天才・新井場縁の災難

陽芹孝介

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第七話 ピエロは笑う

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  ……犯行予告30分前……


  華麗なる道化からの予告状に、指定されている午後10まで後30分となった。
  ビル5階の真っ白な部屋は緊張感に包まれていた。昨日と違って、部屋には長机と無線機が置かれている。木村が捜査員達に指示をするためだ。
  部屋の入口には捜査員が二人、窓際に一人いる。皆それぞれ緊張感のある表情をしている。
  するとその木村が、無線機のマイクに向かって、さっそく吠えた。
 「何ぃ!?連絡ミスで警備員の数が少ないだと!?」
  木村の大声に、部屋にいた人間の視線は木村に向かった。
  木村は気にせず怒鳴った。
 「屋上の警備を二人減らして、非常階段と、裏口を優先させろっ!」
  木村の怒鳴り声を聞いていた縁は、ビルの見取図を広げ、桃子に言った。
 「ビルに侵入するための入口は……表口、裏口、そして非常口の3つ……ビルの東側に6階建のオフィスビル、西側に10階建のマンション……」
  桃子が言った。
 「東西2つのビル側面に窓はないな……隣接しているからか……」
  縁が言った。
 「しかし表側と裏側……つまり北と南には各フロアに窓が付いている。まぁそれぞれに捜査員や警備員が張り付いているだろうけど……」
 「鼠一匹入れないか……そしてあの防弾ガラスのショウケース……」
  桃子は腕組みをして、難しそうな表情をしている。
 「桃子さん……それよりあれを見てみな……」
  そう言うと縁は、親指であるものを指した。
 桃子は頷いた。
 「ああ……広報の大島だな……彼女も来ていたのか……」
  ショウケースの側に、章造と雄一……少し離れたところに、明奈と牧島、そして大島がいた。
  明奈と牧島は何かを話しているようだった。
  すると明奈が牧島のシャツの襟元を見て言った。
 「ちょっと……牧島さん……シャツの襟元が汚れてるわ……」
  すると牧島は襟を引っ張って見てみた。
 「ほんとですね……ハンカチは……」
  牧島はポケットまさぐっている。
  すると明奈はクスクス笑って、自分の青いハンカチで、牧島の襟を拭った。
 「仕方ないわね……拭いてあげるわ……」
  牧島は申し訳なさそうに、頭を掻いている。明奈は襟元を拭い終わると、そのハンカチを牧島のスーツの左胸ポケットに入れた。
 「持っておきなさい……プレゼントよ」
  そう言うと明奈は、牧島に手を振って、章造達の元に行った。
  二人の様子を見ていた椿は、感慨深い表情で言った。
 「大人の男女って感じで、素敵ね……」
  すると大島が、縁達のところへやって来た。
 「小笠原先生っ!今朝はありがとうございましたっ!」
  大島はファンである桃子を前に、嬉しそうだ。
  桃子は言った。
 「今朝は忙しいなか、すまなかった」
 「そんなっ!気にしないで下さいっ!」
  大島は顔の前で、手をブンブン振っている。
  縁は大島に言った。
 「どうしてここに?」
 「マスコミ対策と、今後の事で、ここに呼ばれたんです……マスコミに知れたことで、宣伝効果も凄いですから……」
  椿は言った。
 「夜遅くまで、大変ねぇ……」
  大島は苦笑いをした。
 「仕方ないです……それなりのポジションで、仕事をさせてもらってますから……」
  すると大島は一礼をし「社長と打ち合わせがあるので」と、だけ言い残して、去って行った。
  すると今度は木村が縁達に言った。
 「小笠原先生っ!新井場君っ!来てくれっ!」
  木村が手招きをすると、それにつられるように、縁達は長机の方へと向かった。
  桃子が木村に言った。
 「どうした?警部殿……」
 「準備は整った……捜査員及び警備員は各配置にて待機している」
  木村の表情は真剣だった。それに圧倒され、椿は固唾を飲んだ。
  木村は言った。
 「今日もマスコミが大勢来ている……だからこそ奴にやられる訳にはいかない……」
  縁が木村に言った。
 「ショウケースの『マリーの泪』は本物か?」
  木村は頷いた。
 「本物だ……」
  縁は言った。
 「だとしたら、あの会長はよほどピエロが来る事を楽しみにしているな」
  桃子が縁に言った。
 「どういう事だ?」
 「盗られたくなかったら、普通は偽物と差し替えるか、何処かに隠したりするもんだ。しかしここにあるのは本物の『マリーの泪』だ」
  木村はげんなりした。
 「対決感覚で楽しんでるって事か……」
  縁は言った。
 「よほどあのショウケースに自信があるんだろ……」
  縁が章造の方に目線を写すと、章造は高笑いをしている。
  桃子が言った。
 「我々の出番はないかもな……」
  すると縁はニヤリとした。
 「そうでもないかも知れないぜ」
  桃子は目を丸くして言った。
 「どういう事だ?」
  縁は言った。
 「そろそろ予告の時間だ……」
  縁が言うように、部屋の壁時計は午後9時55分を指していた。
  木村は表情を険しくした。
 「皆さんっ!後5分で予告時間ですっ!動かないで下さいっ!」
  木村の声が部屋中に響き渡ると、部屋にいた人間は静まりかえった。
  章造が不敵な微笑を浮かべた。
 「道化が……来るなら来いっ!」
  時間は刻々と迫ってくる。……後1分……。
 10秒……9…8…7…6…5…4…3…2…1……。
  0になったと、同時だった。部屋が真っ暗になり、皆の視界を闇が襲う……当然この状況に部屋はざわついた。
 「キャーーッ!暗いわっ!何っ!?」
 「奴が……奴が来たんだっ!皆さん冷静にっ!」
  この声は恐らく木村だろう……しかし木村の呼び掛けも虚しく、部屋はさらにざわつきだす。
