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第8話 姉の虚飾と演技
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私はソファの端に浅く腰掛けた。カップを持つ手が震えて、カチャカチャと音を立てる。
「……単刀直入に申し上げます」
私は息を吸い込んだ。もう、恥も外聞もない。
「今日、私は見てしまいました。お姉様と、私の婚約者のギルバート様が……愛し合っているところを」
言った瞬間、涙がまた溢れそうになった。けれど、クライドの反応は私の予想を裏切るものだった。
彼は激昂することも、悲嘆に暮れることもなかった。ただ、静かに眼鏡の位置を直し、低い声でこう言ったのだ。
「――そうか。ようやく、ボロを出したか」
私は呆然として顔を上げた。
「……え?」
「驚くことではない。イザベラの『奔放さと自己顕示欲の強さ』は知っていた。以前から、君の婚約者を見る目が妙だとも感じていた」
クライドは立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。背中で語るその姿は、孤独というよりは孤高の戦士のようだった。
「彼女は、私が忙しくて構わないから寂しいと言っていただろう?」
「は、はい。ずっと……義兄様は家庭を顧みない、と」
「逆だ」
彼は振り返り、冷ややかな笑みを浮かべた。
「私がなぜ家に帰らないか。それは、彼女が『公爵夫人』という役を演じる舞台に、私が付き合わされるのを拒んだからだ。彼女が愛しているのは私ではない。私の地位と、公爵夫人という自分だ。……そんな空虚な芝居に付き合うほど、私は暇ではない」
衝撃だった。姉の言葉は、すべて嘘だったのだ。 義兄は、姉を愛していないから冷たいのではない。姉の本質を見抜き軽蔑していたからこそ、距離を置いていたのだ。
「しかし、確証がなかった。彼女は外面だけは完璧だ。私が下手に動けば、『冷酷な夫が聖女のような妻を追い出した』と世論を味方につけるだろう。……だから、泳がせていた」
クライドが私の前に歩み寄り、膝をついて視線を合わせた。氷のような瞳の奥に、初めて見る揺らぎと怒りの炎が見えた。
「だが、君を巻き込んだとなれば話は別だ。それに、レオも……息子も放置しているようだな?」
私はハッとして頷いた。
「はい……! レオは、泣いていました。ママはあのお兄ちゃんとばかり遊んで、僕を見てくれないって……」
バキッ。硬質な音が響いた。見ると、クライドが握りしめていた万年筆が、真ん中からへし折れていた。
インクが彼の手を黒く汚していくが、彼は気にも留めない。
「……なるほど。越えてはならない一線を、とうとう越えたか」
部屋の空気が、一瞬にして凍りついたようだった。今の彼は、氷の公爵ではない。怒れる父であり断罪者だった。
彼は汚れた手をハンカチで拭い、私を真っ直ぐに見据えた。
「アリーナ。君は、どうしたい?」
「え……?」
「泣いて、諦めて、実家に帰るか? 『姉様に彼を譲ります』と言って、悲劇のヒロインとして一生を終えるか?」
挑発的な言葉だった。けれど、その言葉は私の心の芯に火をつけた。
(嫌だ。そんなの、絶対に嫌だ)
私が何をしたというの? 必死に努力して彼らを信じて、愛していただけなのに。
「……嫌です」
私は唇を噛み締め顔を上げた。
「私は、許せません。私の心を弄んだことも、レオを傷つけたことも。……私を『扱いやすい道化』だと笑ったことも!」
「ならば」
クライドが、大きな手を私に差し出した。
「私と手を組め。私には、奴らを社会的に抹殺する権力がある。だが、決定的な『現場の証言』と、内部からの情報が足りない。君が私の目となり、耳となるなら……約束しよう」
彼の顔が近づく。それは悪魔の契約のようであり、同時に頼もしい騎士の誓いのようでもあった。
「君が受けた屈辱の分だけ、いや、その倍以上の絶望を彼らに味わわせてやる。……完膚なきまでに叩き潰すぞ」
私は迷わなかった。震える手で、彼の手を握り返す。彼の手は大きくて温かかった。氷のように冷たいなんて、誰が言ったのだろう。
「お願いします、義兄様。……私に、復讐の方法を教えてください」
クライドは、満足そうに口角を上げた。その笑顔は、とても冷酷だが最高に美しかった。
「交渉成立だ。……さあ、涙を拭け、アリーナ。これからは泣く時間などないぞ。忙しくなる」
彼が私の頬に触れ、親指で涙を拭い去った。その瞬間、私の中の何かが変わった。
