天才・新井場縁の災難

陽芹孝介

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第十三話 山へ行こう

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  快晴と自然が広がる美しい川辺に、ただ一ヶ所だけ不釣り合いなものがあった。
  達也の発見した倒れている男性は、ピクリとも動かない。
  瑠璃や美香は目を背けその場にしゃがみこみ、言葉にならないといった表情でお互いを抱えあっている。
  表情を歪めた桃子は言った。
 「とにかく救急車を……」
  そう言った桃子に縁は首を横に振った。
 「いや……警察だ。目が開ききって、肌も青白い……」
  そう言うと縁は、倒れている男性に近づいて行った。
  縁は男性の首筋に触れて、脈を確認した。予想通り脈は止まっており、男性が死んでいる事を再確認した。
  すると縁達に遅れてやって来た、矢那崎は縁に言った。
 「どうしてこんな場所に、男の死体が転がっている?」
  矢那崎も顔色が悪い……先程までの刺々しさも、なりを潜めている。
  縁は辺りを見渡した。男性が倒れている場所から川の反対側には、3m程の崖があり、ガードレールも見当たらない。
  着ている作業着のような物もズタボロで、右腕と左足が不自然な方向で曲がっている……おそらく骨折だろう。
  縁は立ち上がった。
 「状況的に……崖から落ちたみたいだ……」
  縁は男性の遺体の周りを見渡した。草むらに囲まれ、小さな虫が飛び回っている。
  すると遺体の位置から崖の方に何かが落ちている。
 「あれは……財布か?」
  縁はそれをバーベキュー用に持っていた軍手を、手に着けて拾った。
  財布は男物二つ折り財布で、おそらく男性の者だろう。
  縁が中身を確認すると、一万円札1枚と、千円札が数枚……さらにガソリンスタンドのカードに、免許証が入っていた。
 「片山……圭佑けいすけ……年齢は、38歳か。住まいは百合根町だな……」
  免許証の顔写真も遺体の顔と一致している。
 「男性の身元もわかったし……あとは警察待ちか……」
  そう呟く縁に桃子が話しかけた。
 「後数分で警察が到着するそうだ」
 「そう……ありがとう」
  桃子は不快な表情で、遺体を眺めながら縁に言った。
 「事故か?」
 「どうだろうね……。でも事故として、こんなところに一人で来るか?」
 「考えにくいな……。しかしまたもや事件が起こるとは……私の宿命か……」
  縁は呆れた様子で言った。
 「勝手に事件にすんなよ……うん?」
  縁は片山の遺体に異変を感じた。
 「何か握ってる……」
  片山の右手は何か握っているようで、拳を握りしめていた。
  縁は片山の右手を開こうとしたが……。
 「死後硬直で拳が開かないな……何をつかんでんだ?」
 「拳を握ってるだけじゃないのか?」
  そう言った桃子に、縁は首を横に振った。
 「崖から転落した時に、反射的に何かを掴んだのなら……手に傷なりがついてるだろ?……でも握ってる右手にも、開いてる左手にも、それらしき傷が……!?……そうかっ!」
  桃子は目を丸くした。
 「どうした縁?何かわかったか?」
  縁は再び立ち上がった。
 「他殺の可能性が濃くなったよ……」
  すると縁達の耳にパトカーのサイレンが聞こえてきた。どうやら警察が到着するようだ。
  パトカーのサイレンに反応した縁は、桃子に尋ねた。
 「桃子さん……110番したのか?」
  桃子は首を横に振った。
 「いや……有村警視殿に電話した。その方が話が早いからな……」
  縁は苦笑いした。
 「はは……って事は……」
  やがてパトカーは現場真上の道路に路駐した。パトカーが2台と黒のワンボックス車……計3台の車両がガードレール沿いに駐車し、先頭のパトカーから刑事が一人降りてきた。
  縁はその刑事を確認すると、再び苦笑いした。
 「やっぱり……今野刑事だ……」