 「縁っ!こ、これはっ!?」
  恐らく桃子の声だ。
  縁も言った。
 「始まったんだよっ!ピエロのショーがっ!」
  部屋は物音や、人のざわつく声が入り交じっていて、混乱しているのが感じ取れる。
  すると、パリーンッと、ガラスの割れる音がした。
  誰かが言った。
 「ショウケースか!?」
 「いやっ……窓だっ!窓ガラスの割れた音だ!」
  部屋が混乱すること、凡そ5分……ようやく部屋に明かりが戻る。
  部屋は明るくなり、皆の表情は少しホッとしたように見えたが、それは一瞬であり、すぐに皆は自分の目を疑った。
  ショウケースの『マリーの泪』は当たり前のように、姿を消しており……さらには窓側で男性が血を流して倒れていたのだ。倒れていたのは、牧島だった。
 「キャーーッ牧島さんっ!」
  叫んだのは明奈だった。
  縁と桃子は、すぐさま倒れている牧島の元に駆け寄り、息を確認したが……。
  縁は首を横に振った。
 「ダメだ……死んでいる……」
  牧島は左胸を刃物で貫かれ、絶命していた。
  木村は頭を抱えた。
 「なんてこった……心臓を一突きだ」
  桃子は言った。
 「木村警部……本庁に連絡を……」
  縁は立ち上がった。
 「いや、警察には俺から連絡する……木村警部はすぐに、ビルから誰も出さないように指示をしてくれ……ピエロを逃がさないために……」
  するとショウケースの前で項垂れている者がいた……章造だった。
  章造に先程の余裕は微塵もなく、憔悴していた。
 「己れっ……『マリーの泪』だけでは飽き足らず……牧島までも……」
  雄一が恐ろしげな表情で言った。
 「ピエロが牧島さんを手にかけて、『マリーの泪』を盗んだんですか?」
  すると明奈は表情をしかめて言った。
 「そうに決まってるわっ!お父様の『全てを戴く』とはこの事だったのよっ!」
  有村に連絡を入れた縁は、部屋を見渡して言った。
 「もうすぐ捜査一課がここに来る……それまでは皆動かないで……」
  桃子が言った。
 「しかし何故、ピエロは殺人まで……」
  すると木村が無線機を叩きながら言った。
 「くそっ!無線を切られているっ!」
  木村はすぐさま携帯を取り出し、何処かに連絡をした。おそらく指示を出しているのだろう。
  縁は呟いた。
 「指示が後手になってる……まずいな……」
  縁は木村に言った。
 「警部っ!非常口と裏口を優先的にっ!表はマスコミがいるので、逃亡するには適していない……さっきの停電でエレベーターはおそらくダメだ。逃げるなら非常階段を使うはずだっ!」
  木村は縁の声に頷いて、携帯で指示を飛ばした。
  縁と木村のやり取りを見ていた章造が言った。
 「しかし……きゃつはどうやって侵入し、あのガラス箱を解除したんじゃ?」
  力なくそう言う章造の目線の先には、空になったショウケースが虚しく光に反射していた。
  縁は言った。
 「侵入なんてしてないよ……最初からいたんだ、このビルに」
  章造は目を丸くして言った。
 「何じゃと!?」
  縁は言った。
 「各出入口は厳重に封さされている……外からの侵入は不可能……だとすれば、最初からいたとしか考えられない……」
  縁は窓に向かった。部屋に一ヶ所だけある窓は割れていた。暗闇で聞こえた、ガラスの割れる音は、この窓だったようだ。
  縁は割れた窓を開けて、顔を外に出して下を覗いた。
 「玄関屋根に何か落ちているな……」
  縁は木村を見たが、木村は対応に追われて縁どころではなさそうだ。
  縁は無線機の辺りを物色し始めた。すると無線機のそばに小型の双眼鏡を発見した。
  縁はそれを拝借し、先程の窓に向かった。
  その様子を見て椿が言った。
 「双眼鏡……なんでそんな所に?」
  縁は窓から顔を出して、双眼鏡を覗きながら言った。
 「ピエロはどこから来るかわからないからね……遠くの様子を確認するために、双眼鏡は必需品さ……」
  縁は双眼鏡を使って、玄関屋根の上を見ている。
 「おっ?あれかな……桃子さん見てみて……」
  そう言うと縁は桃子に双眼鏡を手渡した。
  桃子は縁と同じように、窓から顔を出して双眼鏡を覗いた。
 「あれは……包丁……血痕のようなものが付いている……」
  桃子の言うように、屋根には血の付いた包丁が落ちていた。
  縁は言った。
 「牧島さんを刺した後に、捨てたんだ……。ガラスが割れたのはその時さ……」
 「ピエロがやったのか?」
  声を掛けてきたのは、指示を終えた木村だった。
  縁が言った。
 「状況は?」 
  木村は頭を掻きながら言った。
 「今のところ、誰も外には出ていないようだが……停電の間はわからん。ビル全体が停電していたようだからな」
  縁は言った。
 「停電していたのは約5分間……その間に『マリーの泪』を奪って、このビルから脱出するのは不可能だ……」
  桃子が言った。
 「人一人殺害までしているからな……」
  縁は考え込んだようすで、牧島の遺体をもう一度見てみた。
 「うん?あれは……」
  桃子が縁に言った。
 「どうした?」
  縁はニヤリとした。
 「フッ……なるほどね……」
  縁は再度無線機を調べた。すると無線機はすでに復旧しており、使える状態に戻っていた。しかし縁が調べていたのは、そこではなく、無線機の側面を丹念に観察している。
  すると何かを見つけようだ。
 「あった……盗聴機……」
  その言葉に木村は反応した。
 「盗聴機だと!?すぐに外さねば……」
  すると縁は木村を制した。
 「木村警部……外さないでっ……」
 「なんだと!?何故だ?」
  縁はニヤリとした。
 「ピースは揃った……」
  桃子は目を丸くして言った。
 「縁……では謎が……」
  縁は桃子に言った。
 「桃子さん……久しぶりにあれをやろう……」
  縁は巧に借りたハンドバックから、ある物を取り出して、桃子に渡した。


