黙っていると?」
  桃子の性格上おとなしく黙っている事はあり得ない。
 「確かに黙っているとも思わないし、逃がすとも思わない」
  桃子は困った表情で言った。
 「そうなんだ……追いかけようにも、いつも逃がしてしまう……だから困っているんだ……」
  縁は顎を撫でながら言った。
 「なるほど……桃子さんから逃げ切るなんて、たいしたもんだ。ところでイベントの内容って?」
 「この間、賞を獲った小説のサイン会だ」
 「あ~、何とか大賞の……」
 「日本推理小説大賞だ」
 「それの作品のサイン会を百合根百貨店でやるわけか……」
  桃子は立ち止まった。
  急に立ち止まった桃子に縁は言った。
 「どうしたんだ?」
 「後で見せようと思ったんだが……話の流れだと今がいいな……。少しあのベンチに座ろう……見せたい物がある」
 「見せたい物?」
  縁と桃子は近くのベンチに座った。
  なるべく日陰の多いベンチを選んだが、あまり効果的ではなく、ベンチには熱がこもっていた。
  桃子は縁に4つ折にされている紙切れを手渡した。
  桃子は言った。
 「開けてみろ……」
  縁は桃子に言われるまま、開いた。何か書いてある……手紙のようだ。
  縁は言った。
 「これは……」
  手紙の内容は『モモタンは俺だけの物だ!サイン会なんて許さないぞ!』と書いてある。
  縁は言った。
 「モモタンって……桃子さんの事?」
 「他に誰がいる?」
 「いやぁ……なんか気持ち悪いわ……」
  桃子は咳払いをして言った。
 「ゴホンッ!……私の呼び名はどうでもいい……好きに呼べばいいんだから……」
  縁は言った。
 「わかってるよ……手紙の内容だろ?」
 「そうだ……」
  縁は手紙をヒラヒラさせた。
 「ストーカーってのは屈折した愛情表現をするもんだ……。手紙の内容から察するに、独占欲が強い事は別に不思議じゃない……いつ頃届いた手紙?」
  桃子は言った。
 「一週間前だ……」
 「イベントの告知は、いつから?」
 「それは先月だ……」
 「なるほど……手紙はどこに送られてきたんだ?」
 「私が住んでいるマンションだ……」
  桃子はマンションで一人暮らしをしている。そこにこんな手紙が送られれば、確かに一人でいるのは物騒だ。
 「それで……何で初めにこの手紙を、俺に見せなかった?」
  桃子はしれっと答えた。
 「忘れていた……」
  縁は頭を抱えた。
 「はぁ~……まぁ、桃子さんらしいわ。で、他には?」
 「ファンレターはよく届くのだが……このような内容の物は、これが初めてだ」
 「この事を知っている人間は?」
 「手紙の事は縁しか知らない……つけられている事は……縁と、風の声のマスターしか知らない」
  縁は立ち上がった。
 「とりあえず文芸部に行こう……」
  桃子は言った。
 「部の連中に聞き込むつもりか?」
 「当たり前だろ……身近な人間に変わった様子はないかを、聞くのは基本だ」
  桃子は少し渋い表現をした。
 「私の情けないところを部の連中に知られるのか……」
 「そんな事言ってる場合じゃないだろ……それに別に情けなくないよ、相手が勝手にやってんだし」
  桃子は重い腰を上げた。
 「はぁ~……仕方ないか……」
  二人は文芸部の部室に到着した。
  構内の1階にある、一室で部室と言うよりは教室だ。
  部屋の真ん中に大きなテーブルと、部屋の角に大きなホワイトボードがある。
  部室に女性が3人いた……おそらく部員だろう。
  桃子に気付いた部員はそれぞれ桃子と挨拶を交わす。
  お互い呼び捨てで呼んでいるためか、部長と部員の関係性と言うよりも、仲の良い友達関係と言う方が合っている。
  桃子は皆に縁を紹介した。
 「今日は客人を連れてきた……新井場縁だ」
  ギャル風の部員が言った。
 「ちょっと!ちょーキレイな顔なんですけどぉ」
  おしとやかな感じの部員も言った。
 「可愛いー!美男子よっ!」
  桃子は部員に言った。
 「皆、静かに……。縁、自己紹介を……」
  桃子に促され、縁は慣れない自己紹介をした。
 「え~っと……新井場縁、17歳……です……」
  桃子は縁に言った。
 「何だその自己紹介は?」
 「慣れてないんだ……仕方ねぇだろ」
 「まぁいい……。皆っ、縁はこんなやつだが、よろしく頼む……では、各自作業に取り掛かろう……」
  桃子は縁に言った。
 「縁は好きに動け……」
  桃子はそう言うと自分の席に移動した。
  縁は呟いた。
