天才・新井場縁の災難

陽芹孝介

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第十四話 川と山と百合根町

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  桜木公園転落事件……あえて名称を打つとすればこんなところだろう。
  桜木公園に位置する小さな山の山頂にある、とある研究所の清掃員、片山という男が謎の死を遂げた。
  縁や桃子達が何時もの成り行きで捜査していると、ある薬物の存在が明らかになった。
  覚醒麻薬スクランブル・スピリット……その聞き覚えのない薬物に桃子らはキョトンとしていたが、縁だけは違った。
  キャメロンと合流した縁は片山のアパートに到着した。
  キャメロンの根回しで部屋の鍵は大家が開けておいてくれてるようだ。
  今時珍しい木造のアパートは、老朽化が進んでおり、お世辞でも綺麗と言える物ではなかった。
  ギシギシときしむ鉄の階段を上がり、片山の部屋に到着した。
  木製の扉を開けると、部屋の中は想像通りスッキリとしていた。
  重要な物は公安が押収したのだろう。机やベッド……大きめの家具や家電以外は何も残ってなかったか。
  縁とキャメロンは土足のまま部屋に上がり込み、早速物色し始めた。
  キャメロンは何時ものように黒のワンピースに黒のカーディガンを着ており、薄暗い部屋にマッチし、妙な妖しさを放っていた。
 「やっぱ何も残ってねぇな……」
  辺りを物色しながら呟く縁に、キャメロンは言った。
 「通信機器も残ってないわね……。もうすぐ公安から私のスマホに、押収リストが届くけど……どこまで協力してくれるか」
 「通信機器か……」
  縁はそう呟くと、窓からは外に顔を出して、上を眺めてみた。
  キャメロンは怪訝な表情で縁を見ている。
  縁の目線の先には、窓の上に取り付けられた、無数のアンテナがある。
 「アンテナ……数が多いな」
  キャメロンが言った。
 「薬物を常用していなとなると……売人の可能性もあるわ」
  縁は窓からは顔を引っ込めて、キャメロンに言った。
 「だから応援リストを頼んだんだろ?」
  するとタイミング良くキャメロンのスマホに反応があったようだ。
 「どうやら届いたようね」
  キャメロンがスマホに届いたメールを確認していると、縁もそれに寄って来た。
 「ノートPCに、スマホにタブレット……洋服に、清掃員の制服など……後は何かの資料みたいだけど、黒塗りされているわ」
 「そのメールPDFか?」
  キャメロンは縁の問に、キャメロンはスマホをスライドしながら頷いた。
 「そうよ。だからPCにファイルを移して黒塗りを外すことはできないわ」
 「まぁ公安の協力にしては上々だな」
  キャメロンはスマホをしまって縁に言った。
 「で?貴方の見解は?」
 「片山さんは売人じゃないよ」
 「でしょうね」
  縁の言葉にキャメロンも納得しているようだ。
 「売人なら薬物を部屋に置いてないわ」
  キャメロンの言葉に、今度は縁が頷いた。
 「ああ……リスキーだし数も少ないからな。売人なら薬物を別の場所に保管するはずだ……例えばコインロッカー等にな。でも押収リストにそれらの物はなかった」
 「つまり被害者は麻取ね……」
 「おそらくな……外のアンテナは付近の情報を傍受するためだろ」
  キャメロンは微笑した。
 「見えてきたわね」
 「ああ……この部屋は研究所のある山の梺付近……。この辺りの情報を傍受する理由は一つしかねぇ」
 「公安もこれくらいの事はわかってるはずなのに……何故動かないのかしら?」
 「そりゃあ……決定的証拠が……」
  縁はキャメロンに答えている最中に、目を見開いた。
 「証拠……だと?」
  キャメロンは怪訝な表情で縁を見つめた。
 「エニシ?」
 「そうか……アレは証拠だったんだ」
  縁は広角を上げて、不適に笑った。
 「ピースは揃った」
 「繋がったのね」
 「ああ……片山さんは……殺されたんだ」
 「犯人が分かったって事?研究所に戻るの?」
  縁はニヤリとしながらキャメロンに言った。
 「その前にやることがある。キャメロンにも、もう少し手伝って貰わねぇとな」
  キャメロンは呆れた表情で言った。
 「で?今度は何処に連絡を?」
 「察しが良くて助かるよ」
 「おだてなくていいわ……で?何処なの?」
  縁はニヤリとした。
 「環境省……」


