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第83話 心が安らぐ感覚
「はははっ! レオ、甘いぞ! もっと腰を入れて投げるんだ!」
「うわーん! パパ、いじわる! もういっかい!」
秘密の庭園には、いつまでも二人の笑い声が響いていた。
義兄様は本当に約束通り、難しい領地の話など一切せず、ただ無心にレオと芝生の上を転げ回った。手加減しつつも本気でレオを追いかけたり、時にはわざと大袈裟に転んでみせてレオの誇らしげな笑いを引き出している。
汗ばんだ前髪を乱して子供のように無邪気な笑顔を見せる義兄様。それは、王宮の夜会で冷酷な裁きを下した男と同一人物とは到底思えない、温かく生命力に満ちた姿だった。
「お二人とも! そろそろお昼にしましょう!」
私が声をかけると、泥だらけになった二人が「お腹すいたー!」と笑い合いながら敷物へと戻ってきた。
「さあ、召し上がれ。今日は腕によりをかけて、食べやすいサンドイッチをたくさん作ってきましたから」
私がバスケットから、ローストビーフや卵、新鮮な野菜を挟んだ色鮮やかなサンドイッチを取り出すと、二人の目がキラキラと輝いた。
「うわあ、美味しそう!」
「……これは、すべて君が作ったのか? 厨房の料理長に任せればよかったのに」
「ピクニックのお弁当は、母親……いえ、家族が作るから美味しいのですよ。さあ、義兄様もどうぞ。カロリー計算などは今日は禁止ですからね」
義兄様は目を丸くした後、優しく微笑んでサンドイッチを手に取った。そして、一口かじり……驚いたように目を見開いた。
「……美味い。いや、本当に美味しいな。パンの焼き加減といい、マスタードの風味といい……一流のシェフの料理より、ずっと温かくて、胃の腑に染み渡るようだ」
「ふふっ、お世辞が上手になられましたね」
「お世辞ではないさ。……君がこの屋敷に来てから、食べるものがすべて美味しいんだ」
真っ直ぐな視線でそう告げられ、私は再び顔がカッと熱くなるのを感じた。
(無自覚な甘い言葉は、本当に心臓に悪い)
私は慌てて紅茶を注ぐふりをして視線を逸らした。
***
食後。満腹になったレオは、はしゃぎ疲れたのか私の膝を枕にして、あっという間にスヤスヤと寝息を立て始めた。
温かく心地よい風が、木の葉をサワサワと揺らしている。遠くで小鳥が囀る音と、レオの規則正しい寝息だけが響く静かな空間。
敷物の上には膝枕をする私と、そのすぐ隣で片膝を立てて座る義兄様の二人だけ。
「……すっかり寝てしまったな」
義兄様は声を潜め、レオの柔らかな髪を愛おしそうに撫でた。
「ええ。よほど楽しかったのでしょうね。義兄様も、お疲れ様でした。病み上がりなのに、少し無理をさせてしまったかもしれません」
「とんでもない。むしろ、体の芯から毒が抜けていくような気分だよ」
義兄様は、木漏れ日を見上げるように目を細めた。
「今まで私は、立ち止まることが怖かった。歩みを止めれば、隙を見せれば、イザベラや政敵たちに足元をすくわれると、常に神経を尖らせていた。……だが、今日こうして君たちと何もしない時間を過ごして、初めて気づいたよ。私が本当に守りたかったのは、公爵家の名誉や財産なんかじゃなく……こういう、ささやかな時間だったんだと」
そう語る義兄様の横顔は、どこまでも穏やかで少しだけ寂しげだった。
「うわーん! パパ、いじわる! もういっかい!」
秘密の庭園には、いつまでも二人の笑い声が響いていた。
義兄様は本当に約束通り、難しい領地の話など一切せず、ただ無心にレオと芝生の上を転げ回った。手加減しつつも本気でレオを追いかけたり、時にはわざと大袈裟に転んでみせてレオの誇らしげな笑いを引き出している。
汗ばんだ前髪を乱して子供のように無邪気な笑顔を見せる義兄様。それは、王宮の夜会で冷酷な裁きを下した男と同一人物とは到底思えない、温かく生命力に満ちた姿だった。
「お二人とも! そろそろお昼にしましょう!」
私が声をかけると、泥だらけになった二人が「お腹すいたー!」と笑い合いながら敷物へと戻ってきた。
「さあ、召し上がれ。今日は腕によりをかけて、食べやすいサンドイッチをたくさん作ってきましたから」
私がバスケットから、ローストビーフや卵、新鮮な野菜を挟んだ色鮮やかなサンドイッチを取り出すと、二人の目がキラキラと輝いた。
「うわあ、美味しそう!」
「……これは、すべて君が作ったのか? 厨房の料理長に任せればよかったのに」
「ピクニックのお弁当は、母親……いえ、家族が作るから美味しいのですよ。さあ、義兄様もどうぞ。カロリー計算などは今日は禁止ですからね」
義兄様は目を丸くした後、優しく微笑んでサンドイッチを手に取った。そして、一口かじり……驚いたように目を見開いた。
「……美味い。いや、本当に美味しいな。パンの焼き加減といい、マスタードの風味といい……一流のシェフの料理より、ずっと温かくて、胃の腑に染み渡るようだ」
「ふふっ、お世辞が上手になられましたね」
「お世辞ではないさ。……君がこの屋敷に来てから、食べるものがすべて美味しいんだ」
真っ直ぐな視線でそう告げられ、私は再び顔がカッと熱くなるのを感じた。
(無自覚な甘い言葉は、本当に心臓に悪い)
私は慌てて紅茶を注ぐふりをして視線を逸らした。
***
食後。満腹になったレオは、はしゃぎ疲れたのか私の膝を枕にして、あっという間にスヤスヤと寝息を立て始めた。
温かく心地よい風が、木の葉をサワサワと揺らしている。遠くで小鳥が囀る音と、レオの規則正しい寝息だけが響く静かな空間。
敷物の上には膝枕をする私と、そのすぐ隣で片膝を立てて座る義兄様の二人だけ。
「……すっかり寝てしまったな」
義兄様は声を潜め、レオの柔らかな髪を愛おしそうに撫でた。
「ええ。よほど楽しかったのでしょうね。義兄様も、お疲れ様でした。病み上がりなのに、少し無理をさせてしまったかもしれません」
「とんでもない。むしろ、体の芯から毒が抜けていくような気分だよ」
義兄様は、木漏れ日を見上げるように目を細めた。
「今まで私は、立ち止まることが怖かった。歩みを止めれば、隙を見せれば、イザベラや政敵たちに足元をすくわれると、常に神経を尖らせていた。……だが、今日こうして君たちと何もしない時間を過ごして、初めて気づいたよ。私が本当に守りたかったのは、公爵家の名誉や財産なんかじゃなく……こういう、ささやかな時間だったんだと」
そう語る義兄様の横顔は、どこまでも穏やかで少しだけ寂しげだった。
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