天才・新井場縁の災難

陽芹孝介

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第十三話 山へ行こう

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    ……百合根科学研究所……


  百合根桜木公園の側にある小さな山の山頂に位置する、百合根科学研究所……。
  グレーのコンクリートで造られたその箱形施設は、外観の色合いのせいもあってか、何処か冷たさを感じる。
  緑豊かな木々に囲まれた事も相まって、不気味さも増している。
  施設から桜木公園までシャトルバスが出ているため、通勤にもそこまで不便では無さそうだ。
 日曜日という事もあってか、辺りは静まりかえっており、人の気配はない。
  専用の駐車場にワゴン車を駐車した一行は、その不気味な箱形施設の前で待機している。
 「被害者はここの清掃員だったんだ」
  今野の言葉に、さっそく縁が食い付いた。
 「清掃員?……じゃあここでの勤務を終えて、あそこで遺体となって発見されたってわけか?」
 「そういう事だね……この施設は土日祝はやってない……被害者は金曜の勤務を終えて、桜木公園のバス停付近の川で、遺体となって発見されたんだ」
  縁は納得した様子で言った。
 「なるほど……。だから真っ先にここに来たんだ」
  桃子が言った。
 「被害者はここで殺害され……あの川に遺棄されたわけだな」
  物騒な事を言う桃子に対して、矢那崎が言った。
 「小笠原さん……決めつけは禁物ですよ。まぁ有名作家である貴女からすれば、この状況は興奮を促すかもしれませんが……」
 「私はその可能性もあると、言っているだけだ。まぁ、しかし貴様の言う通り、この状況は少し興奮するかもな」
  縁は呆れた様子で呟いた。
 「何を言ってんだ……」
  今野は皆に言った。
 「そろそろいいかな?……中に入るよ」
  瑠璃が言った。
 「誰かいるのですか?」
  すると矢那崎がすました表情で言った。
 「当然だろ?……ここの関係者が亡くなったんだ……前もって刑事さんがアポイントを取ってるに決まっているだろ?」
  矢那崎の瑠璃を小バカにした様子に、瑠璃はあたふたした。
 「すっ、すみません……」
  すると今野が言った。
 「まぁまぁ……。とにかく矢那崎君は刑事で僕の部下……。縁君と雨家さんは、小笠原さんの助手って事で」
  今野の案に矢那崎は鼻を膨らませた。
 「僕が刑事……貴方の部下という点は、いささか納得いきませんが、いい響きです」
  今野と桃子はシラケた表情で矢那崎を見ている。
  縁は両手を頭の後ろで組んだ。
 「俺らはいつも通りね……」
  皆の役回りを決めると、今野は意を決した表情で、敷地内に入り、箱形施設の端にある白い扉に向かった。
  他の者は今野の後を歩き、今野の行動を見守っている。
  今野は緊張感のある面持ちで、扉についているインターフォンを押した。
  押したのは良いが、音もなく手応えもないのか、今野は首を傾げている。おそらく外に音が聞こえない仕様に鳴っているのだろう。
  インターフォンのスピーカーから、特に中から返事は無かったため、しばらくその場で待つことにした。
  改めて施設を眺めてみると、相変わらず愛想のない建物だった。見ているだけ寒くなりそうなコンクリートに、四角いシンプルな外観はそれをさらに際立たせる。
  木や草に囲まれたこの場所では、それは明らかに浮いていた。  
  そうこうしているうちに、白い扉が開いて、一人の男性が現れた。
  男性は若そうだったが……白衣を身に纏い、手入れをしていなさそうな、ボサボサ頭で、顔には無精髭が目立っていた。
  男性は面倒くさそうな表情で、今野の言った。
 「う~ん……警察の方?」
  今野のから研究所には連絡が行っていたはずだが……男性が怪訝な表情をするのは無理もない。