  時間は少し遡り、縁とキャメロンがアパートに到着した頃、桃子達は所長室に向かっていた。
  所長室に到着すると、今野が扉をノックし、中から声がした。
 「どうぞ……」
  声に従い部屋に入ると、所長席に座っている原と、その前で立っている矢那崎がいた。どうやらまだ話をしていたらしい。
  原は険しい表情で三人に言った。
 「刑事さんに、小笠原先生……話しは矢那崎さんに伺いました。まさか片山君が薬物を使用していたなんて」
  原は従業員が薬物に関わっていた事に、戸惑いを隠せないようだ。
 「その事だがな所長……」
  桃子は先程の導いた一つの結論を、原と矢那崎に説明した。
  原は感慨深い表情で黙り、矢那崎は怪訝な表情で意義を申し立てた。
 「それでも薬物に関与している事には変わりないでしょ?」
  今野が言った。
 「確かにそうだけど……事故の線は無くなったんだ。自殺の捜査はしなければ」
 「自殺の捜査とはなんですか?動機ですか?」
  矢那崎の態度に、桃子は不機嫌そうな表情で言った。
 「まぁな……それがハッキリしない限り、帰るわけにいかん」
 「動機ならハッキリしてるでしょ……所長を前に失礼ですが、清掃員の収入などたかがしれてるでしょ?生活苦によって薬の売人になり、借金取りや反社会勢力に追い込まれて自殺……これで決まりでしょ」
  根拠のない想像だったが、筋は通っている。
  すると今野が言った。
 「それを確かめる為に捜査が必要なんだよ」
  勿論桃子も今野に賛同した。
 「今野刑事の言う通りだ。身元が確実に判明したわけではないが……事件の経緯を御遺族に説明する義務がある。その事も踏まえて、どうだろうか所長殿?」
  原は険しい表情のまま頷いた。
 「そういう事なら仕方ありませんね……それに片山君のロッカー等もそのままですから、処理していただけるのなら助かります」
  今野は原に礼をした。
 「ご協力ありがとうございます」
 「ただし立ち入り禁止区間は入らないようにして下さい」
  桃子は険しい表情をした。
 「立ち入り禁止?」
  原はいつも通り笑顔で言った。
 「企業機密もこの研究所には多数ありますから」
  今野が答えた。
 「わかりました」
  話を終えると三人は矢那崎を残して、所長室を後にした。
  残った矢那崎は原に対して平謝りをした。
 「すみません所長……迷惑が掛からないやうにさっさと帰るつもりでしたが」
 「いいんですよ。警察に協力するのは市民の義務ですから」
  矢那崎は感心した表情をした。
 「その姿勢には尊敬の念しかありません。さすがは私財で慈善事業をなさっている事だけはあります」
  矢那崎にのせられた原は、満更でもない表情をした。
 「では僕も捜査に戻りますので……」
  矢那崎が所長室を出ていこうとすると、原が呼び止めた。
 「あっ……矢那崎さん……」
 「なんですか?」
 「捜査のついでにお願いが……」