 「好きにしろって……」
  縁は部屋を見渡した。
  大きなテーブルを、桃子を入れて4人が囲ってノートPCで作業をしているが、部員間の距離が結構ある。作業内容を覗かれたくないのだろう。 
 「一人づつ話を聞いてみるか……」
  縁はおしとやかな感じの部員の席に行った。
  縁は話しかけた。
 「あの~、すいません……少しいいですか?」
  おしとやかな部員は笑顔で答えた。
 「何~?どうしたの?……あっ名前言ってなかった……私、高尾理恵たかおりえよろしくっ!」
  縁は理恵に少し圧倒された。
 「はぁ……こちらこそ……」
 「で、何~?」
 「桃子さんの事なんだけど……」
 「桃子~?美人よね~!」
 「いや、そんな事より……彼女の回りで変わった様子は?」
  理恵は少し考えた。
 「う~ん……具体的には?」
 「誰かに付きまとわれているとか……」
 「桃子……ファン多いから……男性はもちろん女性ファンも多いのよねぇ……」
 「桃子さんって、そんなにファンが多いんだ……」
 「ええ~、縁君知らないの?桃子の助手なんでしょ?」
 「助手?……」
 「桃子が言ってたよ、私には有能な助手がいるって……縁君でしょ?」
  桃子は部内で縁の事を、自分の助手だと言っているようだ。
  縁は面倒なので、合わせる事にした。
 「はぁ……まぁそんなもんだけど……で、何か変わった事は?」
 「特にないわ……」
  理恵に話を聞いたのは無駄だったようだ。
  縁は続いて露出度の高い服を着たギャル風の部員の席に行った。
  ギャル風の部員は縁が席に来たので、テンションが上がった感じだ。
 「何、何~?どうしたの?」
  縁は少し疲れてきた。
  ただでさえ男がいない環境に、このテンション……縁が疲れる理由は揃っていた。
 「さっき理恵と何話していたの?あっ、私、秋本桜まじ……よろしくねっ!」
  見た目と名前がアンバランスだ。
  縁は理恵に話した内容を、桜に言った。
 「な~んだ……桃子の話か……」
  桜はつまらなさそうだ。
 「何か変わった事は?」
  桜はつまらなさそうに言った。
 「そうねぇ……人気あるから……あっ、違う大学の男子に凄いファンがいるよ」
 「凄いって?」
  桜は渋い表情で言った。
 「見た目もだけど……何度か大学の前まで来てた事があった……最近は見ないけど……」
 「なるほど……その男の特徴は?」
 「小柄で、眼鏡してた……桃子は軽くあしらっていたけど……」
  桜は気味が悪そうにしている。
 「あとは?」
  桜は何かに気付いたように言った。
 「あっ、そうそう……常に全身黒い服着てた……」
  縁は言った。
 「黒い小柄な男か……」
  すると桜は縁の手を握った。
 「ねぇ……縁君……午後は何か予定は?」
  縁は急に手を握られたので、少し戸惑った。
 「えっ?予定はって……」
  すると桜は何かに気付いて、手を離した。
  桜が縁の手を離した理由は簡単だった。桃子が桜を睨み付けていたのだ。
  桜の表情は、しまったと言った感じだ。縁も桃子の眼力に恐れを抱き、桜の席を離れた。
  縁は最後の一人、カジュアルな部員の席に向かった。
  カジュアルな部員は縁に気付いて言った。
 「新井場縁君……桃子さんから話しは聞いてるわ。私は宮脇咲みやわきさき……よろしく」
  先程の二人とは異なり、咲は落ち着いた感じの女性だった。
 「少し聞きたい事が……」
  咲は淡々と言った。
 「ストーカーの件ね……」
 「何か知っている事は?」
 「よくは知らないわ……でも、私も視線を感じる事はあるわ……」
  縁は言った。
 「桃子さんとよく行動を?」
 「そうよ……良き友人よ。よく小説の話をするわ、食事をしながら……もちろん桜も理恵と一緒にね」
 「そう言った時に視線を感じると?」
  咲は少し嫌悪感を示した。
 「気味が悪いわ……最近は特に……」
 「結構、深刻だな……」
  咲は真剣な表情で言った。
 「縁君……桃子さんは確かに強いけど、女性なの……。だから、一刻も早く犯人を……」
  縁は頷いた。
 「わかってます……それで、心当たりは?」
  咲は言った。
 「何度か大学の前で待っていた男がいたわ……小柄の……」
  桜の言っていた人物だ。
  黒い小柄な男……。
  桃子に付きまとっているのは、どうやらその男のようだ。
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