  今野の背後には、とうてい警察とは思えない人間が数人いるのだから、仕方がない事だ。
  今野は男性の視線に、真意を察したのか、バツの悪そうな表情をした。
 「警視庁の今野です……」
  今野は軽く挨拶すると、縁達の説明をした。
  説明を聞いた男性は、更に面倒くさそうな表情をした。
 「はぁ……有名推理作家さんと、その助手ですか……。偶然現場に居合わせたにしても……御苦労な事で……」
  桃子はすました表情で男性に言った。
 「すぐに首を突っ込みたくなる性分でな……。現場に居合わせたとなれば……尚更だ」
 「そうですか……あっ、僕は大崎と言います。この研究所の研究員です……作家先生がお気に召すような物はありませんが……中にどうぞ」
  大崎はそう言うと、皆を研究所の中に招き入れた。
  大崎に案内され施設内に入った一行は、揃って表情をしかめた。
  外観とは違い中は真っ白で、通路や壁などは白で統一されていた。
  通路の証明が壁に反射し、皆の視界に襲いかかった。
  大崎はそれに慣れているのか、皆の表情を特に意に介さず、通路の奥へとスタスタと進んで行った。
  やがて通路の奥に突き当たると、そこには扉があり、大崎はそれをノックしてゆっくりと開けた。
  扉を開けた大崎は、その部屋の奥にいた一人の男性に言った。
 「所長……警察の方をお連れしました」
  正方形の白い部屋は会議室だろうか、楕円形の丸い大きなテーブルを、椅子が囲っており、至ってシンプルな部屋だった。
  そしてそこで縁達を待ち構えていた男性は、白衣姿の中年男性で、恰幅の良い体型だ。
  所長と呼ばれる男性を前に、今野の表情は緊張感に溢れた。
 「すみません原所長……お休みの日に……」
  原と呼ばれる男性は、今野にニコリと笑顔を向けた。
 「町民として当然の義務ですよ……刑事さん」
 「そう言って頂けると幸いです……」
  すると原は縁達に視線を向けた。
 「この方達は?」
  今野は縁達の事を説明した。
 「ほぉ……新米刑事さんと、あの有名作家の小笠原先生に……その助手の方ですか……」
  今野は申し訳なさそうに原に言った。
 「すみません……こんな大人数で押し掛けて」
 「別に構いませんが……作家の先生がお気に召すような物はありませんよ……」
  すると桃子はすました感じで言った。
 「遺体を発見したのが我々だからな……理由はそれだけだ。気にしなくていい……」
  桃子の話し方に原と大崎は目を丸くした。
  桃子はそんな二人の怪訝な表情を気にせず、話を続けた。
 「ところで所長殿……この施設はなんの研究所なのだ?こんな山奥にポツリと……こんな所で一体何ができる?」
  桃子の疑問に、原はにこやかに答えた。
 「私はこの町の出身でしてね……この百合根町の自然を愛しています。そんな美しい山や川を守るための水質調査をこの研究所で行っているのですよ」
  すると今野が原の話を捕捉した。
 「原所長は資産家で、自分の資産でこの研究所を設立したんだよ」
  矢那崎が言った。
 「資産を投げうってボランティア……。素晴らしいではないですか」
 「いえいえ……地元を愛する者からすれば、当然の行いですよ」
  本心なのかそうではないのか、原はにこやかに謙遜している。
  すると桃子が言った。
 「とにかく人が一人死んでいるのだ。中を調べさせてもらうぞ」
  原はにこやかに答えた。
 「もちろんです。納得のいくまで調査して下さい。事件の手懸かりになれば良いのですが……」
  所長の原と、顔合わせが終わったところで、一行は大崎により、待合室へと案内された。
  一行が所長室を後にすると、原のにこやかな表情は一変し、険しい表情になった。
 「まさか警察が入るとは……。あの男……まさか……」
  大崎は一行を案内すると、そそくさと待合室を出て行った。施設は自由に調査してもいいようで、調査が終わり次第、大崎か所長の原に報告してくれとの事だった。