  ……ビル屋上……


  警備員は自分の持ち場で、夜空に浮かぶ月を眺めていた。
 「きれいな月だな……」
  すると警備員はポケットからスマホを取り出して、操作しだした。
  すると屋上の非常口から声がした。
 「仲間に連絡をとって、回収してもらうのかい?」
  警備員は反射的に声の方を見た。
 「君は?……確か、刑事さんと一緒にいた……」
  非常口の出入口には、縁が立っていた。縁の耳にはイヤホンがついており、口元にはマイクが付いている。
  縁はニヤリとした。
 「ピエロがまだ、このビルにいると判明した以上……警備はもちろん下の階に集中する……だとしたら、ピエロは警備の薄い屋上に逃げるはず……」
  警備員は目を丸くして言った。
 「何を言っているんだい?」
  縁は続けた。
 「屋上に着いたら、仲間に連絡を入れて、隣の6階建てのビルの屋上から、ロープをたらし、それを使いビル外に逃走し、仕事は完了……だよな?『華麗なる道化』」
  警備員は丸くしていた目を元に戻し、不敵な微笑みを浮かべた。
 「これは驚いた……木村警部でも、小笠原桃子でもなく、君みたいな少年が俺にたどり着くとは……」
  縁は懐からある物を取り出し、警備員に突きつけた。
 「ピエロだと認めるんだな?」
  警備員は動じずに言った。
 「そんなものを突きつけて、どうする気だ?」
  縁は言った。
 「安心しな……麻酔銃だ……」
 「君は……見た感じ、高校生かな?高校生にそんな物が使えるのかな?俺にハッタリは通じないぜ……」
  縁はニヤリとした。
 「ご心配なく……お前にハッタリが通じるとも思わないし、それに……射撃訓練はガキの頃から、嫌になるくらいこなしてきた」
  すると警備員は表情を変えた。
 「お前……ただのガキじゃねぇな……少年探偵か何かか?」
  縁不敵に笑った。
 「フッ……新井場縁……ただの高校生だよ……」
  すると警備員も不敵な微笑みを浮かべて、着ている制服を剥ぎ取った。
  するとそこに、一瞬で現れた。
  それは漆黒のタキシードに身を包み、真っ赤な髪の毛に、白く尖ったアイマスク……。髪の色はピエロのそれだが、その佇まいは怪盗と呼ぶに相応しい……。
  縁は目を丸くして言った。
 「お前が……ピエロ……『華麗なる道化』……」
  ピエロは右腕を下に振り、縁に一礼をした。
 「初めまして……私が華麗なる道化です」
  縁は舌打ちをした。
 「チッ……格好つけやがって……」
  ピエロは口角を上げた。
 「さて……自己紹介も済んだことだし……退散しますか……」
  縁は言った。
 「待ちな……あんたこのままじゃ……殺人犯だぜ……」
  ピエロは黙って縁を見つめている。
  縁は言った。。
 「少し……俺の話を聞いてきなよ……退屈させないぜ……」
  ピエロは上げていた口角を下げた。