  今野は縁と桃子を確認すると、げんなりした表情で頭を抱えた。
  その様子に桃子は怪訝な表情をした。
 「どうしたのだ?今野刑事は?」
  縁は呆れた様子で言った。
 「俺達に気づいたからだろ?」
  やがて今野を先頭にした警察は、川辺まで降りてきて現場検証の準備に取り掛かった。
  今野の他に刑事が二人と、制服警官……鑑識のチームもいる。
  警官達と鑑識に指示を送ると、今野は縁と桃子の元へ来た。
 「困りますよぉ……小笠原さん……。所轄飛ばして、直接有村警視に連絡されちゃぁ……」
  今野の表情は困り果てた様子だった。
  桃子は少し今野を睨んだ。
 「うん?何故だ?」
  今野は頭を抱えた。
 「何故って……物事には順序があるんですから……。見て下さいよっ、あの冷たい視線を……」
  今野に促され、現場検証の準備を見てみると、確かに刑事二人が今野に対して冷ややかな視線を送っていた。
  縁が言った。
 「今野さん……嫌われてんの?」
  今野はため息混じりで言った。
 「はぁ~……僕も所轄から本庁に上がったばかりだから……」
  縁は呆れた様子で言った。
 「何だよ……やっかみか……」
 「僕のような本庁に上がりたての刑事に、あれこれ言われるのは……気分の良いもんじゃないだろ?しかも所轄すっ飛ばしてるし……」
  桃子も呆れた様子で言った。
 「面倒な組織だな……。私は迅速に対応したつもりだが……」
  今野は二人に言った。
 「とにかく今後このような事故か事件か微妙な時は、先に110番っ!いいねっ?」
  縁と桃子は一応了解したが……さほど気にした様子が無かったため、今野は肩を落とした。
 「はぁ~……頼むよぉ、ほんとに……」
  縁はげんなりした今野に言った。
 「今野さん……あんまり考えない方がいいよ」
  縁の励ましに、今野は苦笑いした。
 「こればっかりは性格の問題だよ……。まぁそれはともかく……状況確認したいんだけど……。それにしても君達は次から次と……こういう現場に縁があるなぁ。どっかのアニメじゃないんだから……」
  今野の嫌味に、何故か桃子が胸を張った。
 「それは、現場が私を読んでいるのだ」
 「えっと……状況確認だね……」
  縁が桃子を無視して、今野に状況を説明しようとした時だった。
 「それは僕がしますよ……」
  意気揚々と現れたのは、さきほどまで初めて見る遺体に、戸惑っていた矢那崎だった。矢那崎の表情はすっかり元に戻っている。
  今野は怪訝な表情で矢那崎に言った。
 「えっと……君は?」
 「失礼……僕は矢那崎と言います。この会で一番の年長者で企画した者です」
 「会……って?」
  矢那崎は何故か不敵な笑みを浮かべた。
 「簡単な親睦会ですよ。皆でバーベキューを、この川原でしていたんですよ」
  すると縁が補足した。
 「俺達はたまたま桃子さんのグループと会っただけ……」
  縁が話始めると、矢那崎は縁を睨んだ。
 「君は引っ込んでいてくれ……。ここは子供の出る幕ではない」
  矢那崎は今野に言った。
 「状況説明は僕と桃子さんから聞けばいいでしょ?」
 「まぁ……確かに……」
  今野は矢那崎に少し呆気にとられている。
  すると桃子は少しムッとした表情で、矢那崎に言った。
 「勝手に話を進めるな……」
 「効率良く進めるための進言ですよ……」
  すると縁が桃子に言った。
 「いいよ桃子さん……。二人で状況説明をしておいてくれ」
 「しかし縁……」
  縁はニコリとして桃子に言った。
 「俺はその間に現場を見ておくから……」
  縁の言葉に、矢那崎が今野に文句をつけた。
 「いいんですか?刑事さん……あんな子供に現場を見せて」
  今野は苦笑いした。
 「ああ……彼はいいんだよ。警視殿からも好きにさせてと、言われているから」
  矢那崎は怪訝な表情をした。
 「警視殿?……いやだなぁ刑事さんまで冗談を……」
  矢那崎の様子を見て、今野は桃子に耳打ちをした。
 「何なんですか?彼は?」