  今野は部屋に入るなり携帯に着信が入り、そそくさと部屋の外に出ていった。
  残された四人はそれぞれ部屋を一望し、辺りを観察している。
  正方形の部屋には長テーブルが数台に、小さなキッチンと、部屋の角に大型テレビがあり、おそらく所員の休憩室にも使われているのだろう。
  部屋の窓からは山の景色が一望でき、都内とは思えない程の緑に囲まれている。
  縁は顎を撫でながら何かを思考し、桃子は長テーブルに備え付けてある、パイプ椅子にドカッと座った。
  そんな二人の様子を瑠璃は、不安そうな面持ちで見つめ、矢那崎は窓辺に手をかけて外を眺めている。
  すると桃子が縁に言った。
 「どうだった?あの所長は事件に関わっていそうか?」
 「さぁね……まだ何とも言えないよ。まぁ人は良さそうだったけど」
 「水質調査を行っていると言っていたが……研究室があるのだろうか?」
 「そこそこの建物だからね……研究室はあるだろうね」
  すると二人の会話に矢那崎が入ってきた。
 「素晴らしいじゃないか……百合根町のための慈善事業とは、僕も協力したい程だよ。所長の人柄も良さそうだからね」
  桃子は少し矢那崎を睨んだ。
 「水質調査=慈善事業とは限らんぞ」
 「だからと言って事件とこの施設が関係しているとも言えませんよ」
  矢那崎は例え相手が桃子であっても、自分の考えを曲げる事は無いようだ。
  すると電話を終えた今野が、部屋に戻ってきた。
  部屋に戻ってきた今野の表情は強ばっており、縁はそれに真っ先に反応した。
 「どうしたの?今野さん……何かあった?」
  今野は険しい表情で皆に言った。
 「先程の所轄から連絡があって……」
  険しい表情の今野に、桃子は怪訝な表情をした。
 「どうしたのだ?今野刑事……表情から察するに、ただ事ではなさそうだが……」
 「実は被害者の部屋から、少々厄介な物が発見されまして」
  今度は矢那崎が怪訝な表情をした。
 「厄介な……物?」
 「ドラッグが発見されてね……」
  縁は険しい表情をした。
 「ドラッグ?……大麻か何かか?」
 「いやそれが……『スクランブル・スピリット』……覚醒麻薬なんだ」
 『スクランブル・スピリット』……その名に聞き覚えがないのか、瑠璃は勿論の事、桃子と矢那崎も目を丸くしている。
  しかしそんな三人の反応とは対照的に、縁の表情は違った。
 「スクランブル・スピリット……今……確かにそう言ったのか?」
  縁の反応に違和感を感じた桃子は、縁の表情を覗いてみた。
 「どうした?……縁……!?」
  縁の表情に桃子は驚愕した。縁は目を見開き、口を半開きにして、下を向いている。その反応は明らかに、スクランブル・スピリットを縁が知っていると、暗に理解できた。
  すると縁はものすごい剣幕で、今野に詰め寄った。
 「俺を今すぐ被害者の部屋に連れて行けっ!」
  縁のこれまでに見たことのない、剣幕に今野は圧倒された。
 「ちょっ!縁君……どうしたのっ!?」
  縁は今野の胸ぐらを掴んで、さらに恫喝した。
 「いいからっ!さっさと連れてけっ!」
  縁は誰の目から見ても、明らかに取り乱していた。普段の冷静沈着の縁はそこにはなく、瑠璃は固まり、会ったばかりの矢那崎でさえ圧倒されていたが……。
 「落ち着け縁っ!」
  桃子は背後から縁を羽交い締めし、縁を必死に抑えようとした。
 「何で……何で……あれがこの国にあるんだっ!?」
  回りが見えていない縁を、抑えながら桃子は、縁の言うあれがスクランブル・スピリットである事と、スクランブル・スピリットと縁にただならぬ関係があると、理解した。
  そしてこのスクランブル・スピリットこそが、縁と桃子をこの後大事件に巻き込むことになるのだった。
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