  ……事件現場……


  縁とピエロが対峙している頃、桃子は部屋の人間を集めた。
 「この部屋にいる者に、聞いてもらいたい事があるっ!」
  雄一が恐る恐る言った。
 「な、何をです?」
  桃子は言った。
 「牧島氏を殺害した、犯人についてだ!」
  その言葉に部屋中ざわついた。
  章造が言った。
 「道化が犯人ではないのか!?」
  木村が言った。
 「では『マリーの泪』を奪ったのも……」
  桃子は首を横に振った。
 「『マリーの泪』を奪ったのは、間違いなくピエロだ……。しかし牧島氏を殺害したのはピエロではない……」
  部屋中がさらにぞわつくと、桃子は小声で呟いた。
 「縁……こっちは準備OKだ……」
  桃子の耳にはイヤホンが付いていた。
  一方桃子の小声をイヤホンで聞いた縁は、ピエロに言った。
 「ピエロ……今回はお前が出した予告状は1通だけ……つまり最初の予告状を出したのは、お前じゃない……」 
  ピエロはニヤリとした。
 「ご名答……俺が出したのは2通目の予告状……つまり、1通目は偽物だ」
  縁は言った。
 「そう……つまり1通目の予告状を出した人物が、牧島さんを殺害した犯人だ……」
  縁は続けた。
 「犯人は偽の予告状を出して、ピエロが犯行を失敗したように見せかける……すると本物のピエロが必ず予告状を出して来ると、予測していたんだ」
  ピエロは言った。
 「まんまと、乗っかったんだけどな……」
  縁は言った。
 「まんまとピエロを誘き出す事に成功し……犯人はピエロの犯行時間に合わせて、闇に紛れて牧島さんを殺害した。明かりが灯った頃には、『マリーの泪』を奪って部屋から消えたピエロが犯人ってわけさ……」
  一方の桃子はイヤホンから聞こえる、縁の推理を頼りに、桃子もそれなりに推理をこなしていた。
  桃子の推理を聞き入る部屋の人間の反応は、「さすが小笠原桃子」といったところで、桃子は快感を覚えていた。
 「この感覚……久しぶりだ~……初めて縁と会った頃を思い出す……」
  皆に聞こえないように桃子が呟くと、章造が言った。
 「見事だ。しかし、あの闇のなかで、牧島をピンポイントに、しかも心臓一突きで殺害するなど……不可能じゃろ?」
  章造の言葉をイヤホン越しに聞いた屋上にいる縁は、ピエロに向かって言った。
 「確かにあの闇のなかで、ピンポイントに牧島さんの心臓を突き刺すのは不可能だ……しかし、ある物を使えば、それは簡単にできてしまう」
  するといつの間にか、縁の推理を聞き入っていたピエロは、縁に聞いた。
 「ある物を?……」
  縁は言った。
 「ハンカチさ……」
  アイマスクでその表情は確認できないが、ピエロがキョトンとしているのは、感じ取れる。
 「ハンカチ?」
  ピエロの疑問に、縁は答えた。
 「蛍光塗料の付いたハンカチを、胸ポケットにぶら下げておけば……ピンポイントで心臓を貫く事ができる」
  ピエロは口角を上げた。
 「ほぉ……では、俺を犯人に下手上げたのは……」
  縁は言った。
 「西岡明奈……彼女が牧島を殺害した犯人だっ!」
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