  桃子はヤレヤレといった感じで、今野に言った。
 「人の話を聞かない、面倒な男だ」
  状況説明を桃子に任せた縁は、現場を再確認するために、鑑識が現場検証を行っている場所に向かった。
  黄色いテープで簡易的にバリケードで囲まれた現場の中央に遺体が……そしてその周りを鑑識が囲っており、刑事二人がそれを眺めている。
  縁がバリケードに近付くと、バリケードを見張っている制服警官が縁に言った。
 「新井場……縁君だね?今野の刑事から聞いているよ」
  どうやら今野が縁の事を、予め話していたようだ。
 「くれぐれも鑑識の邪魔にならないように……」
  警官は縁にそう言うと、すんなりとバリケードを上げて、通してくれた。
  その様子を遠目から見ていた、達也と美香……そして瑠璃は唖然としていた。
 「縁……あの中に入っていったぞ……」
  目を丸くした達也に、瑠璃が言った。
 「話には聞いていたけど……間近で見ると何か緊張するね」
  縁は刑事二人と何か話している。
  その様子に美香が言った。
 「あの綺麗な顔に……あの立ち振舞い……。反則だわ……」
  すると達也が美香に突っかかった。
 「美香……お前まさか……縁に……」
  美香は呆れた様子で言った。
 「バカ言わないのっ!確かに格好いいけど……住む世界が違う感じ……。瑠璃も大変ねぇ……」
  美香の言葉に達也はキョトンとし、瑠璃は焦った様子で言った。
 「ちょっ、ちょっと美香ちゃん……」
  否定的な態度の瑠璃だったが……瑠璃は縁に対して思うところがあった。
  先程の美香との会話のせいか、自然と縁の行動を目で追ってしまう自分がいることに、心がモヤモヤした感じだったのだ。
  縁が非凡である事は知っている……縁の学校の成績から始まり……夏の祖父の件……。
  あの時から知らぬ間に縁に惹かれていたのかも知れない。
  人が死んだ場所にいて、不安そうな達也と美香とは違い、瑠璃は縁の事をただ真っ直ぐに観察していた。
   瑠璃が複雑な気持ちなのも知らずに、縁は二人の刑事と話をしていた。
  一人は年配の刑事で、もう一人は若い刑事だった。
  年配の刑事は山本刑事、若い刑事は寺田刑事というらしい。
  この二人のコンビを見ていると、京都での事件を思い出す。
 「死因は何だったんですか?」
 「死因はおそらく、崖からの転落によって、頭を強く強打した事による……脳挫傷かなぁ……」
  縁の問に、寺田がすんなりと答えた。この二人も有村と今野から、縁の話を聞いていたのだろう。桃子が有村に直接連絡したのは、正しい判断だったようだ。
  しかし縁難しい表情で呟いた。
 「脳挫傷……」
  山本が縁に言った。
 「気になることでも?」
 「いや……それより、刑事さん達の見解は?事故?」
  寺田が言った。
 「まだ何とも言えないなぁ……状況的には事故か……自殺かなぁ……」
  すると縁が言った。
 「だとしても……事故は考えにくいね……」
  二人の刑事は目を丸くした。
  縁は続けた。
 「さっき遺体を見たけど……片方の手拳を握りしめた状態で、もう片方は開いていた」
  寺田は怪訝な表情で言った。
 「それがどうたんだい?」
 「握ってる手も、開いてる手も……どっちも綺麗だったんだよ」
  山本はハッとした表情をした。
  縁は山本の反応に、満足げな表情で言った。
 「そう……事故だとしたら、落下した時に、反射的に何かを掴もうとするでしょ?……でもその痕跡は両手とも無かった」
  寺田は険しい表情で言った。
 「って事は……自殺……」
  縁は口角を上げた。
 「あと……誰かに突き落とされたか……」
  山本は目を見開いた。
 「他殺って……言いたいのかっ?」
 「断定は出来ないよ……。まぁ、あの強く握りしめた右手の中身が……手掛かりになりそうだけどね」
  そう言って不敵に笑う縁を、二人の刑事は呆気にとられて見ていた。
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