  桃子達は所長室を後にすると、片山が使用していたロッカーがある、男子更衣室や、研究用の薬品や備品が保管してある保管庫等を調べたが、特に何も見付からなかった。
 「特に何もありませんでしたね」
  これといった発見も無いことに、今野はやや疲れた表情をしていた。
  保管庫を出て待合室に戻ろうとし、廊下に出たところで瑠璃が何かを発見した。
 「あれはなんですかね?」
  廊下沿いの部屋と部屋の間に、畳一枚分の窪みのようなものがある。
 「何のスペースだ?」
  床にあるそのスペースには取っ手付きの、四角い蓋のようなものがあった。
 「収納スペースですかね」
  そう言いながら今野も、興味津々で覗いている。
  桃子は取っ手に手をやり、思いきってそれを開けてみた。
  桃子に開けられた蓋は、ギィーーッと古臭い音をたてながら開いていく。どうやら扉のようで、重たいのか桃子の取っ手の持つ手にも力が入った。
  体制を立て直して開いた扉の先には、梯子がついており、どうやら地下に続いているようだ。
 「これは……地下室か?」
  桃子は目を凝らしながら梯子の先を眺めているが、薄暗いためその全貌は確認出来ない。
  すると桃子は今野に言った。
 「今野刑事……出番だ」
 「えっ?僕が行くんですか?」
  戸惑っている今野に、桃子は呆れた表情で言った。
 「当然だろ?刑事の君が行かなくて、誰が行くのだ?」
 「そうですよねぇ」
  観念した今野は恐る恐る梯子に足を掛けて、ゆっくりと地下へ進んだ。
  しばらくすると、地下から今野の声がした。
 「真っ暗で……埃っぽいですね……」
  桃子は地下へ続く穴に向かって言った。
 「スマホのライトで中を確認してくれ」
 「わかりました」
  今野はスマホのライトで辺りを照らしてみた。
  光に照らされた地下室は、そんなに広くはなく、広さは六畳程といったところか、天井も低い。
  スチール製の棚にミネラルウォーターが数十本と、非常食用の缶詰が大量にあるくらいで、他には何もない。
 「食料がありますね。緊急避難用の部屋みたいですね」
  穴から聞こえる今野の声に、瑠璃は目を丸くした。
 「緊急避難用って?」
 「災害時等に避難する部屋だ。まぁ山頂だからあまり意味は無さそうだがな」
  桃子は瑠璃にそう言うと、穴に向かって言った。
 「今野刑事……もういいぞ」
  桃子の許しを得た今野は、のそのそと梯子を上り、二人の前に戻ってきた。
 「特に怪しい所はなかったな……一度縁にも連絡しなければな。待合室に戻ろう」
  三人は一度待合室に戻ることにした。
  三人が待合室に戻ると、部屋には矢那崎がいた。
  矢那崎はパイプ椅子に座り、長テーブルの上に何かの資料を広げて、それを真剣に見ていた。
  矢那崎は三人に気付くと、何時もの嫌味な笑顔で言った。
 「操作資料をお借りしてます」
  矢那崎は今野の鞄から操作資料を取り出して、勝手に見ていたようだ。
  人の鞄を勝手に物色していたわりに、慌てた様子も無い事から、矢那崎に悪気は無いようだ。
  今野は呆れた表情で矢那崎に言った。
 「困るよ矢那崎君……人の鞄を勝手に……」
 「事件解決の為に、拝借したのですが……ダメですか?」
 「恐ろしくマイペース……」
  瑠璃も思わず呟いてしまったが、矢那崎は気にする事なく資料を見ている。
  すると桃子が言った。
 「どういう風の吹き回しだ?」
  矢那崎はニヤリとした。
 「心外ですね……。事件を早期に解決したい気持ちは同じですよ」
  今野が言った。
 「で?何か気づいたのかい?」
  矢那崎は操作資料を重ねて整理し立ち上がった。
 「いえ……特に……。それでは僕は、辺りをもう一度調べてみます」
  矢那崎はそう言うと、操作資料を今野に返して、待合室から出て行った。
  矢那崎の行動に桃子と今野はキョトンとしていたが、瑠璃は少し様子が違った。
  瑠璃はなにやら渋い表情で手を擦っている。桃子もそんな瑠璃の異変にいち早く気付いた。
 「どうした?瑠璃……」
 「ちょっと手が荒れちゃったみたいで……元々肌が弱いんですけど……」
 「見せてみろ」
  桃子はそう言うと、瑠璃を椅子に座らせて手を見てみた。瑠璃の両手は赤く荒れていて、ヒリヒリと痛そうだった。
  瑠璃は痛みを堪えて苦笑いした。
 「食器洗いの洗剤が合わなかったのかも……」
 「手当てしないと……救急箱を探してみます」
  今野はそう言うと、待合室の棚を物色し始めた。
  すると今野が物色し始めたのとほぼ同時に、煙草をくわえながら、研究員の大崎が待合室に入ってきた。
  大崎の煙草にはまだ火が着いておらず、物色している今野に怪訝な表情を向けた。
 「どうかしましたか?」
  桃子が変わりに答えた。
 「ちょっと救急箱をな……。それよりこの部屋は禁煙じゃないのか?」
  大崎は思わず目を丸くした。
 「えっ?」
 「いや……灰皿が何処にもないからな」
  桃子の指摘に、大崎は何かを思い出したかのように、慌てて煙草を胸ポケットにしまった。
 「あっ、そ、そう言えば……禁煙になったんだ。それより救急箱って……どうかしましたか?」
  今野が答えた。
 「このの手が酷く荒れてしまいまして……」
 「あ、ああ……それなら医務室がありますから……。僕が手当てしますよ」
  桃子は大崎の態度にキョトンとしながら言った。
 「それなら助かるのだが……」
  大崎は笑顔で言った。
 「気にしないで下さい……。じゃあ君、行こうか……」
 「すみません。迷惑がかけちゃって」
  瑠璃は申し訳なさそうに大崎について行った。
 「良かったですね……手当てしてくれるみたいで」
  今野がそう桃子に話しかけたが、桃子は険しい表情で、何やら考え込んでいる。
 「洗剤に……禁煙……」
  今野は怪訝な表情で桃子に再度話しかけた。
 「小笠原さん?どうしました?」
  すると桃子は目を見開いた。
 「そうか……だから掌に傷がなかったんだ」
  桃子はそう言うと、キッチンに駆け出して、棚を勢いよく開いて中を確認した。
 「やっぱり……」
 「どうしたんですか?」
  今野の問いかけに、桃子は立ち上がった。
 「わかったぞ……どうやって片山氏が死んだのか」
 「ほんとですかっ!?」
  驚いた今野に、桃子は不敵に笑った。
 「行くぞ、今野刑事……」
 「何処へ?」
  桃子は得意気な表情で言った。
 「所長室だ」
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