(私は、戦う。最強の味方と共に)
守られるだけの妹は、もういなかった。
「……単刀直入に申し上げます」
私は息を吸い込んだ。もう、恥も外聞もない。
「今日、私は見てしまいました。お姉様と、私の婚約者のギルバート様が……愛し合っているところを」
言った瞬間、涙がまた溢れそうになった。けれど、クライドの反応は私の予想を裏切るものだった。
彼は激昂することも、悲嘆に暮れることもなかった。ただ、静かに眼鏡の位置を直し、低い声でこう言ったのだ。
「――そうか。ようやく、ボロを出したか」
私は呆然として顔を上げた。
「……え?」
「驚くことではない。イザベラの『奔放さと自己顕示欲の強さ』は知っていた。以前から、君の婚約者を見る目が妙だとも感じていた」
クライドは立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。背中で語るその姿は、孤独というよりは孤高の戦士のようだった。
「彼女は、私が忙しくて構わないから寂しいと言っていただろう?」
「は、はい。ずっと……義兄様は家庭を顧みない、と」
「逆だ」
彼は振り返り、冷ややかな笑みを浮かべた。
「私がなぜ家に帰らないか。それは、彼女が『公爵夫人』という役を演じる舞台に、私が付き合わされるのを拒んだからだ。彼女が愛しているのは私ではない。私の地位と、公爵夫人という自分だ。……そんな空虚な芝居に付き合うほど、私は暇ではない」
衝撃だった。姉の言葉は、すべて嘘だったのだ。 義兄は、姉を愛していないから冷たいのではない。姉の本質を見抜き軽蔑していたからこそ、距離を置いていたのだ。
「しかし、確証がなかった。彼女は外面だけは完璧だ。私が下手に動けば、『冷酷な夫が聖女のような妻を追い出した』と世論を味方につけるだろう。……だから、泳がせていた」
クライドが私の前に歩み寄り、膝をついて視線を合わせた。氷のような瞳の奥に、初めて見る揺らぎと怒りの炎が見えた。
「だが、君を巻き込んだとなれば話は別だ。それに、レオも……息子も放置しているようだな?」
私はハッとして頷いた。
「はい……! レオは、泣いていました。ママはあのお兄ちゃんとばかり遊んで、僕を見てくれないって……」
バキッ。硬質な音が響いた。見ると、クライドが握りしめていた万年筆が、真ん中からへし折れていた。
インクが彼の手を黒く汚していくが、彼は気にも留めない。
「……なるほど。越えてはならない一線を、とうとう越えたか」
部屋の空気が、一瞬にして凍りついたようだった。今の彼は、氷の公爵ではない。怒れる父であり断罪者だった。
彼は汚れた手をハンカチで拭い、私を真っ直ぐに見据えた。
「アリーナ。君は、どうしたい?」
「え……?」
「泣いて、諦めて、実家に帰るか? 『姉様に彼を譲ります』と言って、悲劇のヒロインとして一生を終えるか?」
挑発的な言葉だった。けれど、その言葉は私の心の芯に火をつけた。
(嫌だ。そんなの、絶対に嫌だ)
私が何をしたというの? 必死に努力して彼らを信じて、愛していただけなのに。
「……嫌です」
私は唇を噛み締め顔を上げた。
「私は、許せません。私の心を弄んだことも、レオを傷つけたことも。……私を『扱いやすい道化』だと笑ったことも!」
「ならば」
クライドが、大きな手を私に差し出した。
「私と手を組め。私には、奴らを社会的に抹殺する権力がある。だが、決定的な『現場の証言』と、内部からの情報が足りない。君が私の目となり、耳となるなら……約束しよう」
彼の顔が近づく。それは悪魔の契約のようであり、同時に頼もしい騎士の誓いのようでもあった。
「君が受けた屈辱の分だけ、いや、その倍以上の絶望を彼らに味わわせてやる。……完膚なきまでに叩き潰すぞ」
私は迷わなかった。震える手で、彼の手を握り返す。彼の手は大きくて温かかった。氷のように冷たいなんて、誰が言ったのだろう。
「お願いします、義兄様。……私に、復讐の方法を教えてください」
クライドは、満足そうに口角を上げた。その笑顔は、とても冷酷だが最高に美しかった。
「交渉成立だ。……さあ、涙を拭け、アリーナ。これからは泣く時間などないぞ。忙しくなる」
彼が私の頬に触れ、親指で涙を拭い去った。その瞬間、私の中の何かが変わった。
(私は、戦う。最強の味方と共に)
守られるだけの妹は、もういなかった。
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